50:セレブな奥様
「……ひょっとして和泉さん、故意ですか?」
井出氏と別れた後、駿河に真面目に訊かれた。
「まさか」
井出さん、イデさん……今度こそ間違えないよう、和泉は呪文のようにその名を唱えた。
「それにしても井出さんとはすごい方ですね。女子大生の方も知り合いで、この似顔絵の女性も知っているなんて」
「でしょ? 頼りになる檀家さんだよ」
さて。一度に複数の情報が入ってきたが、どちらから着手しようか。
和泉はちらりと駿河の横顔を見た。
女子大生の身辺を探るに際しては、友人知人に話を聞くのが一番確実だ。しかし。堅物でどちらかと言うと、女性の相手が苦手な彼を連れて行くのは忍びない。音楽大学と言えば女性が多いイメージがある。
となると、
「えっと、森本……君江だったっけ。住所は……面倒だから、うさこちゃんに調べてもらおう」
和泉はうさこの番号にかけた。
『ちょっと和泉さん、どこでフラフラしてるんですか? 探偵ごっこもいい加減にしろって、班長が怒ってますよ?!』
本職の刑事が【探偵ごっこ】をしていると叱られるとは。
『まぁ、半分以上あきらめてるみたいですけど』
だろうな、と少しおかしくなってしまった。
「調べて欲しいことがあるんだ。森本君江って、スーパーマルショウの社長夫人なんだけどさ。住所どこ?」
白鳥町○丁目……さすが社長宅、高級住宅街である。和泉は時計を確認した。
午後1時過ぎ。
アクセルを踏み、白鳥町○丁目を目指す。
該当の家に到着する。地元では名の知れたスーパーを展開する社長宅だけあって、その塀の長さは半端ではない。
和泉がインターフォンを押すと、女性の声で応答があった。
「警察の者ですが。奥様は御在宅でしょうか?」
『お待ちくださいませ』
しばらくしてエプロンをつけた、若い女性が玄関にあらわれた。
「あなたが奥様ですか?」
「いえ、私は通いの家政婦です。奥様は今、お加減が悪くて伏せっておられますので、日を改めていただけませんか?」
「緊急事態なので、できれば早めにお会いしたいのですが……」
「そう仰られましても……」
すると。奥から家政婦よりももう少し年長と思われる女性が出てきた。
年齢はおそらく40代後半ぐらい。
社長夫人だけあって、家にいる時にもそれなりに整った身形をしているようだ。
「あなたが森本君江さんですか?」
「ええ、そうですが」
「警察の者です、少しお話を伺えますか?」
和泉は警察手帳を示す。すると女性は、
「少しなら、どうぞ」
失礼にならない程度に、よく顔を見たら記憶が甦ってきた。
あの日、被害者……渡邊に追いかけられ、現金を振りまいた女性。化粧はバッチリしているようだが、やや青白い顔をしている。具合が悪いのは本当かもしれない。
和泉は家政婦の女性が揃えてくれたスリッパに履き替え、家の中に踏み込んだ。
通されたリビングは何畳ぐらいあるのだろうか、少なくとも自分の家の居間が、猫の額ぐらいの広さだということはわかるが。
革張りのふかふかのソファに腰かける。
「……それで、私に何をお訊きになりたいのでしょう?」
「この男性をご存知ですか?」
和泉はポケットから渡邊の顔写真を取り出し、テーブルの上に置いた。
家政婦の女性が紅茶を運んでくる。
森本君江は礼を言い、カップを手に取った。
注意して彼女の顔をよく見守る。
「見たことはあります。でも、お名前までは存じません」
「渡邊義男と言うのですが」
「ワタナベさん……確かに、そういう名前の知人は何人かいますが」
「実は先週、土曜日の午後5時前のことです。本通り商店街で、あなたがこの男に追いかけられているのを目撃されています。何があったのかお話しいただけますか?」
夫人の顔色が変わった。
「あ、あなたはもしかして、あの時の……」
そうして和泉の顔をマジマジと見つめてくる。
「僕のことを覚えておられるのですか?」
「ええ。警察の方だったんですね? その節はどうも……」
「それよりも。なぜ、そんなことになったのかを詳しくお話しいただけませんか?」
すると、
「この方、確か亡くなったんですよね……? ニュースで見ましたが」
森本君江は寒そうに身を縮める。
駿河は無言でメモを取っている。
「ええ、ですから。この男性とトラブルがあった、あなたにお話を訊きに来たのです」
トラブル……と、彼女は首を傾げる。
元々のんびりしているというか、呑気なタイプなのかもしれない。あまりピンときていないというか、まさか自分が疑いの対象になっているなどと、考えてもいない様子だ。
「あの日、この男に会いに行ったのはどういう事情ですか?」
「それはその……」
ようやくいろいろとマズい、と気がついたのだろうか。助けを求めるかのようにキョロキョロと辺りを見回し、夫人は溜め息をつく。
「私、お名前も何も存じませんでした。ただ、リクのために……」
「リク?」
「本来なら、彼のものになるはずだったお金を返して欲しいと、言いに行ったんです」
「……どういうことです?」
その後、彼女の口から語られたのは驚くべき事実だった。
要するに彼女は暇を持て余していたのだ。
夫は仕事仕事で、めったに家に帰って来ない。その上外に愛人がいるらしい。
そうかと言って別れたくはない。今の生活を手放すにはあまりにも惜しい。
そんな悩みを抱えている時に、中学時代の同窓会の誘いがあった。そこで再会したクラスメートから『ママ活』の話を持ちかけられたのである。
若くてお金のない男の子達に食事を奢ってあげたり、お小遣いをあげたりするだけでいい。相手はホストと違ってタダの素人だから、バックに暴力団がついている危険性もない。若い子と一緒にいると気持ちまで若返るんだよ、と。
幸いなことに彼女は自由になるお金がたくさんあった。
とあるサイトに会員登録をして、連絡が来るのを待つのみ。
気軽に登録をしてみたところ、すぐに連絡があった。『リク』と名乗る若い男の子から。
外で会って何度か食事をした。
一緒にカラオケに行ったり、映画を見に行ったりもした。帰り際には必ず【交通費】と称して、幾らか現金を握らせたそうだ。
ところがある夜。
リクが泣きながら電話をかけてきた。
サイトを運営する【元締め】と呼ばれる人物。彼はいわゆる【サクラ】だったが、ママ活で出会った相手からもらった現金および貴金属などを、その【元締め】に回収されてしまうのだという。
彼は奨学金で大学に通う苦学生だそうだ。
昼間は学校、夜はアルバイトを掛け持ちしながらどうにかその日の生活を送っていたという。だから彼女のくれたお小遣いは本当に助けになったと。
それなのに。元締めの売上金回収が激化し、生活にも困るようになった。
まるでコンビニのようだ。彼はそう言った。
「……コンビニ?」
コンビニに限らずいわゆるフランチャイズチェーン店と言うのは、売上金のかなりの部分を本部に吸い上げられる。このままじゃ家賃も支払えない。
かわいそうに思った君江は決めた。
自分がその【元締め】に話をつけに行ってやる、と。
そのサイトの拠点および事務所は流川にある雑居ビルの3階。表向きは『クレクレファイナンス』という看板を掲げる金融会社だった。
彼女は元々深く考えることが苦手なタイプなのだろう、と和泉は感じた。
思いつくまま勢いに乗って現地に向かい、そうして。
「ちょうど机の上に、現金が幾らかあったんです。そりゃ、お金に名前が書いてある訳ではありませんけど、元々はリクのものになるはずだったお金なんです。だから私、それを持ってビルを出た……それだけのことです」




