第59話 日出ずる国、日沈まぬ国
竹中半兵衛は、私の次のたった一言で全てを理解した。
「――『渤海使』、ただこれだけを三条西実澄殿にお伝え頂ければと」
「……お見事です」
渤海とは7世紀末に勃興し10世紀まで存在した中国東北部からロシアの沿海地方に存在した国家である。外交的な対立から当時の中華王朝である唐を始めとする周辺各国との関係が悪化、四面楚歌の状況に陥りつつあった当時の渤海が彼等を牽制するために目を付けた国家が日本であった。
本来軍事同盟を結ぶ意図で送られた使節を日本側は従属を申し出ているものだと誤解。しかし、それが逆に功を奏したのか日本側は彼等を盛大に歓待し出羽に上陸した渤海の使節団を平城京まで招き入れ帝に拝謁まで行っている。
それ以後、200年近く日本と渤海はお互いに使節をやり取りすることになる。渤海使とはそんな渤海から送られてきた使節を指し、通算で30回以上も日本を訪れ入京し多くは天皇に拝謁しているのである。
そう。殿上人でも公卿でもない外国使節の身分で、渤海使は天皇に謁見できているのだ。
そして、日本側が従属だと勘違いしていた部分を渤海は逆手に取り、朝貢としての体裁を整えていき、献上品の数倍の下賜品を入手することのできた渤海はこの朝貢貿易で莫大な利益を挙げている。
一方で、日本側もそれに対して朝貢の年次制限を定める対応をしたものの、メリットはあった。
最初の頃こそ、渤海が唐の軍事的脅威に対抗するために結ばれた関係であったが、渤海自身が唐と徐々に融和し、こちらも朝貢関係となっていく。すると唐の文化が渤海へ流入することとなり、それが日本にまで波及していたのだ。
特にその流れは9世紀以降、遣唐使が停止状態になった平安日本において大陸側の文化を吸収する外交交流としての側面で渤海との関係は役立ったのである。
天皇に謁見できる使節でかつ、商業的・文化的交流が前面に押し出された関係性こそが渤海使の要であり、同時にそれは私に対して最も有意な先例なのである。
フィリピン、ないしはヨーロッパ勢力との公貿易関係の先例は確かに朝廷にも幕府にも無い。
それどころか、日本と外国勢力との外交案件の折衷は、現状全て室町幕府に移管されている。足利将軍家による通信使や、これまで何度か話に出てきた遣明船の例からしてもいずれも幕府がその外交の一切を取り仕切っていた。
――しかし、室町幕府は他国を従属させる形での『朝貢』関係は未だかつて一度も構築していないのだ。
朝廷側にしか先例はない。彼等の先例主義を破るのではなく、逆に利用することで、私は公貿易許可を迫ることができるのだ。
ただし、大きな障害が1つある。
「……これを某が気にするのも奇妙な話ですが本当に良いのですか?
それをお伝えすれば貴殿らが、名目上とはいえこの国の帝の下に置かれることとなりますが……」
朝貢である以上、名目だけのものとはいえ従属関係になる点。これはスペインとしては絶対許容できないラインを大幅に超えている。『カトリックの守護者』を異教の王の下に跪かせるなど絶対にやってはならない。
だからこそ、その回答はこうなる。
「スペイン王国として貴国の冊封に入る……そういう訳ではございません」
1つの可能性として考えられるのはフィリピン伯領の名目的両属。日本側にとっては取り立てて問題にはならないと思う。そもそも先例である渤海にしろ唐と日本の二重朝貢をやっていたわけだし。
しかし、これは露見すればスペイン側では大きな問題となるだろう。フィリピン伯という爵位はカスティリーヤ宮廷……即ちフェリペ2世より下賜されたもの。
更には『フィリピン』という名前すらも元を辿ればフェリペ2世ルーツのものであるため、これを安易に使うこともできない。
となれば。私の最後の切り札は――こうなる。
合図をすればグレイス麾下の護衛に紛れていた1人の男が、私の隣に。そして竹中半兵衛の眼前へと参上する。
そして彼は、私がかねてより伝えていたこの国の言葉で、こう語った。
「……フィリピン伯様が臣。ブール王国、宰相でござい、ます……ダトゥ・シカツナと申します」
「……ふむ。つまり『フィリピン伯』ではなく、『フィリピン伯の臣従勢力であるブール王国』が我が国の冊封に入る……その理解で良いでしょうか?」
「おっしゃる通りです、竹中半兵衛殿」
ダトゥ・シカツナの宰相位は多少吹っ掛けているが、まあ彼自身ブール王国の正当後継者候補ではある。かの国に宰相という役職は無いが、分かりやすくするために名乗らせた。もっとも、私の臣従勢力だし実際にフィリピンへ戻れば本当にブール王国内部に『宰相位』を設置することなど容易だ。役割を次期後継者候補の養成のための儀礼的役職に押し留めてしまえば良い。
そして、これをすることでスペインやフィリピン伯領の帰属問題から、臣従しているブール王国の通商関係へと問題は転化する。
フィリピン伯領としての公貿易ではないが、それでもブール王国を介した公的な関係だ。似たような貿易関係はフィリピン伯領の同盟国であるルソン王国が、明の海禁の除外指定を受けている点。これが3年間のフィリピン統治で問題になっていないのだから、フィリピン在地の勢力を外交の基軸として運用するやり方はセーフなのだろう。
