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亡者狩り 八 ~ 巡察

※(作者)念願の卯月視点回です。

***



「……行ってくる」


「ああ、頑張ってきてくれたまえ。司祭殿、卯月をよろしくお願いします」


「ええ、それでは行って参ります」


 先生に見送られ、私は司祭様とともに馬車に乗った。


 先生とカミルが《火の試練》について調査を進めている間、私は巡察に出向いた。司教様はすぐにでも《火の試練》に受けて立つと言っていたが、先生は調査の安全を優先していた。司教様が怪我をしないように、そして、ローベルト師の正体を暴くため、《火の試練》が成功した理由を探るという。


 先生たちが《火の試練》に集中している間に、私は巡察を通して情報を集めておくことになった。司祭様とともに、ヴァルド市から馬車で数十分程度の距離にある、いくつかの町村を訪ねる。


 市壁の外にあるのは、夢に見るまで憧れてきたアルデラ伯領の風景だった。これまで生活してきた庭師小屋と庭園とは、比べ物にならない広い世界。南西の平地には木々がなく、草原がどこまでも広がっている。小さな町村には耕作地や作業小屋、教会堂があり、素朴な日常があった。


 春は畑仕事の季節だった。どの農村でも耕作地に種を蒔き、秋の収穫まで作物を育てる。枝を編んだ垣根によって畑は三種類の区画に分けられ、男も女も農作業に励んでいる。育ちつつある小麦、燕麦の種蒔き、そして家畜の放牧と、どこでも同じ農地が広がっている。


 陽を豊富に受ける丘陵には葡萄畑が広がり、農民が葡萄の木に支柱を取り付けている姿が見えた。村の共有耕作地では、年貢に取られない果樹が植えられ、小さな蕾を付けている。


 ずっと庭園で過ごしていた庭師である私にとって、大規模な農業を見るのは初めてだった。それは町村で団結して行う共同作業であり、園芸と比較して、合理化された事業だった。


 珍しい植物の栽培には、石灰や堆肥を用いて土壌を改良するなど、小さな工夫が必要だった。しかし、町村の耕作地では、そんな細かいことは気にしていない。毎年、繰り返し繰り返し行われる農作業は、農民の身体に染み付いた習慣なのだ。


 そうした習慣は教会での礼拝や、巡察の対応も同様だった。


 司祭様と修道服を着た私が村を訪れると、町長や村長が出迎えに現れ、教会堂や牧師館へと案内する。多くの教会堂は古く小さいもので、ヴァルド市のそれとは比べ物にならない。それでも、住民たちはできるだけ設備を保とうと努めていると弁明した。


 彼らは農作物の出来を報告し、年貢の負担と教会堂の維持を両立することが如何に難しいかを語った。この冬は葡萄が凍るほどだったとか。代官に依頼した材木の調達が遅れているとか。周囲の村では小麦の出来が悪く、ヴァルド市から購入する必要があったという話も聞いた。しかし、市は小麦を融通すると言っておきながら、結局、小麦は届かなかったらしい。


 司祭様が真摯にそれらの話に耳を傾けている間、私はその内容を記録に残していった。時には聖具である水差しを勝手に行商に売ってしまったり、燭台が壊れていたり、問題もあった。金を捻出するのに、ヴァルド市で市場が開かれるまでの間、備品の調達は待つということで話は決着した。普段は司教様に対して手厳しい司祭様も、俗人にはそうした厳格さを求めないようだった。


 市場がどのような様子なのか、私には想像もつかなかった。会話を聞く限りでは、町村からは農作物を持ち込み、それを都市の手工芸品に替えるらしい。ヴァルド市に戻ったら市場を見に行けないか、先生に聞いてみよう。


