吸血鬼狩り 十四 ~ 吸血鬼の牙
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ディンケル中尉に連行され、僕は再びクルジュスコールに戻ってきた。しかし、前回とは異なり、今度は厳重に鍵のかかった地下牢へと連れて行かれた。ここが要塞として使われていた時代には捕虜を捕らえておいた場所だという。僕は地下牢の独房に入れられ、最早、ここから逃れることは一人では叶わない状況に陥ってしまった。
それでも、誰一人として牢の前に見張りには付かなかった。人手不足が理由なのか、単に見張る必要がないと考えているのかは不明だ。だが、周囲に誰もいないという状況は好ましいものではなかった。もしこのまま独房に入れられたことを忘れられて食糧を与えられることなく、牢の中で餓死することだって考えられた。とにかく、誰かが近くにいて欲しいという欲求が僕の中に生まれてきた。
他に誰か地下牢に捕らえられていないのだろうか。あれだけ市内で人々を連行していたのだから、一人くらいは他の牢に入っているだろうと、僕は思った。丁度その時、遠くの牢から男女の会話が漏れ聞こえてきた。会話の内容は声が小さすぎて分からないが、会話であることには違いなかった。僕は思わず、声の聞こえる方角に向かって叫んだ。
「誰か、いませんか! 誰か!」
会話が止まり、足音が一つ、僕のいる牢へと向かってくる音が響いてきた。足音の間隔からして、歩幅の大きい男性のようだった。足音は僕のいる牢の前で止まった。それと同時に、僕は心臓が止まりそうになった。
「やあ、随分と元気そうじゃないか。また会えて嬉しいよ」
「貴方は……!」
牢の前に現れたのは、魔女狩りの調査官ニコラス・レミュザだった。レミュザ氏は小さなパイプのタバコを吸いながら、牢の中にいる僕を見下ろした。
「一体どうして、貴方がここにいるんですか?」
「どうしてだって? 相変わらず君は面白いことを聞くね。いいかい? 君のせいでここに入れられたんだよ。ジェピュエル総督府の中でゼレムの村に最も近い監獄があるこの街まで連行されて、それからは半年もこの様だ」
レミュザ氏はゆっくりとパイプから煙を吸った。
「クルジュヴァール市の法律は厳しい。弁護人が現れるまでここにいることなった。裁判は今も一度も開かれていない。おかげで、ずっと監獄暮らしというわけさ」
しかし、レミュザの姿は半年近くも牢獄に入っているとは思えないものだった。レミュザ氏は肌の色こそ白くなっていたが、服は仕立て屋に頼んだように乱れがなく、髪や髭も整えられている。
「一緒に話していたのは誰ですか?」
「良い質問だ。当ててみてくれ」
「女性ですか」
「それは推理ではなく、単なる事実だ」
レミュザ氏が手招きすると、一人の女性が僕のいる牢の前に現れた。その姿は見紛うことがない、クルジュヴァール女伯ハラー・ヨゼフィンのものだった。
「他の連中は食うにも困って、牢に巣食う鼠すらも口にして病気で死んでいった。私は女伯の話相手になれたおかげで、こうして牢の外にも出られるようになったがね」
「こちらはどなた?」
女伯の反応に僕は戸惑った。僕と女伯は既に聖ミカエル教会で会っているはずだが、忘れられてしまったのだろうか。それとも、クルジュヴァール市で出会った女性は別人だったのだろうか。ヴェールで顔を隠し、殆ど姿を見せない理由は、やはり影武者を使っていたからのようだ。
「こちらは以前に私の助手を務めていたカミル君です。女伯殿にも話したと思いますが、私がここに来るきっかけとなった事件の張本人ですよ」
「それでは、貴方にとって今の彼の状況は、願ってもない機会でしょうね」
「その通り」
そう言って、レミュザは僕を見下ろしながら軽薄な態度で笑いを浮かべた。
「外に出たいだろう?」
「当たり前じゃないですか」
「それなら、私たちも同じ気持ちでね。折角だからお互いに協力しようじゃないか。女伯殿に端ない真似をさせるわけにはいかないからね」
何を言い出すのか思えば、レミュザは早速交渉を仕掛けてきた。無法な殺人者と取引するなんてことは馬鹿げているが、半年も監獄にいれば相応の罰を受けているはずだとも言えた。僕はあまり乗り気にはなれなかったが、それでも今は頼りにできるのはレミュザ氏と初対面の女伯のみだった。
「……分かりました」
「素直でよろしい。では鍵を開けよう」
レミュザ氏は扉の鍵穴にロックピックを差し込むと、あっという間に解錠してしまった。これではどんな鍵も意味がない。僕は牢を抜け出し、改めて女伯を見た。妙齢の夫人は、レミュザ氏よりも長く地下にいるように見えるほど、透き通るように白く美しい肌の色をしていた。
「ここを出る前に聞きたいことが」
「何かね?」
レミュザ氏は自分の荷物をまとめながら、僕を振り返った。
「吸血鬼についてです」
僕はこれまでにあった事件をレミュザ氏に話した。僕が何か見落としていることも、レミュザ氏ならば知っているかも知れない。それは一縷の望みをかけた博打だった。
「ふむ……」
レミュザ氏は腕組みして考え込むような素振りを見せた。しかし、すぐに答えが出たようだった。
「これまでに殺された者の共通点について考えてみようか。ガラス職人、薬種商、錬金術師の弟子、帝国の密偵……全員に共通することがあるはずだ」
「トルダ子爵と近しい人物だったということでしょうか?」
「そうだろう。しかし、理由は子爵に近しいからということではない」
