魔女狩り 二 ~ 瀉血
ゼレムの村で火事を目撃した日から遡ること六日。僕と卯月は郵便馬車を乗り継いで、町々の郵便局から辻医者の調査を開始した。
郵便局を行き来する郵便夫を中心に、村人から旅人まで、あらゆる人から聞き取りを行った。
どこかで辻医者の一行を見なかったか。
いつ頃、辻医者の一行を見たのか。
辻医者の一行は何をしていたのか。
中には金銭を要求する者や、見知らぬ余所者に口を閉ざす者もいたが、それらは想定される事態だった。そのような場合に、僕たちが取り得る手段は一つしかなかった。
諦める。それだけだ。しかし、めげずに聞き取りを行っていくうちに、ある程度、辻医者の情報が集まってきた。
彼らはヴァルド市の周辺から、徐々に東のクルジュヴァール市へ向かい、移動しているようだった。その道程は、あえて寄り道をしているとしか考えられないものだった。そうした寄り道の理由は、彼らの言う《使命》に関係しているように思えた。
彼らの行動パターンは概ね、町村を訪れて宿泊する代わりに、病人を無償で治療するというものだった。治療の内容は外科手術から薬の処方まで、何でもありというのが実態だ。その上で、彼らはどこでも必ず瀉血を実施していた。
瀉血は現在も、地域や階級を問わず、万能の治療法としての地位を保っている。出血量を制御するために動脈に近い部位を包帯で縛り、患部を乱切刀で切って血を抜き出す。最も地味なものでは以上のような手順で血を抜くが、医師によっては専用の器具で肌を滅多切りにすることもあると聞いた。いずれにしても、血を抜く以上、身体を傷つけることは避けられない。
しかし、帝都の大学の医学部では、瀉血によって別の感染症にかかったり、血を抜き過ぎて死亡したと考えられる症例も発表されていた。また、解剖学者たちが病巣になった臓器を突き止めるようになると、体液ではなく、体組織にこそ病気の原因があるという説が広まり始めた。
要するに、かねてより唱えられてきた四体液説、体液のバランスによって体調が変化し、病気に至るという体液病理説は否定されつつある。
だが、それでも長年の伝統を覆すには至っていない。未だに多くの人々は瀉血を望み、その効果を期待しているのだった。体内の血液が循環していることを裏付ける論文が発表されているにも関わらず、だ。
医師たちも、自分の稼ぎの種をあえて否定することはなかった。
辻医者が無償で治療してくれると言うのだから、町村の人々はこぞって瀉血に臨んでいたようだ。何かと理由をつけて身体の不調を訴え、血を抜いて体液を調整してもらう。辻医者としても、そこに何らかの目的があるようで、必ず瀉血を施していく。彼らは死に至るほど血を抜く真似はしていないようだったが、それでも可能な限り多くの人から血を抜いていた。
まるで、血を集めているようだ。
話を聞いた郵便夫の一人は言った。
確かに、瀉血というよりも、辻医者は抜き出した血に興味があるのかも知れない。しかし、やはり理由は不明なままだった。
「なんか不気味」
町から村へと繋がる街道を歩いている時、卯月がぽつりと呟いた。
「もし血を集めてるってことは、何かに使うってことでしょ?」
使うと言っても、そこからは血腥い光景しか想像できない。
かつて、ジェピュエル総督府が公国だった時代、ある女貴族は処女の血を集めていたという。そして、自らの美貌のためと信じて、血の風呂に浸かっていたのだとか。
浴槽を血で満たすため、何人もの生娘が殺されたと言われているが、昔の話なので真相は謎だ。しかし、血の使い道と言っても、僕の知識では、こうした非科学的な目的しか思い当たらない。
「血そのものを使う方法がわからないな。瀉血が、何かの手段であることは間違いなさそうだけど」
僕は頭を掻いた。
「血を集めるだけじゃなくて、調べてるんじゃないかな。血の……調査」
それは確かにあり得る話だ。
彼らは血を調べて、その成果をクルジュヴァールの学舎に持ち帰ろうとしている。それが《使命》なのだと考えれば、納得できる。
しかし、血の調査とは、その目的は何なのだろう。考えれば考えるほどに、次から次へと疑問が湧いて出てくる。
考えているうちに、次の小村へと到着した。
既にアルデラ伯領から外れて、ジェピュエル総督府に入り込んでしまっている。村長に通行許可証と司教の特許状を提示すると、一応、村での活動を認めてくれた。しかし、村長の表情は面倒事を心配している、硬いものだった。
これまでと同じように一軒ずつ、家を訪ねて辻医者について聞いて回る。しかし、辻医者の一行について答える者はなかなか見つからなかった。まさか彼らとすれ違いになっているのではないかと不安になる。
そんな中で、尋ねた村人の一人が、いかにも鬱陶しいという素振りで答えた。
「それなら、アンタルの爺さんに聞いてみなよ」
老アンタルの家は寂れた村外れにあった。
「御免ください」
僕は家の戸口から呼びかけた。反応はない。
「どなたかいませんか?」
僕は再度、家に向かって声を張り上げる。
「留守かな」
「でも、鍵は開いてるみたい」
卯月は扉に手を掛けた。
「アンタル……さん?」
ゆっくりと扉を開き、彼女は中を覗き込んだ。その時、卯月の腕を、骨張った手が掴んだ。
「おお! 我が孫娘や! ヨハンナ! どこに行っておったのだ!」
卯月の腕を無理やり引っ張り、老アンタルは家の中へと引き入れようとした。
「ちょっと、何?」
