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魔女狩り 十四 ~ 断頭台

 それから数日経っても、雨は降り止まなかった。

 これほどの長雨はこの季節には珍しいことだった。しかし、長引く雨の中でも、火刑の準備は着々と進められているようだった。


 ガストーニ牧師は混濁した記憶を頼りに、襲われた日のことを語った。

 ワインを飲んでうとうとしていたら、家に黒衣の魔女が入り込んでいたこと。双十字架と祈りによって魔女を遠ざけたものの、魔女は逃げ去ったということ。そして、いつの間にか自分の指に残っていた赤毛を、シャロルトのものに違いないと判断した。


 ガストーニ牧師は魔女裁判の経験がなく、その手順をレミュザ氏に一任した。

 レミュザ氏はいままで得られた手掛かりと怪現象、告発の内容をすべてまとめた。異端審問官として働いてきたレミュザ氏にとっては容易な仕事だった。彼はシャロルトを魔女と断じ、処刑する旨を記した書類一式を作り上げた。


 その後の裁判は一方的に行われた。これまでの経過を辿り直しているだけに過ぎない、ただの形式だけのものだった。

 後は、刑架に火が灯されれば、ゼレムの村は恐怖から解放される。村人たちは牧師の裁定を歓迎し、一方で悪夢のような長雨を呪った。


 そんな折、僕は久々に修道院の一室から解放された。


「お客様が外でお待ちよ」


 中年の修道女は忌々しげに僕に告げると、すぐに去っていった。

 戸惑いながら村役場のあたりまで歩いていくと、そこには四輪馬車が集まっていた。帝国の紋章を掲げた馬車は、帝国軍のものだった。

 その周囲にはディンケル少尉と、十名程度の帝国軍の小隊が無表情のまま立っている。誰一人、雨に濡れることなど気にせず、銃剣を装着したマスケット銃を手に厳戒態勢をとっていた。


 一台だけカーロイ家の紋章を掲げた馬車から、三角帽と草色のマントの人物が降り立った。


「久しぶりだな。何日ぶりかは忘れたが」


 可憐な少女の笑みを湛えた先生は、穏やかなバリトンの低音で僕に声をかけた。


「退屈凌ぎには丁度良い天気だ」



***



 先生と帝国軍が現れたのは偶然ではなかった。拘束される直前に、卯月は伝書鳩を飛ばしていた。ゼレムの村で魔女狩りが起きかねないと手紙に記して。そして、先生の性格であれば、必ず、現状を打破してくれると願って。


