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吸血鬼狩り 九 ~ 血の呪い

新作ゲームをやっていたら、いつの間にか執筆が……。

 クルジュスコールの(あかし)を手にした僕たちは、しばらくクルジュヴァール市内を調査することにした。などと言っても、『笛を吹く人』を見世物にして糊口を凌ぎながらの調査は、口うるさい行商が騒がしい行商になっただけでしかなかった。機械人形(オートマタ)は集金装置として優秀ではあったが、調査とは無関係な子供を引き寄せ続けた。


 クルジュヴァール市は、河の南側に広がる地域では比較的自由に移動することができた。しかし、北側の山地の付近では、大半の道がペスト医師たちの検疫所によって封鎖されていた。封鎖された道がクルジュスコールに通じていることは明らかだったが、行商の身分では検疫所に近づく理由も通る目的も皆無だった。


 帝国の施政の中で黒死病(ペスト)の検疫は最重点課題だった。戦争で軍の往来が激しかった時期には帝都ですら黒死病(ペスト)が流行した。現在、クルジュヴァール市は検疫の最後の防衛線であり、市内に入った者は検疫が終わるまで西側――王冠処邦コルヴィナの領内には戻れない。


 結局、最後の拠り所はまたしても教会だった。


「疫病、異教、侵略……帝国もまた、災厄に備えてクルジュスコールを失うわけにはいかないのです。教義を重んじる異教徒は看護に駆けつけますが、こちら側は違います。死ぬまで患者を隔離してしまいますからね。教会の教えは穢れを恐れるように仕向けます」


 補佐司教が祭壇の香炉に火をつけた。広大な教会堂は今日も人気(ひとけ)が無く、静まり返っている。鳥籠のようなドーム状の教会堂の奥で、補佐司教は白い羽を広げるように法衣の両腕を開いた。


「皆様が穢れを恐れるなら調査はお止めになったほうが良いでしょう。穢れも厭わぬ者だけがクルジュスコールの真実を見ることを許されます」


「ご心配には及びません」


 先生はペスト医師の黒い革手袋を手に、補佐司教に歩み寄った。


「新大陸でも、暗黒大陸でも、インディースでも、世界のあらゆる民族にとって汚穢(おわい)は儀式に必要な要素です。穢れが払拭されることで神聖さが生まれる。科学の啓蒙の神聖さはともかく《迷信狩り》である我々にも穢れは必要なのです」


 補佐司教が目を細めて革手袋を見た。そこには愉悦の色が宿っている。これが罠ではないという確証はなかった。しかし、いかに穢れを厭わぬとしても、帝国側の協力は必要だった。


「補佐司教殿、少しだけご協力いただきたい。司教殿にご伝言を。ディンケル中尉の小隊をクルジュスコールでの護衛に付けて欲しいのです。ただし秘密裏にお願いしたい。事が大きくなるのはお互いに望ましくないでしょう?」


「皆様のご覚悟は分かりました。大司……司教殿もすぐに了承なさるでしょう。準備が整い次第、馬車で迎えに上がります」


 暴力沙汰は御免だが、いざという時には顔見知りの専門家に任せるに限る。先生の要求に、補佐司教は満面の笑みで答えた。


 そして約束の日、クルジュスコールの公開日はすぐに訪れた。


 葬儀にしか使われない漆黒の馬車に揺られながら、僕たちはついにクルジュスコールへと続く道を通過した。馬車の中で補佐司教は「万事問題無し」と太鼓判を押したが、どのように中尉たちが潜んでいるかは明かさなかった。クルジュスコールの中では仮面を被れば誰でもペスト医師に成りすませる。恐らく、中尉たちも仮面を被ってクルジュスコール内に潜伏しているのだろうと、僕は信じることにした。


 だが、僕たちの存在を現地に着いてから知り、それが誤算だったらしき者もいた。涼やかな山の麓に集まった『公国派』の大貴族やガリアの貴族と学者が互いに世間話を続ける中で、子爵だけが顔色を変えた。


