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外伝14話 二つの謀略、四人の傀儡師


 一条兼定の鷹司家継承と朝廷出仕という奇手。

 流石に、これはヤバいって。


 何がヤバいのかと言えば、一条家も鷹司家も五摂家であるということ。摂政・関白・太政大臣と選り取り見取りな最高位職への補任資格があるわけだが、私にとって真に問題視すべきものは、それらの役職の前提として大納言・左大臣・右大臣を経るということ。

 例えば、一条家。直近においては一条兼定の義理の兄弟にあたる12代当主の一条兼冬が1540年に右大臣、1553年には関白並びに左大臣に就いている。また兼冬の父であり、一条兼定から見れば養父にあたる11代当主の一条房通は1542年に左大臣、1545年には関白と、本家一条家は歴代大臣職を輩出していることに着目して欲しい。

 では土佐一条家は傍流なのかと言えばそうではなく、この11代当主の房通は土佐一条家2代目の一条房家の次男なのだ。

 どういうことか? 本家の10代当主が跡継ぎなく死去してしまったので、土佐一条家の次男を本家へスライドさせたのだ。そして長男はそのまま土佐一条家を継承。これでは本家と土佐一条家のどちらが上なのか分かったものではない。だからこそ、一条兼定が本家一条家と比して格下かと言えば決して当人含めてそうは思っていないだろう。まあ本家は格下にしたい気持ちでいっぱいだろうが。


 そして鷹司家。12代当主の鷹司忠冬が1546年に死去した折に後継者が居らず以降断絶している。

 断絶した摂家に別の摂家を接ぎ木するなんて出来るのか? 答えは可能であり、史実では二条晴良の子である信房が1579年に継いでいる……織田信長の尽力によって。うん、急にきな臭くなってきたし房なのも多分そういうことだと言われているが、一旦そちらは保留。

 なお鷹司忠冬も1541年には左大臣、翌年には関白と、鷹司家もまた一条家と相違なき家格の持ち主であったことは間違いない。そう、ここでも出てくる大臣職。


 ……何故、私が『大臣』にここまでこだわるのか気になる人も居るかもしれない。



 ――その答えは、かつて私がオルガンティノ含むイエズス会士へ語った内容にあった。

 通商協定と布教許可の切り分けをイエズス会士の前でお願いした折のことである。私が確かに、イエズス会士の前で次のように語った。



 『この国がかつて受容した外来思想である仏教を認めた背景には蘇我氏という臣籍降下した氏族の協力関係がありました』――と。



 そう。『蘇我氏』である。

 仏教公伝の問題は蘇我稲目の代より問題となったが、その受容姿勢という一応の解決に至ったのは彼の子の蘇我馬子の時代である。

 未だ律令制は影も形もなく、冠位十二階を作るか否かという時代であるために、一概に同一視は難しいものの、蘇我馬子の役職は『大臣おおかみ』……これが後に権力の集中抑制の観点から左右の2人に分けられて誕生したのが、左大臣と右大臣なのである。


 つまり。私がポロっと零した外来宗教の受容の『先例』である仏教、そしてそれを主導した蘇我氏の役割に重複させて考えてみて欲しい。見事にカトリックと一条兼定の関係性がここに重なるように出来ている。

 現状、一条兼定の役職は池永修理も述べていた通り左近衛少将ではある。しかし、血統である一条家から見ても、継承先の鷹司家から見ても、いずれも左右大臣への補任資格があるのだ。

 このまま鷹司姓を名乗る一条兼定が順当に昇殿していくだけで。


 ……それは、紛れもなくカトリック布教にとっての奇手であった。




 *


 しかし疑念がある。確かに私はイエズス会士に向けて『蘇我氏』の話はした。けれども、どうしてもオルガンティノ含む彼等イエズス会士の日本に対する理解がそこまで深遠に至っているとは思えない。つまり、イエズス会側の働きかけだけで出来たものだと断ずるのには無理がある。

 次点で怪しいのは、私の知る歴史で鷹司家の復興に尽力した織田信長である。鷹司家を復興してそこにキリシタンを入れるところまでは思い浮かぶかもしれない。だが、信長が『一条兼定を持ち出す』という部分はどうもピースが当てはまらないし、そもそもキリスト教国教化に向けた動きを容認はすれど主導する理由が信長にはない。

 別に副将軍・織田信長にとって鷹司家継承問題は、わざわざ土佐から貴種を持ってこなくても京に在住する摂家から選べばいい話なのだ。


 では、大友? 堺で話した『蘇我氏』の一件を府内まで持っていく宣教師が存在するのか大いに疑問が残るところだが、それでも彼等も実利を確保している以上はこれはありえない話ではないかもしれない。

 ……答え合わせをするしかないか。


「わざわざ、安宅神太郎殿の後任に幕臣でも博多商人でもなく『堺商人』である貴殿がいらしているということは、種明かしはして下さるということでよろしいのでしょうか?」


 迂遠な物言いとした。何故ならば、確かに博多商人衆の勢力争いや堺の会合衆の内部抗争からの出し抜きという側面から見れば池永修理は適任ではあるが、だからといってここで幕府の人間を外してきた意味は考えなければならない。

