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狩人狩り 三 ~ 教授会

***


 スヴィーテン男爵は激怒した。必ず、かの邪知暴虐の帝都大司教の影響を除かなければならぬと決意したようだった。僕たち学徒には教会がわからぬ。スヴィーテン男爵は、医学部内科の教授である。薬を調合し、患者を助けて暮らしてきた。けれども、教会の怠惰に対しては、人一倍に敏感であるようだった――


 先生、卯月、そして僕を交えた教授会は出鼻から紛糾していた。御講進の話はどこへやら、大学全体の改革の方針を巡って、教授たちの熾烈な権力闘争が開始される。その中心にいたのは、侍医長を兼務するゲラルド・ヴァン・スヴィーテン男爵だった。


「これまでも(わたくし)や教養学部の教授陣が言明されているように、修道会による出版物の検閲は最早、市民への啓蒙を阻害する旧弊でしかありません。また、折角の学位を手にしたのに特権に胡坐(あぐら)をかいている聖職者が多すぎる。彼らの教養も活かさねば、帝国に未来は無いでしょう」


「しかし、修道会の仕事を減らして、それで下級聖職者の雇用は確保されるのかね?」


 スヴィーテン男爵の言葉に、神学部の教授が狼狽えた口調で質問を返す。


「帝国全土に小学校を建設する準備が既に始まっております。彼らにはそこで教職員になっていただきたい。漫然と税に頼るより、はるかに健全でありましょう。そのためには聖職者を育成する段階から意識を改めなければ話になりません」


「それは……」


 教皇領出身で使徒派の第一神学科のこの教授は、今日の教授会が始まってからずっとスヴィーテン男爵の批判に晒されていた。結局、彼はスヴィーテン男爵が提案する修道会による検閲の廃止や、下級聖職者の小学校教職員としての採用について全面的に認め続け、保守的な帝都大司教に対しても積極的に取り計らうことを約束させられてしまった。


 そして、まさか予算争いでも医学部が神学部に対して優位に立つ日が来るとは、誰も思っていなかった。コルヴィナ出身で福音派の第二神学科の教授は同僚を擁護すらせず、一言も発していない。解剖学を推進する福音派からすれば、医学部の外科や解剖学へ予算が割かれるのは好都合と言ったところなのかも知れないが。


 そのおこぼれと言うべきか、教養学部でも学科によっては予算が増えていた。僕たちの自然哲学科も予算が増額されたが、国際競争の立場から見て、研究水準を少しでも高めるように圧力が強まっているのが感じられる。


 普段はあまり学内の権力闘争に関心がない教養学部の教授陣も、迫りくる改革という波を前に、予算の増額を素直には喜んでいない様子だった。僕の担当教授であるモンバール伯爵に至っては、この生真面目な医学部の教授のせいで余計な仕事が増えるとでも言わんばかりに、魚のように突き出た目でギョロリと彼を睨みつけ、露骨に不満気な表情を浮かべている。


 世界を股にかける博物学者の至上命題は、冒険に出た弟子や各国の博物学者と情報を交換し、研究材料を集めることだった。それは学内にこもりがちな大学教授であれば猶更(なおさら)であり、彼らのスタンスは国にも教会にも依らないことが多い。


 金が有ろうが無かろうが、兎にも角にも収集に注ぎ込む。そうした研究に国の威信や実益を期待するのはお門違いというものだろう。


 それはともかく、帝国大学において教皇の権威は既に死に体だった。そして、神学部に代わって権力を掌握した医学部が、官僚の育成機関である法学部とともに、それを看取る日が来るのも時間の問題であるように思える。


「さて、次は皇帝陛下への御進講の予定について検討しましょう」


 御進講についてもスヴィーテン男爵が口火を切った。侍医長として日頃から皇帝とその家族に側仕えしているわけだから、スヴィーテン男爵が御進講について取り仕切るのは必然とも言えた。スヴィーテン男爵に従い、皇帝の機嫌を損なうことなく式事を進めるための計画が次々に提案される。侃々諤々(かんかんがくがく)とした討論の後でも直ちに議題を移せるのは、やはり教養のある集団の特色のように思えた。


「皇帝陛下は博物学に熱心な様子とお伺いしている。であれば、我々の植物園を見学いただくことを提案させていただきたい」


 先程まで不満気な表情で顔を伏せていたモンバール伯爵が口を開いた。


「皇帝陛下自身が興味を(そそ)られる、自然の中に存在する実物こそ我々が示すべきものであって、ただ机上で描いた空理空論を述べることは無礼な押し付けであろう」


 教養学部の教授たちが彼に同調する。学内の植物園では、他国の大学を倣って、温室や標本館を増築する計画が進められていた。わざわざ皇帝が来校するのだから、それを披露する良い機会であることは確かだった。


 しかし、要するにこの伯爵は自分が考えていることを説明する手間を省きたいのだと、僕は分かっていた。草花の審美は素人にも判別できるが、過激な論説は皇帝や廷臣の気分を害する恐れがある。神をも恐れぬ不遜な博物学者と言えども、現実の皇帝を前に冒涜的な持論を開陳するほど愚かではない。


