表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
71/99

吸血鬼狩り ニ ~ 再訪

***



 クルジュスコールの地下で《血の医療》を見る一ヶ月ほど前、僕たちは再びヴァルド市の使徒派教会を訪れていた。


「お久しぶりデス。またお会いできて実に嬉しいデスヨ」


 以前と変わらぬ早口の囁きで、ユーリヤは僕たちを出迎えた。しかし、彼女が生活している聖カタリナ修道院は見違えるほど綺麗になっている。僕たちが初めてヴァルド市を訪れた半年前と比べて、使徒派教会に奉仕する信徒が増えたからだとユーリヤは説明した。


「司教殿と司祭殿は?」


「今はデヴレツィア市で裁判に同席していマス。しばらくお戻りにならない予定デス」


「フムン。それは残念」


 先生は草色のマントを脱いで肩を落とした。


「土産もあるのだが。帰りにまた寄らせてもらおうか」


「勿論デス。帰ってきてもらわないとこちらが困りマス。皆様が五体満足にジェピュエル総督府の調査から戻れるように手配するのが我々の使命デスカラ」


 相変わらず所々に引っかかる表現はあるが、寄付さえすればユーリヤが信用できることは既に明らかだった。それに、今回の寄付は王立アカデミー直々のものでもある。安請け合いしない守銭奴を納得させるだけの額が支払われているに違いない。


 僕たちは帝都で枢密内閣官房ゲハイメ・カビネッツ・カンツライの密偵から連絡を待っていたが、結局、便りは来なかった。その代わり王立アカデミーから直接、先生宛てに手紙が届いた。手紙には、ジェピュエル総督府のクルジュヴァール市で起こっている《吸血鬼》騒ぎについて調査するように書かれていた。


 僕たちが焦れったく夏休みを過ごしているうちに、何事もすべて秘密裏に計画され、準備されていたようだった。手紙には旅程や通行証もきちんと添付されていた。クルジュヴァール市までの旅程にはヴァルド市が含まれており、そこで為すべきことまで事細かに指示されていた。《迷信狩り》が滞りなく進むよう、ユーリヤ・オルロフの協力を仰ぐように、と。


「それで? なんでまたオルロフ殿がご協力を?」


 先生が手紙に書かれた通りに形式的な質問をした。


「皆様はジェピュエル総督府の事情には不慣れデショウ。そこで我々の修道会が調査を支援シマス」


「心強いですな。それで、どこの修道会が?」


「何か仰りまシタカ?」


「……いや、なんでもない」


 先生はわざとらしく(かぶり)を振った。ユーリヤは予定されていない質問には答える気がないようだった。


「これでも我々は感謝しているのデスヨ。余談ですが偽ローベルト師とミハーイ師の企みが暴かれて改革派の信徒も激減したので福音派教会は大手を振って活動できていマス。絶望した改革派の信徒は一部が自ら命を絶ちましたが彼らの犠牲も無駄ではなかったのデス。死んだ全員が(つつが)なく死後の務めに入っていマス。すべて皆様のおかげなのデスヨ」


 そう言うと、大きく肩を震わせながらユーリヤは顔を伏せて笑った。本当に余計な情報だった。間接的であれ、僕たちの調査が結果的に改革派の信徒を死に追いやったということではないか。屍霊術士のユーリヤにとっては幸運でも、僕にとっては後味の悪い話でしかなかった。


「それで、支援というのは具体的に何をしてもらえるのかね?」


「情報提供デス。しかし情報の受け渡しは慎重に行う必要がありマス」


 ユーリヤが顔を上げて僕を見た。


「まさか、僕ですか?」


「そうデス。市内で文書をやりとりするのは危険デス。証拠が残ってしまいマス。だからできるだけ目立たないように連絡役が直接会って情報を受け渡すのデス」


 目立ちにくいという意味では、連絡役は僕にしか務まりそうになかった。『正体不明』が服を着て歩いているような先生や、見るからに東洋人の卯月では、目立つなというほうが無理だ。


 しかし、僕は一度、情報を得るために酷い目に遭わされていた。袋叩きにされ、危うく死ぬかと思ったほどなのだ。慎重になどと言っているが、僕の身の安全まで保証してくれるとは限らない。


「分かりました。でも、この前のように物乞いの真似事は御免ですよ」


「怯える必要は皆無デス。むしろ逆デスヨ。今回の借方は我々のほうなのデスカラ。アナタはきっと気に入るはずデス」


 ユーリヤは蒼白の顔に満面の笑みを浮かべながら、見覚えのある黒い装丁の福音書と、大きめの巾着袋を僕の前に差し出した。巾着袋がテーブルに置かれた時、硬貨が擦れ合う音が響いた。


「この前お忘れになったままでシタネ。どうか無くさないように気をつけてくだサイ」


 どうやら今回も、黒い装丁の福音書が連絡役の目印のようだった。しかし、硬貨の入った巾着袋の意図はわからない。


「すいません。この巾着袋は……」


「餞別デス。少ないデスガ。これで楽しんでくだサイ」


 かつて見たことがないユーリヤの気前の良い態度に、僕は混乱に見舞われた。そして、同時に不安になってきた。美味しい話には必ず裏があるものだ。ユーリヤの性格から言って、これは単なる餞別ではなく、何らかの『先払い』なのではないだろうか。


