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魔女狩り 十 ~ 焼け跡

***



 翌朝になるまで、僕たちは火事になった納屋の鎮火を待った。日が昇り始めるまで、近くで待っていたのは僕と卯月、それにレミュザ氏だけだった。

 火の手は周囲に広まることなく、無事に火事は収まったが、死体の姿が頭から離れない。この痛ましい火事は、本当に魔女の仕業だと言うのだろうか。


 炎上した納屋は村の共有施設であり、誰でも出入りできたという。しかし、だからこそ特定の誰かが監視していたというわけでもなく、利用は村人の自由だった。鎮火して煙の収まった納屋の扉を開き、僕たちは内部を伺った。

 昨晩に見た時から、黒く焼け焦げた死体はそのままだった。


 僕は口元をハンカチで抑えながら、死体へと近寄った。死体の上半身は酷く損傷していたが、その簡素な衣類は間違いなく修道服だった。僕は恐る恐る、さらに死体の様子を確認した。顔の部分をよく見ると、そこには黒く炭化した何かがへばり付いている。


 屍人形の仮面だった。

 死体は、初めから死んでいたのだ。身体を焼かれながらも、風に吹かれる旗のように、惰性で納屋の中を彷徨っていたのだろう。そして、血管を流れる霊媒が焼き尽くされ、屍人形は二度目の務めを終えたようだった。


 僕が安堵しかけたその時、納屋の奥を調べていた卯月が声を上げた。


「来て! 誰か、死んでる……」


 死体は一つだけではなかった。無残な焼死体がもう一つ、汚れた納屋の床に横たわっていた。


 焼死体の周囲には、足踏み式の脱穀機や、穀物袋、ガラス片、横軸を折られた双十字架が散乱している。どれもこれも焼け焦げて壊れかけ、無事なものは一つとして無い。

 しかし、あまりにも雑然としていて、誰かがわざとこのような状況に作ったようにも見えた。まさか、これらも魔女の、魔術や秘儀に関係しているのだろうか。


「屋根に穴が開くほど、燃焼が激しい。出火元はこの辺りのようだ」


 レミュザ氏が焼死体の周辺を見渡しながら言った。


「崩れるかも知れないから、あまり近寄りすぎないほうがいいだろう」


 そう言って、彼は卯月を焼死体から遠ざけようとした。


「待って」


 卯月はレミュザ氏を振り切り、焼死体と周囲の残骸を調べようとした。レミュザ氏は何も言わず、離れた位置から彼女を厳しい眼差しで見つめている。横軸を折られた双十字架を見るに、これも魔宴(サバト)に近いものなのかも知れない。


 焼死体の焼け残った衣服を見ると、村人の誰かのように思える。卯月はうつ伏せになっていた焼死体が顔を向けている方向に回り込んだ。そして、その顔を覗き込んだ。


「……」


 卯月は無言で焼死体を転がし、その半分焼け爛れた顔を僕たちのほうに向けた。灰で薄汚れていたが、その顔は間違いなくトードルのものだった。今も目を剥き、恐怖で硬直した表情がそこにあった。僕は死体を見下ろしたまま、何も言えなかった。


 卯月はトードルの死体から離れ、壊れた脱穀機に引っかかっていた穀物袋を手にとった。


「砂糖……」


 彼女は穀物袋の内側に残った僅かな粉を指先にとって、小さく呟いた。

 何故、砂糖が?


 製糖施設もない村で、砂糖を作れるはずがない。誰かが、納屋に置いていたのだろうか。しかし、高級な嗜好品の砂糖を、共有の納屋に置くなんてことがあり得るだろうか。たかが砂糖だが、その存在はあまりにも不審だった。


 穀物袋が引っかかっていた壊れた脱穀機に目を移すと、これにも奇妙な点があった。本来、麦穂の殻を取り除くために設けられている突起を埋めるように、焼け焦げた何かの残骸が挟まっている。そして、そこにも、穀物袋のものと同じ砂糖と思しき粉が付着していた。まるで、脱穀機で砂糖を掻き出していたように見える。


 突起の上に粉がついているということは、脱穀機を逆に回転させていたのだろうか。しかし、何故そんなことをしたのか。火元になるようなものは見当たらないし、脱穀機の状態も、砂糖と脱穀機の関係も、その目的も全く不明だ。魔宴(サバト)で、わざわざこんなことをする必要があるとは思えない。


「さあ、彼を運び出そう。手伝ってくれ」


 レミュザ氏がトードルの死体を指差して言った。

 僕とレミュザ氏は、二人で納屋の外へと死体を運び出した。そして、村人に頼み、死体を教会へと運ぶために荷車と馬を用意させた。


 用意された荷車にトードルの死体と屍人形を乗せ、僕たちは教会へと向かった。荷車とすれ違う村人は目を逸し、口々に魔女の呪いだと言って、祈るように手を組んでいた。僕たちの(おぞ)ましい行進が教会に到着する頃には、村全体が、いよいよ魔女の影に怯えているように思えてきた。


 ガストーニ牧師はトードルの死体を見て驚愕し、次いで屍人形を見て、蛇蝎(だかつ)のごとく嫌悪する態度を顕にした。


「彼はこちらで引き取りましょう。しかし、それは修道士(フラ)ヘンリクに処理をお願いしたい」


 ガストーニ牧師はレミュザ氏に、トードルの死体を葬る次第を手伝うように頼んだ。そして、一方で早く片付けろとでも言わんばかりに、屍人形を使徒派の修道院に届けるよう、僕たちに言い渡した。