 住民からも日常生活の様子について話を聞く。彼らの話は概ねすぐに思い至る農作物の出来と、時折、通過する帝国軍の駐屯や旅人の話が主だった。


「そういえば、最近、辻医者の一行が村に来たのです」


 赤子を抱えた女は語った。


「辻医者?」


「彼らは旅の途中で、西のエーテルダムから来て、ヴァルド市を通ってきたそうです。ジェピュエル公国のクルジュヴァールに行くのだとか」


 女は今、ジェピュエル公国が総督府になっていることを知らないようだった。私も西のエーテルダムやらクルジュヴァールやらの位置が分からないので、似たようなものだが。


「彼らは何かしていきましたか?」


「無償で病人を看て、治療をしました。皆、親切でした。彼らは主が遣わせたという者までいました」


「確かに、殊勝な者たちもいるものですね」


「はい。辻医者は礼の品も受け取りませんでした。ただ、必要なことをしているだけだと言って……。まだ、この辺りを周っているようです」


 赤子が泣き出し、会話は中断した。


「なるほど……分かりました。お話、ありがとうございます」


 司祭様は丁寧に礼を述べ、その村での巡察を終えた。


 町村から町村までの移動の間、馬車の中で、司祭様は教会とその教義について私に聞かせた。

 主は唯一の存在であること。人は死を迎える時、それまで行いによって裁かれ、天国あるいは地獄に行くこと。たとえ屍人形になっても、肉体が祝福されていれば、天国に行けるということ。


 それは旦那様――アルデラ伯爵から借りた聖典や福音書にも書かれていたことだった。しかし、文字として読んだ無味乾燥とした解釈も、司祭様の口を借りて聞くと、真の理であるように思われた。聖職者とは、そのような教えを説くことが仕事なのだから、当然なのかも知れないが。


 話は王冠諸邦コルヴィナ内の宗派とその特徴にも及んだ。

 司教様と司祭様は使徒派という宗派であること。使徒派は教皇を頂点に、上位者に服従することを徳としていること。


 旦那様やヴァルド市の住民の多くが福音派という宗派であること。福音派は屍霊術を推し進め、解剖学にも手を染めているということ。しかし、無闇に人体の腑分けを行うことは、使徒派から見て許されていないということ。


 ヴァルド市の住民の一部が改革派という宗派であること。改革派は屍霊術を否定しており、福音派の進歩的な修道会と敵対していること。ヴァルド市までの途上、宿を取ったデヴレツィア市は改革派の聖都と呼ばれているということ。


 きっと、デヴレツィア市から来た改革派の商人が、市参事会に手を貸しているのだろうと、司祭様は言った。そうでなければ、《火の試練》なんて危険なことのために、市の広場が使われるはずがない。広場では市場が開かれるから、広場が塞がることは、商人にとって大きな痛手なのだ。


「ローベルト師やミハーイ師は、改革派なの?」


 私は率直な疑問を司祭様に投げかけた。教義に疎い私にとっては、彼らが宗教的な装いを取っている以上のことは分からなかった。


「彼らは……狂信者のようですな。《火の試練》を行うなど、普通ではない」


 司祭様は複雑な表情で答えた。


「福音派教会のティサ教区長殿がヴァルド市と周辺の町村を含めた教区の監督者である以上、他の宗派は彼女を上位者として、それぞれの教会や修道会に帰属する必要がある」


 司祭様は私の目を見て言った。


「それが教義に則った正しい在り方ですぞ。ローベルト師の一派は、改革派を名乗る資格すら無いでしょう」


 馬車が止まり、次の村に到着した。今までの町村と変わらない、素朴な村。しかし、そこには黒い革のガウンを身にまとった、奇怪な一団がいた。


 彼らは皆揃って、鳥の(くちばし)のように口の部分が尖った仮面を身に着けていた。手には革手袋と杖、頭にはすっぽりとフードを被り、一分も肌を出さないようにしている。


――ペスト医師


 辻医者の一行だった。死を振り撒く感染症にも恐れず立ち向かう、ペスト医師の辻医者。村人たちは、異形の一行に農作物や雑貨を差し出しながら、自らの家へと招こうと群がっている。


「何かあったのですか?」


 司祭様が集団に向かって尋ねた。


「ああ、司祭様。この御方たちが、病人を看てくださるというので、皆でやって来たのです」


 村人の一人が答えた。


「わしらは貧しく、お代を出せません。しかし、それでも看てくださると言うのです。なんと慈悲深いことではないでしょうか」


 村人は感極まって、目を潤ませているようだった。

 辻医者の一行は村人たちに慌ただしく連れられ、一軒の家へと向かっていった。


「私、あの人たちが何をするのか見たい。行ってもいい?」


 私は司祭様に尋ねた。彼らが一体どんな治療を施すのか、とても気になる。


「そうですな。我々も彼らの行いに敬意を払って、祈りを捧げるべきでしょう」


 私は司祭様の手を取って、辻医者の一行が入った家へと向かった。家の中では、一人だけ(つば)広帽に白い飾り紐をつけたペスト医師が、他のペスト医師に指示を出していた。彼が一行のリーダーのようだった。


