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吸血鬼狩り 序 ~ 深淵

 薄暗い半円状の階段式講堂では、奇怪な人影の群れが蠢いていた。全員が(くちばち)のような突起のついた仮面を被り、黒マントで全身を覆っている。ペスト医師だった。


 ペスト医師たちの視線は、講堂の最下部に位置する二つの手術台に注がれていた。手術台の周囲には鱗光灯――発光性の魚鱗を張り合わせて作られた薄緑の灯明が配置され、手術台はさながら光を浴びる祭壇のようにも見える。


 しかし、それが神聖な祭壇ではないことは、手術台に縛り付けられた二人の少女の表情からすぐに理解できた。階段式講堂の角度に合わせて、斜めに傾けられた手術台に固定された二人の少女は、奇怪な医師たちの暗い視線をただ不安な面持ちで見返すしかできなかった。


 少女の一人は、手術台に括り付けられる前に、ペスト医師の一人と見知らぬ貴族が廊下で話していた会話を思い出していた。


「アーチボルド、何を考えているのだ。あのような人数の人間を実験棟に連れてきて、しかも海外の子供たちまで……」


「今更どうしたのです? 聖歌隊(クールシュ)の海外派遣を命じたのは、他でもない殿下ですよ」


「まだ殿下とは呼ぶな」


「失礼しました、総督」


 アーチボルドと呼ばれた鍔広帽に白い飾り紐をつけたペスト医師は、恭しく中年の貴族に接していた。


「しかし、病に冒された者はまだしも、健康な子供たちは……」


「それなら心配要りませんよ。あれらはヒトとしての運用をしておりませんので。ご覧になります?」


 彼らの会話はそこまでしか聞くことができなかった。だが、そこまで聞いた時点で、少女はここから逃げ出す覚悟を決めていた。この薄暗い廊下が縦横無尽にどこまでも続く「実験棟」と呼ばれる施設から。


 しかし、結局それは叶わなかった。少女は連れて来られた他の少女と共に、透明な管で繋がれ、手術台の上でこれから起こる運命を待ち受けるしかなかった。


 やがて、鍔広帽に白い飾り紐をつけたペスト医師、アーチボルドが講堂に入ってきた。周囲のペスト医師たちが彼を見つめ、講堂は静まり返った。アーチボルドは手術台まで歩み寄ると、助手たちに巨大な解剖図面を広げさせた。


 アーチボルドは手術台に背を向けたまま講義を始めた。


「四体液説によれば、血液は肝臓において生じると提唱されてきました。しかし、体液循環説が立証されたことにより、これが否定されたわけです」


 心臓の解剖図面を杖で指しながら、アーチボルドが説明を続ける。


「心拍数は三十分で約千回。心臓の容積が四十三ミリリットルであるとすれば、一度の収縮で四千七百マイクロリットルが拍出されるでしょう。一日に換算すれば二百四十五キログラムの血液が必要になります。これだけの量の血液を、果たして肝臓だけで産出できるでしょうか? 残念ながら答えは明白です」


 アーチボルドは二本の乱切刀(ランセット)を取り出した。鱗光灯の薄緑の光を浴びて、その刃は不気味に輝いている。手術台に振り返ると、アーチボルドは少女たちを見据えた。


「……その手術台、足場と一緒に昇降するようにできているんですよ。本来は観覧用だったのですが、色々と試すのに丁度いい高さでしてね」


 助手の一人が乱切刀(ランセット)を受け取り、一方の手術台の足場に立った。アーチボルドが合図を送ると、少女と助手の乗った片方の手術台だけが上方へと昇り始める。


「瀉血の副作用……『死か、失血による衰弱か』。なんとかしたいですよね」


 アーチボルドが穏やかな声で述べた。その声からは熱狂も冷酷さも感じられなかった。


「あなた方を繋いでいるその管、体液を片側に流し込むことができるんです」


 少女は自分の肘から伸びている透明な管を見た。管の先を見上げても、上昇した手術台に横たわるもう一人の少女の腕だけしか見えない。


「ヒトとそれ以外では上手くいかなかったのですが、丁度ヨハンナも来てくれた事です。……可愛らしい被験体を二体も使うのは惜しいですが、二人とも仲良しです。きっと成功しますよ」


「私たちを騙してたの……? 死も厭わずに医学の道を拓く、勇気を持った子供を集めてるなんて言って……」


 上昇した手術台の上から少女の悲痛な声が響いた。ヨハンナはその声を聞いて、自分の身体の震えが止まらなくなっていることに気付いた。


「とんでもない。この研究の果てに病魔の闇を払うヒントが生まれるのです。あなた方のおかげですよ」


 アーチボルドと助手が乱切刀(ランセット)を構えた。そして、二人の少女は木片を咥えさせられた。


「ミルルカ。あなたは流し込む側です。なるべく耐えてくださいね。途中で輸血が止まったら相棒も失血で死んでしまいます」


――神様、助けてください


 ヨハンナは祈った。それは心の奥底からの叫びだった。


――どうか……


 管の繋がれていない腕から瀉血が始まり、ヨハンナの意識は、その血と共に急激に失われていった。

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