36話 らぶらぶ
律の胸の中はあったかくて、いい匂いがする。こうして抱きしめられているだけで、幸せだ。
幸せってこういうことを言うんだなぁって、久し振りに思い出した気がする。
「うへへ」
思わず零れ出た笑いが、自分でもわかるくらい気持ち悪い。でもこんな笑い方したって、律ならきっと「可愛い」て言ってくれるよね? だって、恋人だもん。
「……変態みたいな笑い方するな」
言ってくれなかった! しかも変態とは!
大きくショックを受けて、私は律の胸からガバリと起き上がった。床で寝転がっている律が私を見上げて、呆れ顔をしている。
何よ、変態彼女で悪かったわね!
子供っぽいと思いながらも、つーんと横を向いて目を反らしたが、律はくすくすと笑うだけだ。視線を律にそっと戻すと、まだ笑ってる。
「変な笑い方するから。ほら、ヨダレ」
そう言いながら服の袖で口元をごしごしと拭いてくれた。それにしてもヨダレって。私、そんなに口の締まりが悪かったかな。
口元を自分でゴシゴシと拭き、恥ずかしさが込み上げてきた。本当に私というやつは……と自分に対して呆れ気味だ。律はこんな締まりのない彼女でいいのかな。
「どっちが年上だかわかんねーな」
柔らかく笑いながら頭を撫でてくれる律を見ていたら、こんな私でもちゃんと大事にしてくれているとわかる。
律が、私に笑いかけてくれる。それが何より嬉しかった。今まで律が笑った顔を私に向けてくれた事がなかったから、余計に嬉しい。
綺麗な瞳が細くなり、ちょっとだけ目尻を下げて笑う姿は、少年のように可愛らしかった。このチャンスを逃すわけにはいかない。そう思った私は、高速で携帯を手に取り、あっと今に携帯カメラで律の笑顔をおさめることに成功した。
「よし!」
「よし! じゃねーよ! 何勝手に人の顔撮ってるんだよ」
「ふふふ。待ち受けにするのだよ」
「やめろっ! どんな羞恥プレイだよ!」
慌てて私の携帯を取り上げようとする律をなんなくかわし、しっかり保存完了した上、待ち受け設定も完了した。これでいつでも笑顔の律に会えると思ったら、明日からの仕事も頑張れる気がする。そう思うくらい私は単純だ。
待ち受け設定を完了させた携帯を律に見せると、恥ずかしくてたまらないらしく顔を両手で覆ってしまった。相変わらず恥ずかしそうにする時は、乙女みたいな行動するな。
隠し切れない耳も真っ赤にさせている律を、可愛いと思うのは悪いことだろうか。指先で耳朶をちょいっと触ったら、びくっと大きく体を震わせ、顔を隠していたはずの手のひらが耳を覆っていた。
「さわんな!」
「いいじゃない、別に」
「くすぐったいの!」
「そう言われると、さわりたくなる……」
うずうずしている私の手が、わきわきと動き出す。まぁ、これ以上は苛めてはいけないよね。でもくすぐったそうな顔をしている律を、もっと見たいという私の我が儘は止まらない。悪魔の心が沸々とわき上がり、私は人差し指でツンと律の脇腹を突いてみた。
「わぁっ」
すぐにその場からぴょんと飛び跳ね、私から離れた。両手で脇腹を抱えながらジロリと睨む律の目は、少し涙が滲んでいるようだ。耳も弱けりゃ脇腹も弱い。これは律の弱点を知ったような気がして、私は気分がとても良い。にへっと笑みを浮かべながら律ににじり寄っていくと、律が警戒しながら私と一定の距離を保った。
「律……敏感なのね」
「いやらしい言い方をするな」
あれ。そんなつもりじゃなかったけど。これっていやらしいのかしら。
律の反応が楽しすぎて、私は少し調子に乗りすぎたようだ。この後も律を困らせるようにくすぐり攻撃を繰り広げるも、律と私じゃ体格差がありすぎる。私はあっという間にヘッドロックをくらい、身動きをとれずにいた。
「律、痛いってば」
「少しは痛い思いをすればいい」
「ちょっと! もう少し彼女を労わりなさいよ!」
「じゃあその彼女はもう少し慎めよ」
「むっ……」
まぁ確かに調子に乗りすぎた。ここは素直に謝っておくべきかな?
ヘッドロックをくらったまま目線だけ律を見上げる。そして小さな声だったけれど「ごめんなさい」と謝った。けれど律は、無言のまま。どうしたのかと首を傾げると、少し照れたように目を反らす。私の首に絡んでいた律の腕がするりと離れ、あたたかかった肌に冷たい空気が触れた。
私、何かしでかしただろうか? 自分でも気付かないうちに、機嫌を損ねるようなことをしてしまったのかもしれない。私なら、充分ありえる。せっかく実った恋なのに、いきなりお別れは嫌だ! そう思った私は恐る恐る律の腕に触れ、そぉっと彼の顔をうかがってみた。片手で口元を押さえているが、怒ってはいないようだ。むしろ真っ赤に頬を染めて、照れているように見えた。
「律?」
声をかけると律は私を見ながら、私のおでこ目がけてデコピンを食らわす。けれどそれは力加減をしてくれているからか、さほど痛みは感じない。
「痛い、痛いってば!」
「……」
「律ったら!」
名前を叫んだら、律のデコピン攻撃が止まった。なんなのよ、一体。
さんざん弾かれたおでこを擦りながら律を見上げると、じぃっと穴が空くほど見つめられ、無言を貫いていたその口が、ようやく開いた。
「ごめん。なんか、柄にもなくテレた……。俺、自分が好きになった女と付き合うのって初めてで……なんか悪い。舞い上がってるみたいだ」
「舞い上がってる?」
「や、ホント。マジでかっこ悪ぃから、あんま俺を見るな」
恥ずかしさを噛み殺そうとして、眼鏡のブリッジを何度も押し上げる仕草をする律が可愛くて、私の胸はきゅんと小さくときめいてしまった。
一見クールな眼鏡男子が、舞い上がってしまって顔を真っ赤に染める。もう、このギャップがたまらない。
「律、かぁわいいー」
冷やかしているわけてじゃない。これは本心。
嬉しすぎて、弱いってわかっているけど、ついうっかり律の腰に抱きついてしまった。ごめんね、許してね。
私の部屋のお隣さんは、私の愛しくも可愛い彼氏になりました。
遅くなりましたが、web拍手コメントのお返事を書かせていただきました。いつも拍手ならびにコメントを、ありがとうございます。感謝しております……。
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