 つまり、幕府を飛び越えて伝えたいオーダーが堺にはあったということ。そしてそれを幕府は承知した上でセブまで彼を代理人として送り付けてきたことを意味している。


「私が把握している絵図のみにはなりますが、それでも……」


「無論、構いません」


「承知致しました。でしたらまずは終着地から。

 一条兼定様を土佐からお移しになられたのは、彼の国の国人衆の長曾我部……ということになりますね」




 *


 実行犯が長曾我部家。突き詰めれば最終的に土佐という盤面を動かせるのは確かに長曾我部だよなあ、とは思う。

 問題は長曾我部に何処の糸が絡まっているかだ。ここは安直に推理を行おう。


「確か……現在の長曾我部家の当主である元親殿の妻が奉公衆の石谷いしがい家の出身でしたか? 一応、それで貴国の中枢と繋がるかとは思いますが……」


 これはいわゆる本能寺の変の副次的要因としても度々ピックアップされる明智光秀と長曾我部家の繋がりの部分だ。長曾我部元親夫人を起点として幕臣・石谷家を経由し、この石谷家に養嗣子として入ったのが石谷頼辰、そして石谷頼辰の実の兄弟に当たるのが斎藤利三であり明智家家老へと至る長曾我部の一般的な幕府との伝手、それを応用した形である。


 ただし私の知る歴史とは異なり、明智光秀は幕府水軍奉行で斎藤利三とは今のところ何の関係もなく、稲葉良通の家臣であることから、単に石谷家繋がりのルートとして言葉にはした。


 しかし、これに池永修理は首を横に振って答える。


「惜しいですな。かなり良き線は言っておりますれば……」


「……では答えは?」



「――幕府政所代」


「あー、蜷川にながわ親長かー……」


 思わず内心を声に出し驚かせてしまったが、そっちだったか。

 蜷川親長。政所代として足利義輝に仕えるも、永禄の変で義輝が死去した後に土佐へ下向し文官として元親に仕えた人物である。惜しいというのは、石谷家と蜷川家は非常に近しいからである。

 蜷川親長から見たときに叔母に当たる人物が元親夫人の母であり、同時に石谷頼辰・斎藤利三兄弟の母であり、しかも蜷川親長自身の妻の母でもある。叔母であり義母なわけだ。

 だからこそ蜷川親長が土佐へ下向したのも、元親夫人が彼にとってはとこ(・・・)であると同時に義姉妹であったからなのだ。すげえ面倒くさい家系図してるな。


「ええと、政所代という元高官が田舎で閉塞している現状を義昭殿はよしとせず、彼に功績を挙げさせる目的でもって土佐一条家との直接交渉を担った……ということでよろしいですか?」


「表向きはその通りで御座います。摂家であらせられる一条様の家格を考慮すれば幕府の重鎮を遣わすのが習い、という体裁ですね」


 まあ、純粋に官位だけで見たら足利義昭本人でも役者不足なのは言わぬが華なのだろうが。


「……表向きですか。確かに義昭殿のが加わっておりますが、絵図を描いたのは彼ではないですね、これ」


「畏れ多くも左様です」


「では、誰がこの謀略を差配したのですか?」


 池永修理はそこで一拍置いて、こう答える。


「そこが肝、なのですが。

 どうにも、二つの謀略の糸が同時に絡み動き出した模様にて」



 ……2つの謀略?




 *


「一つは白雪様も先程述べた通り御承知であり、かつ白雪様自身も御遣いになられた伝手ですね」


「……ああ、石谷家経由で斎藤利三殿から稲葉良通殿へ至り、稲葉殿の主君である副将軍の織田信長殿へと接続するものですか」


 そしてこの整備された稲葉良通起点のルートは、同時に竹中半兵衛影響下でもあるということ……って!


 ――ああ、そうか、そうだった。

 そう言えば、竹中半兵衛が堺に建てられたイエズス会の療養所を利用していたという話があったね。……そこから、私の『蘇我氏』の話は漏れたか。成程、半兵衛による浅井家の幕府地位向上と美濃衆の活躍による織田家分断策の焼き直しか、これ。そう考えると確かにやっていることは三条西家のときと同じである。あのときは駿河から公卿を京へ持ってきて、此度は土佐から公卿を京に持ってきた、と。


 しかし同じことのようではあるが、しっかりと是正してきている部分もある。今回は土佐から一条兼定を動かしたことで長曾我部家の拡大に寄与している。それは、同時に阿波を拠点とする三好三人衆の背後を突ける勢力の拡大とも言え、現在の室町幕府の数少ない共通オーダーであるところの三好三人衆対策に寄与する謀略になっているのだ。前回は官位でお茶を濁されたが、これであれば明確に幕府内でも功績と呼べるものになる。