「クロブシツキー、一体どういうことだ? 何故、彼らが……」


 子爵は義眼が飛び出すほどの勢いで、僕たちを指差して補佐司教に詰め寄った。その様子に、総督やデーヴァ伯が怪訝そうな目を向けている。


「女伯殿は慈悲深く、寛容なお考えをお持ちです。クルジュスコールにとっても、(あかし)を持つ者を拒む理由はありませんし……」


 当の女伯はヴェールと扇子で顔を隠して、僕たちを見向きもしない。補佐司教とのやり取りの中で、子爵の苛立ちは言葉の端々から感じ取れたが、彼は冷淡な態度で僕たちの存在を許容するに至ったようだった。


「薄々こうなるだろうとは思っていた。大貴族の兄妹の関係は政治以前の問題のようだし、間を取り持つ補佐司教はあの性格だ。(こじ)れることは必然だろう」


 先生はペスト医師が立つ洞窟の入り口に目を向けながら、そっと囁いた。



***



 病気の妊婦の出産を成功させ、一息ついたところで先生はペスト医師たちに喋りかけた。


「クルジュスコールの研究には価値がある。実に素晴らしい。王立アカデミーにも、クルジュスコールの自治が守られるように報告書を書きましょう」


 先生は女伯との約束通りの台詞を、ペスト医師のリーダー、アーチボルドに向けて話した。先生とアーチボルドはありきたりな社交辞令をいくつか交わした。そのうちにアーチボルドは先生の横に立つ卯月に気付き、仮面の上からでも分かるような芝居がかった驚きを見せた。


「おやおや、おやおや。どこかでお見かけしたと思っていましたが、旅の途中でお会いした修道女様ではありませんか」


 アーチボルドが卯月の鼻先に仮面を近づけた。彼の黒マントからは血の匂いが漂い、近づく者に嫌悪を抱かせる。卯月も例外ではなかった。卯月の反応を察して、アーチボルドはすぐに姿勢を正した。


「そんなに怯えなくとも大丈夫。実に可愛らしいお弟子さんだ」


「ここはこれくらいにして、上に戻りましょうか」


 補佐司教がアーチボルドの言葉を遮った。アーチボルドはヴァルド市の事件を引き起こした張本人でもある。話を聞く機会が欲しかったが、地下の分娩室で長居しているうちに段々と気分が悪くなってきた。他の学者たちも、薬品や血の匂いに耐えられなくなってきているようだった。補佐司教の提案に反対する者はいなかった。


 その時、慌ただしく分娩室の扉が開かれ、入ってきたペスト医師が叫んだ。


「緊急事態です! 上で人が倒れている!」


 その声はくぐもっていたが、聞き覚えがあった。ディンケル中尉の声に違いない。学者たちの間に動揺が広がったが、補佐司教は取り乱した様子もなく、無言でペスト医師に扮した中尉の言葉を待っている。


「皆、頭痛や吐き気を訴えていて……。何とかしなければ……」


 中尉は息を切らせながら報告した。いかに軍人でも、得体の知れない症状が相手ではどうしようもない。補佐司教はアーチボルドたちペスト医師のほうを振り返った。


「マスター・アーチボルド。上の様子を見に行きましょう。怪我人がいれば助けるのが医師たる者の使命です」


「かしこまりました。補佐司教殿」


 ペスト医師の一行は補佐司教を先頭に、分娩室を出て昇降機のほうへと向かった。ガリアの学者たちが地下に残ろうと相談している中で、先生は何も言わずにペスト医師たちの後ろを追った。僕と卯月もそれに続く。ペスト医師に扮した中尉がすぐに僕たちを追ってきた。


「気を付けてください。毒性のガスかも知れませんが、こんなことは初めてです。これは……」


「吸血鬼の仕業とでも?」


「馬鹿馬鹿しい」


 中尉は先生の言葉に小声で反発した。警護を任されていながら、この状況に対応できていないことは中尉にとっても苛立たしいようだった。やがて一行は昇降機の前に着いたが、昇降機にも不具合が起きているようだった。


