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狩人狩り 十五 ~ 少天使

 独立と政略結婚という陰謀の渦巻くジェピュエル総督府での調査。それが一筋縄では行かないことは明白だった。クルジュスコールで《迷信狩り》の振りをして怪現象を調査しながら、密偵の如く陰謀の情報も集める。そんなことが僕たちに可能なのだろうか。


 手紙の真相を知らなかったらしいモンバール伯爵と偽皇女は、先生の提案に虚を突かれた形になっていた。二人は僕たちの周囲を歩きながらも、どう話を進めるべきか思案しているようだった。


「私は当初、諸君を疑っていた。私の紹介でジェピュエル総督府に送り込んだニコラス・レミュザが逮捕されたこともあって、諸君こそが間諜なのではないかと」


 モンバール伯爵は先生に杖先を向けながら、歩き続けた。


「私ですら解けなかった暗号を、諸君は解読した。しかし、諸君はジェピュエル総督府からの手紙と分かっても返事を送り返さなかった。通信ではなかったわけだ」


「宛名の違いですな、伯爵閣下。サー・ランドルフ・ルークラフト。同じ文字が三種類もあって、濁点まで付いている。伯爵閣下のお名前では暗号表の推測に情報が足りな過ぎた。私も最初からキーワードを把握していたわけではないのです」


 確かに、ルークラフト卿と先生の名前では文字の重複が多く、暗号表を再現しやすいと言えた。一方で、モンバール伯爵のマシュー・ギルマンという名前は短い上に文字の重複もなく、暗号表を埋めるための情報は皆無だった。


「貴方たちを疑って、研究室に忍び込んだり、お友達を(さら)ったりしたのは間違いだったわね。その事は謝罪するわ」


「では、やっぱり君が……」


「そう。私が犯人。御進講の間に、ルークラフト卿が陰謀に加担していないか調べたの。モンバール伯爵の研究室を荒らしたのは、他国の密偵を欺くため。結局、手紙も解読した文章も見つからなかったから、成果が無くて焦ったわ。研究棟から学生に見られたのも予想外だったし」


 偽皇女は淡々と侵入の目的について話した。どうやら彼女も密偵の尻尾を掴もうと必死だったらしい。しかし、疑惑があっても証拠たるものは、当然ながら無かったというわけだ。


「教授はそんな浅はかではありませんよ。ご自身の研究……と猫の事以外は無関心なくらいです」


 先生が苦笑しながら答えた。


「まだきちんとお話ししておりませんでしたが、手紙の内容はクルジュスコールへの招待状です。修道士司教と名乗る者から《迷信狩り》に向けての。先ほどの陰謀について調査するため、ジェピュエル総督府に入り込むには実に好都合ではありませんか?」


 そう言って、先生は手紙を読み上げた。ルークラフト卿と先生に宛てられた手紙の内容はどちらも同じ、詩のような奇妙な招待文だった。


「であれば、王立アカデミーからの委任という形で、諸君には再度、ジェピュエル総督府に向かってもらいたい。表向きは怪現象を調査しつつ、水面下では帝都の諜報機関である枢密内閣官房ゲハイメ・カビネッツ・カンツライと連絡して陰謀に関する情報を収集し、危険があればそれを駆逐するのだ」


 モンバール伯爵は立ち止まり、僕たちに向き直った。その魚のように突き出た目は、相変わらずどこを見ているか不確かだった。枢密内閣官房ゲハイメ・カビネッツ・カンツライと連絡しろと言われても、彼らがどの程度、協力してくれるのかは未知数だった。それに、危険に立ち向かうのは僕の性分ではない。


 だが、先生は満面の笑みでモンバール伯爵の言葉に頷き返している。一月(ひとつき)以上に渡って面倒を押し付けてきたジェピュエル総督府への当て付けを行うには、千載一遇の好機だと捉えているように僕には見えた。


