32:応援よろしく
どうにも気まずい。
あの和泉という刑事。ニコニコしながら遠慮なく、こちらのパーソナルスペースにズカズカと踏みこんでくるみたいだ。
自分と同じタイプだと思っていた。
他人への関心が薄い。世話焼きなお節介タイプとは対極を行く。だからこそ、聞き流してもらえるだろうと思って胸の内を打ち明けたのだ。
それなのに……。
何もなければもうすぐ任務解除だ。
勤務日誌に必要事項を記入しながら上村は、思わずため息をついた。すると。無線機が出動要請を告げる。
≪広島北から新天地北口115≫
≪新天地北口115ですどうぞ≫
≪八丁堀○丁目○番地にて変死体発見。捜査1課から既に現場へ臨場あり。北口にあっては複数PMを出向させ、一般市民の誘導および……≫
「喜べ、上村!! 事件だぞ。もっとも応援要請だが」
と、暑苦しい松山が、ギョロ目と白い歯を光らせ大声で話しかけてくる。
「装備の確認を怠るなよ、急げ!!」
言われるまま上村は装備品の確認をして交番を飛び出す。
この時間、警らに回っているのは交番長ともう1人。留守番を残りの1人に任せ2人は外に出た。
何が喜べ、なのか理解できないが。
上村はそれでも必死で指導警官の後ろをくっつき、現場に向かって走った。
該当の場所には既に人だかりができている。
ちなみに、地域課の交番勤務員である自分がする仕事と言えば、もちろん現場周辺の聞き込みなどではない。
周辺の交通整理、規制線を貼り、野次馬やマスコミなどを牽制することだ。
危ないですよ、と呼びかけながら先輩警官達は野次馬を上手く誘導し、現場ビルの周辺100メートル範囲に規制線を張る。
それでもなお中に踏み込んでこようとする輩がいる。スマートフォンを高く掲げ、撮影を試みる者も。
それらの行為に苛立ちを覚えた上村はすぐ近くにいた、ブルゾン姿の若い男のファインダーを手で遮った。
「ジャマすんな、クソったれが!!」
相手を警察官だと分かっていてそう叫んだのだろうか。
腸の煮えくりかえるような気分をどうにか抑え、
「規制線の中に入らないでください」
「ふざけんなよっ、一大スクープのチャンスなんだ!!」
マスコミ関係者のようだ。
「下がってください、下がって!!」
男は上村の肩を掴んで、なおも前に前に出ようとする。
「日本語がわからないんですか?! 下がれと言ってるんだ!!」
思わず大きな声が出た。すると男の表情が途端に歪んだ。
「なんだぁ……?」
「聞こえなかったのなら、再度言います。下がってください」
「お前、どこの署だ?」
「答える義務はありません」
男はぺっ、と唾を吐く。
「名前、教えろよ。こう見えてもなぁ、俺ぁ警察の偉い人に太いパイプがつながってるんだぜ?」
「……マスコミ関係者の方ですか?」
「見てわかるだろうが。天下の旭日新聞社様だぜ?!」
上村は男の眼を見た。血走ってギラつくその瞳は、自分ではなく規制線の向こうを見つめているようだ。
「……ネット上であなた方マスコミが、なんと呼ばれているかご存知ですか?」
「あぁ?」
「マスゴミですよ。でもハッキリ言って、あなた達はゴミ以下だ」
胸ぐらをつかまれた。
「上村!!」
指導警官の声。
それと同時に上村は、頬に強い衝撃を受けた。
「……あ……」
自分でもマズイと思ったのだろう。マスコミ男はみるみる内に委縮し、コソコソ逃げようとした。しかし。
「どこの社の、なんて言う記者だ?」
マスコミ男の襟首をつかみ、拘束していたのは……交番長の逢沢だった。
いつの間に?
