287話:プロローグSIDE.D
カッカッとチョークが黒板をなでる音が響く。真面目に板書する奴、ぐーすか寝てる奴、机の下でスマホ弄ってる奴、様々いる。そんな普通の授業風景。50分で1コマと言う授業時間。そして、時間がゆったりと流れて……、思わず欠伸をして、時計を見る。クロノスタシスの効果にしても時計の秒針が動くのが妙に遅いと思って、周囲を見回すと、世界は止まっていたわ。
「え……?」
そう声を上げたのははやてだった。はやては、きょろきょろとあたりを見回し、起こっている異変に気付いたようね。そして、あたしも当然、それに気づいていた。
――どうやら、何か起こってるっぽいわね
そう思いながら、怜斗の方を見た……って寝てるし。また夜中まで筋トレしてたのかしら?
「あ、暗音ちゃん、何が起こってるの?」
はやての震えた声に、あたしはにこやかに笑って、怜斗の机を蹴り飛ばしながら答えるわ。てか、讃ちゃんも輝を起こしているところを見ると、男子陣使えないわね。
「大丈夫よ。まあ、おそらく、向こうで起こってることでしょうから首を突っ込みに行かない限りは安全ね」
あたしは突っ込みに行くんだけどね。どうせ、紳司がこの件に関わっていないわけがないんだし、どうせ、これも知っていたけどあたしに隠していたんでしょうね。事前に突っ込みに行かれないように、ってどうせ父さん辺りも噛んでるんでしょうしね。
「雨柄、緊急事態よ。ったく、これだから嫌なのよねぇ」
辟易としたような口調で、怜斗を踏みつけながら黒板に向かっている雨柄に言った。つーか、いつまで問題文書いてるつもりよ、こいつ?
「ちょ、痛い、痛いって、あっちみたく優しく起こしてくれよ!」
怜斗が讃ちゃんと輝の方を指さしながら何か言っているような気もしたけれど気にしないわ。雨柄が振り向く。
「分かってた。分かってたんだよ。お前らがいつになく静かに授業を受けてくれてるなーとか、それが事実なわけないのも分かってたんだよ。はぁ……、で、今度は何事だよ、青葉」
ああ、現実逃避だったわけね。まあまあ、はやてみたいに真面目に授業を受けている生徒もいるんだし、その辺はいいじゃないの。
「時間の停止よ。周りを見てみなさいな。これほど大規模な現象は、まあ、《古具》とて不可能でしょうね。おそらく超常現象級の何かの発動に際して副作用的に発動しているんでしょうけど……」
あたしの呟き、はやては首を傾げていたけれど、今はそれどころではないわね。今教室内で動けているのは、あたしとはやて、讃ちゃん、怜斗、輝、雨柄。他で動けそうなのは桜子、紫麗華、不知火、晴廻、十月、龍馬ぐらいね。ただ、龍馬は京都に戻ってて来てないはず。瑠吏花も不知火の家で仕事中でしょうし、こっちで期待できるのはこのくらいかしら?
そう考えていると、紫麗華がまずやってきた。手には蜻蛉切を持っている。そして、次いで、桜子、晴廻、不知火、十月がやってきた。
「黙示録の櫓が起動しているみたいね」
紫麗華はそう言っていた。黙示録の櫓……そう聞いて、あたしの頭には、ある塔が思い浮かんでいたわ。
「天宮の塔ね。あの馬鹿が逝った……そして、緋葉が眠っていた」
さて、結構ヤバめなものが現れたっぽいけど、どうしたことかしらね。そう考えていると、不知火が口を開いた。
「《チーム三鷹丘》からしばらく前に通達があったのだが、君には内緒で、と言うことで黙っていてすまなかった。天龍寺家に持ち込まれた情報によると、【天兇の魔女】と言う人物が、君と青葉紳司という人物を狙って、夢幻の塔を使うということだそうだ。かなり昔から、2度この世界で起動しているものらしい」
なるほどね。父さんの時とじいちゃんの時でしょうね。……ん、この蠢くような【銀の力場】と【蒼き力場】は、あら、やっとお出ましかしら。あたしは扉の方を見ながら、開かれる扉に向かって言う。
「遅かったわね、父さん」
入ってくる瞬間に言われてため息をつく父さん。これでもかなり急いだんだぞ、って顔をしてるけど【力場】を利用した短距離転移とか使ったらもっと早かったでしょうに。
「状況はおおむね把握したわ。世界の……文字通り、この世界だけではなく数多ある世界の全ての破壊を目的とした……つまるところ神を殺そうとしている存在であるところの【天兇の魔女】が特異的な存在であるあたしと紳司を狙ってきた。それも天宮の塔なんて黙示録の櫓までも完全に使用する気まんまんで。そして、それを事前に知ったら飛び込んでいきそうなあたしのために、伏せておくことにしたってところかしら?」
父さんが苦笑いを浮かべている。その後ろには、母さんを含め、ずらっと父さんの仲間もいる。じいちゃんがいないところを見ると、父さんたちが鷹之町第二高校、じいちゃんたちが三鷹丘学園ってところかしら。
「相も変わらず、流石はうちの娘と言うところか」
その言葉に、母さんや、あと、父さんの仲間に何気なく混じっている零桜華やイシュタルを除く父さんの仲間たちが驚いているわ。まあ、仕方のないことよね。夢幻刃龍皇……グレート・オブ・ドラゴンの力が作用しているんだもの。
