表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
59/104

第58話 上善若水


 この世界における竹中半兵衛の足跡は、私が既知の部分では稲葉山城を斎藤龍興に奪還された後で途絶えている。

 ただし、その稲葉山城を巡る攻防において、例の畿内周辺情勢の発端となっている史実外の『墨俣一夜城』の一件がある。ある意味では竹中半兵衛は、織田信長と木下秀吉に恥をかかされたとも折角の城盗りを最後の最後で汚されたとも解釈することも出来る。


 そして、秀吉に一度会ったがそのときに感じたのは彼の陣営内における知恵者の不在。別に竹中半兵衛が講談で描かれているような天才軍師であることは確定したわけではないけれども、稲葉山城乗っ取り自体は成し遂げているわけで、知略というか謀略の類な気もするが、それに優れてはいると思う。しかし秀吉の下には居ないかもしれない、そう私は判断した。


 だからと言って、接触してきた人物が竹中半兵衛であると断定するのはまた別問題である。何故ならその『千年おゝとり』の花押が使用されるのは本来もっと後世であるからだ。

 しかし私が竹中半兵衛である前提で話を進めているのは、その花押を使用した人物は私が知る限りでは竹中半兵衛ただ1人だけということ、そして私……というか織田信長の『一夜城』によって史実から乖離したこの世界において、その『一夜城』の影響を敵方として最も直接的に受けた人物の1人だからだ。

 無論、斎藤龍興や織田信清などもその余波を喰らった人物であり、また間接的な影響という意味では早期上洛でもって畿内全域に波及しているわけであるが、彼等戦国の人物から見れば史実も史実外も無い歴史の中で『一夜城』という一点に着目し、織田信長から更に一歩進んで私の『サン・ペドロ一夜城』の話にまで辿り着くことができ、しかもこのタイミングで私のところまで渡りを付けてくる『千年おゝとり』を使いそうな人物となると、私は竹中半兵衛しか思い浮かばない。

 もし竹中半兵衛では無かったとしても振り出しに戻るだけなので、とりあえず当て推量だと言われようとも仮定はしておく。



 とはいえ書状を受け取るまで、まさかここで私に接触してくるとは全く予想だにしなかった。現時点では謎が多い。


 まず書状に花押を押す割に名前を書かないという謎。これが何を目的としているのか分からない。

 次に、先程少し触れたが、その花押が本来この時期の竹中半兵衛が使用していない花押であること。『千年おゝとり』――鳳凰の花押には、史実においては平和を希求する想いが込められていたという解釈がある。それは鳳凰が中国における伝承では徳と智慧の象徴とされ、徳の高い王の穏やかな治世のときにしか現れない伝説上の生物だからだ。

 その点で言えば、織田信長が花押に使用した『麟』と似ている。これは霊獣である麒麟をモチーフにしており、仁政が行われている世を差配する王の下にしか現れない生き物だ。

 『麟』の花押を信長が使いだしたのは足利義輝が死した永禄の変の後であるので、既に使用しているはずだ。一方、半兵衛は何故今の時期から『千年おゝとり』を使っているのか。


 そして書状の中身も問題である。三条西実澄の帰洛。これも史実のこの時期には無いことだ。『幕府の再興を祝う』という名目も一見もっともらしいが、私の知る歴史における三条西実澄が帰洛したタイミングは1569年であり、史実の幕府再興の1年後なのである。だからこそ、彼自身の意見として幕府の再興を祝う気持ちが仮にあったとしてもそれで帰洛するとは少々考えにくく、それ以外の意図があるか、誰かの進言か何かがあったかという事象が疑われるのだ。


 応接室にその伝令を通したのも、少しでも話を聞ければと企図したものである。剣術家たる結城忠正を外に控えさせて、隣室はグレイス麾下の兵で囲む。一方で伝令の方は身体チェックをして服もこちらで用意したものに着替えてもらい、武器所持のリスクを軽減した上で面会へと挑む。



「マルガレータ・フォン・ヴァルデックです。待たせてしまったようですみません」


 そう言って、続けて平伏している伝令の人物に顔を上げるように命ずる。見た目は、武士というか男性とは思えない程に華奢であり、線の細さと肌の白さが目立つ人物だ。勿論、伝令とは武勇よりも足の速さや持久力が大事となるのだから、一見華奢に見えようともマラソンランナーのように引き締まった身体という可能性も当然考えられるが……少しカマをかけてみるか。



