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魔女狩り 十五 ~ 最後の火葬者

***



「あの男がおかしくなったのは、これが原因か」


 宿に放置されていたレミュザ氏の荷物を漁っていた先生が、鍵のマークの封蝋が押された手紙を取り出した。それは僕が最初にレミュザ氏に渡したものだった。


「教皇庁から直々の手紙とはね」


 先生は手紙を読み上げた。


「真の息子たちへ。挨拶と教皇の祝福とともに。

 私は長期にわたって、イスパニアで結成された異端審問官の組織『火葬者(エル・クィマド)』が、聖俗の関係を問わず見境なく数多くの人々に対して魔女の嫌疑をかけて魔女裁判を行うとともに、狂信的な思想によって民衆を扇動してきたという醜悪な見聞を、階級や聖俗の身分を問わず広く聞いている。

 これに対して、私は大いなる心配を抱きながら再三の注意を促し、火葬者(エル・クィマド)の総長が自らの過ちを悟り、教会の教えに立ち返って教皇への服従を示すことを期待してきた。


 しかしながら、火葬者(エル・クィマド)は私の要請を無視し、素朴な民衆を欺き、これまでと同様に神の精神から外れた活動を続けてきた。

 そこで、私には主の代理人としての務めがあり、そしてまた信徒たちへの責任を果たすため、火葬者(エル・クィマド)とすべての教会に次の命令を言い渡す。


 それは、魔女の存在が正式に認められるまで火葬者(エル・クィマド)の活動を停止して、その総長以下十二名の会員から異端審問官の資格を剥奪するということ、そして、すべての教会において火葬者(エル・クィマド)に関連する書物を破棄し、その活動を許可しないこと。

 また、これに反する者を破門とし、すべての教会において、これらの罰を公表することとする。


 漁夫の指輪とともに。

――筆記者 教皇庁教皇付き書記官マルコ・ロカテッリ」


「つまり……」


「本物の魔女を見つけるまで、異端審問官を名乗るなってことだ。こんな命令を受けるようじゃ、どの道、駄目だったろうがな」


 そう言って、先生は手紙を放り棄てた。


「こっちは何だ?」


 先生は卯月が調べていたチェストを覗き込んだ。そこには大量の赤毛の髪の毛と、緑の瞳の目玉の瓶詰標本が詰め込まれていた。理由は不明だが、恐らくレミュザ氏は赤毛に緑の瞳の女性を、魔女として狙ってきたのだろう。


 その結果がこれだったようだ。


「……見なかったことにしよう」


 先生は卯月にチェストを閉じるように言い、他の旅行鞄に手を伸ばした。


 僕が調べていた鞄からは、黒く塗られた縄と、同じく漆黒のマントが出てきた。きっと先程の赤毛とこの黒マントを使って、レミュザ氏は牧師館でシャロルトに化けたのだろう。その姿を、薬で正気を失っていた牧師に見せてから、魔女の飛翔を行ったに違いない。


 黒く塗られた縄は今は一本だが、切断された跡が残っている。これは元々、二本の縄を二つの端で繋げて輪状にしたものだろう。レミュザ氏はこの縄を使って、見せかけの魔女の飛翔を行ったのだ。


 村役場の窓と牧師館の窓。二か所の窓から黒い縄を垂らしてから、地上で結んでおく。そして、飛翔を行う際に、縄を手繰り寄せて弓の弦のように張り詰めた後、滑車と同じ要領で牧師館から村役場へと飛び移ったのだ。村役場に着いた後は、繋いだ縄を切断して回収してしまえば証拠は無くなる。


 そして、皆が牧師館に注意を惹かれている間に変装を解いて、レミュザ氏は何食わぬ顔で現れた。彼は密室だなんて言っていたが、彼しか屋根裏を見ていないのだから、本当に密室だったかどうかは疑わしい。牧師を助け起こした際に鍵を盗み取って、後から鍵をかけることもできたはずだ。


 何にしても、シャロルトは牧師館はおろか、地下牢からも抜け出していなかった。シャロルトが牢にいた時、魔女の飛翔のすべてはレミュザ氏が仕組んだに違いなかった。


「全く大した情熱だよ」


 先生がため息交じりに旅行鞄をひっくり返すと、数々の奇妙な道具が床に散らばった。


 結局、それ以上荷物を調べても、レミュザ氏が赤毛に緑の瞳の人物を狙った理由は分からずじまいだった。

 見た目が珍しくて魔女らしかったからなのか。彼個人の過去の確執によるものなのか。

 確かなのは、最初から最後まで、魔女を陥れるためだけに彼が全力で取り組んでいたということだけだった。


 だが、その狂気染みた目論見も、結局は打ち砕かれることになった。

 魔女の嫌疑をかけられた女性は全員、告発を取り下げられた。ゼレムの村には魔女など、いなかった。

 最初から最後まで。



***



 それにしても、先生はどうやって断頭台でシャロルトの頭と手首を落とさずに、彼女を助け出したのだろうか。


「知りたいかね?」


 僕が尋ねると、先生はニヤニヤしながら、断頭台が放置されたままになっている処刑台に上った。


「別に難しいことではないのだが」


 先生は断頭台の刃を指差した。よく見ると、二枚の刃が平行に設置されている。

 そして、裏側の刃は∩状の弧を描くように刃がくり抜かれていた。


「裏側の刃は落としても首にぶつからない。表側の刃が落ちたら死ぬから、こちらは晒し台に隠れたところで途中で止まるようにしてある。本当に首を落としたい相手の時は表の刃も落とすがな」


