第15話「逃がしてもらえない」
「――それじゃあ、私は佐奈に歯磨きをさせて寝かせた後、お部屋でお勉強するから」
食事の片付けが終わった後、上条さんは佐奈ちゃんを俺の膝の上から抱き上げる。
なんか、妙に説明じみているというか、自分のこの後の行動をそこまで詳細に言う必要はあるのか?
という疑問を抱く。
まぁしかし、これ以上ゆっくりしていて美鈴ちゃんの夫が帰ってきたら困るし、俺も帰るか。
「じゃあ、俺も――」
と、言った時だった。
コトンッと、ビールの缶を目の前のテーブルに置かれたのは。
「えっ……?」
戸惑う俺をよそに、美鈴ちゃんは自身の前にもビールの缶を置いて、上品な仕草で座る。
そして、相変わらず黒いオーラを纏いながら、ニコッと笑みを俺に向けてきた。
「まさか、料理をご馳走になったからすぐ帰る、とか言いませんよね?」
まるで、『そんな図々しいこと許すと思ったか?』と言わんばかりの圧をかけてくる美鈴ちゃん。
俺はむしろ、なんで自分が引き留められているのかわからない。
彼女だって、夫が帰ってきてこの状況を見たら困るだろうに。
「……まぁ、連れ込んだ以上、そう簡単に逃がすわけがないのよね……。でも、普段飲まないお酒に手を出して、大丈夫なのかしら……?」
何やらリビングを出る際に、こちらを見ていた上条さんがブツブツと独り言を呟いていたが、俺に助け船を出してくれることはなく、佐奈ちゃんを連れて部屋を出て行ってしまった。
うん、なんて薄情な子なんだ……。
まぁ、わかっていたことなんだけど。
「えっと……」
「明日は日曜日ですし、お家もここから近いようなので、何も問題はありませんよね?」
笑顔で、『黙って飲め』とでも言わんばかりに圧をかけてくる美鈴ちゃん。
なんだ、夫が帰ってきた後、俺を不倫相手として訴えてお金を請求しようとでも考えているのか……?
と疑いたくなるくらいには、強引だ。
それに、美鈴ちゃんがお酒を飲むだなんて、幼馴染――朱莉からも聞いたことがないんだけど……?
「俺、お酒飲めなくて……」
「ふふ、嘘を吐くなんて酷いですね? 大学時代、朱莉ちゃんとよくお酒を一緒に飲んでいたことは、聞いていますよ?」
おい……!?
ちょっと待ってくれ、朱莉!
俺の情報が美鈴ちゃんに筒抜けじゃないか!?
なんで俺と飲んでいたことを美鈴ちゃんに話しているんだよ!
彼女が俺の元カノだって知ってるだろ……!
俺は心の中で幼馴染に文句を言いながらも、嘘を吐いて逃げようとしたのがバレてしまい、居心地が一気に悪くなる。
もう逃げようとしているのがバレた以上、ここからは何を言っても逃がしてもらえないだろう。
くっ……最悪、やばくなったら朱莉を呼ぶしかない……。
彼女が俺のことを話しているせいで追い詰められたようなものなのだし、最悪巻き込ませてもらうぞ……。
「お強いんですよね?」
美鈴ちゃんは挑発するように、目を細めながら俺にビールの缶を持たせてくる。
なんでこうなった、と言いたくて仕方がない。
ほんと、家庭持ちの元カノの家ってだけでもやばいし、生徒の保護者でもあるので、そんな彼女と二人きりでお酒を飲むなんて誰かに知られたら大事だ。
「飲まないと、駄目ですか……?」
「たまにお酒を誰かと一緒に飲みたい日ってありますよね? それとも、ご飯だけ食べて帰ってしまうおつもりですか? 随分と薄情な御方になられたのですね?」
「い、頂きます……」
有無を言わさない圧に屈した俺は、観念してビールの缶を開けた。
もしかしなくても、彼女が材料費も茶碗代も受け取らなかったのは、ここで俺に断らせないためだったのかもしれない。
これが旦那持ちの女性じゃなければ、外堀を埋められるというか、既成事実を作られそうになっている――と思うのだが、彼女は旦那がいて、佐奈ちゃんもいる。
本当に、いったい何を考えているのやら……。
そう悩んだ俺なのだけど、この時に何がなんでも彼女にお酒を飲ませるのは止めるべきだったと、後で悔やむことになるのだった。




