28:信頼できる人たち
「守警部。1つだけ、教えてください」
和泉は守警部を見つめた。
2か月前に起きた事件の折、ずっと行動を共にした彼。
彼のことは心から信頼している。
「……なんでしょうか?」
「被害者が足首につけていた、アンクレットのことです。遺品を管理していたのは庶務担当のメンバーだと思いますが、お気を悪くなさらないでください、まさか……紛失したのを隠蔽しようとして、ソックリの新品を用意したなんていうことは?」
被害者本人のものを含め、誰の指紋も検出されないなどいうのはおかしい。
故意に誰かが拭き取った。そうだとしたら何のために?
もしくは。
警官殺すにゃ刃物はいらぬ、という。
文字通りの生命を奪わないとしても、警察官としての人生に終止符を打つ決定打はいくらかある。
その1つが【紛失】である。
制服のボタン1つであっても、失くしたり落としたりしたらものすごく叱られる。
警察手帳ともなれば懲戒免職ものだ。それと同様に重いのが証拠品。
過去に何度か、証拠品を紛失してしまったことを隠そうと、偽造したものを用意した警官がいたことが報道された。
もちろんクビになった。
それぐらい大変なことなのだ。
すると、
「……ありえません」との返答。
守警部は首を横に振る。
「庶務担当には私の腹心の部下、それこそこの県警に入った頃からずっと大切にしてきた刑事がいます。万が一にもそんなホラーな事態が発生したなら、包み隠さず私に報告してくれるはずです」
そう、まさにホラーなのだ。
つい先ほどまでそこにあったはずのものがない。
警察内部ではそんな事案が【あるある】なのだ。とはいえ、職員たちも人の子。見逃したり、うっかりしたなんてことが絶対にないとは言い切れない。
少し離れた場所でこちらの遣り取りを聞いていたらしい、守警部の部下と思われる男性が、ほっとした顔を見せる。
「失礼いたしました。それでは、別の可能性を考えるべきですね」
別の可能性。
それは……。
※※※
「……それで?」
和泉は捜査1課の部屋に帰るなり聡介の尋問を受けた。しかし。決して話を逸らすつもりではなかったのだが、つい逆に質問してしまった。
「今の北署の署長って、なんて人です?」
「なんだいきなり。名前は忘れたが、確か……何年か前の捜査1課長じゃなかったか? 長い間刑事をやってたっていう。おい、話を逸らすな」
ゆっくりとキーボードを叩きながら、聡介は画面と和泉の顔を交互に見る。
「あの署長になってから、北署の検挙率が落ちたって言う実績は?」
「そう言うのを実績って言うのか? じゃ、なくて。いったい何があったっていうんだ」
外に出ましょう、と和泉は聡介を廊下に連れ出した。
廊下の行き止まりに自動販売機とちょっとした休憩スペースがある。和泉は自分と聡介の分の飲み物を買って、パイプ椅子に腰かけた。
それから。
和泉はことの次第を父に全て話した。
できる限り私情というか、個人的な感情は挟まないよう気をつけたつもりだが。
捜査全体を指揮する幡野という管理官が、頭の悪い器の小さな男だとか、そういう【感想】は最低限に抑えて。
「そうだったのか……」
「別に僕は何を言われてもいいんです。そりゃ、腸は煮えくりかえりますけど……」
「お前、それ……矛盾してないか?」
父は溜め息をつき、ポンポンと和泉の肩を叩く。
「あとは検察がどう見るか、あるいは……法廷で被疑者がどう供述するか、だな」
「……はい」
正直、不安しかない。
【取調】という目の前の苦痛から逃れるために、やってもいない罪を自白した挙げ句、いざ裁判になったら刑事に自白を強要されたと供述し始める被疑者は一定数存在する。
そうなれば当然、マスコミや世間の批判は警察に集中するだろう。
「しかし、本当になんだったんだろうな? そのCSVとかなんとかって言うのは」
「きっと何か意味があるんだと思います」
和泉は確信を込めて答えた。
