閑話.お調子者
私には、姉がいる。大人しくて、正直地味な感じだけど優しくて、私と遊んでくれたり、お母さんの代わりに家の事をやってくれる大好きなお姉ちゃん。
そんなお姉ちゃんの様子が、最近少し変に見える。中学生になってから暫くしてからかな?前は大人しいけど暗くはなくて、微笑むように笑って遊んでくれるような人だった。それなのに、最近は全然笑わなくなってしまった。変わらずに私のことを気にかけてくれるし、家の事だってこなしている。でも、何か表情に陰りがあるような気がする。
もしかして、私の事が嫌いになっちゃったのかな。それとも、私や家の事で自分のやりたい事ができなくて嫌になっちゃったのかな。そんなことを考えていた。……でも、見てしまった。
その日帰宅した私は、何だか家の様子が違う事に気付いた。そうだ、いつもならこの時間はお姉ちゃんが台所で夕飯を作って待っていて、私が家に入ると優しく出迎えてくれた、でも今日は明かりが付いていない。
「ただいま〜………お姉ちゃん、帰ってるの〜……?」
もしかして、疲れて寝ちゃってるのかな?そんな風に思い、起こさないように静かに家に入ると、お姉ちゃんの部屋に近づいた。そしたら……。
お姉ちゃん、泣いてた。明かりもつけないで、布団に包まったまま、ほとんど聞こえないような声で嗚咽を漏らしていた。入り口に放り投げられる様にして置かれた鞄から飛び出した教科書を見て、気付いた。落書きがされたり、濡れた後に乾かした様なグシャグシャの状態。普通に使っていて、それも貰ってすぐにこんな風になる訳がない、きっと誰かにいじめられてるんだ!なんとかしなきゃ!
そう思ったものの、原因も分からない、本人も話そうとしない。小学生の私には何も思い付くはずもなかった。
(それに、私みたいな妹に心配されたら、余計惨めな気持ちにしちゃうんじゃないのかな……?じゃあ、お母さんに相談する?でも、そしたら話の出所が私だって気づかれるよね………)
それから少しした後に、部屋から出てきたお姉ちゃんに気づかれない様に自分の部屋に戻り、ベッドに寝転んだ。夕飯の時には、わざと学校の話題を出してみたり、無理やりに明るく振る舞ってみたりもしたけど、所詮は小学生の猿知恵だ。何の効果も無かった。大事なお姉ちゃんなのに、励ますことも出来ず、解決策すら思い浮かばない。そんな自分の馬鹿さ加減が心底嫌になる。
それからは、どんどんお姉ちゃんの状態は酷くなって行った。私が話しかけないと会話もしてくれない。その返事も差し障りのない、気が抜けた様な返事だけ。心配したお母さんが声をかけても『私は大丈夫だから。心配しないで』なんて私でも分かる強がりを言う。
そんなお姉ちゃんを見ていたら、なんだかとても怖くなった。………だって、微かに覚えてる昔のお母さんの眼に似てたから。お父さんが死んじゃって、それからずっと辛そうにしてた。私やお姉ちゃん、友達の人が励ましたりして元気になったけど、今のお姉ちゃんにはそんな人がいない。
このまま誰にも相談も、助けも求めることも出来なくて1人で抱え込んで、最後には………!
また、大切な家族が居なくなってしまうんじゃないか。そしたら今度こそお母さんも………そんな事を考えてしまい、部屋の隅で震えていた。
「誰か、助けてよぉ………」
思わず、そんな呟きが漏れる。
女の子のピンチに颯爽と現れて、カッコよく助けてくれるヒーロー。そんな都合の良い存在は現実には居るはずもない。そう、思っていた。
それからしばらく経ったある日のこと。
「ただいま……」
会話がなくなってどれくらいになるだろう。
最近は私も、元気に帰宅する余裕すら無くなってきていた。誰が返してくれるわけでもない声を出すのが辛い。そう思い始めていたが………。
「おかえりなさい、梨乃」
遂に自分が幻覚を見始めたのかと思った。だって、ちょっとぎこちないけど、確かに笑顔を浮かべた瑠璃姉が私を出迎えているのだから。でも……どうして?何があったの?私が驚きで固まっていると…
「心配かけてごめんなさい、梨乃。きっと、貴女は気づいていたんでしょう?」
私に謝ったのだ。自分が一番辛かったのに、瑠璃姉は何も悪くないのに。
「私こそ、何も出来なくて……ごめっ…なさ…い。瑠璃姉がっ、どこかに行っちゃうんじゃ、ないかって、怖がった……!」
言いながら泣き出してしまった私を、瑠璃姉は優しく撫でてくれた。私が落ち着くまで、ずっと……。
私が泣き止んだ後、私を撫でながらポツポツと瑠璃姉は語ってくれた。
なんでも、野球部の凄くカッコよくて優しい男子が、いじめの現場に鉢合わせ、止めてくれたらしい。それだけでなく、周囲にも働きかけて完全にいじめそのものを無くしてくれたそうだ。
どこの漫画だよ!絶対好感度補正かかって誇張されてるでしょ!?そう思ってしまうくらいに、瑠璃姉の話は信じられない内容だった。
でも、事実はどうあれ元気になってくれて本当によかった………!
