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魔女狩り 十三 ~ 魔女の飛翔

 どうして、レミュザ氏は《迷信狩り》の調査において、魔女を結論に持ってきたのだろうか。

 どうして、レミュザ氏はそこまでして魔女に拘っているのだろうか。

 どうして、レミュザ氏は魔女を狩ろうとするのか。


 僕は彼の目的に関する疑問が頭から離れなかった。小さな修道院の一室で、窓から星々を眺めながら考える。松明の灯りすらもない村の中から見る星々は、いつにも増して意味深な輝きを感じさせる。


 いや、どうしても、そうする必要があるのではないだろうか。それが彼の矜持であり、調査官としての正当な調査よりも優先すべき事柄なのだ。

 彼は言っていた。自分はガリアで異端審問官として働いており、今もその資格を有していると。


 確証はないが、しかし、その矜持に繋がる何かがあるはずだ。そうでなければトードルを殺してまで、魔女の疑惑を強める必要はない。このような村の騒動を、そこまで大きくする意味があるとするなら、彼自身にとってはよほど重要なことなのだろう。


 しかし一方で、今このようなことを考えるのは、自分の立場の虚しさを紛らわせるだけにも思えた。シャロルトとともに牢に繋がれた卯月のことは勿論、心配だった。だが、恐慌状態の村人たちは既にレミュザ氏の言いなりで、こちらの意見など耳を貸しそうにない。何もできない焦燥感を抑えるには、ただ考え続けるしか術はなかった。


 静かな夜だった。

 夜の帳の下、獣の鳴き声すら聞こえない。静寂の中で思考を遮るものは何もなかった。


 修道院の窓からは、月明かりに照らされた村の通りが見える。通りの先では、村役場と牧師館、そして教会堂の影が伸びている。


「そうか……!」


 夜の星々を眺めているうちに、僕の中で一つの閃きが浮かんだ。

 磁力だ。レミュザ氏が魔女の力を試すと言った時に、彼は女性の手を取って自分から動かしていた。その際、魔女の疑惑をかける相手の時だけ、磁石を隠し持っていたのだ。小魚に砂鉄を飲ませておけば、磁石を使って誘導することができる。


 シャロルトが直接、手を触れずに小魚を動かしたのも、魔力などではない。これもライデン瓶の時と同じく単なる小細工だ。彼は小魚を子供に持ってこさせていたが、それは自ら用意したものを、さも他人が用意したと思わせるための演出だろう。


 僕がもっと早く気付いていれば、こんなことにはならなかったのかも知れない。

 しかし、全ては遅きに失した。レミュザ氏は先生と違い、誠実さという仮面によって狡猾にシャロルトを追い詰めていた。これまでも、何度も同じように異端審問官の立場を利用してきたに違いない。


 僕の後悔がつまらない独り言に変わろうとしたその時、外から男の悲鳴が聞こえてきた。それはあまりにも突然だったが、牧師館のほうから聞こえたように思えた。


「一体なんだ……」


 僕が夜空から牧師館へと視線を移したその時、牧師館の窓に黒い影が見えた。


 僕は幻覚でも見ているのか?

 隣の部屋から悲鳴が上がる。部屋にはイレーンがいるはずだ。彼女も今の黒い影を見ているとすれば、これは幻覚などではない。


 僕の見ている前で、黒い影は牧師館の屋根から飛び立ち、流れ星のように宙を舞った。


――魔女の飛翔


 月明りで黒い影が照らされ、燃えるような赤毛の頭が見えた。この村で赤毛の者は、シャロルトしかいない。


 魔女は牧師館から一直線に飛び、村役場の影へと消え去った。それは一瞬の出来事だった。


「イレーン! いるなら開けてくれ!」


 僕は部屋の扉を必死で叩いて隣のイレーンを呼んだ。嗚咽交じりの泣き声を漏らしながら、イレーンが僕の部屋の扉を開けた。


「あれは……あの影は……」


「あれは、きっと何かの間違いだ。早く調べに行かないと。僕は行ってくる」


 僕は(すが)りつくイレーンを宥めながら、彼女を置いて駆け出した。修道院の廊下では、イレーンの他にも魔女の飛翔を目撃したと思しき修道女たちが、お互いに手を取り合いながら、恐怖に凍り付いた顔で祈りや聖句を口にしていた。