「それはどういう意味ですか?」
「兄の陰謀に関わっていたからこそ、殺されたのではなくて?」
女伯が面白がるように微笑みを浮かべた。レミュザ氏は女伯の言葉に大きく頷いた。
「そうですとも。子爵に近しいというのは即ち、吸血鬼の正体を知ってしまったからということに他ならない。つまり、彼らは誰が吸血鬼を装っているか、知ってしまったからこそ殺されたと考えるべきだ」
総督と子爵の会話から鑑みると、彼らが吸血鬼の正体であることは間違いなかった。しかし、密偵はともかく、どうして職人や弟子が陰謀に関わり、そして殺されなければならなかったのだろうか。
「私が思うに、吸血鬼の正体は要するに凶器が重要な因子なのだろう。恐るべき吸血鬼の印を残すことが目的なのだから。故に、凶器の製造に関わった者が順に消されたと考えられる。
ガラス職人、薬種商、そして錬金術師の弟子。殺された彼らの職業から推測できるのは、吸血鬼の牙とされる凶器はガラス製で、それと同時に殺人を行う際に何らかの薬品が使用されたはずだということだ」
レミュザ氏はすぐに持論を述べた。確かに、吸血鬼の牙としてガラス製の牙を作っておけば、正確に同じ傷跡を何度も付けることが可能だと言えた。また、子爵が襲われた時のように、芳香のあるガスの薬品を使って、調査を妨害することもあり得る話だった。そのために凶器の秘密を知る者たちを、吸血鬼の仕業と見せかけて次々と消すというのも、理屈としては通るものだ。
「しかし、どうして……犠牲者は呼吸困難で亡くなったのでしょうか。他にも方法はあると思うのですが」
僕はイネッサのことを思い出して声を詰まらせた。
「それは実に簡単な方法だからだ。吸血鬼の牙の跡を残すと同時に、その傷から空気か毒物を体内に流し込めば、相手を殺すことができる。血は二リットルも抜かねば死なないが、僅かな空気でも血管を通じて体内に送り込まれれば、人は呼吸困難に陥って死ぬ」
レミュザ氏は淡々と答えた。つまり、牙の跡は吸血鬼であることを示すだけでなく、殺人手法の巧妙な偽装という目的も果たしていたということになる。逆に言えば、たとえ吸血鬼の牙の跡が残っていても、子爵のように吸血鬼に襲われた振りをして、体内に空気を入れられなければ、生き残ることも可能ということだった。
「そろそろ行きましょう」
女伯に促され、僕とレミュザ氏は監獄から抜け出すことにした。監獄の出口には一人だけ軍人が立っている。総督の私兵のようだった。
レミュザ氏に指示された通り、女伯が軍人に話しかけて牢獄から出ることを伝える。その隙を付いて、僕とレミュザ氏は軍人を羽交い締めにして、あっという間に打ちのめした。
「殺したの?」
「まさか? 気を失っているだけです。先を急ぎましょう」
伸びている軍人を手際良くチェストの中に押し入れて隠すと、今度はレミュザ氏が先頭に立って地図も持たすに薄暗い廊下を進み始めた。廊下と言っても、そこは岩肌が露出したままの岩壁が迫り出しており、洞窟と言っても過言ではなかった。それでもどうやらレミュザ氏は既に逃げ道を知っているらしく、どんどん洞窟を先に進んでいく。
しかし、道行く廊下の先から、大所帯の足音が聞こえてきた。道は一本で、隠れるような場所は無かった。
「どうやら、兄上殿のご登場のようだ」
「兄上?」
女伯が廊下の先に向かって呼びかけると、子爵とペスト医師たちが姿を現した。
「カミル殿!」
ペスト医師の一人が聞き覚えのある僕の名前を呼んだ。ディンケル中尉たちが子爵を護衛しているようだった。
「妹よ。もう茶番は終わりだ。こんな場所で隠遁生活を送ることはもうない」
子爵が一歩前に出て、女伯に呼び掛けた。
「茶番ですって? 人をずっとこんな場所に監禁しておいて、よくそんなことが言えるわね。一体、何のためにこんな茶番に付き合わされたというのかしら」
女伯は憤慨して子爵を指差した。怒りに満ちた女伯の言動は、外を出歩いていた女伯――影武者たちとは異なるものであることが明らかだった。
「いい加減、聞き分けろ。これは公国のためだったのだ」
「私は夫を失ったのよ。何が公国のためだというの! 兄上のくだらない政治にはうんざりだわ!」
「お前……!」
今度は子爵の顔に怒りが浮かんだ。
「最後に始末すべき者たちを消してから、お前の言い分を聞いてやろう。まずは調査官たちに消えてもらう」
「参ったな」
レミュザ氏が頭を掻いた。
「では仕方ない。女伯殿、申し訳ないがもう少し付き合っていただきますよ」
「結構よ」
そう言うと、レミュザ氏は短刀を持ち、女伯の喉元に短刀を近づけた。それを見たペスト医師たちが一斉に銃剣を付けた長銃を構えた。やはりペスト医師たちは護衛の軍人だったようだ。
「中尉!」
僕はディンケル中尉に向かって叫んだ。
「吸血鬼の正体は子爵閣下です! 子爵閣下がこの事件の黒幕なんです。彼を拘束しなければ、この事件は収まりません」
「仮にそうだとしても、武器を収めるわけにはいきません」
「貴方の小隊の中に、これまでの事件で子爵閣下と結託し、人を殺した実行犯がいるはずです!」
「どこにそんな証拠があるのですか?」
緊迫した状況でも、中尉は冷静だった。僕はイネッサが手に入れた引き抜き器を取り出し、ペスト医師たちにも見えるように高く掲げた。
「一人、この引き抜き器を持ってない者がいるはずです。その者こそが、ジェピュエルの吸血鬼です!」