「公務執行妨害って有名だよな」
「こ、こいつが……このお巡りが、暴言を吐いたんだっ!!」
「確かに。でも、じゃあ殴っていいかって言ったら、違うだろう?」
「おい上村、大丈夫かっ?!」
松山が肩を揺すってくる。
マスコミ男は盛大に舌打ちすると、
「ほんっと、お前ら警察って身内で庇い合うのな?! 覚えてろよ!! いつか必ず……」
「必ず?」
すると男は怯んだようで、そそくさと走り去った。
※※※※※※※※
遺体は身元を示す物は何1つ所持していなかった。
和泉はつい先ほど運び出された遺体の顔に見覚えがあった。しかし、いつどこで見た顔だったのか、一生懸命記憶を手繰ったのだが思い出せない……。
なお、遺体のすぐ傍に座りこんでいた容疑者(仮)男性は、既に広島北署へと連行されている。
今は鑑識が作業中だ。和泉達も店外に出て、終わるのを待っている。
応援を呼んだところ、驚いたことに県警本部から聡介率いる第一班のメンバーがやってきたのだった。
本来なら北署の刑事課から人員が派遣されてくるはずだが、その辺りの裏事情については、あまり詮索するまい。
「彰彦、本当に思い出せないのか……?」
「ちょっと待ってください。今、検索中ですから」
「恰好は見るからにチンピラだけどな」
「友永さん、余計なことをいわないでくださいよ」
チンピラ、チンピラに知り合いなんていない。マル暴の刑事じゃあるまいし。仮に親しくしてなんてしていたら、それこそ監察事案だ。
だが友永が挟んできた余計な情報で、引っかかったことがあった。
「思い出した!! こないだ、周君とデートした帰り道……!!」
罵声を吐きながら女性を追いかけていた男だ。
確か、本通り商店街のカフェ【トライアングル】を出てすぐ。とある雑居ビルから出てきた。
「追いかけられていた女性……?」
「ええ。そうだ、思い出した。その女性は裸銭を、福沢諭吉を何枚か両手に抱えていました。質屋から出てきたのかな、と思ったんですが」
「女性の顔は……覚えてないよな?」
和泉は笑ってごまかす。
「あ、でも!! あの時、周君が一緒だったから、周君ならもしかしたら……」
聡介は苦い顔をすると、少し離れた場所に立っている周に声をかける。
「大丈夫か? 周君」
「はい、大丈夫……です」
周は少なからずダメージを受けているようだった。
遺体なんて、決して見て気分の良くなるものではない。むしろ逆だ。刑事になれば否応なく、下手をすれば連日見る羽目になるのだから、今から慣れさせておこうなんて考えたのは間違いだっただろうか。
「遺体の顔は……見たか?」
「すみません、あまりじっくりとは……」
無理しなくていいんだぞ、と聡介はひたすら優しい。
彼にとって周は孫のようなものなのだろう。心配そうな顔でひたすら背中をさすっている。
自分が新任刑事だった頃も……と、和泉は余計なことを思い出しかけていた。
「写真、見せてください。何とか思い出します」
周は何かを堪えるような必死の表情で遺体の写真を見、和泉の記憶を裏付けてくれた。
本通り商店街で見かけた男女の追いかけっこ。
現金が舞う、実に奇妙な光景だった。
「……その、相手の女性の顔は覚えているか?」
「たぶん、もう一度見ればわかると思います」
「ところで彰彦。お前に電話をかけてきた人間に心当たりは?」
「……ある訳ないじゃないですか、そんなもの」
「誰かに恨まれているという自覚は?」
「……数え切れません」
父子揃って肩を竦める。
「こんな商売してたら、逆恨みを買うことなんて、息をするのと同じぐらい当たり前になりますよ」
それから和泉は規制線の前に立つ、若い新任巡査(上村)の後ろ姿をチラリと見た。先ほど新聞記者と揉めていたのを見ていたが、和泉自身の感情としては彼の意見に全面的に賛成である。
マスコミ関係者のあの厚顔無恥ぶりはいっそ賞賛に値する。
そんな彼とマスコミ関係者の間に入って仲裁していた制服警官。袖のラインで階級が警部補であることが分かった。恐らく彼の上司である交番長だろう。
かわいそうに。きっと後で反省会と称し、散々叱られるに違いない。
しかし、それにしても。
『PM』とは、たぶんポリスメンの略だろうと……思われます。
複数の警官を現場に臨場させろ、の意味かな?
たぶん(;一_一)