これならば、私に問われるのはブール王国の監督責任だけになり、リスクは大幅に軽減される。鴻臚館などの在外公館も名目上はブール王国との通商という形にはなるものの、結局その監督責任の執行名目で人員自体は送り込めるし、実務は概ねフィリピン伯領としてカバーをするつもりなので、博多商人と交わしたルソン王国との約定も問題は無い。
……もう少し朝廷に対して突破口があれば、フィリピン伯領として渤海使を根拠としない上下関係の無い外交関係の構築を模索できたのかもしれないが、日本側の利害関係者も複雑に絡んできた現状、これ以上時間をかけることのリスクのが大きくなってきたので、私にとって最後の切り札である『渤海使を利用したフィリピン伯領臣従国のブール王国の日本冊封』という手を打たざるを得なかった。
ちなみに、これについては本当に最後の切り札であったので、ダトゥ・シカツナには話しているがほぼ密約のようなものである。グレイスにも宣教師らにも話していない。ブール王国本国ですら事後承諾になるだろう。
だってシカツナに話したのすら日本に来てからなのだから。当初は彼自身の好奇心とグレイスの臣下の損耗抑止の観点から同行を願い出ていた。だからこそ、この日本への渡航においてここまでの重大な役割を担わせるつもりはあまり無かった。
ただ、ダトゥ・シカツナはこのことを話したときにこう言った。
「……リスクは確かに大きいですが、正直申し上げるとフィリピン伯様が亡き後は、我々ブール王国がスペインに重用されることはないでしょう? であれば、貴殿が生きている間に我等を無視できない程の利権をフィリピン伯領内で確保せねばなりません。
ブール王国次期後継者として私の全責任でやってみましょう。この国を私の代で終わらせないためにも、『フィリピンの』地域内海上交易国家から脱皮し、国際交易を担う国家へと変貌せねばなりません」
――ダトゥ・シカツナもまた。先を見通せるこの時代に生ける施政者の将器を有していたのである。
私がリスク回避にブール王国を利用していることも理解しているし、シカツナも生き残りをかけてリスク覚悟で受け入れたことを私は理解していた。
こうして日本との公貿易構想は、私の政治的得点の為というスペインの内政問題から、ブール王国の海外交易網の構築という外交案件へと昇格したのであった。
「……とはいっても、白雪様もご同席して頂きますよ。通訳よりも両国に造詣の深い白雪様のご協力は、朝廷工作に不可欠です」
で、これをスペイン語に訳してシカツナへと伝達。
「あ、それはブール王国としてもお願いします。正直、フィリピン伯様の御助力なくば、この交渉を成功させる自信はありませんし」
双方から別言語でそう言われてしまっては、まあ。ここで私が足抜けすることは当然許されないのである。
「まあ、ここまで私が動かしてきたのです。それくらいは構いません。
あと1つだけ、本筋とは関係ないのですが、どうして竹中半兵衛殿はこの書状に花押だけ書き入れたのです?」
「ああ、簡単な話ですよ。その花押は某が普段使用しているものではないので、万が一上手く行かなければ偽書として処理するためのものでした。
まさかこの時点で白雪様が某の身代を看破するとは、あまり考えていませんでしたので、以後、私はこの花押を使わねばならなくなりましたが……。まあ快い返事を頂けたので委細問題ありません」
花押の件は失敗揉み消し用だったのか……うーん、リスク管理も徹底してんな。
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永禄9年12月26日。ユリウス暦では1567年2月5日。
寒空の下、年の瀬の多忙な時期に朝廷は、スペインの使者――フィリピン伯マルガレータ・フォン・ヴァルデック並びに、ブール王国宰相ダトゥ・シカツナの両名に対して、正親町天皇への拝謁を認めた。
外交使節の入京は919年の第34回渤海使を最後にして、実に600年ぶりの出来事である。当然、イエズス会宣教師の京での滞在許可であったり、フィリピン伯マルガレータの本能寺での織田信長との対談など異国人が入京することは度々あったが、幕府ではなく朝廷が正式に認めた外交使節、というのはそれだけ異例のことであった。
この外交使節の受け入れには、当時の戦国大名の勢力争いも絡んでいて不明瞭な部分も多いが、最終的には権大納言である三条西実枝(当時は実澄)がその成立に尽力している。
朝廷内部には竹内季治を始めとする反対意見も多かったものの、三条西実枝が『渤海使』を先例として取り上げたことで風向きが変わったと記されている。
南蛮人やキリスト教に対する忌避感を論拠として強硬に反対していた竹内季治にとって、フィリピン国内の現地人政権たるブール王国との通商という名目を掲げてきた三条西実枝、そしてそれを是認したフィリピン伯マルガレータの両名の行動はまさしく青天の霹靂であったと言えよう。