 僕は彼女たちを押し退けながら牧師館へと向かった。牧師館にはガストーニ牧師がいるはずだった。彼の身にも何かあったのかも知れない。


 牧師館の扉は鍵がかかり、固く閉ざされていた。


「ガストーニ牧師!」


 呼びかけたが、返事はない。こうなれば仕方ない。僕は扉に体当たりした。

 何度目かの体当たりの後、錠が外れ、扉が開いた。


「牧師……」


 牧師は扉に背を向けたまま、暖炉の前に立ち尽くしていた。


「……」


 ゆっくりと牧師に近づく。


「どこもかしこも……魔女ばかりだ……」


 消え入るような声で、牧師が呟く。


「お前もきっと、そうなのだろう」


 突如、振り返った牧師は火掻き棒を手に、僕に突進してきた。その目は虚ろで、正気を失っているようにしか見えない。


「やめてください! 牧師!」


「私は見たぞ! 魔女め、魔女の仲間め!」


 僕は牧師の手から火掻き棒をもぎ取り、彼を突き飛ばした。牧師はテーブルにぶつかり、倒れた杯から血のようなワインが溢れ出した。


「何をしている!」


 騒ぎを聞きつけた村人たちが牧師館に入ってきた。

 火掻き棒を手にした僕と赤ワインに濡れた牧師を見た村人は、すぐに事態を勘違いしたようだった。


「違う!」


 僕は火掻き棒を取り落とし、両手をあげて首を横に振った。村人たちは恐れに満ちた表情を浮かべたまま、それ以上近寄ってこなかった。


「何の騒ぎですか」


 村人たちをかき分け、レミュザ氏の落ち着いた声が近づいてきた。


「こ、この男が牧師を……」


「違います! 牧師は正気を失っていて、僕が襲われたんです」


 レミュザ氏は全員に動かないように命じ、倒れていた牧師を助け起した。


「牧師。一体、どうなさったのですか?」


「ま、魔女が私の家に……私に呪詛をかけてきて……」


 焦点の定まらない目であらぬ方向を指差しながら、牧師はたどたどしく答えた。


「これは……」


 レミュザ氏が牧師の手を取ると、その指には赤い髪の毛が絡みついていた。


「シャロルトのもので間違いないでしょう」


 レミュザ氏は村人たちに確認させるように赤毛を掲げた。


「牧師は幻惑されていたのかも知れない。魔女の薬によくあるものです」


 レミュザ氏は後で解毒剤を用意すると言って、牧師をベッドに寝かせるように村人に指示した。


「修道女たちが、牧師館から飛び立つ魔女を見たと言っています。もしかしたら、屋根裏に何かあるんじゃ……」


 村人の一人が震えながら述べた。


「私が見てきましょう。皆さんはそのまま待っていてください」


 レミュザ氏は一人で屋根裏へと向かった。残された村人たちは僕を取り押さえようともせず、ただ恐怖に打ちのめされているようだった。

 この小さな牧師館で何が起こったのか定かではないが、レミュザ氏が調査を主導する以上、すべてが魔女に帰結していくように思えた。


 少しの間の後、レミュザ氏が階段から下りてきた。


「屋根裏への扉には鍵がかかっていました。牧師館の他の扉はどうでしたか?」


 村人たちが無言で僕に視線を移す。


「牧師館の扉には鍵がかかっていました。僕が壊して入るまでは……」


「なるほど。牧師館は君が来るまで密室だったというわけだ。……カミル君?」


 レミュザ氏は確認するように僕を名指しした。

 扉の壊れた牧師館に勝手に人が出入りしないように何人かの村人に見張りを頼むと、レミュザ氏は今度は村役場の地下牢へと向かった。


「カミル君。君もついてくるんだ」


 レミュザ氏に率いられ、集まっていた村人たちも地下牢へと向かった。村役場にも当然、鍵がかけられており、誰かが出入りした形跡はなかった。真っ暗な地下牢までレミュザ氏とともに下ってきたのは僕だけだった。