卯月が困惑して老アンタルの手を振り解こうとした。
それでも、老アンタルは耄碌しているようで、卯月を自分の孫と勘違いしているようだった。
「落ち着いてください。アンタルさん、彼女は貴方の孫娘じゃありません」
僕は老アンタルの肩を掴み、卯月から引き離した。
「何をする! お前は誰だ! 連中の仲間か!」
老アンタルは僕の態度に興奮し、喚き散らした。しかし、卯月の姿を見据えて、ようやく人違いであることに気付いたらしかった。
「おお……うう……」
老アンタルは呻き、尻込みして壁にもたれかかった。
「どうなさったんですか?」
「あの連中が……薄気味悪い鴉どもが……」
老アンタルは充血した目から涙を流しながら呟いた。
「ヨハンナを連れて行った……」
そう言ったきり、老アンタルはただ項垂れて沈黙してしまった。
「鴉どもって……」
卯月が僕を見上げた。
「鴉みたいな恰好をした連中ってことかな」
そうだとすれば、辻医者の一行が、彼の孫を攫っていったということだろうか。しかし、何のために。なんとか老アンタルを落ち着かせ、椅子に座らせると、僕は事情を聴こうとした。
「今更、話して何になる? お前たちがヨハンナを取り返すとでも言うのか?」
老アンタルはそれでも、愚痴めいた口調でいくつか事情を話した。
辻医者の一行はやはり村人たちに瀉血を行っていたこと。そして、息子夫婦が孫娘を辻医者の一行に売り払ったということ。老アンタルの視点からは、辻医者の一行は邪悪な人攫いという評価を下されていた。
一般的に考えて、人買いなんてことが許されるわけがなかった。農民たちは領主の許しがなければ、勝手に転居することすらできないのだ。
しかし、どういう権威の後ろ盾があるのか、辻医者はそれすら可能だったようだ。彼らの正体について、ますます謎が深まる。
ここに来て、僕は辻医者について深入りし過ぎているのではないかと思えてきた。関わり合いになるべきではない存在。禁域とされているクルジュヴァールの学舎の秘密に触れてしまうのではないか。そこまでして調査する価値があることなのか。
この不幸な老人には申し訳ないが、僕にどうにかできる問題ではない。老アンタルの家を後にして、僕がそのように考えていた時、卯月が口を開いた。
「今、もう止めようって思わなかった?」
彼女の言葉に息が詰まった。
「相手は人間。怪現象じゃない」
卯月が僕の目を見据えて言う。
「人間のほうが、よほど恐ろしいものだと、僕は思うよ」
僕も取り繕うつもりは無かった。
すべての迷信や怪現象が取り払われた時、残るのが人間の正気だけだとは思えない。科学の啓蒙は重要だが、それを支える熱狂が必ずしも正しいとは限らないだろう。
「だから、もう少し慎重に調査したい。そう思っただけだよ」
卯月は僕の言葉に頷いただけだった。
彼女は、僕の言葉の裏に臆病さを感じ取ったかも知れない。だが、それでも構わない。元から、これは正式な調査ではないのだ。僕はそうした後ろめたい態度を、むしろ正当化しようとしていた。
「それじゃ、次の場所で終わりにしよっか。それで一旦、ヴァルド市に戻る」
卯月は僕の恐れを察したようで、調査の方針を切り替えた。クルジュヴァールまで向かわずに、調査を切り上げる。僕は無意識のうちに胸を撫で下ろしていた。
辻医者の一行について聞いて回って、既に三日目。念入りと言えば聞こえは良いが、時間を無為に費やしているようにも感じ始めていた。
「ごめん。ただ、何かあった時に、僕も卯月を連中から守れる自信がないんだ」
僕は先に進む卯月の後ろ姿に向かって言った。
「いいよ。元々は私が言い出したことだし。付き合ってくれてありがとう」
卯月は振り返って答えた。失望とも諦念とも異なる、やはり素っ気ない表情のように見えた。
しかし、僕自身が頼りないことは、最初に彼女と出会った時から変わっていなかった。
僕たちは町まで戻り、郵便局で郵便馬車の定期便が到着するのを待った。
その時、待機していた御者の一人が声をかけてきた。
「あんたら、噂になってる怪現象の調査官ってやつだろう?」
「ええ、一応、その調査官の……助手です」
「だったら、早くゼレムの村に行ってやりなよ。あそこの村で皆、首を長くして待ってるらしいから」
何の話かはわからないが、ゼレムの村なる場所で調査官を待っている人がいるらしい。
「はい、どうも……」
僕はとりあえず話を合わせておいた。
しかし、御者はそれを肯定と受け取ったようで、頷くと事務所の引き出しから手紙を取り出してきた。
「それじゃこれ。持って行ってな」
「え、ちょっと……」
「こっちはちゃんと渡したから。よろしくな」
御者が勝手に僕に手紙を託したちょうどその時、郵便馬車がやってきた。もたもたしているわけにも行かず、結局、僕は手紙を持たされたまま、郵便馬車に乗ることになってしまった。
どうにもまた面倒事に巻き込まれてしまったように思う。どうせ次で辻医者の調査も最後なのだからと、僕は諦めにも似た気持ちで、鍵のマークの封蝋が押された手紙を急いで鞄にしまった。
「良かったの?」
卯月が不安気な表情で聞いてくる。
「なんだか分からないけど、別の調査官がいるみたいだし、手紙を渡すくらいだったらいいかなって」
「これって、盗んだことにならないのかな……」
そう言われればその通りである。
しかし、今更、郵便馬車を止めるわけにも行かない。とにかく、ゼレムの村で降りる以外に道は無さそうだった。




