60.結婚指輪
「今日は、指輪を選ぶ日だよ」
ある休みの日の朝、アンジェにそう伝えると、こてん、と首を傾げた。
「なんの、ゆびわ?」
「あれ、結婚指輪って知らない?」
「しってる、かも。結婚した人がつけるのよね?」
「そう。二人がずっとつけるものだから、絶対一緒に選びたいと思ってたんだ。とは言っても、そんなにすることはないんだけど」
「何をえらぶのでも、セトスさまといっしょなら楽しいもんね」
「最近、忙しくて母上に任せっきりだからな……ごめんな」
「ううん、いいの。セトスさまはお仕事とか大変だものね。
指輪を選ぶって、何をするの?」
「メインは、指輪の裏に彫るものを決めることだよ。イニシャルとか、記念日とかが多いかな」
「指輪に彫るんだね〜わたしは、日付はあんまりいらないから、セトスさまのお名前がいいな」
「お互いの名前を常に身につけるっていうことか。いいね」
「ほかは、何があるの?」
「だいたいは男の人が女の人に送るから『toA』つまり、『アンジェへ』とかもあるかな。あとは、2人の思い出のものをイラストにして入れたりとか。
幅がないからあんまり大きなものは無理だけど」
「思い出のもの……なんだか、ロマンチックね」
「アンジェなら、何がいい?」
「わたしなら?ロッシュとか、マリーちゃんとかかな?」
「いいなぁ。モチーフとしてもかわいいし。
でも、幅が足りないかもしれないな。結婚指輪は、素材も太さもほぼ決まってるから」
「なら、2人で分けたら?」
「分けるって?」
「指輪って、こう、細いのでしょ?」
人差し指をぴっ、と立ててから、
「だから、2つをこう重ねたら、広くなる?」
左手と右手の人差し指を揃えてみせる。
「すごくいいアイディアだと思うよ!!アンジェは天才なのかな?!」
あんまりにもいいアイディアだったから、思わず彼女を抱きしめた。
「セトスさま、ちょっと、苦しいかも」
「ごめん、ごめん。本当に、とってもいい考えだと思うよ。どうやったら思いつくのかな」
「ひとつじゃ足りないなら、ふたつ繋げたらいいかなって。大きくなったら、わたしが触れば分かるようになるでしょ?」
「それでも、繋げようと考え付くのがすごいよ。結婚指輪をよく知らないから、固定観念にとらわれないんだな」
「そうかも。セトスさまは、『こういうもの』って知ってるもんね」
「でも、俺は知らなくても思いつかないかな」
「えへへ、すごい?セトスさまがほめてくれて、とっても嬉しい」
照れたように笑う彼女が可愛くてたまらないな。
少し経って、出入りの宝石商がやってきた。
日頃、母上や義姉上、妹の宝石なんかをメインに扱っている人で、腕の良い職人を抱えているから、俺たちの提案も恐らく叶えてくれるだろう。
「と、言うわけで、ふたつ並べたらひとつの図案になるようなデザインをお願いしたいんです」
かなり長く商人をしている人なのだけれど、俺の提案を聞くと驚いた顔を隠しきれていなかった。
「技術的には、可能だと思います。しかし、今まで聞いたことの無いことなのですが……」
「やっぱり、無理ですか?」
不安げな顔で様子をうかがうアンジェ。
「いえ、お作り致します。どのような図案がご希望でしょうか?」
「あ。」
やばい。
アイディアに喜びすぎて、何を入れるか考えてない。
「んー、ロッシュか、マリーちゃんって言ってたけど、セトスさまは、どっちがいい?」
「俺は、初めてアンジェにプレゼントしたロッシュがいいかな」
「やっぱり、そう思う?『アンジェへ』って意味なら、ロッシュが、ぴったりだと思うの」
「じゃあ、そうしよう。イリーナ、ロッシュを持ってきて」
「失礼ですが、ロッシュ、と言うのは……」
「くまのぬいぐるみのことです。彼女へのプレゼントですね」
「2人そろうと、プレゼントの形になる、ということですね。非常にロマンチックで素敵だと思います」
宝石商は、アンジェの斬新なアイディアに少し興奮したようすだった。今まで想像したこともなかったんだろう。
ロッシュを見て軽くスケッチをすると、足どり軽く帰って行った。
「では、出来上がり次第、お届け致します!お気に召すよう、職人一同と共に努めます!」
かなり張り切っているようなので、良いものができると期待できるな。
「宝石屋さん、とっても楽しそうだったね。ちょっとだけ、びっくりした」
ぽつりと、アンジェがそう言った。
「それだけ、アンジェのアイディアが画期的だったんだよ」
「いいものに、なりそうでよかったね」
彼女は、自分がどれだけ周りに影響を与えたのかも知らずに無邪気に笑っていた。
「さあ、次はリング交換の練習だな」
「どうやるの?」
「俺が、先にアンジェに指輪をはめて、その後にアンジェにはめて貰いたいんだ。一回、シミュレーションしてみようか。そこまで難しくないと思う」
アンジェが取りやすいように、リングピローは上に一切飾りがなく、平らなものを選んだ。
ちなみに、指輪は代わりのもので、形が近いシンプルなものだ。
「アンジェ、左手を出して?」
中途半端に上げたままフラフラする手を捕まえて、
「俺の手はここにあるから、この辺りに出して欲しい」
細かい場所を指定する。
「わかった。もう一回」
最初からもう一回やり直して、左手薬指に指輪をはめてあげる。
「うふふ。セトスさまに、はめてもらっちゃった!なんだか、特別な気分〜」
何の変哲もない指輪を撫でて嬉しそうに微笑む彼女。
「次は、アンジェが俺にはめて?俺も特別な気分になりたい」
「わたしも、はめてあげたい。指輪、どこ?」
「俺がアンジェにはめ終わったら、ここにトレイを持つから、右手をこの辺りに持ってきて」
彼女の手をとって誘導する。
「いつも、机の上のものを探す時みたいにしてみて」
「あったよ」
彼女の指先が指輪をつまみ上げる。
「俺の左手の薬指にはめて欲しい」
手の甲をぺたぺたと触り、薬指を探し当ててそっとはめてくれた。
「できた?」
初めてでも上手く出来たし、本番も俺が失敗しなければ大丈夫だろう。
「うん、理想通りで上手だよ。これは、とても特別な気分だね」
「そうでしょ?2人で、特別だね」
結婚指輪でも何でもないただの指輪で、交換の練習をしただけ。
それでも、2人でお互いに交換しあうだけでこんなにも楽しくて嬉しいんだから、アンジェに出会えたのは俺の人生の中で一番の幸運なんだろうな。




