吸血鬼狩り 十五 ~ 悪魔の聖水
完全にはったりだった。中尉の率いる小隊の中に実行犯がいるなど、あまりにも不確実に過ぎる。それでも、今の状況を流血無しに打破するためには、先生のような心臓の強さと強力なはったりが必要だった。しかし、言った傍から既に僕の心臓の鼓動は大きくなりつつあった。
「どういうことです? 引き抜き器を持っていない者が実行犯とは……」
「本当なのか?」
僕の予想外の言葉に、中尉だけでなく他の隊員やレミュザ氏らも動揺しているようだった。僕は心臓が破裂しかねないほどの緊張に見舞われたが、何とか喰い留まることができた。これまでの旅や調査で、僕の心臓も多少は鍛えられてきたようだ。
「この引き抜き器は、密偵が吸血鬼に殺された現場に落ちていました。恐らく、襲われた密偵が密かに実行犯から奪い取った物でしょう。つまり、この引き抜き器を失った者こそが密偵を殺し、クルジュヴァール市を混乱に陥れた吸血鬼です」
「そんな小物一つで犯人扱いとは堪りません」
ペスト医師の一人が仮面を自ら剥ぎ取ると、仮面の下から中尉の顔が現れた。中尉は僕に銃剣の剣先を向けたまま、警戒した表情で僕の推理に反論した。
「ここにいる小隊の隊員は調査官殿の意見に従い、私も含めてペスト医師に成りすましたのです。貴方に協力する必要はあっても、わざわざ吸血鬼の振りをする理由がありません」
「寧ろ、帝国に忠実な、その姿勢を利用されているとしたら?」
中尉の冷静な反論に、僕は何とか食い下がった。尤もらしく、しかも絶対に的外れではない理由を考えなければならない。頭は目まぐるしく回転を始めたものの、嘘の上塗りはできそうになかった。
「……帝国の密偵が二重スパイであり、実際には機密情報をガリアの王国に漏洩していたとしたら、どうしますか?」
「それは……」
僕はイネッサの名誉を汚してでも、まずは状況を打開することを優先した。死人に口なしとはまさにこのことだろう。だが、中尉が言い淀むと子爵も渋い表情を浮かべた。もしかすると図星なのかも知れない。不自然に光る子爵の義眼が宙を睨み、そして僕の方向を向いた。
「どうなんですか?」
「くだらん戯言に過ぎん! 二重スパイを見つけ出して殺すために、中尉たちが良心を利用されたと言いたいのだとしたら、あまりにも御粗末だ」
「中尉にとっては、そうでも無いのでは?」
「この戯け者に何とか言ってやれ」
「……」
中尉は沈黙したまま、長銃を下ろした。どうやら、二重スパイを取り締まるために子爵から協力を要請されていたというのは図星のようだった。
「そんな引き抜き器一個、何とでも言える。どこから盗み出した? 言ってみろ」
子爵が吠えると、今度は女伯が応戦した。
「兄上、人を蔑ろにしてきた罰よ」
「誰が私に罰を下すというのだ」
「帝国よ」
「愚かな……! 帝国だと? ここは公国だ。それが今更、帝国やコルヴィナがしゃしゃり出てきて――」
「いい加減に諦めなさい、兄上!」
「誰に口を利いているのか分かっているのか!」
子爵は健全な右腕で大きく空を切った。空っぽの左手の袖がボタンから外れ、虚しく揺れた。それでも女伯は短刀を首に押し当てられたまま、厳しい視線を子爵に浴びせ続けている。対する子爵も憤慨したまま、流れる汗も拭き取らずに左眼だけで僕を睨んだ。
「いいか、私も吸血鬼に襲われた一人だ。その事実は変わらない」
「自作自演に過ぎません」
「あの部屋が密室だったからか?」
「その通りです」
「部屋を密室にする方法は、結紮用の糸を使って貴様が自分で実践してみせたではないか! つまり、誰にでも密室を作る手はあったはずだ!」
子爵は怒りで今にも飛びかかってきそうなほど、眼を血走らせていた。どうやら新たな推理を話すための緒は掴めたようだった。僕はこのままここにいる子爵と実行犯を、先生のように自分の言葉に乗せることができるだろうと感じ始めた。
「それは、犯人たちがデーヴァ伯に濡れ衣を着せるために用意した、偽装工作です」
「偽装工作?」
状況を飲み込めていないレミュザ氏が僕に尋ねた。
「デーヴァ伯を追い落とすために、総督が仕組んだものかと思っていたが」
「子爵閣下は総督とも通じていました。閣下は『皇帝派』を詐称し、総督と『公国派』に利するように立ち回っていただけに過ぎません」
「兄上、本当なの?」
「誰が嘘を言っているのかは既に明らかではないか。私は吸血鬼に襲われたのだぞ? 総督一人が仕組んだものに決まっているだろう」
この期に及んで、子爵は自ら真実を明かす気はないようだった。僕が子爵と総督の会話を盗み聞きしていたと言っても無駄だろう。僕は何としても子爵が襲われた事件が自作自演であることを推理せねばならなかった。
「子爵閣下と総督、それに密偵を殺した実行犯は全員、通じています。閣下が襲われた事件でも、それぞれが協力し、あの事件を引き起こしたんです」
「それは一体どのように……?」
「瀉血が始まって貴族たちが麻酔を受けた時、ペスト医師に化けていた実行犯は総督と示し合わせ、女伯の影武者を部屋から連れ出した。女伯の影武者は昇降機の天井に隠れ、自分の重量をかさ増しすることで昇降機を止めたんです。
