66.新しい発見
そうしてしばらく休憩してからまた馬車に揺られる旅に戻ると、アンジェはこっくりこっくりと船を漕ぎはじめた。
無理もない。
ただでさえ結婚式のあれこれで彼女は大分疲れていたし、その後も旅行が楽しみだと言ってあまり眠れていなかった。
まだまだ旅行はこれからだし、今後のことを考えたらむしろ今寝ていてもらった方が良いだろう。
「アンジェ、少し横になって寝ようか?」
「……ん……? ぃや、おきてるのぉ……」
「無理しなくていいから。と言うか、眠いなら寝ておいた方がいいよ?」
「セトスさまと、旅行、だからぁ……。遊びたいの……」
子どものような駄々をこねる彼女がかわいいんだけど、それはそれ。
放っておいてもそのうち睡魔に負けて寝るだろうが、俺には一つ、やってみたいことがあった。
「遊びたいのは分かってるから、こっちおいで」
そう言って肩を引き寄せてあげると、アンジェは抵抗しない。
そのままフラットな座席に横になるように倒す。
「ほら、こうしてたら楽しくない?」
まぁ、いわゆる膝枕だ。
一度してみたかったんだけど、いい機会がなかったんだよなぁ。
「うん、楽しい! セトスさま〜」
すりすり、と俺の太ももを撫でる手でさえもかわいいって、アンジェは俺をどうしたいんだろう?
最初は珍しい体勢にウキウキした様子だったけれど、やっぱり睡魔には勝てないらしい。
柔らかい栗色の髪を撫でているうちに、穏やかな寝息が聞こえるようになった。
アンジェは深く眠ったようで、馬車が大きく揺れても多少むにゃむにゃ言うくらいで起きる気配はない。
こうしていると、アンジェは体力がなくて可哀想だと思う一方、ここまで動けるようになったのが本当に凄いことだとも思う。
出会ったばかりの頃は、薄暗い部屋に閉じ込められて座っていることしかできない、人形のような子だったのだから。
あの頃と比べたら、こうしてうららかな陽射しの中でのんびりできるということ自体が奇跡なんだ。
「アンジェ、起きて〜。着いたよ」
「ん〜……」
ゆっくりと体を起こして大きく伸びをする。
「ここ、どこ……? においが、ちがう……」
「カラントの温泉街に着いたんだ。
この匂いは、温泉から出る硫黄の匂いなんだって」
「いおう、って言うんだ。変わった匂いね」
感じたことのない匂いが気になるようで、くんくんと辺りの匂いを嗅いでいる。
「アンジェは、この匂い嫌い?」
「ううん。好き、ってほどじゃないけど、嫌いでもないかな」
「じゃあ良かった。しばらくしたら慣れてきて、変だと思わなくなるよ」
「うん、わかった! あのね、セトスさま! はやく、お外行きたい!」
ワクワクが止まらないアンジェを連れて馬車から降りると、彼女は聞こえる全てが珍しいようでしばらくその場に立ったままで周りの音に耳を傾けていた。
貴族用の馬車停めは街の中心部から近く、人も店も多いエリアに作られている。
彼女はこういう雑多な賑わいを知らないから、雰囲気をじっくりと感じたいのだろう。
ここは王都から一番近い温泉街として栄えてきた街で、王族も時たま湯治に来るような所なので、治安はとても良い。
宿の種類やランクも豊富で、王族や貴族が泊まる所から一般庶民が来れるような宿まであるし、もちろん観光客向けの店や名所も色々ある。
俺はこの街を治めるカラント子爵家の次男・ライナーとは学園の同級生で仲も良いから会いに行くつもりだし、そのついでに良い名所があれば紹介してもらおうと思っている。
「セトスさま、ありがと。ここ、パーティーとは、ちょっと違う感じね? 楽しいよ」
行き交う人々はそれぞれ気の合う相手と好きなように話しながら歩いていて、政治的な探り合いをするパーティーとは大きく違う。
アンジェはどこがどう違うのかに気づいてはいないだろうけれど、周りの楽しげな様子は好きらしい。
「確かに、人が多いのは同じだけどパーティーとはまた違う雰囲気だな。この辺りはまだ貴族向けだから穏やかだけど、庶民向けな所へ行ったらもっと賑やかな感じだと思うよ」
「行ってみたい、かも」
「うん、また後でね。まずはここの街で一番有名な、大きな湖のそばへ行こうと思うんだけど、どう?」
「有名、なんでしょ? 行ってみたいな」
「眺めが絶景だって評判が良いんだよ」
「なるほど。みずうみって、見るものなんだ。
わたしでも、楽しいかな?」
「眺め、って言ったけど、風が気持ちいいし空気も綺麗で涼しいし、楽しいと思うよ」
「そうなんだね! わたし、みずうみって、ほんとはどんなものか知らないのよ。
おーっきな水たまりなんでしょ?」
「じゃ、早速行ってみようか」
「れっつごー!」
俺の腕を持つアンジェの手は暖かくて、いつもより更に彼女が近くに感じられる気がした。
「あっ、そうだ。馬車の中で言ってた石畳の話なんだけど。
ここの地面も似たような感じだから、触ってみる?」
「いしだたみ、ってこんな感じね……?
だめ、くつの裏がかたくて、分からないよ」
そう言いながらもつま先で感じようとしきりに動かしていたけれど、歩きやすいようにとイリーナが選んだ革のブーツでは感じにくいらしい。
「アンジェ、しゃがんで触ってみない?」
「え、いいの? お行儀、悪くない?」
アンジェにしては珍しく自分で触ろうとしないと思っていたら、最近マナーの先生から学んだことを実践するつもりだったらしい。
「まあ行儀良くはないけれど、ここは王都のパーティーじゃないんだから誰も気にしないよ」
「そういうもの?」
「アンジェがマナーの勉強を頑張ってくれているのは凄いと思ってるよ。
でも、毎日ずーっとしないといけない訳でもないんだ。特に、アンジェは感じ方が他の人とは違うんだから、俺と二人きりの時にはアンジェがやりやすいようにしたら良いんだよ」
「わかった、ありがと! じゃあ、触りたい!」
アンジェは椅子にはひとりで座れるけど、しゃがむことはまだ出来ない。
着いて来ていたサシェが、俺が言う前にサッとシートを広げてくれたから、手を貸して座らせてあげる。
「セトスさま、わかったよ! いしだたみって、こんな感じね! わたしが思ってたのと、だいたい同じだったよ」
石の縁をなぞるように一つづつ形や大きさを確認してから、ぱっと輝くように顔をあげた。
自分の中のイメージと、実際のものが近い形をしていたのが嬉しかったらしい。
「近いものが想像出来てたんだね。さすがアンジェ」
「ふふふ。褒めてもらえちゃった! ありがと!」
「アンジェの頭の中にはどんな世界があるんだろうな。俺も知りたいよ」
「たしかに。セトスさまとは、ちょっと違うかもね。でも、違うことがあるから、楽しいんじゃない?」
「そうだな。アンジェの世界が広がってよかった」
「うんっ!」
とっても嬉しそうに笑うアンジェとっては、世界にある全てが新しい発見に満ちている。
その感動を分けてもらえるのが、俺も楽しいんだよ。




