47話 海デート
朝からいそいそと身支度を始め、久々にわくわくしている自分がいた。今日は友哉くんとのデートの日だ。バイクに乗るというので、スカートではなくパンツをチョイスした。
「どうしようかな」
クローゼットから取り出した服を見ていたが、ここ最近めっきりショッピングをしていない。手持ちの服もパンツよりスカートの方が多く、選べるのはジーンズくらいだった。
「買物行けばよかったなぁ」
ベッドの上に積まれた服の山を見て、溜息を漏らした。いまいちどれもピンとこない。とりあえず今日はバイクデートだというので、ラフな服装を選んだ。
メイクをしたり髪型を整えたりしているうちに、時間はどんどん経っていく。バッグも手で持つものではなく、肩から掛けられるようなものをチョイスした。これならバイクに乗っても問題ないよね? 問題は、バイクのスピードに私が耐えられるかだ。正直、怖いんだよなぁ……。一つぶるりと身震いをして、あまり考えすぎないように他のことを考えた。
ベッドの上に腰をおろし、体育座りをしながら壁に寄りかかる。そして自分の部屋を、ぐるりと見回した。すっかり自分の色に染まったこの部屋が、私は大好き。でも、それと同時に辛い思い出も沢山詰まっている。辛いものだけ拭き取る事ができれば、どんなにいいか。なんてね。そんなことは、出来ないことくらいわかっているのに。
そうこうしているうちに、側に置いてある携帯が音を奏でる。もちろん、かけてきたのは友哉くんだ。
『おはよー。まだ寝てた?』
「まさか。もう用意終ったよー」
『そう? それじゃあ行こうか! 下までおいで』
「はーい」
友哉くんからのモーニングコールを受け、私は玄関の扉を開けた。外に出ると眩しい太陽の光を浴びた、友哉くんの笑顔が見える。大きく手を振り「おはよー」と、爽やかに私に挨拶をする友哉くんは、いつもよりキラキラしていた。
急いで下まで行くと、友哉くんからヘルメットを手渡された。
「ごめんね、あんまり可愛いのじゃなくて。友達とか乗せるときに貸してるやつだから、可愛いの持ってないんだ」
「え、そんなことないよ? このステッカーとか可愛いもん」
「ホントー? それ、俺の手作りなんだ」
真っ黒のヘルメットの横に張られているステッカーは、ネコが描かれている。バイクにも同じものが貼られていて、とても可愛らしい。その可愛らしいステッカーを友哉くんが描いたと思うと、描いた本人も可愛く見えてくるから不思議。
手渡されたヘルメットを被り、ピカピカに磨き上げられたバイクに跨る。すると、どこに掴まればいいのかわからず、あたふたと一人で慌てていた。
「俺の腰に手を回してね。なるべくゆっくり走るけど、ちゃんと掴まらないと落っこちるから」
「わ、わかった」
目の前にある友哉くんの腰に、おそるおそる手を回す。緊張してしまって、どれくらいの力でしがみつけばいいのかわからないけれど、とりあえず自分の手をぎゅっと握り、友哉くんの背中に頭をくっつけた。
「よしっ、行くよー」
友哉くんの掛け声と同時に、大きなエンジン音が耳に響く。体にまで伝わってくるエンジン音は、私にとって初めての体験。こんなに大きく体に響くものなのか、と驚きとこれからの恐怖を感じさせた。
最初はなかなか慣れなくて怖かったバイクも、友哉くんがゆっくり走ってくれているせいか、だんだん怖くなくなってきた。目を瞑ってしがみ付いたままだった私が、目を開けて景色を見る余裕ができるまでになった。バイクって結構いいかもしれない。梅雨の合い間の良い天気の日にバイクで二人乗り、これはなかなか気持ちがいい。途中で何度か休憩を挟みながら、ひたすらバイクを進ませる友哉くん。目的地は一体どこなのかな。
そうこうしているうちに辿り着いたのは、お決まりの海だった。
「やっぱりこんな天気の日は、海がいいでしょー!」