「分かりました。医学部にとっても植物園で栽培している薬草の出来を披露する絶好の機会です。植物園の見学を予定に入れましょう」


 スヴィーテン男爵はモンバール伯爵の提案に同意した。


「しかし、諸外国の大学と比較して、帝国大学の植物園は規模も設備も難があるのが事実です。御進講までに課題を検討して、少しでも改善できる部分は改善するのが得策でしょう」


 しかし、スヴィーテン男爵は笑みを浮かべなから、このように付け加えることも忘れなかった。ガリアの王国の大学では、植物園に世界屈指の温室や標本館が揃っていることを、モンバール伯爵が知らないはずがない。モンバール伯爵は一瞬、言葉に詰まって思わず「しまった」という感じの表情を作ったが、それを隠すように歪んだ笑みを返した。


 実際のところ、この《半魚人》じみた伯爵が自ら手を動かすわけではない。ただ、自分の配下にいる学生の手を取られるのが彼にとっては(しゃく)なだけだろうと、僕は思った。彼の下には僕を含めて十人以上の学生が集められているが、雑務の割り振りに嫌気が差して逃げ出す者もいた。


 僕の場合、目録作りや手紙の整理といった事務を命じられてきたのに、いきなり《迷信狩り》の調査に駆り出されたわけで、その采配を理解することは困難だった。ただ、モンバール伯爵の機嫌が悪い時に彼の前にいないこと。これだけは学生の間で留意されてきた。


 その観点から考えて、僕は危機的な状況に置かれていた。半魚人の目がギョロリと僕のほうに向く。僕は視線を逸したが、無駄な抵抗だった。僕はモンバール伯爵の口から、次にどんな言葉が飛び出すのか不安な気持ちを抱いて待った。


「……それと、これは是非にと考えているのだが。皇后陛下直々に勅命を下された《迷信狩り》を行った調査官が凱旋してきたわけだから、彼らを御進講の折に両陛下にご紹介したい。如何かな?」


 それは意外な言葉だった。僕はてっきり、ルークラフト卿の発案で先生の参加が促されると思っていた。普段は他の教授や学生の手柄など気にしないモンバール伯爵にしては、珍しい発言としか言いようがない。


「それについては私も同意見です。不肖の弟子ではありますが、調査結果は宮廷でも好評を博していると伺っています。どうか御進講への同席を許可願いたい」


 ルークラフト卿がモンバール伯爵に追従して意見を述べると、教授陣の視線が僕たちに集まる。その視線はやはり好奇に満ちたものだった。しかし、これまで辺境で受けてきたものとは異なり、どんな外国人がいても不思議はない帝都の、しかも大学教授という教養ある立場からの視線はある程度、冷静な客観性を包含しているようだった。


「勿論。異論が無ければ、彼らにも皇帝陛下に謁見していただきましょう。陛下もお喜びになられるはずです」


 スヴィーテン男爵が確認するように教授たちを見渡す。


「調査に際して、ヴァルド市のオットボーニ司教にも助力したというのは、これ以上にない成果だ。私も彼らの同席に賛成する」


 先程まで批判の集中していた第一神学科の教授も賛意を示した。どうやら今回の調査結果は、福音派の勢力が強いコルヴィナの東部で、使徒派の足掛かりを作ったという意味でも評価されているらしい。そういうことであれば、使徒派の貴族が多い帝国内での評価も納得できる。


 ただ、僕の隣に座っているのが、福音派の国教会を作ってしまったアルビオンの連合王国出身の怪人物と、そもそも洗礼すら受けていない東洋人の少女という事実が、今の評価が過大であることの裏付けになるのではないかという心配もあった。


 僕の心配を他所に、先生は相変わらず涼やかな顔をしている。すべて予定通りといった様子に見える。これまでに言いくるめてきた相手を考えれば、皇帝と言えども先生の緊張を誘う者ではないかも知れない。

 だが、卯月のほうは、どちらかと言うと不安気な表情に見えた。彼女にとっては帝国も帝都も大学も、何もかも初めてのものなのに、いきなりその頂点に座る存在と相見えるのだから、仕方ないことだろう。


 そもそも彼女は皇帝という地位についてすら、あまり理解していない可能性もあった。何れにしろ、御進講の予定が決まったら、きちんと卯月にも段取りを説明しなければならない。


「では、本日の議題はこれですべてですので、解散としましょう。御進講の予定については、私からバルテンシュタイン男爵にお伝えしてきます」


 スヴィーテン男爵が閉会を宣言し、教授会は無事に終了した。

 だが、その後も医学部の教授たちはその場に残って、何やら打ち合わせを続けている。市民病院の創設、臨床医学の導入、最新の医療機器の輸入や製造……。彼らの目標は遥かな高見にあるようだった。


 皇后から帝国における医療制度改革の全権を委任されたスヴィーテン男爵にとっては、これまでの提案は教授会という小さな庭での些細な改善策に過ぎないようだった。教育と科学の進んだ北方の連邦共和国出身の彼の目から見れば、帝国の内情は哀れみを覚えるほど貧弱に映っているのかも知れない。


 熱心に議論を続ける医学部の教授たちを後目に、胡散臭さに塗れた僕たち教養学部の面子は、そそくさと教室棟へと戻ることになった。

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