 手紙の送り主である修道士司教が敵か味方かすらも分からない、この手紙自体が罠かも知れないというのに、先生はあえて謎の学舎クルジュスコールに挑む決心が既についているようだ。先生が乗り気である以上、僕たちも強制的に付いていくことになるのだろう。


 陽はすっかり落ちて、窓から差し込む星明りだけが部屋に光を与えている。塔守の夜警が始まる前に解散しなければならない。周囲から怪しまれないためという理由で、僕たちの集い(パーティ)は時間をずらして分散しながら南塔を離れることになった。最初にモンバール伯爵が時計台から去って行った。


 次に、先生が卯月の手を取って階段を下りて行った。時計台には再び、僕と偽皇女の二人が残された。


「私は最後でいいわ。着替えも必要だから」


 偽皇女は無垢な笑みを取り戻していた。しかし、その笑顔の裏には、実働役の密偵として、一人では背負いきれない闇を抱えているように見えた。


「君はどうして皇女殿下の格好を?」


 僕は何気なく偽皇女に尋ねた。それは純粋な好奇心からだった。


「高貴な命を守るためには身代わりが必要なの。たくさんの身代わりがね。私の場合はそれが偶々、皇女殿下だったというだけ」


 偽皇女は再び車椅子に座り込んだ。彼女は、自分の言葉を聞いた僕の目から同情の念を読み取ったようだった。


「誰も彼も皆、皇女殿下、皇女殿下……私は役を演じるだけ。最初からそういう生き方を仕込まれてきたから、それで良いの」


「でも一昨日の君は本当に楽しそうだった。笑って、飲んで、食べて……」


「幼い子供はそういうものでしょ」


 偽皇女の表情は壁の影に隠れて見えなかった。


「君はカフェではミルクも無しでコーヒーを飲んでいたし、食事だって自由に食べていた。演技じゃなかった。そして、劇場でカストラートの歌を聞いて、泣いていた」


「……そうだったかしら?」


「君は皇女殿下の姿をしているけど、彼女とは違う。演じきるのは不可能だ。無理して役に徹する必要は無いと僕は思う」


「心配してくれるのは嬉しいけど。でもね、美しく鳴けない金糸雀(カナリア)に価値は無いの」


 偽皇女は突然、声色を変えてアリアのワンフレーズを歌った。その艶やかで独特の高音は、メゾソプラノに近いものだった。美しい声ではあったが、歌劇(オペラ)の舞台に立つには僅かに音の高さが足りていない。


