36:ほんとうの父
「恐れ入ります、小野田課長!!」
思わず大きな声が出てしまった。「父親というのは、上村……上村誠一の方ですか? それとも……」
上村の父は戸籍上そうなっているだけで血縁はない。4歳で生みの父を亡くした時、養子縁組をしたからだ。
「それとも広瀬……広瀬啓輔の方ですか」
応接室を妙な空気が支配する。
「……失礼いたしました」
上村は少し興奮してしまったことを恥じた。
「そういや、父親は……上村先輩は元気か? 俺が交番勤務だった頃、同じ係にいた先輩なんだが」
知らなかった。
「は、はい……」
「懐かしいな。今はどこにいるんだったか」
「向島……です。尾道の」
「ああ、そう言えばそうだったか。ま、よろしく伝えておいてくれ」
この話はこれで終了。
そう打ち切る空気がハッキリと読みとれた。
ただ。何となくだが、小野田課長は生みの父のことも知っている。そんなふうに思えた。
※※※
上村にはどうしても知りたいことがある。
父が殉職した際の詳細。
その件に関しては、いろいろな人がいろいろな情報を持ちこんできた。どれが本当なのかわからない。
ただ、いずれもあまり良い話ではない。
死者に鞭打つようなことを言うけど、と前置きをして語られたこともある。
その内容は広瀬の父が、自分の出世のために他人を貶めようと、罠を張った。だけど間違えて自らがその罠にかかった結果、命を落とした……そんな話だった。
父がそんな人間だなんて思いたくない。
でも、真相はまだわからない。
もちろん自分のために捜査をすることが許されないのは充分知っている。
だが。
何かの拍子で真相を知ることができる可能性だって捨てきれない。
また、当時のことを知る人物に近づくことができれば。そう考えたからだ。
「……今後は充分報道関係者への対応に留意し、県警の名に恥を負わせることのないように。以上だ」
小野田課長の話を半分聞き流していた上村は、以上だという単語に反応して我に帰る。
「はい。上村巡査、務めます」
型どおりの返答をして終わりだ。
それから上官は立ち上がり、会議室を出て行った。
「後片付けをしていきます」
上村は逢沢に声をかけた。
「そうだな。そうしないと富澤さんに怒鳴りつけられるからな」
交番長は笑ってじゃあな、と会議室を出て行く。
会議室の後片付けは終わった。
上村は掃除用具を所定の場所に片付けるため廊下を歩いていた。
何気なく、壁に貼ってある『警察官募集』のポスターを見る。映っているのは女性警官。本物ではなくモデルだろうが。
自然と姉のことを思い出してしまう。
今から3年前。ある日突然、姿を消してしまった彼女のことを。
知りたいのは父の死の真相だけではない。
姉の行方も、だ。
姉は行方がわからなくなる直前まで、何かを調べていたようだった。そのことが判明したのは行方不明になってから1年後のことだ。
高校卒業後、一度は民間企業に勤めたものの、警察官へと転職した彼女。
何か目的があったらしいと、彼女の指導部長だった女性警官が言っていた。上村は直接聞いていないが、父とそう話しているのを漏れ聞いた。
その手掛かりになるであろう、姉の皐月がつけていた日記が上村の元に届いたのは、高校2年生の頃。ちょうど進路のことで悩んでいた時だ。
差出人の名は不明。
手紙はワープロで書かれていた。
そこに書かれていたのは姉に関する衝撃的な【事実】だった。ただ、真偽のほどは確かめようもないのだが。
上村の生みの父親は職務中に亡くなった。そのことは間違ない。
だが、その事件の裏には、組織ぐるみで隠蔽されている事情があること。
姉はその事件を追って警察に入り、詳しいことを調べていたのだと。
さらに驚いたことには、姉と同じ部署にいたある妻子のある男性警察官と不倫関係にあったらしいとも。
男は妻と別れて姉と結婚する約束をしていたが、反故にされたこと。
そのショックで姉は自ら姿を消したが……恐らく、生きてはいまいと、手紙にはそう書かれてあった。
姉の書いたという日記。そこには何回も【I】のイニシャルが書かれていた。彼女がそのIに恋していたことは、文面からもハッキリとわかった。
そしてもう1人【H】のイニシャル。
彼女は【H】が恐ろしい、と書き連ねていた。そしてHは上村の父の事件について、何か知っているようだが教えてくれない、とも。
その上で一番衝撃的だったのは、このままでは【H】に殺されるかもしれない、その一文であった。
姉は自らの意志で失踪したのか、それとも何者かによって消されてしまったのか。
このまま黙ってはいられない。
だから上村は県警に入ることを決めた。
父の死の真相を探り、姉を捜すためだ。
そして【I】および【H】の正体を突き止める。
もちろん姉の行方不明届は出してある。だけど知っている。警察は届け出を受理したところで、本気で探してくれたりしないことを。
上村の父には表向きの理由を述べて県警に入ることを告げた。彼からは反対も賛成もなく、ただ『そうか』と言う返事がかえってきただけだったが。
最も薄々感づいてはいたのかもしれないが。
そして。自分の目的を遂げるために必要なのは警察手帳の他に【力】と【実績】だと上村は考えている。
誰にも文句を言わせないようにするためにはそれしかない。
だから。
自分はたぶん、焦っている。同期生である藤江周が次々と、実績を挙げることに対して苛立ちを覚えるのはそのせいだろう。
警察学校にいた頃はそんなことを考えなかった。
彼、藤江周には既知の刑事が複数いるらしいことも、おまけに担当教官も旧知の仲だということなど、うらやましいと思ったことは一度もない。
それに、彼はその事実に甘えることなく、ひたすら必死に努力した。
そのことは上村も認めている。
他の教場仲間の中には藤江周のことを縁故採用だ、特別扱いだと陰口を叩いていた者も少数ながら存在した。そして上村はそんな仲間達を秘かにバカにしていた。
それが今。
自分も彼らをバカにすることなどできないほど、強い嫉妬を覚えているのは確かだ。
誰にも文句を言われないように【実績】をのこしたい。そうすれば認めてもらえる、多少のワガママだってきいてもらえる……。
それだけ昇進も早くなる。
だから高校を卒業してすぐに県警へ入った。行動を起こすなら早い方がいいと思ったことと、キャリアでは仲間内から足を引っ張られ、自由が利かないと考えたから。
それが現実には。
実績の点で同期(藤江周)に追い越されてしまい、スタートから差をつけられている。
彼には心強い味方がいる。他の新任者は知らない有利な情報だって持っているに違いない。
そんなふうに考えてしまう自分も嫌だった。
「随分余裕があるんだねぇ、新天地の方は」
後ろから声が聞こえた。
振り返ると事務員の富岡だった。
どこをどう見たら『余裕がある』と思えるのか訊いてみたかったが、どうにも彼女のことは苦手だ。
両手に大量のコピー用紙を抱えている彼女は、
「ヒマなら手伝え」
決して暇な訳ではない。だが、逆らえば面倒なことになる。
彼女を手伝い、あちこちのコピー機に印刷用紙を補充して回った。
これで最後だと言われたのは、地域課の部屋の隅にあるコピー機の前に立った時だ。
「……あんた、マスコミに対してやらかしたんだって?」
ビリビリと包装紙を破りつつ富岡は訊ねてくる。しかしその口調にはからかっている様子はない。
上村が黙っていると、
「ほんっと、父親そっくり」
「……え?」
彼女は他の事務員に何やら話しかけ、こちらの質問を許してはくれなかった。