「お前がそう感じるのなら間違いなくそうなんだろう。俺は、刑事としての彰彦の能力を高く評価している」
聡介に言われると素直に信じられるから不思議だ。
「今はもしかしたら我慢が必要な時かもしれない。しかしいずれ必ず、真相を明らかにできる日が来ると信じるしかない。いや、明らかにしなきゃいけない……」
「はい、聡さん」
「被害者の無念を晴らしてやれるのは、俺達、刑事だけだからな」
ああ、やっぱりこの人は。
和泉は自然と口角が上がるのを感じた。
上からの圧力だとか、政治的な配慮だとか。
そう言った【余計な】ことは一切気にしない。
ただ自分の、仲間達の、各々が信じる正義のために。
身を張って協力してくれる防波堤のような人。
だから信頼できるし、尊敬もできる。
「聡さん、僕……この事件をこっそり調べ続けようと思います」
「そう言うと思った」
「守警部も協力してくれるって言ってくださったことだし」
「いい人なんだから、あまり迷惑をかけるなよ?」
※※※
さっそく事件の概要及び、捜査資料を確認しよう。
和泉が自席に戻り、モニターのスイッチを入れた時だ。
外線電話が着信を知らせる。
通常、電話をとるのは部内で一番若手、新人の役割と決まっている。
しかし現時点で手の空いている、というか着信を押せそうな人間は自分しかいないようだ。
仕方なく和泉は受話器を上げ、着信ボタンを押した。
「はいはい、捜査1課……と」
しばし無言。
悪戯もしくは間違い電話だろうか。
「……もしもし?」
『……刑事さん?』
ボイスチェンジャーを使った奇妙な声。男女の区別はつかない。
途端に胸がざわめき始めた。
「どちらさま?」
和泉は即座に録音ボタンを押した。
『そごうの裏にさ【ヴィーナスクラブ】っていうプールバーがあるんだけど、実はそこに死体が転がってるんだ。第一発見者になっても、刑事さんなら容疑者になり得ないだろ? 何しろ警察ってとこは、身内を庇うことにかけては天下一だから』
それは否定しないが。
話し方からして男のようだ。
「詳しい住所を教えてもらえませんか? 八丁堀何丁目です」
『そこまで親切にするつもりはない』
通話が切れた音。
「……彰彦、どうした?」
和泉は立ち上がって聡介の前に立った。
「悪戯電話にしてはタチの悪い内容でした」
録音した内容を聞かせると、彼は驚きの表情を見せる。
「とにかく該当の店に行ってみます」
「……1人でか?」
にっこり笑って見せて、和泉は壁に貼ってある広島市の地図を指差す。「そごうの裏って言っていました。ということは……そこの管内の交番に勤務する、制服警官をお伴にすることに何の問題があるでしょうか? いや、問題なんてある訳がない!!」
すると聡介は苦い顔をした。
「……死体があるっていうタレコミだろう? 周君にそんなものを見せるつもりか?」
そう言われると返答に詰まる。
しかし、
「何を仰いますか、聡さん。周君は刑事志望ですよ? どれだけスプラッタだろうと、食欲を失くすような画だろうと、今から見慣れてしまわないと……親心ですよ、ええ!!」
聡介は肩を竦め、勝手にしろ、とだけ言った。
それにしても。
絶妙なタイミングでジャマが入ったものだ。
こっちは冤罪、あるいは迷宮入りしそうな事件を調べようと、着手し始めたばかりのところだったというのに。
それから和泉は地図サイトを立ち上げ、ヴィーナスクラブというプールバーの位置を確認した。そごうの裏と言っていたがどこだろうか。
その時、ふと思い出した。
友永の同期で周の直属の上司は、確か長く保安課にいたと。彼なら詳しい場所や店の情報を知っているかもしれない。
周の上司だし、つい先ほど話題に登った名前だから覚えている。確か小橋と言った。
和泉は基町南口交番へ電話をかけた。
「あ、捜査1課の和泉です~。どうも。小橋さんっていらっしゃいます? ちょっとお訊きしたいことがありましてね。ええ……」
それから和泉は上着を着込んで外に出た。
乾いた冷たい風が肌に突き刺さってきた。