 打ち手が成長している竹中半兵衛とか悪夢でしかないことは忘れよう。幸い敵では無いんだし。



「では、2つ目の謀略と言うのは?」


 私のこの問いかけに対して、池永修理はどこか既視感のある回答を出すこととなる。



「――小西屋、と申しておきましょうか」



 再びの小西屋である。千利休からも似たような返答を聞いていたが、あの時は堺の会合衆の中で『兵庫津』を差配する適任者に関しての話であった。何故、小西屋が適任かと言えば、小西行長は備前・・の豪商・阿部善定の下へ出稼ぎに出てい……あ。


「……宇喜多直家殿ですか……」


「……よく、浦上家そのものではなく家老家まで把握していますね」


 池永修理が感嘆の声を挙げるが、私はそれを気にすることが出来ない。第二の謀略――それが、宇喜多直家が仕掛けたものだとしたら竹中半兵衛と宇喜多直家の共同制作となる訳で……うわあ。


「小西屋から情報が漏れるのは分かります。彼等も我々と同じくカトリックの信者ですし。それが、宇喜多直家殿の耳に入るのも理解しましょう。

 ……ですが、どのようにすれば備前の宇喜多殿が、土佐に介入できるのでしょう?」


「――実は、宇喜多直家様の元主君であった浦上宗景様は尼子再興軍を支援しておりまして、ねえ……」


「ああ……、毛利への内応の条件として主君を尼子再興軍諸共潰しましたか……」


「潰すと言っても、あくまで無力化であり浦上宗景様は追放に留まっておりますが。ともかく毛利からの支援を得た宇喜多様は、尼子再興軍を無力化した後に、備前一国を差配する者として大友・毛利の和睦斡旋をするという名目で摂津守護の和田惟政様に接触いたしました」



 随分とアクロバティックな動きをしているが、つまりは宇喜多直家は毛利方と大友講和に関する裏取引をして援助を引き出して、備前を手中に抑えそのまま幕臣に収まろうとした魂胆か。その手土産に和田惟政に対して土佐とカトリックを利用した謀略のアイデアが告げられ、それを和田惟政が幕府内に持ち帰ったときには、浅井家――実質半兵衛である――が、奇しくも同じ謀略の糸を進めていた、と。



 そして、この竹中半兵衛と宇喜多直家の共演という悪夢の謀略を前に、私はふとあることに気付く。

 小西屋が私の『蘇我氏』発言を知っていてもおかしくないのは、その発言をした当時の同行してきた兵の一部が、堺の日比屋以外の商家にも宿泊していたからである。漏れる要素は充分。

 しかし百歩譲って、小西行長が正確にそれを把握して宇喜多直家に伝えられたとしても不可解な点が一点だけ残っていた。


 どうして、ヴァリニャーノは一条兼定の朝廷出仕にあわせて洗礼を授けることができたのか。



 タイミングが完璧すぎるのである。偶然で済ませるには出来過ぎている……というところまで考えが至ったことで、『ああ、1人だけ居た』と思考の霧が晴れる。

 なまじ、私が日本へ赴いたときに一切会わなかったから見逃していたけれども。完全にイエズス会宣教師側の立場であり、私の『蘇我氏』発言の意図を完璧に把握して、なおかつ一条兼定を起点にかけられた謀略を見抜ける智謀の持ち主でかつ、肝心の一条兼定への洗礼を史実よりも早く通せるだけの卓越した弁舌の魔術師が1人該当していた。



 ――『ロレンソ了斎』が連絡係として、絡んでいる。


 口に出すことはしないが、ここまでカトリックに都合よく進んでいる点から半ば確信はあった。



 その複雑に絡み合った糸と意図を、私の緊張と共にほぐすために私は池永修理に聞く。


「となると、最大の利益を得たのは備前一国を得た宇喜多直家殿ですかね? あるいは土佐を容易に落とせるようになった長宗我部元親殿でしょうか?」



 私の問いに、池永修理は笑って私の考えを否定するかのように語る。


「いやいや、最大の利益を得たのは間違いなく。

 出雲で対峙する予定であった尼子家。

 安芸を侵す可能性もあった浦上家。

 周防・長門に送り込めば確実に動揺を与えられた大内輝弘様。

 そして伊予において刃を交わした土佐一条家。


 ――これら全てを『大友家との和平』たった一つで全て解決せしめた毛利家でしょうな」



 その大友・毛利の和平は、私が内政干渉として要求したもの。

 そうか、そういうことか。



 毛利元就が入念に張っていた罠を私は遠いフィリピンの地から踏み抜き、作動させたのか。

 いや……嘘、でしょう……?

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― 新着の感想 ―
[良い点] いつだって、どの作品でも、毛利元就はおっかないですねえ。 いざ元就と絡むとなると半兵衛も直家もまだまだひよっこだなあと言う印象があるね。
[一言] 更新お疲れ様です。 まさに『謀神』の異名の如く十重二十重の謀略&奸計で主人公をはじめ諸将を絡め獲り・・・・ 次回も楽しみにしています。
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