 私は座らずに目の前の伝令に背を向け、この応接室の槍掛けに置いてある吹き矢、サンピタンを手にして伝令へとその筒先を向ける。



 ――その瞬間。伝令の男は。

 射線から逃れるように身体をのけ反らせて、転がるように横へと移動した。


 その体躯を動かす音に最初に気付いた結城忠正が抜刀し応接室内に押し入り、男の首目がけて刀を振るうが、それに対しては伝令の男は回避行動すらとらずに無反応。

 ここまで至ってグレイス麾下の兵も隣室より出でて状況を目して慌てて私を囲むようにするが……これで確信した。


「結城忠正殿。刀は下げてください……彼の拘束はしていて欲しいのですが、斬らないでください。


 さて伝令兵さん。これは一体どういうことでしょうか。

 ……何故、あなたが、この槍掛け(・・・)に置かれていた棒きれを――遠隔投射武器、即ち吹き矢であると看破したのでしょうか?」


 吹き矢を情報として秘匿してはいないものの、ただの伝令兵にしては知りすぎているのだ。百歩譲って私が棒を持ったから咄嗟に回避行動すること自体はおかしくない。


 だが棒を持った相手に対して、戦闘ができる丸腰の人間が取る行動が射線外しともなれば、その棒が吹き矢であるという特質を知らなければできないはずだ。

 近接武器でないと分かっていないと、その行動はとれない。


 私の中でこの伝令が誰であるかは確信に至っていた。

 だからこそ、こう続ける。


「名乗って下さい。そうすれば、拘束を解き話くらいは聞きましょう」



「――浅井家客分。竹中半兵衛と申します」



 ……そう来たか。浅井に居たのか、竹中半兵衛。




 *


 浅井家客分という身分は私の知識と照らし合わせても、そこまでおかしなものではない。

 というのも史実における稲葉山城乗っ取り後に、斎藤龍興によって奪還されると竹中半兵衛は隠遁生活を送ることとなるが、その後斎藤家滅亡に前後して実際に浅井家の客分として禄を頂いていた時期はある。

 とはいえ、1年で辞めて再度浪人となり、最終的には織田家に所属し秀吉に近しい将として動くことになるが。


 それよりも気になる点は、吹き矢を知っていたことだが、あれは細川藤孝からしか広まらないと思う。ただ竹中半兵衛と細川藤孝の間に、何か関係は……あっ。


 そういえば信憑性が薄い話ではあるけれども、竹中半兵衛は飯篠盛綱に師事を受けた天真正伝香取神道流だという話があり、そして細川藤孝の剣術の師にあたる鹿島新當流の塚原卜伝も天真正伝香取神道流は修めている。

 同門……というわけではないものの、辿れなくもない距離感の両流派の関係を利用したのだろうか。でも竹中半兵衛がこうした剣術における人脈を活用した例は聞き及びがないために断定することはできないし、そもそもこの流派の話そのものが信憑性に乏しい話でもあるので聞くこともできないが、可能性として考慮はするべきであろう。


 何せこの竹中半兵衛は『一夜城』の影響を強く受けているがために、私の知識がどこまで役に立つのかが分からないのである。


 とりあえず話を進める。


「腹芸は抜きにしましょう。この三条西実澄殿に関する差配。

 これの仕掛け人は貴殿、竹中半兵衛殿ですか?」


「某がやったのは稲葉良通殿にご相談した程度ですよ。全ては実際に行動なされた稲葉殿と、策を認可していただいた我が殿、長政様にございます」


 稲葉良通……成程、そこは盲点であった。

 そういえば三条西実枝の側室、ないしはそれより下位の女性と為した娘のうち1人が、稲葉良通の正室へと嫁いでいたっけ。

 竹中半兵衛と稲葉良通は直接には繋がっていないが故に見落としていたポイントだ。

 半兵衛の妻は安藤守就の娘であり、その安藤守就と稲葉良通は西美濃三人衆である。しかし、半兵衛と稲葉良通が行動を共にしたことって多分、そこまで多くない。稲葉山城乗っ取りに関しても連動していたのは安藤守就だけだし、半兵衛は西美濃三人衆と織田家への仕官タイミングも史実では異なる。


 しかし、安藤守就を介してならば繋がれなくもない距離感である。


「……行動の意図が読めませんね。浅井長政殿にしても稲葉良通殿にしても動く理由が浮かばないです。

 一体、貴殿は何を企図してこのようなことを?」


 私がこう尋ねれば半兵衛は「理由はいくつかございます」と前置きした上で次のように語った。


「1つは、我欲のためです。『墨俣一夜城』などという奇策……これの元を辿れば貴殿へと至り、しかもその当人がこうして日ノ本までいらしているとなれば、どうにかして一目会いたいと思うのは必然のことでしょう」


 それは率直に言ってしまえば『稲葉山城乗っ取り』という城盗りを台無しにした人物の顔を拝みたいということである。理由としては分からなくもないが、ここから感じたのは講談のごとき無欲な天才軍師像ではなく、何というか俗っぽさである。


 続きを促す。


「第2の理由として、某のことを拾ってくれた浅井家の幕府内における地位向上を狙っております。今回の白雪様の交渉の成否は、幕府としても概ね賛同しているが故に朝廷の判断に着目しております。

 ここで貴殿らの助力を浅井の名で行いかつ、交渉が上首尾に終われば必ずやその名声は高まることでしょう」


 これは公貿易交渉を幕府内の争いを有利にするカードとして用いるということである。

 ここで思い出したのは幕府人事。

 浅井家は守護代として今の室町幕府では遇された。それは一介の国人領主から見ればあり得ない地位ではあれど、同時に京極家被官としての立場であり、幕府から見れば浅井家は陪臣格なのである。