「最後にもう一度だけ、皇女殿下の振りをさせて」


 偽皇女の言葉に、僕は車椅子の下まで歩み寄って片膝をついた。偽皇女は僕の手を取り、顔を近づけた。一瞬ではあったが、彼女の柔らかな唇が僕の手の甲に触れた。


「ありがとう。一つだけ真実を答えてあげる」


 階段へと向かう僕の背に向かって、彼女は呟いた。


「私はルカ」


 僕はその名前を聞き、しかし振り返ることなく、燭台の小さな灯りを頼りに暗闇を下って行った。



***



「入りなさい」


 数日後、先生と卯月と僕はルークラフト卿に研究室まで呼ばれた。初めて彼の研究室に招かれた時とは異なり、ルークラフト卿の声からは幾分、穏やかな印象を受けた。

 樫材の書斎机に肘を置き、ルークラフト卿は普段と変わらない無表情の面持ちで僕たちを迎えた。


「教室棟の研究室が荒らされた件は、学生の悪戯だったと言う事で処理される運びになったよ」


 ルークラフト卿は素っ気無く言った。これはモンバール伯爵の差金のようだった。


「君たちにとっては残念かも知れないが、最早、犯人を追う必要は無くなったということだ」


「世の中には、知らずに済ますべき事もあるということですかね」


 先生は笑顔のまま小さく嘆息した。


「真実を知ることが悲しみであるならば、騙されているほうが幸せだとは思わないかね?」


「教授の口からそんな言葉が出るとは!」


「私だって、あの時の贋作を暴きたくて暴いたわけではない。ただ、私には真贋を見抜く力があった。それだけだよ」


 ルークラフト卿は肩を竦め、愛猫の喉を撫でた。まるで、騙されていたかったとでも言わんばかりの態度だった。猫のウルタールは満足気にゴロゴロと喉を鳴らした。


「それで。御用はこれだけでは無いのでしょう?」


「君は実に察しが良い。それだけ察しが良いのだから、次に私が言いたい事も分かるのではないかね」


「《迷信狩り》ですか」


「御名答」


 ルークラフト卿は自分へと宛てられた黄ばんだ手紙を取り出した。


「君はこの手紙の事を招待状だと言っていたな。だが、皇后陛下はそのようには考えていない。これは挑戦状だ。皇后陛下の施政に対する挑戦だと」


「フムン。まあ、そういう捉え方もできるでしょうね」


「ワーズワース君、君は修道士司教について知った上で言っているのかね?」


 先生とルークラフト卿は互いに怪訝そうな表情を浮かべた。修道士司教の正体について、ルークラフト卿は既に知っているようだった。


「ジェピュエル総督府の司教区の司教は、誰だか知っているかね?」


 ゲオルギウス・フラーテル司教。僕たちも司教の名前はゼレムの村を訪れた際に知っていた。


「彼の署名は二種類ある。正式なゲオルギウス・フラーテルという署名。もう一つは短縮形のトゥクス・フラーテだ。自らの名前を修道士(フラーテ)と書く司教は、帝国中でゲオルギウス・フラーテル一人しかいない」


 ルークラフト卿が手紙の差出人の暗号文を指で叩いた。手紙の送り主がフラーテル司教だとして、何か問題があるのだろうか。これまでも教会の関係者は必ず《迷信狩り》に関わってきた。迷信と言っても、その根本には民衆の心、そして教区の司牧に関わる問題があったからだ。


 信仰という繊細な問題に関して、信徒の信頼を集める聖職者の協力が無ければ《迷信狩り》を滞りなく進めることは難しい。司教であれ司祭であれ修道士であれ、彼らの利益を脅かすことは得策ではなかった。


「フラーテル司教はどのような人物なんですか?」


「それを調べるのも、君たちの仕事だよ」


 僕の問いに、ルークラフト卿は意味深な含み笑いを返した。


「しかし、これだけは確かだ。フラーテル司教はこれまでの調査に前向きな聖職者とは違う。公国時代の貴族が軒並み没落した中で、司教だけはジェピュエル総督府で今も権力を握っている。簡単に協力を取り付けられるとは思わないほうが良いだろう」


 それだけ聞くと、この手紙は本当に罠なのではないかと思えてきた。わざと《迷信狩り》を招いておいて、ジェピュエル総督府内で不穏当な言動を誘い、難癖を付けて拘束するつもりなのではないだろうか。ゼレムの村での出来事が思い出され、僕は不安になってきた。


「王立アカデミーで必要な書類の準備が整ったら、君たちにはジェピュエル総督府に向かってもらう。今回の調査はあくまでコルヴィナの女王陛下と王宮からの依頼で、王立アカデミーが動いたという体裁を取る予定だ。つまり、帝国と帝都の宮廷は全く関係がない。よいかね?」


「無論、心得ておりますとも。我々は王立アカデミーの委任によって調査を行う。ただそれだけです」


 先生とルークラフト卿による極めて形式的な確認が完了した後、僕たちは研究室を後にした。

 帝国大学は既に夏休みに入っていた。寮に残っている学生も少ない。僕たちは平穏な夏休みができるだけ長引くことを祈りつつ、水面下で枢密内閣官房ゲハイメ・カビネッツ・カンツライの密偵が接触してくる時を待ち続けた。

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