51:通りすがりの者ですが
それだけのことって、と和泉は呆れて物が言えなかった。
その挙げ句にあの追いかけっこが始まり、現金が宙を舞うという、非日常的な場面を目にすることになったのか。
「そのリクと言う男性ですが、この方で間違いありませんか?」
葛城陸の顔写真を見せる。
「ええ、そう……この子です」
「ところで……その同窓会でママ活を勧めてきた人物は何と言う方ですか?」
「そんなことまでお答えしなければいけませんの?」
「もしかすると違法……犯罪になりうる可能性がありますのでね。いろいろな方から事情を聞かなければなりません」
「滝本香蓮ですわ」
あっさりと口を割った。
「カレン……? 何をしている人ですか」
すると君江は不愉快そうに眉根を寄せ、袖で口元を覆う。
「学生時代から何と言いますか……殿方に対して色目を使うのが上手でしたから、天職なんでしょうね」
何のことだ。
ややあって彼女は「飲み屋のホステス」ですわ、と答えた。
一口に飲み屋といってもいろいろ種類がある。
しかし森本君江は、具体的にどういう店なのかを知らないと答えた。雲を掴むような話だ。
「ちなみにそのママ活サイトですが、何と言う名前です?」
「そ、それは……」
「どうなさいました?」
「サイトのことが主人にバレて、消されてしまったんです。正確な名前はわかりません。それに横文字でしたし」
君江は首を横に振る。
「覚えている範囲でかまいません」
「確か、きゅ……キュなんとかアンド……ビ……?」
何とも頼りない手掛かりだが、まったく情報がないよりはマシだと言えるだろう。
和泉は森本君江に向き直った。
「念のために伺いますが、奥さん。昨夜の午前1時から午前5時までの間、どちらにいらっしゃいましたか?」
「家で寝ていたに決まっていますわ」
「証明できる人は……?」
「昨夜も1人でしたからいません。仮に主人がいたとしても、証明にはならないのでしょう?」
そう答える彼女の表情からは、あきらめにも似た哀愁のようなものが漂っていた。
※※※
森本家を後にして乗ってきた車に戻る。
駿河が黙ってくれているので、和泉は頭の中であれこれと考えた。
先ほど、森本君江にそのサイトを紹介した滝本香蓮と言う女性の映っている写真を借りてきた。
ホステスということであれば生活安全課に行けば詳しい人がいて、よく知っているかもしれない。確か友永の親しい友人が水商売関係の人間に詳しかったはずだが……。
そうだ、それは基町南口交番の交番長。
周の上司だから今日は休みだろう。そんなことは忖度せず、とにかく番号を調べて電話をかけてみた。しかし留守番電話サービスにつながるばかりで応答がない。
仕方ない。
ここは調べる順番を変えてみよう。
和泉は県警本部に帰って女子大生殺人事件の方の資料に目を通すことにした。こっそりと守警部が提供してくれたものである。
被害者の氏名は工藤八重子。市内にある有名な音楽大学に通う女子大生である。
実家は竹原市。父親はサラリーマン、母親はパート従業員で兄弟姉妹はいない。これと言った特徴のない、いわばごく普通の家庭である。
進学のために独立し、広島市内で1人暮らしをしていた。大学ではピアノを選考していたそうだ。
来年の春から海外留学を希望しており、週に3日アルバイトをしながら、レッスンと自宅と学校にしか出没していなかったという。
警察と関わった記録と言えば、何年か前に自転車を盗まれて交番へ届け出を出したぐらいであり、それ以外には犯歴などもまったくない。
周りの人間とトラブルを抱えていたという証言も得られていない。
もう少し詳しいことが知りたい。
和泉は長野の姿を探した。しかし探すまでもなく、向こうからこちらへやってきてくれた。
「彰、お前を探しとったんじゃ」
「おいジジィ、例の女子大生の詳しい個人情報を教えろ」
図らずも2人同時に別々のことを話し出してしまった。
こんな奴とユニゾンなんて。
「……何が知りたいんじゃ?」
