69.おいしいね
店内はかなりゆったりと空間が使われていて、他の席との間も空いているから、人が多い割に騒がしい感じはしない。
「ここ、楽しいね」
アンジェがぽつりと呟いた。
「どう楽しいんだ?」
「みんな、いろんなお話、してるから。
あの、セトスさま、恋の滝、って知ってる?」
「恋の滝……? いや、知らないなぁ」
「そうなの? 有名じゃ、ないのかな。なんだか、同じ滝が、並んで二つ、あるみたいよ?
その水を、片方ずつ、飲んだら、恋が叶って、しあわせに、なれるんだって」
そう言われてようやく心当たりがあった。
「ああ、双子滝のことか」
「ほんとは、そういう名前なの?」
「本当というより、前はそう呼ばれていたっていうだけだな。今は観光地として売り出すために、恋が叶うとか言ってるんだろう」
「どういうこと?」
「アンジェ、考えてみて。『双子滝』と『恋の滝』どっちかしか行けないとしたら、どっちに行きたい?」
「恋の滝に、行きたいかもね。なるほど、呼び方と、おまじないだけで、行きたくなるもんね」
「アンジェが今話題に出したのも、行ってみたいと思ったからだろう?」
「うん」
ちょっと恥ずかしそうに照れるのも可愛いよ。
「上手に宣伝してるな、って言う感じだけど、アンジェは俺との恋を願ってくれる?」
「うん、もちろん」
「じゃあ行ってみようか。面白そうだしね」
予定外の行き先を、予定のどこへ入れようかと考えていたら、料理が来た。
「セトスさま、とっても、おいしそうな、香り。
いただきまーす!」
給仕のウエイトレスは普通に料理とカトラリーをサーブして去っていった。
けれどその音を、しっかりとアンジェは聞いていたらしい。
まるで見えているかのように滑らかな仕草で、カトラリーに手を伸ばす。
さすがにフォークかスプーンかは、触らないとわからないから、先端にほんの少し指を滑らせて確かめてからスプーンを手に取る。
たったそれだけの、普通の人からしたら何でもない日常動作にも、俺は感動してしまった。
イリーナや屋敷の使用人たちではない、アンジェのことを何も知らない人。そのサーブであっても、アンジェ一人で食事ができるようになっていることに。
パスタは濃いめのクリームソースがかかっていて、グラタンっぽい感じにまとまっているのもあり、アンジェでも全く問題なくすくえている様子。
「セトスさま、これ、とってもおいしい。
これにして、よかった」
よほど気に入ったらしく、もぐもぐと食べ進めていくけれど、アンジェのお腹では全部は食べられないだろう。
そう思って俺は元々少なめに頼んでいたし、あんまり食べ過ぎて調子を崩されても困る。
なんて自分にも言い訳をしてみても、単にアンジェが甘いものを食べる時の、とびっきり幸せそうな顔を見たいだけなんだけれど。
アンジェの皿の残りが半分を切ったくらいで、自分の分を早々に食べ終えた俺が声をかける。
「あとは俺が食べるから、アンジェはシャーベットを食べたら?」
「いいの!? あのね、これ全部は、食べられなさそうだなーって、思ってたの」
アンジェはパスタを気に入っていたようだから、もしかしたらそのまま食べたいと言うかな、と思っていたけれど。
やっぱり彼女にとって一番魅力的なのは甘味らしい。
アンジェの前から皿を取って、ウエイトレスに合図をすると、待つほどもなく食後のデザートが運ばれてきた。
もちろんアンジェはウキウキでスプーンに手を伸ばす。ガラスの器に大きめのシャーベットが盛られ、横にウエハースが添えられているだけのシンプルなものだけど、アンジェはとっても幸せそうで。
しゃく、とスプーンがシャーベットをすくい取る音まで、聴き逃したくないとばかりに顔を近づけている。
「シャーベットの音、とってもきれい。まるで、雪みたいよね?」
「そうだな」
かぷり、と一口食べると、ぎゅーっと体を縮めてみせる。
「とっても、冷たくて、おいしいね」
たかがシャーベットを一口食べた。
たったそれだけのことに、こんなに喜んで全身で幸せを表現してくれる。
それがアンジェの一番可愛いところだと思うんだ。
その後、アンジェはシャーベットだけでなく、量的には食べられなさそうだと言っていたケーキまでほとんどひとりで食べた。
「おいしかったね、セトスさま」
「うん、美味しかった。アンジェにも満足してもらえたみたいだし」
「もちろん! 大満足、だよ?」
その気持ちの大きさを伝えたい、と言わんばかりにぎゅっと腕に抱きついてくるアンジェを連れて、店の外へ出る。
「雨だねぇ」
アンジェがぽつりとそう言った。
「……そう?」
空は、快晴とは言わないまでも十分に晴れているし、大きな雲なんかも見当たらないけれど。
「空気が、変わったじゃない? ちょっと、湿ってるし……。それに、風もちがうね?」
クンクンとまるで空気の匂いでも嗅ぐかのように、周りを気にする彼女。
「俺には全く分からないけど、アンジェが言うならそうなんだろうな」
「うん。王都のおうちより、わかりやすいかも」
「自然が近いからかな?」
「そう、なのかな……? わかんないけど、雨は、ふるよ?」
彼女がここまで断言するなら、雨は降るだろうし、強い雨の可能性も高い。
「それなら、予定は変えた方が良さそうだな」
「なにしようと、思ってたの?」
「これからボートで湖に出ようかと思っていたんだ。アンジェは湖の風が気に入ったみたいだったし、似てるけどまた少し違った風に感じられるかと思ってね。
でも雨が降るならやめた方がいいだろう?」
「うーん、そうかもね? ボートって、屋根は、あるの?」
「ないなぁ」
「じゃあ、やめよ? ほかのこと、しよ?」
「そうだな」
ふと、次の予定を考える。
楽しいことばかりにしてあげたい気持ちは大きいけれど、そういう訳にもいかなくて。
湖とカフェのランチを楽しんだ分、次はアンジェに頑張って貰おうかな、と思った。




