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獣狩り 序 ~ 湖の獣

 月明かりに照らされた熱帯雨林。鬱蒼と茂る落葉性の木立と蔓植物が、地上の到るところに黒い影を落としている。その暗がりの海に小さな船が浮かぶように、松明を手にした男たちがいた。男たちは何かを探し求めるように、小刻みに首を振りながら密林を掻き分けていく。男たちの動きに合わせて松明が時折、マメノキの枝葉を焦がしたが、それを気にする者はいなかった。


 男たちは藪に潜む毒蛇と『湖の獣』に出会わないことだけを祈りながら歩いていった。しかし、祈りも虚しく、男たちの前には切り裂かれたノウゼンカズラの茂みと、凶悪な爪痕の残ったコラノキの幹が現れた。三本の爪の傷が、細長い樹木の幹を深く抉っている。男たちは松明を掲げたまま二歩、三歩と後ずさりした。やはり、この近くに『湖の獣』が現れたに違いない。


「引き返そう。今度は俺たちまでやられる……」


 男の一人が声を低くして言った。頭上から夜露が落ちてきて、男の頭に滴った。男は驚き、小さく悲鳴を上げて松明を振り回した。それを見て、眼鏡をかけた一人の男が呆れた様子で声をかけた。


「そんな怯える必要はないだろう。ただの水滴だ。それより、早くグラウバー殿を探すんだ」


 錬金術師で製鉄業者のヨハネス・グラウバーがローランの村から消えたのは前夜のことだった。彼は自宅に娘を残したまま、忽然と姿を消した。ローランの村中を探し回ったが、誰も彼を見つけることはできなかった。グラウバーの捜索は続き、ついに夜の熱帯雨林へとその範囲を移すことになったのだった。


「お前にはこの爪痕が見えないのか。分かるだろう。あの獣の仕業だ」


 怯えた男は苛立たしげに反論した。しかし、眼鏡の男が動じることはなかった。


「狼狽えるな。獣であれば仕留めればいい。そのためにこれだけ人数で来たんだからな」


「……」


 眼鏡の男、エドガール・バルトリーニの言葉に、怯えた男は押し黙った。男たちは頷き合い、さらに奥地へと進むことを確認した。エドガールを先頭にして、男たちは再び密林を進み始めた。


「待て」


 少し進んだ所で、先頭を進むエドガールが声を発した。開けた大地に生々しい血痕が残されていた。血の朱を目にした男たちの多くは再び恐怖に駆られた。獣がグラウバー殿を襲ったのだと、誰かが言った。血痕は地表から蔓植物の合間へと続いており、血痕の主が移動した形跡を示していた。男たちは青褪めたまま、血痕の跡を追うことにした。


 エドガールは地面すれすれまで松明を低く構えて血痕を探した。血痕は点々と途切れることなく残されている。血痕を追っていくうちに、男たちは地元部族のシャンティ族が『神の獣の湖』として崇めるボシュムトイ湖の湖畔に辿り着いた。男たちの顔色と同様に、湖面には青褪めた月が浮かんでいた。エドガールは男たちを半数に分け、手分けして湖畔を探すように指示した。


 エドガールたちは黙々と湖畔を歩いていった。しばらくすると、彼らの前にシャンティ族の漁民が使っている作業小屋が現れた。小屋の扉は開いたままになっており、中から鉄と土の混じり合ったような嫌な匂いが漂っていた。その時になって、エドガールは始めて自分が冷や汗をかいていることに気付いた。


「どうするんだ?」


 エドガールの後ろに控えていた男の一人が声をかけた。エドガールは眼鏡を押し上げ、小屋の中を調べるように顎で示した。しかし、男たちは誰一人として前に出なかった。エドガールは仕方なく、松明を掲げながら小屋の出入口へと歩み寄った。小屋に入ると、月明かりの下で壁や床が乾いた血に染まっていることが明らかになった。エドガールは携えてきたダガーを抜いて握りしめた。


 何が獣だ。何が神の獣の湖だ。そんなものは、地元部族の信仰に過ぎない。湖を守る獣が人を襲うなど、くだらない迷信だ。エドガールは自分を鼓舞して口を開いた。


「誰かいないのか?」


 エドガールの声は小屋の奥の部屋へと吸い込まれて消えた。返事は無かった。彼がさらに奥に踏み入ると、血の匂いが鼻腔を襲った。目の前にある部屋の扉には数え切れないほどの爪痕が残されており、床には引き裂かれた厚板の破片が散らばっていた。


――『湖の獣』。


 エドガールは意を決して奥の部屋に進んだ。柔らかい感触が靴の下に伝わり、エドガールは息を呑んで後ずさりした。そこには人間の腕らしきものが転がっていた。部屋の床にはかつて人間を形成していた部位(パーツ)がそこかしこに散らばり、まるで戦場跡のような光景が広がっている。エドガールは目眩を覚え、後ずさりしながら部屋から離れた。


 エドガールの目線の先には、苦悶と恐怖に凍り付いた表情を浮かべたグラウバーの頭部が残されていた。惨状を目にした誰かの叫びが湿った空気を震わせた。

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