「こんなもん、大体、今の状況を考えれば誰だって想像に難くないわ。んなことよりも、問題は、挑むのが天宮の塔なら、やっぱりあたし一人で突っ込んだ方がよかったってことなのよ。特に、本物の天宮の塔なのだったら、なおさらね」
そう、そこに問題がある。あの塔の本質を考えると、どうにもそのほうがいい。それは明白なのよね。
「どういうことだ?」
そうね、挑んだのが偽物の塔なのだったら分からないかもしれないわね。いえ、本物であっても、事前知識がないなら分からないかもしれない。
「あの塔は運命の塔。それを守護する《天宮塔騎士》を含め、自分の運命に業、あるいは宿業のある者が昇れば、己の業と対峙することになるわ。つまり結局のところ、攻め込む人数が増えれば増えるほど、階数が増えるわよ。そして、結局ほとんど1対1。尤も、そっちも利点はあるわけだけど」
宿業、前世で行った行為。それが善であろうと悪であろうと、その業に応じたものと対峙しなくてはならないのよ。それがあの塔。
「メリットもあるのか?」
父さんの言葉、なお、他の全員は静観を決め込んでいるようで喋る様子はないわ。話についてこれてないはやてと雨柄は、完全に呆けてるだけだけど。
「ええ、そりゃね。業ってもんは、軽いのから重いのまであるけど、人数が多いと軽い業になるって噂は昔からあったし、これにはそれなりの根拠ってのがあるわ。運命の塔と言えど、そこに集められる業の総量は決まっている。だから、まず、この場に適していない業を持つ者を最初の階層で排除し、残りの物の業を総量から分配して、見合ったものを対峙させる。つまり、みんなで行けば、1人当たりの業に対するものが軽くなるってことね。完璧な運命の塔相手にあたしの業をぶつけられると、それこそ世喰らいとか王花とかの化け物クラスの業を当てられることになりそうなんだけどね」
業、因縁、因果、そう言ったものは、いつまでも付きまとう。そう、雪がれることなんて一切ないのよ。いくら死のうと、魂がリセットされない限りない。だからこそ、あたしや紳司なんていう運命を背負っている者は特に宿業が付きまとう。
「じゃあ、お前1人っで行ってたら危なかったんじゃないのか?」
「殂んでたかもね」
ニヤリと笑いながら、あたしは答えた。さて、といつまでもこんな話をしていても仕方がないわよね。
「まあ、いいわ。ここにきてる時点で、塔に上る気しかないんでしょうし。紳司が噛んでるってことは、あの子も狙われてるのは確実だからね。紳司に酷い業が来てもあれだしみんなで登ろうじゃないの。あたしに覚えがそこまでない時点で【天兇の魔女】の相手は……」
そこであたしは、話をやめる。ここから先はほとんどあたしにしか分からない憶測だもの、ペラペラと講釈垂れるわけにもいかないってのよ。
「それよりも、そうね、はやて、あの人はあんたの母親でしょ?」
扉の向こうで眠そうにあたしの話を聞いていた茶髪の女を指して、そう言った。はやては唐突に話を振られて目が白黒するが、あたしの指し示した方を見て、パッと顔を明るくした。
「お母さん!」
「真希さん?!」
はやてと晴廻が驚愕の顔で呼ぶ。他にも南方院の人とか、いろいろいるけど、この場で自己紹介を先に済ませるのも面倒でしょうね。
「自己紹介は後で紳司たちとまとめてでいいわよね?」
「ああ、そのつもりだ」
そうして一通りやり取りが終わったところで、母さんが聞きづらそうなことを聞く、と言ったような顔で言う。
「あ、あの~、暗音さん?先ほどからあなたの踏みつけている方は……?」
そこで気づく。そういえば怜斗を踏みつけたままだったわ。ほぼ無意識だったから忘れてたわよ。
「ああ、コレ?気にしなくていいわよ。てか、怜斗いつまで寝てんのよあんたは」
その言葉で、母さんは何かに気付いたようにハッとした。そして、いちゃついている讃ちゃんと輝を見て、怜斗とあたしを見る。
「まさか、光に……零斗と燦ちゃん?」
うちの母さん、青葉紫苑、前世は蒼刃蒼子。前世のあたしと輝の育ての親だからね、そりゃ、分かるわよね……。
「え……蒼子さん?!」
輝が驚いていた。ちなみに、あたしは、修学旅行の時とかイシュタルの時に会った全裸マントを見て、面を喰らってたけど。父さんも、チラチラと気を遣うように見てる。まあ、あれを見て、どうするかは迷うわよね。
「あんた、タケルっつったっけ?三鷹丘の生徒だったわよね。なんでこっちに……って、ああ、そういうこと。なるほど、あんたのところのボスに会いに行ってたら今回の事態が起きてこっちに合流ってところかしら」
タケルが驚いた顔をしてたから当たりってところかしらね。さて、とそろそろ急がないと、紳司たちが待ちぼうけだからね。
「雨柄、はやては任せるわ。あんた、戦闘面に関しても使えないから、ここではやてを守ってなさい。後の面々は、三鷹丘学園に移動よ。どうせ、この辺で何か起こりそうなところっつったらあそこでしょうからね」
「お前は、ホントに……、流石としかいいようがねぇよ」
父さんがため息をつきながら先導する。こうして、あたしたちは、三鷹丘学園へ向かったわ。