「それじゃ、手首は」


「あれは作り物だよ。刃が落ちた時には、赤ワインを撒いただけだ」


 そう言って、先生は声を上げて笑った。


「まさかここまで上手く事が運ぶとは思えなくて、噴き出すのを堪えるのが大変だった」


 あの阿鼻叫喚の光景をそんな目で見ていたとは。

 この人は本当に悪魔なのかも知れない。僕は苦笑いを返すしかできなかった。


「それにしても、本当に危なかったのは司教の特許状なんだが」


 そう言いながら先生はジェピュエル総督府の司教の特許状を取り出した。


「司教の名前が分からなかったから、伯爵に聞いて適当に五十年以上前の司教の名前で署名してしまった。いや、バレなくて本当に良かった」


 先生は無垢な笑顔のままだったが、僕は唖然とし、血の気が一気に引いていくのを感じた。


「まさか、特許状の署名が偽物ですと?」


 いつの間にか、ディンケル少尉が後ろに立っていた。


「しかし我々の指令書にも、その司教と同じ名前が書いてありましたよ」


「え?」


 今度は先生が唖然とした表情に変わった。少尉が示した部分には、確かに「総督府司教区の司教ゲオルギウス・フラーテルの監督の下、駐屯地で云々……」と書かれている。


「なんだこいつ?! ……何故? なんで? どうして?」


 先生は今までに見せたことのない驚愕した表情で、指令書を繰り返し見直した。


「それじゃ、何か。このフラーテルって司教は、まさか五十年以上前からずっと……」


「そんな馬鹿な!」


 あり得ない。同じ人物が五十年以上にも渡って、同じ教区で司教を続けているなんて。しかも二回も戦争を経て、統治者まで変わった不安定な地域でそれが可能だというなら、まさに奇跡だ。


「では、同名の別人だと言うのか? こんなペンネームみたいな名前で?」


「実際にペンネームなのかも知れませんよ。ここの司教は代々同じ名前を継承しているとか」


「そのほうがもっとあり得ないだろう」


 先生と僕は悩みながら呻いた。


「まあ、別にいいか。ちょっとくらい寿命の長い、変な名前の司教もいるだろう」


 先生は食い下がらず、さっさと四輪馬車に向けて歩き始めた。


「君たちがもらったオットボーニ司教の特許状も無いし、ここは少尉たちに任せて、我々は伯爵の居城に帰ろう」


 それが妥当な判断だろう。僕と卯月も先生に続いた。



***



 伯爵の下に戻り、僕たちは細やかな休息を得たが、その後はゼレムの村で起こった騒動の責任問題が待っていた。ジェピュエル総督府の使者とカールマーン州長官が伯爵の居城を訪れ、彼らはすぐに先生との会見を求めた。


 伯爵の居城の広間はこれまでにない緊張に包まれた。総督府の使者が厳しい表情で繰り返し先生を詰問したためだった。

 助手とともにジェピュエル総督府内で何をしていたのか。ゼレムの村の調査を担当していた調査官が逮捕された現場にどうして居合わせたのか。


 すったもんだの挙げ句、「お前らが代わりに調査報告書を書け」という無茶苦茶な依頼を総督府の使者から受け、会見は終了した。州長官は終始、渋い顔で先生を見ていたが、総督府で裁判沙汰にならないだけマシだったという結論を付け加えてくれた。


「率直に申し上げるが、暫くアルデラ伯領からも離れたほうがよろしい。総督府はその……外圧に対する自治意識が高いですからな」


 実に有り難い御忠告である。


 州長官の言葉をより適切に言い換えれば、「身辺に気をつけろ」ということだろう。総督府から恫喝に近い依頼を受けてなお、アルデラ伯領に留まる理由はなかった。このまま相手に知られた居場所に留まり続ければ、今度は何をされるか分かったものではない。

 伯爵は留まるように勧めてくれたが、これ以上、迷惑をかけるわけにもいかなかった。


 辻医者の件もそうだが、総督府には秘密が多いように思う。元々は独立した公国だったのだから、今も独立や陰謀を画策する貴族がいてもおかしくない。そういった土地柄の場所で調査に介入したのは大きな間違いだった。《迷信狩り》の調査も終わったのだから、僕たちは帝都に帰るのが望ましいのだろう。


 それは先生の態度からも明らかだった。先生は辺境での旅行を満喫し切ったというような満足した顔で総督府の使者を見送った後、大きく肩を落とした。


「仕方あるまい。好き勝手にやり過ぎたのだ、私たちは」


 先生は辛うじて反省しているような弁を述べ、僕と卯月に荷物をまとめるように言った。


 こうして、僕たちの長いようで短かったアルデラ伯領での《迷信狩り》は一旦、幕を閉じた。

 伯爵の庭園では既に初夏の陽気が漂い始め、見たことのない新大陸の植物が実をつけ始めていた。

 僕たちの調査が果たして実のあるものだったのか、それは王立アカデミーで評価を受けてからでないと分からない。しかし、人生は時としてままならず、苦味という味わいを伴うこともあるということだけは確かだった。


 このような実体験は早すぎる収穫だったのかも知れないが、少なくとも科学の啓蒙には必要だったのだ。

 そう願いながら、僕は華やかな庭園が放つ野性的な香りに見送られ、伯爵の居城を後にした。

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