40話 幸せってやつ
美味しいお粥は、あっという間に平らげてしまった。デザートは、朝お願いしたいちごのケーキが、ちゃんと用意されていた。
お皿に乗せられた魅力的な赤いやつ……! ふわっふわのスポンジに、とろりと甘い生クリーム。口の中に入れた瞬間、見事に味が調和され、溶けるように舌の上でなくなっていく。上にでん! と構えた赤い宝石のようないちごの酸味が、甘くなった口の中を引き締めてくれる。
「く~っ! おいしーい!」
拳を握りふるふると感動をしていると、律が呆れたように「大袈裟」と言う。でも、その顔はまんざらでもなさそうだ。
ケーキを食べ終えた頃には、少し体が楽になっていた。よく眠れたのが良かったのかもしれない。
「なんか熱下がったみたい」
「二人の看病のお陰だよ」と言いたかったのに、利人さんの先制攻撃に私の口は閉ざされてしまった。
「……んー、まだもう少しありますよ?」
私の熱を測るため、利人さんが私のおでこに自分のおでこをくっつけた。ち、近い……近いよ、利人さん!
それを見た律が、またもや利人さんの襟ぐりを掴んで後ろにポイッと転がした。ちゃんときれいに転がるところが、利人さんだよなぁ。ギャグ漫画見てるみたいで、本当に面白いんだから。でも、そんな利人さんも素敵ですけどね。
「あのなぁ! どんだけアンタは無防備なんだ! 少しは身構えろよ」
「そんなぁ」
律が怒る気持ちはわかるけど、あれは不意打ちでしょ。身構えるといってもこっちは風邪引いていつもと同じようには動けないし、相手は利人さんなんだし。利人さんが私を「女」として見ていないことくらい、律だって気付くでしょ? 彼は私を「子供」扱いしているに過ぎないのだから。
利人さんは体勢を整えて、ゆっくりと立ち上がりながら空になったお皿をさげにキッチンへ。さりげなくこういうことしてくれる利人さんには、恋人はいないのだろうか。女性なら憧れると思うけどなぁ。こうしてささっと家事をしてくれたり気遣ってくれたりする男性で、なおかつこんなにかっこいいのだから。女性がほっとかないはずだ。
「利人さんって、恋人いるんですか?」
訊いた途端、ごほごほとむせ出したのは律だった。
「なんで律が動揺してるの」
「いや、別にっ! ど、動揺したわけじゃなくて、ただむせただけだ」
そんな私達の様子を見て、利人さんがくすっと笑う。そしてその笑顔を浮かべたまま、利人さんは口を開いた。
「……そうですねぇ。恋人でもいれば、もっと毎日が楽しいのでしょうけどね」
「利人さんなら素敵ですから、すぐできそうですけどね」
「ふふ。ありがとうございます。刺激的な恋人を募集中ですよ」
刺激的な? よくわからないけど、毎日刺激的に過ごしたいということかな。
完璧すぎる利人さんだから、もしかしたら女性がみんな遠巻きに見ているほうが幸せだと感じるのかもしれないなぁ。実際私もそうだし。利人さんは目の保養って感じがするから。
そんな和やかな会話をしばらく楽しんでいたけれど、利人さんはそろそろ夕飯の準備をしなくてはと言い残して、部屋から出て行ってしまった。美味しいお粥を作ってくれた利人さんに、お礼をしなくては。遊園地のお礼もまだなのに、一体何をしてあげようかな。
律と二人きりになった部屋は、やけに静かだ。でも、そんな静けさも、ちっとも苦ではない。心配してくれる律の瞳は、やけにあたたかくて眼差しが柔らかくて……どきどきしてしまう。最初の頃の冷たいガラス玉の印象は、今ではまるでなくなった気がする。
「もう少し、寝たほうがいいな」
そう言いながら私の体をゆっくり横に倒し、掛け布団を顎の下まで掛けてくれた。胸の上に手を置いて、子供をあやすようにトントンと、一定のリズムを刻みながら叩いてくれる。午後昼下がりの穏やかな時間が、私に幸せを運んでくれた。律のリズムがだんだん私に眠気を運び、ゆっくりと目を閉じた。
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再び目が覚めたのは、すでに暗くなってからだった。でも、部屋の中は明るく、窓にはカーテンも引いてある。パチパチと何かの音が聴こえてきて、横になったまま顔だけを横に向けた。そこには、律が課題か何かをやっているのか、ノートパソコンのキーボードをパチパチと叩いている。横に詰まれた参考書やプリントの山を見て、ちょっとだけ申し訳なさと嬉しさを感じた。課題で忙しいのに部屋へ帰らず、私と一緒にいてくれる。そんな律の優しさが嬉しくて、もう少しだけ寝たフリをしようと布団を被って目を閉じた。
パチパチ……静かな部屋に響く小さなこの音が、どうしようもなく嬉しい。一人じゃないんだ、律が側にいてくれるんだ。ただそれだけなのに、私は嬉しくてたまらない。少し弱り気味の自分の側に、一番いて欲しい人がいるという現実にうっとりと浸りながら、再び眠りに落ちてしまった。
その日は、夢でも律に会えた。おぼろげだけど、確かに律が私の側で微笑んでいた気がする。そんな優しくて甘い時間を夢でも過ごすことができて、目覚めた時もほんわりとあたたかい気持ちは続いていた。
夢の中まで幸せを、ありがとう。