「これはこれは、司祭様、修道女様。どうか、患者の無事をお祈りください」


 鍔広帽のペスト医師がくぐもった、しかしよく通る声で、裏口へと私たちを促した。ペスト医師たちは患者を連れて、裏手の庭に出ていくようだ。


 庭では人目を避けるために麻布で囲いが作られ、香が焚かれていた。なんだか穏やかな気分になる、濃厚な香りだった。患者の気分を鎮めるために用意しているのだろう。


 患者の男は片足が病気で壊死しているようで、その指先は黒ずんでいた。恐らく、麦角中毒だろう。小麦不足のせいで、病気の小麦まで口にしたに違いない。


 ペスト医師は男に、瓶に入った液体を何度も飲ませ、口に木片を噛ませた。さらに男の健康な手足に枷を嵌め、身動きできないようにした。鍔広帽のペスト医師が、徐に鞄から巨大なノコギリを取り出し、男の足にあてた。

 司祭様が目を閉じ、双十字のロザリオを手に、祈り始めた。


――足ごと切るのか。


 その凄惨な光景を、治療と呼ぶべきなのか私は分からない。ペスト医師たちは激痛にもがく男を取り押さえ、皮を、血管を、筋を、骨を絶ち、足を切り落とした。すぐに別のペスト医師が焼きごてを押し当て、骨の見える真っ赤な傷口を焼いていく。


 男は手術中、絶叫していたが、その声はやがて小さくなり、止まった。血みどろの庭で聞こえるのは、司祭様の祈りの声だけになった。


 ペスト医師たちは男の処置を終えると、再び、彼を抱えて家の中へと戻っていった。囲いが取り払われ、簡易の手術台が片付けられると、庭には切り落とされた足だけが残された。一匹の野良犬がやってきて、それを咥えてどこかへ駆けていった。


 仕事を終えたペスト医師たちは、男をベッドに寝かせると、息つく暇もなく荷物の準備を始めた。家の主人からの感謝の言葉も耳に入っていないようだ。


「司祭様、修道女様。お二人の祈りのおかげで、手術は無事に終わりました。感謝します」


 鍔広帽のペスト医師が前に出てきて、礼を述べた。男は死んではいないようだが、これで良かったのか、私には判断できなかった。


「クルジュヴァールに向かわれるとか。ヴァルド市を通ってきたとお聞きしましたが……」


「ご存知でしたか! そうなのです。私たちは使命の旅の途中でしてね」


 ペスト医師はくぐもった声で答えた。


「残念ながらヴァルド市では、使命を果たすことができませんでした。本来、金品をいただくことは私たちの望むことではないのです」


「と、申されると……」


「金品を受け取って手術を行うというのは、私たちの使命ではありません。しかし、どうしてもと言われましてね」


 ペスト医師はそこで言葉を切った。


「それは……誰だったの?」


 私はペスト医師の(くちばし)を見上げながら尋ねた。


「誰だったかと仰られますか? ……おやおや? お身内ではないのですか?」


 ペスト医師が首を傾げ、鍔広帽に結ばれた純白の飾り紐が揺れた。


「ヴァルド市の牧師が、ある男を手術して欲しいと、依頼してきたのです。断れば、市から出られないかも知れませんでしたからね。私たちは受けざるを得なかったのです」


「どういうこと?」


 私が追及しようとすると、後ろから別のペスト医師が歩み寄ってきた。威圧するかのように、手には血塗れのノコギリを持っている。鍔広帽のペスト医師が気付いて、後ろを振り返った。


「ああ、勿論、すぐ行きますよ。今は使命が最優先ですからね。次の患者に参りましょう」


 ペスト医師たちは黙々と息の合った調子で荷物をまとめると、その場から立ち去ろうとした。


「ちょっと待って!」


「申し訳ないですが、私たちには使命があるのです。またお会いした時に話しましょう」


 ペスト医師の一行は、家の主人が差し出す雑貨にも目もくれず、足早に家から去っていった。


 今のペスト医師が、ミハーイ師に頼まれて、その男に何かしたのだ。その男は、ローベルト師か、修道士(フラ)ヤーノシュか。突き止めないと。


 私は家の外へ飛び出した。突然、視界が黒い影に閉ざされる。

 先程のノコギリを持ったペスト医師が立ち塞がった。


「……」


 ペスト医師は無言だったが、未だに手にしている血塗れのノコギリからは害意が(ほとばし)っている。邪魔をするなということか。


 鍔広帽のペスト医師を中心にした一行は村人に囲まれながら、通りを歩いて遠ざかっていく。

 私は諦めて、ペスト医師に背を向けた。

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