 同じ死体でも、これほど扱いに差が出るとは。改革派はやはり屍霊術とは相容れないようだった。

 僕たちは重い足取りで馬を引き、未だに異臭を放つ死体を乗せた荷車を修道院へと向かわせた。


 修道院に到着すると、既にトードルの不幸を耳にしたのか、渋い顔の修道士(フラ)ヘンリクが出迎えた。


「まさか、このようなことになるとは……」


 修道士(フラ)ヘンリクは屍人形を前にして十字を切り、祈りを捧げた。


「屍人形は、どうして納屋にいたんでしょうか?」


「昨日、トードルが屍人形を借りたいと申し出てきました。急なことでしたが、断る理由もありませんでしたので。この屍人形以外はすべて修道院におります」


 老修道士はゆっくりと語った。


「ただ、歩かせるだけでいいと言って、鐘も一種類だけ借りていきましたが、彼が何をしようとしていたのかは存じません」


 眉間に皺を寄せた修道士(フラ)ヘンリクは、本当に何も知らないようだった。トードルは納屋が焼ける前に、屍人形を持ち出して、そこで何かをしていたのだろうか。

 焼けた屍人形を修道士(フラ)ヘンリクに預け、僕たちは(わだかま)りを抱えたまま、マルギトの居酒屋へと戻った。



***



 その日から、シャロルトへの非難はより過酷なものになった。村人たちは彼女を平然と魔女だと罵り、これ以上の危険が及ばないように、村役場の地下牢に閉じ込めるように訴え始めた。

 火元も火薬もないのに、爆発が起こって納屋が炎上したのは確かに不思議だった。しかし、それがシャロルトの、魔女の仕業だと考えるのはあまりにも早計だと思われた。


 少なくとも、薬を購入するために町に出ていたアデーラにはこのようなことはできそうにない。

 僕たちと一緒にいたマルギトにも不可能だ。

 残るはシャロルトとイレーンだが、二人はその時間、修道院の自分たちの合い部屋にいたと証言した。


 しかし、村人たちはシャロルトとイレーンの証言を信じようとはしなかった。イレーンは魔術で惑わされて嘘を吐き、シャロルトの犯行を隠そうとしているに違いないと。もはや、誰もが魔女の恐怖に混乱し、ヒステリーに陥った村で、シャロルトを擁護できる者は残っていなかった。

 レミュザ氏を始め、僕たちは彼女の拘束に反対したが、トードルの死の前では、調査官と言えども無力だった。


 翌日にはガストーニ牧師の裁定で、シャロルトは地下牢へと繋がれることになってしまった。ただ一人、イレーンだけは最後までシャロルトに付き添おうとしたが、それは無駄な抵抗だった。結局、シャロルトは一人で地下牢の独房に入ることになった。


 そこは冬場であれば凍死の危険もある、冷たく澱んだ石造りの牢だった。床は石や岩の除かれていない土のままで、天井近くの小さな換気口からは泥水が漏っている。

 暖かい春季だから良いものの、きちんと世話をする人がいなければ、囚人はすぐに衰弱するだろう。だが、予想通りと言うべきか、シャロルトの世話を買って出たのも、イレーン一人だけだった。


 最早、調査には一刻の猶予も無さそうだった。このままでは、シャロルトは魔女として処刑されかねない。

 しかし、子供の死も、シャロルトの魔女の疑惑も、トードルの死も、何もかも分からないことばかりだ。僕は手詰まりに近い不穏な状況に打ちのめされかけていた。


「ちょっと良いかい?」


 役場の近くで黄昏れていた僕に、レミュザ氏が声をかけてきた。


「あまり調子が良くないようだね」


 レミュザ氏はこのような状況でも、僕を不安にさせないためか、日頃の快活さを伴って尋ねてきた。


「いえ……あまりにも気になることが多すぎて……」


「正式な調査官ではない君が、そこまで心配することではないよ」


 レミュザ氏は僕の肩を軽く叩いた。


「ただ、先に言っておかないといけないことがある」


 レミュザ氏の眼差しは真剣なものになった。


「私はガリアにいた頃、異端審問官として働いていた。そして、今もその資格を有している」


 その告白はあまりに唐突で、残酷な結末を予測させるものだった。


「私は、できれば自分の権限を行使したくないと思っている。しかし同時に、村を脅威から守る義務もあるんだ」


 レミュザ氏の精悍な顔付きは、既に覚悟を決めた者のそれだった。それは、もしこれ以上、何かあれば、真に魔女狩りを行うということを意味していた。僕はレミュザ氏の言葉に、ただ頷くことしかできなかった。


 レミュザ氏が去っていた後も、僕は暫く考え込んでいた。こんな時に、もしも先生がいてくれれば。

 そう思いながら、自分の不甲斐なさを呪った。


 ちょうどその時、カーロイ家の紋章を掲げた郵便馬車が村にやって来た。定期便ではないようだが、今日も誰かに手紙があるのだろう。

 馬車から現れた郵便夫は、しかし、僕に向かって真っ直ぐ歩いてきた。威圧するように帯剣した郵便夫の姿は、ただの郵便夫ではなく、伯爵直属の武装郵便隊であることを、すぐに思い出させた。


「ミシェル・ワーズワース様の助手の、カミル様ですね?」


「ええ。そうですけど……」


「ワーズワース様からお手紙をお預かりしております。どうぞ」


 そう言って、郵便夫は二通の封筒を僕に手渡し、すぐに去っていった。

 よほど危険な、喫緊の状況下でなければ、エリートである伯爵直属の武装郵便隊が動くことはないと思っていた。

 それが、今、自分の前に現れたことに驚き、僕はその場で封筒を開くことを躊躇った。

 僕は封筒を上着に仕舞い込み、急いで居酒屋の屋根裏部屋に帰ることにした。

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