 村役場の一室に、少尉と先生、ガストーニ牧師とレミュザ氏、そして僕が集った。

 牧師は帝国軍の通過を知らされていないと言って抗議したが、少尉は連隊長の指令書を盾に、牧師を黙らせた。


「それに、帝国軍はいつ如何なる場合でも、皇帝陛下の統治下にある領土を通行できるはずだが?」


 少尉の鋭い眼光に晒され、牧師は目を逸らした。


 先生はレミュザ氏から受け取った裁判記録を見ていた。ページを捲るごとに、美酒を楽しむが如く口元を緩めていく。


「それにしても驚きましたな。まさか魔女とは。私もこの目で、処刑の瞬間を見てみたい」


 無垢な少女の笑みを浮かべ、先生はレミュザ氏を見据えた。


「調査は既に完了しております。調査官の仕事はありませんよ。あとは雨が上がれば刑を執行するだけです」


 レミュザ氏はややぶっきらぼうに答えた。


「少々お待ちいただければ、魔女の処刑を拝むことはできるでしょう」


 表情にこそ出さないが、突然現れた怪人物を警戒しているのは明らかだった。


「いやいや。折角ですから、今すぐにでも準備しましょう」


「は?」


 僕は思わず先生の顔を見た。この人は正気なのか。


「しかし火刑は……」


「どうせ火刑の後は斬首と車裂きにするんです。魔女だって死にますよ。だったら先に斬首してしまったほうがよろしい」


 先生はまくし立てるように述べた。


「早ければ早いほど村の安全と利益に繋がるでしょう?」


「ワーズワース殿、貴方は死刑執行人ではない。斬首刑はできないでしょう」


 レミュザ氏が先生を睨んだ。


「その通りです。ですが、丁度良いものを運んできたのです。死刑執行人よりも正確に罪人の首を落としてくれる素晴らしい装置です」


 先生は外に出るように全員に促した。


「我が祖国アルビオンで設計されたものなのですが、刑吏や死刑執行人も人手不足なので、帝国でも使えるように取り計らっていたところでして」


 そう言いながら、先生は馬車に積まれた木製の機械を指し示した。


「断頭台。人々はそのように呼んでおります」


 それは晒し台と絞首台が合体したような形をしていた。罪人を固定する晒し台から延びた二本の支柱の間を見上げると、鈍く光る巨大な刃が設置されている。


「刃を留めている紐を外せば刃が落下し、晒し台に挟まれた罪人の首と手首を一撃で切断します。実に効率的な装置です」


 そう言って先生は指を鳴らした。

 それを合図に少尉が命じると、兵士たちは馬車から断頭台を降ろし、村役場の前の空地に処刑台を設置し始めた。


「何を勝手なことを……」


 狼狽えた牧師を制するように、先生は一枚の書類を取り出した。


「こちらを」


 それは特許状だった。しかし、オットボーニ司教のものとは違う。その署名は、ジェピュエル総督府司教区司教、ゲオルギウス・フラーテルと書かれている。どうやって特許状を手に入れたのかは分からないが、先生は総督府の司教すらも言いくるめていたようだった。


「フラーテル司教殿のお許しもあります。どうか、ご安心ください」


「本当に斬首するのですね?」


 確かめるようにレミュザ氏が先生に尋ねた。


「勿論ですとも。一度、皆さんの前で試験してみましょう」


 そう言って、先生は村人を集めるように牧師に指示した。

 設置された断頭台には、藁人形が固定された。続々と集まってきた村人を断頭台の正面に並ばせ、先生は断頭台の仕組みを説明する。


「それではご覧あれ。断頭台による処刑を!」


 先生が刃と繋がる紐を外すと、支柱の間を巨大な刃が勢いよく落下した。

 小さな地響きとともに晒し台に落下した刃は、藁人形の頭と手首を瞬間的に切断した。村人たちの間から小さな悲鳴が上がった。

 処刑台の下の水たまりに、藁人形の頭と手首が転がる。これがもし人間だったら、血飛沫によって処刑台の下は真っ赤に染まっていただろう。


 村人たちは目を白黒させたり息を飲んだりして慄いていたが、レミュザ氏だけは動じていなかった。


「確かに、間違いなく斬首できるようですね」


 むしろ、レミュザ氏の瞳は悦んでいるようにも見える。すぐにでも魔女を処刑できることに。


「ご紹介いただければ、我が祖国ガリアでもすぐに普及することでしょう」


 レミュザ氏は冷たい笑みを浮かべた。


「お気に召されたようで結構。さて本番と参りますか」


「先生、ちょっと待ってください!」


「なんだ。水を差さないでくれ」


 先生は本当に魔女を処刑するつもりなのか。


「先生はこんな……こんなもののためにわざわざ来たんですか!」


「こんなものとは失礼な。君たちの帰りが遅いから、こちらから出向いたまでだ」


「この村には魔女なんていません! すべて出鱈目です!」


 僕は村役場の地下牢へと向かおうとする先生の前に立ち塞がった。


「いい加減に黙りたまえ。……我々の死刑執行は一味違うというところを見せてやろう」


 それは僕が初めて見た先生の無感情な、無表情の顔だった。

 先生が合図すると、兵士の一人が僕を取り押さえた。


「貴方は悪魔だ!」


「悪魔も天使も魔女も神も関係ない。何故なら私は博物学者であり《迷信狩り》の調査官だから」


 そう言って先生は地下牢へと降り、項垂れたシャロルトと卯月を連れてきた。


「ところで確認したいのですが、さきほどの書類では私の助手たちは証拠不十分のようですし、釈放させていただいて構いませんか?」


「どうぞ、ご自由に」


「ありがとう。さて、あとは魔女の始末だけですな」


 先生は卯月の手を取って僕に歩み寄ってきた。


「いいか。これから何を見ても私の邪魔をするな」


 僕と卯月の耳元で先生は小さく囁き、僕たちを抱き合わせた。


「ここから先は私の仕事だ」


 そう言って踵を返すと、先生はシャロルトとともに断頭台の待つ処刑台へと上がっていった。

 処刑台の上でガストーニ牧師がシャロルトの魔女としての罪状を読み上げ、最後の祈りを捧げ始める。その声は震えを帯びており、なかなか聞き取れない。それに、先程から雨足が強まってきているように感じられた。