と、思ったのも束の間。今度はお母さんとなにやら喧嘩を始めてしまった。まぁ、落ち込んでるよりは良いけどさぁ………なに話してんだろ?
『お母さん!転校ってどう言うこと!?そんなの嫌だよ!まだ、お礼だって言えてないんだよ!?』
『仕方ないでしょ!中学生の子がキッカケになって漸くいじめに気付くような学校に、大事な娘は預けられないの!』
それ以上話すつもりはないと言う様に、お母さんは部屋に戻って行った。そして、取り残された瑠璃姉の呟きが、微かに聞こえてきた。
『初めて、好……な…が出来たのに……!』
それから、また瑠璃姉は塞ぎ込んでしまった。でも、今度はすぐに部屋から出てきたかと思うと、何処かに出かけて行った。そして何かを買って帰ってきた。
「ええええっ!?瑠璃姉が、ファッション雑誌!?それに、野球の本…?はっはーん……さては瑠璃姉、例の人に惚れたね?」
「うるさいわよ!私はね、決めたの!可愛くなって、野球にも詳しくなって、あの人に胸を張れる自分になるの!そして、いつか会いに行きたい」
いや、なんか性格変わってない?恋する乙女パワーなの?動揺した私は、余計な事を口走ってしまった。
「張れるほど胸ないじゃん?」
ピキッ!
しまった。額に怒りマークが浮かんでる。
「貴女の言いたい事は分かったわ……。姉としてしっかり妹の躾もしろと、そう言いたいのね…!?」
「ご、ごめんなさーーい!」
グリグリされた側頭部がとても痛い。グスン、全然優しくないっ!
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そして、数年後。すっかり元気に、綺麗になった瑠璃姉が誰かと楽しそうに話をしながら帰ってきた。
一目で分かった。あれが件の高橋くんだ!
初対面での印象は思ったより普通だな?でも、話してみるとやっぱり何度も聞かされたあの人だ。
優しそうな感じだけど、それだけじゃなくて私がふざけると律儀にツッコミを入れてくれる。想像していたよりも親しみやすくて、こんなお兄ちゃんがいたら楽しいだろうな。そう思った。
その後瑠璃姉にしっかりアピール出来たのか聞いてみると、何か複雑な事情があり、今はまだ邪魔をしたくないなんて言ってる。本人がそう思っているなら、それが一番なのかな?
でも、2人が良い関係になれるように、私がお手伝いするくらいは大丈夫だよね!だって、明らかに向こうも瑠璃姉のことを悪く思ってないのに、じれったいんだもん!
「そんなこと言ってぇ〜!ただ照れちゃって話せなかっただけじゃないのぉ〜?」
もしかしたら、見た目は変えられても、根っこの奥手で臆病な部分は残ってるのかもしれない。
だから、バカな私らしい方法で、瑠璃姉を後押ししてあげたい。
もし高橋君が本当に悩んでいて、瑠璃姉がその助けになれるなら。私がお調子者になって、瑠璃姉を後押しすることが、私達のヒーローへの恩返しになれば良いな。
だって、あんな人がずっと側に居てくれたら、瑠璃姉はもう大丈夫だと思うから。
『高橋君は、いつ私のお義兄ちゃんになってくれるのっ?』
………高橋君も瑠璃姉も、初心でからかってるととっても可愛いしね!私もあんな素敵な人、見つけたいなっ!




