第2話「氷のような少女」
新学期が始まり、俺は二年E組の担任となった。
なんでも、去年一年生を担当していた先生の一人が寿退職をしたらしく、空いた穴を埋めるような形で俺が任されたのだ。
皆初めて会う子ばかりで、こういう時第一印象が肝心なため、俺は笑顔で口を開く。
「おはよう、みんな。始業式で紹介があったけど、今日からこのクラスを担当する――」
「――でさ、あいつまじで告白してよ、見事に撃沈してたんだわ!」
「まじで!? おい、誘ってくれよ! 俺も見たかったわ!」
「ねね、帰りにスタビ寄ろ! 新作飲みたい!」
「おっけ~。でも春休みにお金使いすぎて金欠なんだよね~」
「舞ちゃん、昨日の配信見たよ~! めっちゃかわいかった」
「あはは、ありがと」
「…………」
ショートホームルームが始まったというのに、生徒たちは口々に雑談をしている。
というか、俺のことなんて視界に入ってないかのように好き放題だ。
ここまで酷いクラスは初めてだな……。
「はいはい、みんな静かに! ショートホームルーム始めるよ!」
俺は笑顔でパンッパンッと両手を合わし、皆がこちらを見るようにする。
「「「ちっ……」」」
すると、各所から舌打ちが聞こえてきた。
それでも、一応みんな静かになり、俺のほうを見てくれる。
うん……なかなか粋のいいクラスだな……。
でも、注意すれば話を聞く態度を見せるだけ、まだマシなほうか……。
俺は教室の中を見回し、みんなに話しかけるようにしながら、ゆっくりと口を開――こうとして、ふとある一点に目が留まった。
右手側の最前列に、銀髪ボブヘアーで澄ました顔をしている子がいたのだ。
「あっ、君は……!」
「……っ!」
見覚えのある子に、俺が声を上げると――『黙れ』、と言わんばかりの冷たい目をその子から向けられた。
うん、間違いない。
春休みに出会った、元カノそっくりな子だ……。
嘘だろ、まさか俺のクラスだったなんて……。
「ふんっ……」
彼女は機嫌悪そうに、俺から顔を背けてしまう。
俺のせいで注目を浴びる形になったのが、よほど気に入らないらしい。
それにしても、やっぱり気が強そうな子だな……。
えっと、席を元に名簿で確認してみると……上条真凛さんか――上条!?
えっ、まじで!?
信じられない名前に、俺は名簿から勢いよく顔を上げて、再度上条さんを見てしまう。
「…………」
しかし、横目で俺の顔の動きを捉えていたらしく、すぐさま無言で睨まれてしまった。
この子、性格きつすぎだろ……。
と、思っていると――。
「おいおい! 先生、早速上条さんに振られたぞ!」
「まじかよ、いろいろ早すぎるだろ!」
「先生、どんだけ女の子に飢えてるんですか~!?」
突然、チャラそうな男子たちの悪ノリが始まった。
いるよな、こういうタイプの子たち……。
何かと笑いの種にしては、自分たちで楽しもうとする子らだ。
こういう子らは、無視するのが一番なのだけど――教師としては、それはできない。
きちんと正面から向き合い、話を付ける必要がある――のだけど。
「黙りなさい」
「「「「「はい!!」」」」」
俺が何か言うまでもなく、上条さんが一言と一睨みで、一瞬にして黙らせてしまった。
なんなら、あんなに行儀悪く座っていたというのに、姿勢を正して行儀良く座り直してしまうほどだ。
まじか、この子。
こんな問題児の集まりみたいなクラスを、この子が仕切ってるってことか……?
少なくとも、おちゃらけた男子たちが上条さんを恐れているのはわかった。
この件に関して騒いでなかった女子たちはというと、皆仕方がなさそうに笑い合ってる。
その表情には、反発の色はなかった。
うん……凄いな、この子……。
「それで、私を先程から何度も見ていらっしゃるようですが、なんの用でしょうか?」
感心と畏怖を込めながら上条さんを見ていると、眉を顰めた彼女が自分から尋ねてきた。
クラスメイトたちの様子に動じていないので、彼女にとってこの光景が当たり前なのだろう。
向こうから聞いてくれたのだし、せっかくなので、俺は気になっていた質問をしてみることにした。
「もしかして、十歳くらい年上のお姉さんいたりする……?」
「……はぁ?」
直後、一瞬目を見開いたかと思いきや、すぐさま絶対零度かと思うほどの冷たい目で小首を傾げられた。
雑談程度のノリで聞いたのに、とんでもない返しを喰らってしまったようだ。
「あっ、別に他意はなくて……」
「いませんが、なんですか? もしいたら、口説こうとでも思ったんですか? いくら私の容姿が美しいからって、その発想は気持ち悪くありませんか?」
なんとか宥めようとすると、反論を許さないかのように早口で捲くし立てられた。
マジギレか、と思うほどの勢いなのだけど、表情はとても冷めている。
これ、冷静に対応されてこの罵詈雑言具合のようだ。
まるで息を吐くように毒を吐いてる……。
てか、自分で自分のことを美しい容姿っていうのか……。
「そうだよね、いないよね……! もちろん、口説こうと思ったわけじゃないけど、気分を悪くしてごめん……!」
辛辣にする上条さんのおかげでクラスが爆笑に包まれる中、俺は急いで謝った。
それにより、俺に向けられていた上条さんの冷たい視線が、今度はクラスメイトたちに向く。
すると、まるで指揮者が演奏終わりにギュッと握りこぶしを作ったかのように、ピタッとクラスが静まり返った。
もう凄いよ、ほんと……。
◆
「はぁ……今日は少し失敗したなぁ……」
仕事終わり、家の近くのスーパーで買いものをしながら、俺は一人溜息を吐いていた。
上条さんのおかげで大騒ぎにはならなかったけど、一歩間違えば要らぬ噂が立ってしまうものだった。
それくらい俺がしたことは、迂闊だっただろう。
それにしても……あの子、まるで氷のような子だったな……。
上条さんは、今日一日――もちろん、授業の時以外だけど、ずっと近寄り難い冷たさがあった。
なかなかに問題なクラスを任されてしまったようだが、あの子は特に打ち解けるまで時間がかかりそうだ。
「――おねえちゃん、おかしあった……!」
「そう、よかったわね。どれを買うの?」
……ん?
スーパーで買いものをしていて、よく耳に入ってくるやりとり。
幼い妹に対し、姉が優しく接している――それだけの、ごくありふれたものだ。
だけど俺は、聞き覚えのある声に思わずお菓子コーナーを見てしまった。
「これ……!」
「ふふ、佐奈は本当にチョコレートが好きね」
そこにいたのは――氷ってなんだっけ?と疑問を抱くほどに、破顔してデレデレになりながら幼い子の相手をしている、上条さんだった。