「動かないようですね」


 アーチボルドが首を傾げて昇降機を調べたが、異常はないようだった。


「私が降りてきた時は動いていたのですが……」


 中尉が降りてきた後に昇降機にも不具合が出てしまったようだった。何もかもおかしいことになっている。仕方なく何人かのペスト医師を残して、僕たちは古くて狭い階段を一列になって登っていくことになった。


「この階段は校舎の外に通じています。とりあえず外から様子を見ましょう。中は危険かも知れませんから」


 補佐司教が燭台を手に階段を登っていく。長い螺旋階段の出口はクモの巣だらけで、積もり積もった埃と塵が充満していた。階段はしばらく使われていない上に掃除もされていないようだ。補佐司教とペスト医師たちは難なく外に出たが、僕たちはハンカチで口や鼻を塞がなくてはならなかった。


 ようやく地上に戻ってきた僕たちを待っていたのは、武装した軍人たちだった。


「貴様ら、何をしている!」


 それを聞きたいのはこっちのほうだった。補佐司教が事情を話すと、彼らはデーヴァ伯の配下の部隊だということが判明した。どうやら緊急事態に備えていたのは僕たちだけではなかったようだった。しかし、軍人たちは学舎の中には入れず、外で待機していたらしい。


 補佐司教は状況を知らない軍人を置いて、さっさと学舎へと向かった。貴族たちが瀉血を受けていた医学部の校舎から、何やら異臭が漂ってくる。アーチボルドは外から扉や窓を開いて換気するように、ペスト医師たちに指示を出した。中尉もそれに従って僕たちから離れた。


「奇妙ですね」


 補佐司教は楽しむかのように笑顔で疑問を呈した。


「本当に悪いことが起きていなければ良いのですが」


 しばらく経って建物の換気が終わると、僕たちも学舎に入った。中では倒れた学徒や貴族を介抱しているペスト医師たちの姿があった。目眩や頭痛、中には吐き気を訴えている者がいる。しかし、幸いにも皆、命に関わる重症ではないようだ。


「瀉血を受けている間にこんなことになるとは」


 症状が軽かったらしい総督が頭を抱えながら、デーヴァ伯に肩を借りて歩いてきた。


「クルジュヴァール女伯はどこにいる? 彼女を問い詰めなければ気が済まん」


 総督は立腹しながら呻いた。そういえば、女伯の姿が見当たらなかった。それに子爵も。


「彼らは一体どこにいった?」


「まさか、これは子爵と女伯の仕業なのではないか?」


 『公国派』大貴族たちの疑念は兄妹へと向きつつあった。周囲が落ち着きを取り戻し始めると、次は比較的症状の軽い者とペスト医師たちによって、子爵と女伯の捜索が始まった。僕たちも片っ端から校舎の部屋を探していった。そして、最後に女伯が瀉血を受けていた部屋が残された。


「鍵がかかっていますね」


「鍵はどこだ?」


 総督が僕に詰め寄った。そんなこと僕は分からない。


「鍵が無いなら壊せ。早くしろ」


 総督の命令に、渋々、僕と先生は一緒に扉を蹴破った。部屋の中から血と奇妙な薬品の匂いが混じり合って、僕たちの目と鼻を襲った。


 異臭を堪えて目を凝らすと、部屋の中では子爵が倒れていた。首筋から血を流している。


「子爵閣下!」


 先生が子爵に駆け寄った。総督とデーヴァ伯は扉の前で立ち往生している。


「うっ……ここは……?」


「大丈夫ですか? 子爵閣下」


 どうやら子爵は吸血鬼に襲われながらも、一命は取り留めたようだった。扉の前に棒立ちしている総督を押し退けて、僕と卯月も応急手当の道具を手に部屋に入った。広々とした部屋には施術台があったが、そこに女伯、それに他の者はいなかった。


 窓にも鍵がかかっている。僕たちが入ってくるまで、この部屋は密室だったということだ。子爵を襲った吸血鬼はどこに消えたのか。


「これは一大事ですね。クルジュスコールでこのような事件が起きるとは。司教殿にもお伝えしなくては」


 いつ部屋に来たのか、補佐司教がほくそ笑みながら子爵と先生を見下ろして呟いた。

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