「余計でシタカ?」


「いえ、そんな……。その……ありがとうございます」


 断るわけにもいかず、僕は福音書と巾着袋を受け取ってしまった。



***



 山間の谷や沢を切り開いて作られた道を、四輪馬車が東へと向かって進んでいく。ヴァルド市とクルジュヴァール市を繋ぐ道の途中には、小さな町と村が点在している。僕たちはアルデラ伯領の東端、ジェピュエル総督府に最も近い町で一泊した。福音派の信徒だという夫婦は、すぐに僕たちを宿で一番上等だという部屋に通した。


 恐らく、この宿を出たら安眠ともしばらくお別れになるだろう。ジェピュエル総督府では何が起きるか分からない。


「この先は《吸血鬼》とやらの住処だそうだ」


 先生が王立アカデミーからの手紙に添付されていたスケッチを広げた。スケッチには牛に襲いかかる人型の化物が描かれている。化物は牛に噛みつき、血を吸っているということだった。


「なんで血を吸うの?」


 卯月が顔をしかめて尋ねた。


「そういう(たち)の化物なのだとさ。悪霊によって死者は蘇り、夜な夜な家畜や人の血を吸う。《吸血鬼》を殺すためには、屍体をバラバラにしたり、屍体に杭を打ち込んだりしないとならないとか」


「それは変な勘違いじゃない? あとは、屍霊術をよく思ってない人が、そういう噂を流してるとか」


「かも知れん。だが、地元の住民は屍霊術が開発されるより前から、《吸血鬼》について語り継いできているらしい」


 先生は鞄から『ジェピュエル公国史』という分厚い本を取り出して開いた。


「ジェピュエルでは改葬が広く習慣になっているそうだ。定期的に墓を掘り返して、別の場所に屍体を埋葬し直す。聖人の骨は埋葬後も変色しないと信じられている。一方で、腐敗しない屍体は《吸血鬼》の正体だと言われ、改葬を機に損壊されてきたという」


「何だか矛盾しているように思えますね。聖人の屍体だったら骨の変色どころか腐敗しないとか、普通ならそういう風に考えるのでは?」


「細かいことを気にするな。土着信仰なんてそんなものだ」


 先生はページをよく見ずに、ペラペラとめくっていった。


「問題は《吸血鬼》が生まれる理由だ。屍体が腐敗しないということは、稀に起こる場合がある。だが、それは考古学者や墓暴き、解剖学者のような、屍体を扱う頻度の高い者たちの記録によって知られたことだ」


「と言うと?」


「素人が容易に神秘に(まみ)えることは無い」


 そう言うと、先生は本を閉じた。


「怪現象が起きていることは確かだ。それが帝国の密偵による『お膳立て』なのか、無学な《迷信》の類いなのか、総督の『陰謀』の一部なのか……いずれにしても調査せねば。今の我々は帝国の駒だ。明日は早い。君たちも早く寝たまえ」


 先生は本を放り出し、さっさとベッドに横になってしまった。



***



 翌日の昼に、僕たちはクルジュヴァール市に到着した。


 クルジュヴァール市は山地の麓にある街だった。山を水源とする川が、街全体を横切って西から東に流れている。川を挟んで南側は市壁に囲まれた街の中心部、北側には山の尾根が続いている。山の裾野には、土地を造成して作られた要塞の跡地が見えた。


 市壁の外側、川沿いの道には延々と牧草地や農地が広がっている。何の変哲も無い穏やかな地方の街に過ぎないように感じる。ふと、馬車の窓から外を覗くと小さな教会が見えた。その裏手に、農具を手に集まっている人々がいた。


「どうかしたかね? 気になるものでも?」


 先生が『ジェピュエル公国史』から目を離して僕の顔を伺った。


「農民が何かしていますね」


 僕は彼らを指差した。秋の収穫で忙しいこの時期に、改葬を行っているのだろうか。農民を見ているうちに、徐々に馬車の速度が鈍くなってきた。


「どうした?」


 先生が行商に化けた御者に向かって声をかける。四輪馬車はユーリヤが手配したものだった。御者も彼女の仲間の一人だ。


「前から騎馬が走ってきます。騎士は三人で……軍服を着ています」


 御者が胡乱げに答えた。


「止まりました。下馬して、向こうの教会に行きました」


「そうか。我々は無関係のようだな」


 僕は軍人に視線を移した。二人の軍人が教会へ向かって真っ直ぐに走りながら、農民たちに何か叫んでいる。あまり穏やかな雰囲気ではなさそうだ。


――墓を元に戻せ!


――屍体に触るな!


 軍人たちの怒声はそんな風に聞こえた。そのうちに軍人の一人が警笛を吹いた。鋭い高音が周囲に響き渡り、農民たちは手を止めた。四輪馬車の先では上官らしい軍人が騎乗したまま、道端から様子を見ていた。軍人は四輪馬車とのすれ違いざまに、吐き捨てるように「さっさと行け」と言った。四輪馬車は再び速度を上げた。


「物騒なものだ」


 先生は眉をひそめて嘆息した。四輪馬車が遠ざかっていっても、軍人たちの怒声は収まらなかった。小さくなっていく怒声に追い立てられるように、四輪馬車はクルジュヴァール市の市壁を目指した。


 市壁の門では御者が門番と一言、二言ほど話しただけだった。僕たちは意外にもすぐに市内へと通されることになった。通行証に問題は無かった。


 しかし、通行証だけあっても調査は開始できない。何よりもまず、司教の正式な特許状が必要だった。四輪馬車は門を通過し、市内の中心部に建つ使徒派の聖ミカエル教会へと向かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