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こうして僕らは獣医になる  作者: 蒼空チョコ
第2章 テストに向けて紆余曲折

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第20話 飼育は日々これ勉強なり ①

 瀬戸内大学獣医学科の生徒が飼育している動物は訳ありが多い。

 健康な個体といえば、不妊去勢された犬猫の他、朽木が飼うテグーのようなエキゾチックアニマルくらいだ。


 かと言って全ての動物が苦しんでいるかといえば、それも違う。

 花粉症や喘息を薬で抑えて付き合う人と同じく、傍目から見れば何の異常もないパートナー動物もいくらかはいる。


「――それが、このゴン君というわけです」


 ちょうど散歩帰りらしい。

 渡瀬はハッハッハと舌を出して息をする中型犬を手で示す。


 六月下旬の休日、サークルの遠征があって土日を留守にする女生徒がいたので、渡瀬が世話を頼まれたらしい。

 少し老いた印象もあるが、傍目からすると健康としか見えない。


 近くにいる朽木がお手やおかわりを求めると、尻尾を振って応じてくれる良い犬だった。

 鹿島はこの犬のどこが病気なのかと不思議そうに首を捻っている。


「ほう。で、一体どんな病気なんだ?」


 渡瀬はもちろん内容を聞き受けている。


 その他、答えを知る術は日原が現在読み込んでいるレポートにあった。

 これはコウと一緒に渡されたものと同じく、病気についてまとめられた歴代のレポートだ。


 それを日原が手にしているので、鹿島は渡瀬とどちらに答えを求めたものかと悩んでいる。


「あ、僕にはお構いなく。渡瀬の説明をこれで追いながら見させてもらうね」

「それ、凄くプレッシャーだよっ!?」


 そんな添削をかけられても困ると彼女は表情を引きつらせた。


 だが、持病がある動物を生半可な知識では預かれない。

 彼女はググっと堪えて頷きを返してくる。


「病気はてんかん。神経に関する病気で、脳の情報伝達が何らかのきっかけで制御できなくなって出る症状のこと。体の部分的な痙攣だけもあれば、その場に倒れてのけぞってから足をバタつかせることもあって症状の程度は様々なの」


 ひととおり説明をした後、渡瀬は緊張の面持ちで視線を向けてくる。

 レポートと照らし合わせてみるにその答えで間違いない。日原は指で丸を示して返した。


 それを聞いた鹿島は顎を揉む。


「てんかんなら人で聞き覚えがあるな。運転中に発作が出て大きな事故に発展してしまったパターンが全国規模のニュースになるあれだろう?」

「うん。でも、そういう事故さえ関わらなければ怖くはない病気だよ。体質にもよるけど薬でコントロールできるんだって。ゴン君の場合は朝晩の薬を欠かさずに飲むことで、数十秒から一分くらいの発作が三ヶ月に一回あるかどうかまで発生率を抑えられているみたい。これは優秀な方の治療成績なんだって」

「ほう。それはどういう仕組みで症状を抑える薬なんだ?」

「ううっ!?」


 鹿島は単なる興味で聞いたのだろう。

 けれど流石にそこまでは記憶していなかったらしく、渡瀬は苦しげな声を漏らす。


 ちらりとヘルプを求める視線が向けられたため、日原はそれについて書かれたページを探った。


「えーと、要するに中枢神経の興奮を抑える薬が使われるみたいだね。選択肢は何種類かあるようだよ。麻酔の一種のフェノバルビタールに、臭化カリウム、あとはゾニサミドとジアゼパムとかいろいろ」


 臭化カリウムについてはハロゲンの酸化力として高校化学で聞いたが、その他は全く聞き覚えがない。

 恐らくは二年生になって薬理学で学ぶことだろう。


 薬の種類を聞いた渡瀬はゴンに視線を戻す。

 お呼びですか? と、ゴンは彼女に近づき、顔を舐めようとした。


「ぷわっ……!? ああ、えっとね!? この子はフェノバルビタールを飲んでいるよ。種類がたくさんあって私も覚えきれないって思ったんだけど、使い分けの理屈は併用さえ考えなければシンプルみたい……!」


 呼吸器感染症の元となるパスツレラ菌は猫では百パーセント、犬でも二割前後は保菌している。

 通常の免疫力なら感染の可能性は低いが、敢えて暴露されるものでもないことは獣医の卵でも心得ている。

 渡瀬は顔を背け、しっかりとガードしていた。


 忙しそうな彼女に代わり、日原はその項目を自分で探す。

 そこにはメモ書きとして先程の薬について備考がかかれていた。


 フェノバルビタール。

 比較的安価で、七割前後の犬に効果があり、血中濃度の測定ができる。ただし耐性がつきやすい。


 臭化カリウム。

 安価で多くの犬で効果も認められるが効果の発現に二ヶ月程度かかる。血中濃度の測定が難しい。


 ゾニサミド。

 副作用はほとんどなく、血中濃度の測定もできるが比較的高価。


 ジアゼパム。

 座薬があり、意識が戻らないまま発作を繰り返す犬の自宅療法に使える。


 ざっくりとした説明書きを見て日原は納得する。


「なるほど。個体差があるから複数の選択肢がないと対応できないもんね。でも値段ってそんなに重要なのかな?」

「重要だよっ!?」


 首を傾げていたところ、ようやくゴンを押さえ込んだ渡瀬は強く主張した。


「私の家で買っていた小型犬と大型犬が皮膚炎とか膀胱炎で抗生物質をもらった時があったんだけどね、その時の値段の差は凄かったの」


 三、四キロ程度のトイプードルから、五十キロ近いグレートデンなど。

 成犬で比べても新生児から大人程度まで体重差のある動物が一緒くたにやってくるのが動物病院だ。


 しかも人とは違って保険は任意。診療費の差も如実に表れる。

 渡瀬はそれについて身に覚えがあるようだ。


「薬の値段はピンキリなんだって。小型犬なら一錠数十円の錠剤を何分の一かだけ飲めばよくても、大型犬なら単純計算でそれが二錠や三錠になるよね。それがもし一錠数百円の薬で朝晩二回、二週間飲ませることになったりすると凄い差になっちゃうでしょう? それが一度で済めばまだいいけど、このてんかんの薬みたいにずっと飲み続けないといけない薬だったら大変だよね」

「あっ、なるほど……」


 日原としてはパッと思い浮かばなかったが、両親が牧場で委託飼育してもらっている馬でイメージすればよくわかる。


 十倍の体重差があれば薬剤量も十倍で、値段も直接響きかねない。

 動物病院に勤務している獣医師ならば薬の効果や副作用、耐性の付き方だけでなく、値段についても把握すべきなのだろう。


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