 その立ち位置に浅井家が不満をもってもおかしくない。というか京極家被官に対する不満の可能性って、金ヶ崎の戦いにおける浅井裏切りの原因の一説には挙げられるくらいだし。


「第3に、副将軍であらせられます織田様も本件には積極的であると伺っておりますので……。

 これを西美濃の方々と共に、手助けすることによって織田家中における我が故郷の西美濃の皆さんの地位向上も狙っておりまする。某をここまで育ててくれた地への謝礼という意味合いですね」


 その言葉は、故郷に恩を返すという美辞麗句にまみれていたが、詳しく聞けば斎藤龍興の稲葉山城奪還タイミングに合わせて織田信長が同城へと攻め入り落としたことで、そのどさくさで西美濃三人衆を始めとする美濃の領主らは急に織田家へ臣従したために、史実よりも立場が低めなようであることが分かった。

 だからこそ、そんな立場が低めな彼等が三条西実枝の帰洛に助力したともなれば、信長としてもその功を賞さざるを得ない。それで西美濃領主の独立権限を高めるのが狙いか。それが信長にとって後の足枷になると分かっていても功績は功績。中々にえげつない手を取る。


 しかも織田家にとって三条西実枝の帰洛は、私の交渉への切り札となる以外にも利益がある。

 三条西実枝が今まで居たのは駿河であり今川領内だ。そこから公卿を引き上げさせるというのは幕府、ひいては織田の正当性を高め、そして徳川家への間接的な支援にも繋がる。



 今川家から我等スペイン勢、そして朝廷内の派閥力学まで考慮した多段式の策……うん。

 この竹中半兵衛、何故かは知らないが大分講談寄りの化け物だ。天才軍師ではあると思う。


 ただ反面。節々でその『講談・竹中半兵衛』らしさが無いところも垣間見える。ここで竹中半兵衛が活躍することは、私が織田信長に対しての感謝の度合いが薄まるということを、この男が認識していないわけがなく。

 しかも、千利休を提示している香道人脈ルートに紛れている木下秀吉の存在も考えるべきだ。恐らくこれも信長が捻じ込んだものだろうが、こちらの朝廷工作搦め手ルートを使わせない有力なルートを半兵衛が提示してきたことは、意図的に千利休ルートを分断するための策略にも思える。

 以上2つのことを統合すると、織田信長・木下秀吉に対する意趣返しという側面も少なからず内包されているように見えてきてしまう。


 更に軍師として主君をサポートするという役割こそ同じものの、『稲葉山城乗っ取り』が史実よりも更に中途半端な後味の悪い形で終わりを迎えているがために、何というか節々に半兵衛自身の野心が策の中に残留しているように思えるのだ。もしかすると、何か別物の知略モンスターを産み出してしまったのかもしれない。



 ただし、松永久秀と千利休と竹中半兵衛。

 この3者の思惑を鑑みるに、松永久秀は全く分からないからこそ怖さがあり、千利休はこれ以上の功績を与えると鴻臚館こうろかんを会合衆に乗っ取られかねない恐ろしさがある。相対的にその策の中核が『浅井家の地位向上』と『織田信長に足枷を付けること』に向けられている竹中半兵衛の策略がもっとも穏当で、私達にとっては害がない。


 まあある程度浅井家の幕府内での地位を上げておけば、もしかしたら金ヶ崎の戦いに対する抑止効果も期待できるかもしれないし。ぶっちゃけ織田がどうなろうと知ったことでは無いけれども、大過なく畿内を抑えてくれるならそれはそれで構わない。


 ……うん。この竹中半兵衛の申し出に乗ろう。



 それを伝えると彼は私に感謝を表明した後に、次のように語った。


「1つ、白雪様にお伺いせねばならない点が。

 某が出来るのは、あくまで稲葉殿を経由して三条西様に言伝をお願いするところまでです。

 三条西様を動かし。朝廷を動かすためには、その言伝の内容こそが肝要となりますが……」


 その言葉は私を心配するようなものではあったが、声色はむしろ私のことを試すかのような調子であった。

 つまり、私は竹中半兵衛に試されている。もし私が期待外れの答えを出したとしても、言伝をするのは半兵衛経由であるために何らかの修正を施すのであろう。



 私は、その意図を汲んだうえで、こう答えた。


「……腹案がございます。三条西実澄殿がどう動くかまでは分かりませぬが、一応、朝廷が我等フィリピン伯領のことを無視できぬようにする案が。


 それは――」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] いやいや竹中半兵衛は浅井さん家かあ……この世界線だと長政はノッブの義弟にはなってなさそうだけど、朝倉や久政との関係がどうなってるのか気になりますね なんというか色々やりたい放題できる秀吉の…
[一言] 細川藤孝とか稲葉一鉄とかみてると、 大丈夫?そこらへんに明智十兵衛って名前の地雷埋まってない? って気になってくるけど、先に半兵衛が登場かあ。 微妙に俗っ気が抜けてないところがまたいいですね…
[一言] そう言えば竹中半兵衛は現代で竹中重治じゃなくてなんで竹中半兵衛って言われることが多いんでしょうね 黒田官兵衛との語呂合わせか司馬遼太郎の影響ですかね?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