穏やかな波の音や照り返す日の光が、一層清々しさを感じさせる。ぐじぐじ悩んでいる今の私には、海という場所がピッタリだ。いつも違う顔を見せる海、真っ直ぐな水平線、生きているような波の音、これが私の悩みを少しずつ取り払ってくれるような気がする。波にさらわれて、一緒に悩みもすべて流れてしまえばいいのに。
海についてからしばらく波際で二人、子供のようにはしゃぎまくった。水しぶきを頭からかけられて髪も服も少し濡れた。その代わり、私も友哉くんに同じように水をかけ、髪も服も濡らしてしまった。馬鹿みたいにはしゃいだ私達は、ずっと絶え間なく笑みが零れ続ける。律と別れて以来、こんなに笑ったのは初めてだ。良かった……私、まだちゃんと笑える。笑えないと思っていたのに予想以上に楽しく笑えて、私はホッと胸を撫で下ろした。
夢中で遊んでいる間に、いつの間にかお昼をとっくに回っていた。私達は近くの岩場に腰を降ろし、途中で休憩を入れた場所で飲み物を買っていたのでそれをゴクゴクと飲む。たくさん遊んだから、すっかり喉が渇いていた。水が喉を通るたびに、喉が喜んでいる。あっという間にペットボトルの半分を飲み干していた。
「ほら、これ! じゃじゃーん!」
じゃじゃーん! て。なんか可愛いな。なんて思っていたら、友哉くんがずいっと私の目の前に、サッカーボールほどの大きさのおにぎりを差し出す。本当に自分の顔より大きなおにぎりを出され、驚きのあまり目を見開いた。
「これ、友哉くんが作ったの?」
「そうだよ。あまり凝ったもの作れないし、細々詰めるのは面倒だし。だからおにぎりにして、具を中にいっぱいつっこんどいた」
「えぇ!?」
「梅干と昆布とおかかと……あ、鮭も! あちこちにごろごろいるからね」
友哉くんの自由奔放で型にはまらない性格が、このおにぎりに凝縮されているようだ。こんな斬新なおにぎりは、生まれて初めて。あまりの斬新さに、思わず笑いが零れた。
「ぷっ! 友哉くんったら、面白いなぁ」
「そう?」
「ふふ……じゃあ、いただきます!」
あーんと大きく口を開き、がぶりとかぶりつく。口いっぱいにご飯を入れて、いろんな具の味が私の味覚を刺激する。どんな味になるのやら、と思っていたけれど、意外に美味しい。口の周りにご飯粒をたくさんつけて、笑いながら二人で食べるおにぎりの味は格別だ。友哉くんの前で、私は気取ることなく自然体でいられる。本当に楽だ。
流石に大きすぎたおにぎりは食べきれず、友哉くんが私の残りを引き受けてくれた。あんなに大きなおにぎりを一つ食べた後なのに、平気な顔して平らげる友哉くん。一体どこに入っていくの? それにどうして太らないの? 驚くことばかりだ。
口の中を整えるように水を流し込み、ふうっと大きく息を吐く。そして真っ直ぐ海を見つめて、ここ最近の出来事を少し考えた。なんだかもう、律と別れたことが随分昔のことのような気がするのは、どうしてだろう。風になびく髪を押さえながら、律との数少ない思い出を手繰り寄せると、ひとすじだけ涙が頬を流れていく。あんなに流したのに、涙は枯れることなく私の肌を滑っていく。それでも、涙の量はかなり減ったほうだ。
「……元気、出ない?」
心配そうに覗きこむ友哉くん。私はふるふると横に首を振る。元気が出ないなんて、そんなことない。あんなに笑ったのは久し振りだし、友哉くんと遊んでいる間は律のことを思い出さなかった。ただ、海を見つめていたら、ちょっとセンチメンタルになってしまっただけ。
「友哉くん、今日はありがとう。凄く元気出たよ」
「めぐみちゃん……」
「友哉くんは、何も訊かないの?」
「え?」
「何があったのか、訊きたいんでしょ?」
「そんなことないって言いたいところだけど、やっぱり気になってるってのが本音かな」
ちょっとバツが悪そうに肩を竦める友哉くん。気取らず素直に自分の気持ちを言ってくれるのは、変に気を遣われ続けるよりよっぽどいい。私は、そんな友哉くんを見て、自分の話をゆっくり始めた。