 二つの地下牢では、それぞれ卯月とシャロルトが粗末な(こも)の上に伏している。


「卯月!」


 僕は思わず卯月に声をかけた。どうやら、彼女はただ眠っているだけのようだ。


「牢には鍵がかかっている。到底、出ることは不可能だ。尋常な業では」


 レミュザ氏は地下牢の鍵を確かめながら、僕にも聞こえるように呟いた。


「誰か別の人間が、シャロルトを陥れるためにやったんです」


 僕はレミュザ氏が結論を下す前に反論した。


「君も修道院にいたのだろう。だったら、修道女たちと同じように見ていたんじゃないか?魔女の飛翔を」


「それは……」


「尋常ならざる事実を受け入れることもまた学徒に必要な態度だと、私は思うがね」


 レミュザ氏は静かに寝息を立てているシャロルトを見下ろしながら言った。

 地下牢の二人は眠っているだけだった。きっと、牧師館で起こったことも、魔女の飛翔も知らないはずだ。


「このようなことが起こったのは、やはり魔女の仕業と言わざるを得ない」


 地下牢を後にすると、慄く村人たちの前でレミュザ氏は高らかに宣言した。

 まだ、そのように決まったわけではない。しかし、どんなに反論しようとも僕に主導権はなかった。

 言えば言うだけ、僕たちに対する疑惑は深まっていく。魔女を擁護しているのだと。魔女の仲間だからと。


 レミュザ氏が解散を促した村人に交じって、僕は修道院へと戻った。

 この状況を、一体どのようにイレーンに伝えればよいだろうか。僕はイレーンの部屋の前で立ち止まった。扉は開いたままだった。


「イレーン? ……」


 僕が視線を床に落とすと、彼女は俯せに突っ伏したまま、身動ぎ(みじろ)もしていなかった。


「イレーン!」


 彼女を抱き起こす。か細い息が止まりつつあった。

 彼女の傍らには書き置きと小さな薬瓶が落ちていた。


「誰か! 誰か来てくれ! 早く!」


 僕はあらん限りの声で叫んだ。



***



 翌日、僕はイレーンに代わって地下牢へと食事を運んだ。

 イレーンの書き置きはシャロルトに宛てたものだった。その内容は分からない。

 シャロルトは渡された書き置きを読みもせず、(みどり)の目を絶望で満たしただけだった。


「シャロルト……」


「何も言わないで」


 くすんだ赤毛で顔を覆い隠すように俯き、シャロルトは沈黙した。


「卯月、昨日の夜に何か変なことはなかった?」


 僕は食事を渡しながら、卯月に尋ねた。


「いえ……何も。シャロルトと少し喋って、あとは寝てた」


 やはり卯月は何も知らないようだった。


「何かあったの?」


「牧師が誰かに襲われて、その時、魔女が空を飛ぶところを皆が見たんだ」


「……そう」


 卯月が力無く頷いた。


「ごめん。こんな目に遭わせて……」


「カミルのせいじゃないよ。それに、話し合っておいたでしょ?」


 確かに卯月の言う通りかも知れない。しかし、このまま何もしないままであれば結末は決まっている。

 これはレミュザ氏からの最終通告なのだろう。ガストーニ牧師の体調が回復したら、恐らくレミュザ氏はシャロルトを処刑するように促すはずだ。

 村のことを二の次にしている牧師も、自分自身の安全を考えればそうせざるを得ない。そうなれば、すべてが終わる。


 僕が修道院に戻ると空模様が次第に怪しくなり、やがて大粒の雨が大地を打ち始めた。

 雨はそれから降り止む気配を見せず、村全体を濡らし続けた。きっと悪魔が魔女の火刑を阻もうとしているのだと、修道女の一人は言った。


 火刑が止まるのならば、悪魔にだって祈ってやる。僕はただ祈り、待つしかなかった。

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