 牧師が聖句を唱えた直後、稲光が辺りを照らした。雷鳴に動揺しながら、村人たちは雨の中で指を組み、必死に祈り続けている。早く処刑を終わらせてくれと言わんばかりに、牧師も急ぎ足で処刑台から下りて断頭台の正面へと戻ってきた。そんな中で唯一人、レミュザ氏だけは真っ直ぐ断頭台を見つめ続けていた。


「全く……牧師殿もそそっかしいものだ」


 先生は村人たちを見渡しながら、シャロルトに近寄って言った。


「遺言があったらどうぞ」


 先生の言葉にも、シャロルトは沈黙したままだった。


 シャロルトの反応を確認すると、先生は晒し台にシャロルトの頭と手首を固定した。その顔と手はまるで血が通っていないかのように蒼褪めていた。だが、その(みどり)の瞳だけは僕たちの、いや、レミュザ氏の瞳を見つめ返している。

 その瞳は激しい怒りに燃えているように見えた。


 不意に先生が聖句を叫び、断頭台から紐を外した。

 無機質な摩擦音とともに、鈍く光る刃が晒し台に目掛けて垂直に落下する。一筋の眩い雷光とともに再び小さな地響きが起こり、刃が晒し台を貫いた。


 婦人たちが悲鳴を上げる。晒し台からは青白い手首が落ち、鮮血が噴き出していた。

 しかし、シャロルトの頭部は未だ晒し台の板に挟まれたまま、怒りを宿した瞳でレミュザ氏を睨みつけている。僕と卯月は呆然としたまま、断頭台を見ているしかなかった。


――何故、首が落ちない?


 直後、村が三度目の雷光に包まれると、恐慌状態に陥った村人たちは半狂乱になって処刑台の近くから逃げ出した。


「魔女だ! 魔女だ!」


 逃げる村人に押し倒されたレミュザ氏は泥に塗れながら、血の混じった赤黒い水たまりの中で叫んだ。


「魔女は間違いなく存在する! 彼女を見ろ!」


 レミュザ氏の叫びをかき消すように、村人たちは悲鳴を上げながら散り散りになって雨の中に消えていく。


「逃げるんじゃない! 魔女はここにいる!」


 断頭台を指差す彼の表情は荒ぶる狂喜に染まっていた。

 まるで念願を果たしたとでも言うように。


 気付くと、帝国軍と僕たち、そしてレミュザ氏を残して、辺りは誰もいなくなっていた。

 いつの間にかシャロルトは晒し台から抜け出し、処刑台を下りてきた。そして、泥だらけのまま水たまりに膝をつき、笑い声をあげているレミュザ氏に近寄って行った。


「お前のせいで、イレーンは……!」


「ハハハハ、魔女だ……! 魔女は、実在する! ハハハハ……!」


「この野郎!」


 シャロルトはレミュザ氏に回し蹴りを浴びせた。それでもレミュザ氏は笑いを止めない。


 僕たちの見ている前で、シャロルトは無抵抗のままのレミュザ氏に拳をぶつけ続けた。

 雨曝しになりながら、僕たちはその光景を見ているしかなかった。恐怖と狂喜と怒りの渦巻く中で、何が起きているのか分からず、僕と卯月は手を繋いで震えていた。

 理解を超えた状況に、ただ耐えるしかなかったのだ。


「シャロルト! もうやめて!」


 どこかに消えていた先生が傘を持ち、一人の修道女とともに戻ってきた。


「イレーン……?」


 シャロルトの手が止まった。


「ごめんなさい……。でも、私は大丈夫だから……本当にごめんなさい……」


 イレーンは自ら毒を煽ったものの、応急処置で一命を取り留めていた。シャロルトとイレーンはお互いに近づき、そして抱き合った。


「私だって……ごめん……」


 やがて雨が上がり、周囲に血みどろの水たまりだけが残った後も、二人の抱擁は終わらなかった。

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