「工藤八重子のこと。アルバイトって、何の仕事をしてたんだ?」
「飲み屋らしいってことしかわからん、どこぞの居酒屋としか」
「……なんだよそれ、そんな適当な……」
「早い段階でストーカー男、中村の存在が浮かんできたけぇな。そっちは重視されんかったんじゃ」
「そっちでトラブルがあったかもしれないだろうが?」
「じゃけん、ワシもいっちゃんもそう主張したんじゃ。じゃけど……」
「そんな杜撰な捜査で……」
彰彦、と聡介に呼ばれて和泉は口をつぐむ。
事件捜査の陣頭指揮を執るのは管理官である。捜査1課長である長野の意見が絶対通る訳ではない。
彼としても忸怩たる思いなのであろう。
「で。お前のよ……痛っ!!」
課長を『お前』呼ばわりするな、と聡介に何度叱られても、一向に治らない。
「……課長様のご用件は?」
「例の子なんじゃが、ちっとも口を開いてくれんのよ。お前なら……もしかしてなんとかなるんじゃないかと思うてな」
「例の子って誰だ」
「あの子……リクって言う子」
和泉はこほん、と空咳をした。
実を言えばずっと話をしてみたいと思っていた。
葛城陸と言う容疑者と。
「じゃ、聡さん。行ってきま~す」
つい笑顔で和泉は北署へと向かった。
※※※
「な、なんだ貴様は?!」
和泉が葛城陸の収容されている取調室に姿をあらわすと、向かい合って座っていた中年のベテラン風な刑事が腰を浮かせる。
「通りすがりの、捜査1課の者ですよ」
「関係ない奴は出て行け!!」
「そうはいきません。彼を発見して、逮捕に至った時……そこにいたのは僕なんですから」
所轄の刑事はおどろき、容疑者である若い青年も顔を上げる。
「……ちょっといいかな? 葛城陸君だよね」
自分を逮捕した刑事だと分かった途端、彼は顔を強張らせた。
見下ろすそうな格好をしないほうがいい。そう考えて和泉は机の端に両手を置き、しゃがみこんで話しかける。
「そんな顔しないで。本当のことを話して欲しいんだ。君があの店に到着した時、もう被害者は死んでいた……そうだよね?」
返答はない。
「君はどうしてあの時、あの店にいたの? 誰かに呼び出された?」
やはり答えはない。
「殺されてた男のことを知ってる?」
「おい……」
肩を掴んで来ようとする中年の刑事を振り払う。
その時だった。
ドアをノックする音がして、新しく入ってきた刑事が、取調べに当たっていた刑事に耳打ちする。
「……それは本当なのか?」
何が判明したのだろう?
所轄の刑事は苦々しい顔をする。
「……何かあったんですか?」
訊いても無駄だろうと思ったら案の定、何の返答もない。
それから。
「帰ってもいいぞ。ただし、連絡は必ず取れる状態にしておけ」
「アリバイがあったんですか?」
「そんなものはない」
「じゃあ、どうして……」
うるさそうに手を振りながら、所轄の刑事は和泉に背を向ける。
葛城陸は無表情のまま、弾む足取りと言う訳でもなく、静かに取調べ室を出て行く。
「……弁護士先生が出てきたんですよ」
こそっと、もう1人いた若い刑事が教えてくれた。
「弁護士……?」
「アリバイがないとはいっても、現時点ではただの状況証拠に過ぎませんからね。それにその弁護士先生ってのがまた……」
「おい!!」
年嵩の方に怒鳴られて若い刑事は委縮する。
「畜生っ、新任が調子に乗りやがって!! こんなオチになるんだったらそいつの誤認逮捕ってことで責任を取りやがれ!!」
「言いがかりは止めてください」
和泉は所轄の刑事を睨んだ。
まるで手錠をかけた周の責任みたいな言い方が勘に障った。
「なんだってぇ?」
「逮捕容疑はあくまで公務執行妨害。状況から判断して、重要参考人として署に連行すべきと判断したから、そうしたまでです。用語は正確に、間違いなく使ってください。警察学校で散々そう習ったことをお忘れですか?」
「てめぇっ、ふざけんな!!」
拳を振り上げた中年の刑事を止めたのは、一緒に取調室にいたもう1人の若い刑事だった。
和泉は振り返らず、北署を後にした。