そして、入れ替わりに部屋に入った閣下は凶器となる吸血鬼の牙を使い、自らの首に傷を付けた。閣下は右腕しか使えません。だから、他の犠牲者は首の右側に傷跡があったのに、閣下の時だけは首の左側に傷があったんです」
「まさか……」
女伯が息を呑んだ。
「仮にそうだとしても、凶器はどこに? あの時は取り調べた全員が凶器を持っていなかったはずです」
中尉は誰もが疑問に思っていたことを口にした。
「それは――」
あまりにも単純過ぎて気付かなかったことがあった。
やはり、水瓶の水が増えたのは、凶器を隠したためだったのだ。
「閣下は吸血鬼の牙を、水瓶の中に隠したんです。水瓶の水量が増えていた理由が、水に浸して吸血鬼の牙を隠していたからだと、誰も気付くことはなかった。しかしあの時、床の上に血の付着した布が落ちていたのは、やはり凶器から血を拭き取り、水の中に隠すためだったんです」
「……」
子爵の沈黙とともに、ペスト医師たちの銃剣の剣先が子爵に向かっていた。だが、一人のペスト医師が隊列を乱し、無言で他のペスト医師に銃剣を突き立てた。
「ぎゃああああ!!」
「やめろ! 何をしている!」
刺されたペスト医師の絶叫が洞窟の廊下に響き渡り、中尉が隊列を乱したペスト医師に向かって叫んだ。
「曹長!」
呼ばれたペスト医師は、自分の仮面を外した。仮面の下には白髪交じりの頭髪があった。先生を手当てし、錬金術師の弟子の遺体を検死した軍医、ミュラー曹長だった。
「中尉。一等兵のカールが子爵閣下と通じていた実行犯のはずです。奴めは先程、私から槊杖の引き抜き器を借りていきました。その理由が、まさか自分の凶行を隠すためだったとは……危うく騙されるところでした」
曹長はそう言って、刺された隊員の小物入れから引き抜き器を取り出すと、自分の小物入れへと移した。
「曹長、これはただの口封じではないか!」
中尉が曹長に向かって長銃を構えた。
「おっと、それは……。しかし、『帝国の敵』を消すには、仕方ありますまい」
そう言うやいなや曹長は薄ら笑いを浮かべながら長銃を構え、女伯に銃口を向けた。
「やめろ――」
子爵の声をかき消すように、銃声が洞窟に響いた。その寸前に、女伯とレミュザ氏の間に割り込んできた子爵が倒れた。
「ぐっ……」
「待て!」
一瞬の隙をついて、曹長は来た道に向かって走り出していた。僕とレミュザ氏も曹長の後を追って洞窟を走り出した。
「兄上!」
僕の背後で、女伯が子爵に呼びかける声が聞こえた。
「誰か手当を!」
最早、ペスト医師たちは誰一人として動こうとはしなかった。遠くなっていく女伯の声に後ろ髪を引かれながら、僕は曹長を追った。
「先に言っておきたいんだが」
曹長の後ろ姿を追いながら、レミュザ氏が口を挟んだ。
「ガラスは水に入れても見えなくならない。隠し通すなんて事は不可能だ」
「え?」
「知らなかったのか?」
思わず僕とレミュザ氏は顔を見合わせた。
「逆に考えれば、ガラス製の牙を隠し通す手法について、曹長は知っていたということになるだろう。だから、その液体について言い出せず逃げ出すことを選んだ」
「彼は自ら墓穴を掘ったわけですね」
「普通の油であれば、ガラスを隠すことができる。つまり、油に似た性質を持ち、無色透明な液体を作ることができれば、君の推理はほぼ正しいということだ。錬金術師の弟子が殺された理由は、まさにそこにあったのかも知れない」
だから、部屋には特別な液体によって独特の芳香が漂っていたのかも知れない。僕がそう思っていたところ、突然、レミュザ氏は曹長の向かった方向とは異なる場所で角を曲がった。
「どこに行くんですか?」
「私は先に逃げさせてもらうよ。監獄はもう御免だ。ワーズワース殿と卯月によろしく伝えてくれ」
「そんな……」
「私はジェピュエルでは犯罪者扱いだ。正義の味方のような真似はできない。君一人で奴を捕らえるのが最善だ」
それだけ言い残すと、レミュザ氏は洞窟の闇の中へと溶けていった。僕はレミュザ氏を追わずに、一人で曹長を追うことになった。
脇目も振らず走ったが、一直線の通路で僕は次第に距離を離され始めた。曹長の影がどんどん小さくなっていく。しかし、通路の奥から二つの影が現れ、曹長は通路の真ん中で停止した。
「くそっ」
「おっと、まさか本当に『瞳』とやらが機能するとは……まさに打って付けのタイミングだったようだな」
通路の奥から現れたのは卯月と先生だった。僕と先生たちに挟まれ、曹長は予備の短銃を構えた。
「ここでそれは使わないほうが良いぞ。臭いで分かるだろう。どこからかガスが漏れている」
「ガス漏れの位置があんたらの頭上か足元かまでは分からないだろう」
ここまで追い詰められてなお、あくまで曹長は強気だった。
「試してみるかね?」
「……」
先生が火打石を取り出すと、曹長は無言になった。しかし、それでも曹長は諦めていないようだった。その動きを察して、先生が大声を張り上げた。
「カミル君ー! もう少し右だー!」
「くたばれ!」
先生の間延びした声に重ねるように、曹長が短銃の引き金に指をかけた。次の瞬間、僕は爆風に飲み込まれ、背中の方向へと投げ出されていた。