ブール王国の朝貢とは言うが、実態としては日西の貿易協定であったことは今日においては通説となっている。この後に博多に置かれた在外公館の人員はスペイン人である上に、日本人商人に対しての呂宋における交易許可はフィリピン伯マルガレータの命で出されているためだ。
なお、正親町天皇との謁見の際にスペイン側も日本側も特に通訳を用意していないことから、あくまでこの謁見は儀礼的なものに過ぎなかったとされている。
また朝貢品の少なさについても我が国の識者らによって以前から指摘されており、以後のやり取りが概ね博多で行われていることから、朝廷としては継続的な朝貢関係を維持する意志が無かったとされている。
だが、朝貢関係としてやり取りした形跡は殆ど無い一方で、商人を介した貿易については大々的に行われていたこともあり、従来の朝貢交易とは全く異なる約定が結ばれていたことが指摘されるが、このときの日本側史料にはブール王国の臣従を認める旨の正親町天皇、フィリピン伯マルガレータ、ダトゥ・シカツナの3名の名前が記載された書状しか残っていないことから実際に交易においてどのような約定が結ばれたか不明である。なおスペイン側史料は散逸しているとのこと。
そして公家衆の日記などの史料を参照するに、どうもこの貿易協定の成立にあたって朝廷で最も揉めたのは、その協定の中身ではなくフィリピン伯マルガレータ、ダトゥ・シカツナの両名の署名であった。
フィリピン伯マルガレータは役職はスペイン語で名前はドイツ語、そしてダトゥ・シカツナはバイバインと呼ばれるフィリピン古来の文字で署名を行うことになり、いずれの言語も横書きであることから、縦書きの日本の書状に名をどう記載するか大いに問題となったようである。
両名を一旦中座させ、公卿らでどのように記載するか揉めに揉めた挙句、最終的には反時計回りで90度回転させて横書きで署名することとなった。
なお、名前が横向きに書かれた書状は現存しており――
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何というか、一度動き出してしまえば想像以上にとんとん拍子で割とすんなり朝廷から交易許可が貰えてしまった、まあ中身が朝貢とは名ばかりの本当に名目上のものであったからこそ楽に通ったという側面もあるのだろう。先例を全面に押し出すだけでこんなにも対応変わるのかと驚いたが、逆に先例の無かった横書き署名の記載方法でまさかあそこまで揉めるとは思わなかった。あれは完全に想定外だったし三条西実澄も苦笑いしつつ私達に事情を申し訳なさそうに説明していた。
とはいえ、これで晴れて日本との公貿易許可は朝廷から下りた。勿論ブール王国や博多商人、イエズス会士、スペイン本国などとの摺り合わせも必要となるが、しかしひと段落は付いた。とりあえずはカスティリーヤ宮廷と繋がるイエズス会士のミケーレ・ルッジェーリとダトゥ・シカツナとを面会させての交渉からかな。でもそこさえ済めばルッジェーリに基本方針は委任できる。実際の貿易に関するやり取りもまあ多くは博多商人に任せてしまえば良いし、後はこちらで適当に中古ジャンク船なりを用意すれば好き勝手にやってくれるだろう。こちらからは銀を所望するくらいなので、その交渉すらも博多に置いてきたルッジェーリの手の者に頼んでしまっても良い。
そんな余韻を堺の日比屋了珪屋敷で噛み締めていたとき、私の私室へその日比屋了珪が入ってくる。
「……日比屋了珪殿。何かありましたか?」
「その……松永久秀殿より書状でございます」
うわあ……開けたくないなあ、これ。
でも、ここで久秀がわざわざ出てくるということは絶対に見ないとまずい情報が書かれているから、スルーするわけにもいかない。
恐る恐るその書状を開いてみれば、案の定ろくでもないことが書かれていた。
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――現在、京雀らの間で流行っている歌をフィリピン伯様にお送りいたします。
白雪の ふりしくときは 山城の
霧の下に 桜ぞ散りける
◇ ◇ ◇
「元は紀貫之の歌ですね。少々改変されているようですが……」
この改変された和歌の意味は『白雪が降っているときには、まるで京の霧の下で、桜の花が散っているようであるなあ』という風景を詠んだ歌でしかない。
ただ、うん。『白雪』という言葉が入っている以上、それを京雀――京の公家衆らが好んで広めているのだとすれば、そんな生易しい意味だけではないわけで。
『白雪』が私を指し、『霧の下』はキリシタンの言葉遊び、そして『桜』が平安京の頃から何度も植え替えられた左近桜――朝廷のシンボルだとすれば、この和歌はこう言っている。
『白雪姫が(自らの権力を)振りかざしているときには、まるで京のキリシタンらの手で、朝廷が散っているようであるなあ』
しかも、紀貫之という日本文学史上最も敬意を表されてきた者の和歌を穢して読むというのは、いっそ心地いい程の純朴な悪意である。
――京が、帝を補佐する朝廷……日本という国家を体現し続けた存在が、白雪姫を拒んでいた。




