281話:イシュタルとデート1
橘先生と共に、立原家に行った翌日、朝のことだった。イシュタルが俺の元を訪ねてきた。それだけならよくあることなのだが、まあ、その内容が普段とは違ったのだ。
「少し日用品を買いそろえるの、手伝ってくない?」
とそう言ってきたのだ。普段、この夏から新しくウチに加わった零桜華とイシュタルは、母さんと買い物に行っていた。しかし、零桜華は、今日は姉さんと、姉さんの前々世の妻であった染井桜子さんと一緒に、買い物に行っている。母さんは、《チーム三鷹丘》の方の会議があるとかで朝からいない。そんな事情もあってか、イシュタルは俺の元へとやってきたのだ。
そして、もうここ数日間、いつものように出かけて、出先でイシュタルを待っていた。これに関しては、イシュタルも同じ家に住んでいるのだから一緒に出てそのまま行けばいい、と訴えたが、イシュタルは午前中に少し用事があるらしく、そのせいで午後からの買い物になるから、用事が終わって直行するからと、結局外での待ち合わせになってしまったのだ。
今日は日用品の買いだしと言うことで、地元で十分だろうということで三鷹丘駅前での待ち合わせとなっている。一昨日の由梨香との待ち合わせやその数日前の律姫ちゃんとの待ち合わせ、ユノン先輩との待ち合わせなどでも随分とここにいたので、割と見かけられている気がしなくもない。
そして、イシュタルを待ちながら、ぼーっとしている。このまま、変な人物に会うのは最近の日課のようなものなので、もはや気にしないが、あまり会いたくはないものだ。そう思っていると、目の前には、見知った人物がいた。いや、正確には見知ったはずのない、見知った人物がいた。
「ちょっと、そこの御仁、道を聞きたいのだが」
そう声を発した男は、間違い用のない、しかし、間違っているとしか思えない、ジーグレッド・ユリウス卿。剣帝王国騎士団三席だ。服装こそ、この世界の一般的な服ではあるが、俺が彼を見間違えるとも思えない。それに、何より、鈍く光る赤い瞳がそうであることを物語っているのだ。
「この住所へ行くにはどうしたらよいだろうか?」
そうしてメモを差し出す彼。恐る恐るそのメモを受け取る。この住所は、……分からないことはない。しかし、なぜジーグレッド卿がこの世界のこの住所へと行く必要があるのだ。
「ああ、えっと、これが駅だから、この道をこういって、まっすぐに進むと大通りがあるので、その通りを通り過ぎて2本目の道を右折して、8つ目の小道を右に行って4件目ですね」
メモに書いてある地図を見ながら、そう説明する。しかし、ジーグレッド卿が生きているのは魔族の血の所為だとしてもこの地に来てすることとはよほどのことなのだろうか。
「しかし、この住所に何をしに行かれるんですか?」
なんとなくを装って流れで聞いてみた。すると、ジーグレッド卿は、簡単に教えてくれる。昔から口が堅いとは言えなかったからな。
「少し用事があるのだ。かつての仲間の遺品を、な」
遺品、だと。その時、駅前で話していたせいだろうか、ジーグレッド卿が通行人にぶつかり、手荷物を落とす。そして見えたのは、ボロボロの制服と、古めかしい装飾の杖。それから本のようなものだった。
「アルデンテ導師の遺品を、家族の元に届ける。それが今の拙の使命でな。では、御仁、助かった」
アルデンテの遺品、か。アルデンテは、……アルデンテ・クロムヘルトと言う人物は、そう人物と言う言葉の通りに人間だった。一時期は、ある外法を用いて生命の時が止まっていたようだが、アルデンテ曰く、アルレリアスに来てからは、それが解除されていると言っていた。つまり寿命も普通にあったのだろう。俺は首に下げたネックレスを服の上からぎゅっと握りしめる。
「ええ、では。……いえ、1つだけ、アルデンテの、彼女の最期はどのような最期だったのでしょうか」
去りゆく彼に問いかける。故人のことをその最期を知る者に聞くのは反則のような気もするが、アルデンテの最期には興味……と言うより知らねばならないという思いがあった。
「……御仁は……?いや、問いかけるのも無粋。あの方の最期は実に清々しいものだった。友人の腕の中で笑いながら散った」
友人、……おそらくナナナ・ナルナーゼだろう。彼女と親しくて、信司と静葉よりも長く生きていたのは彼女くらいのものだ。
「そうか、それは……よかった。では、またいつか会おう。ジーグレッド卿。いやユリウス皇」
「いつか、そんな日が来ることを祈らんばかりだ。御仁、そなたは、……いや、ここはただの御仁と言うことにしておこう。では、達者で、御仁よ」
そうして、俺とジーグレッド卿は別れを告げ、彼は歩いていく。そうして、そこに、イシュタルがやってくる。俺は、気持ちを切り替え、イシュタルを見た。
「遅かったな、何かあったのか?」
イシュタルに問いかける。イシュタルは、俺に向かって何かを差し出した。何だろうか、そう思って受け取ると、それは――一枚の写真だった。
「これは……」
6人の少年少女が映った写真。男が3人、女が3人。そこで気づく。その制服が先ほどのアルデンテの遺品の物と同じであることに、そして、その中にアルデンテ・クロムヘルトがいるという事実に。
「数年前、この地で行方不明になった少年少女たち。私の眼が少し厄介な反応を見せていたから調べていたんだけどね。他にも県立蓮霞高校とか私立陽西高校なんてところの生徒がいなくなるなんてこともあって、関連しているぽいってことしか分からなかったの。で、写真を入手する際にごたごたがあってくるのが遅れたのよ」
県立蓮霞高校と言えば、デュアル=ツインベルの制服もそうだったな。それと同じってことはクラスメイトだっているカグヤと言う人物もそうだろう。
「アルデンテ・クロムヘルト、六大魔王、確か、史乃さんも言っていたな。それに、六望星、あいつが言っていたものだ。なるほど、この6人で六望星だったのか」
あいつが、この鍛冶場をくれたときに上げていたのは5人、それと彼女を加えて六望星だと言っていた。おそらくこのメンツがそうなのだろう。そして、その大半がもうこの世にはいない。
「そう、何かを知っているのね。私が調べていたのは、特にこの女なの」
イシュタルが指さすのはアルデンテではなかった。どことなく活発そうなそんな雰囲気の少女。と言うか、アルデンテ以外の2人はどちらも活発そうなんだが、そのうちの髪を結っていない方だ。
「彼女は……?」
俺が問いかけると、イシュタルは静かに語りだす。その真剣な面差しに、思わず息を呑んだ。
「六波羅椛と言う名前なんだけど、聞いたことは?」
六波羅椛……聞いたことがある。確か数年前にあらゆる格闘技の大会を総なめしたが忽然と姿を消したとか。そうか、アルデンテと一緒に異世界に行っていたのか。
「あるようね。彼女の足跡をたどったんだけど、異世界にあるようね。今もまだ、……」
と言うことは彼女は生きているということか?いや、待て、そうだ、デュアル=ツインベルが言っていたはずだ。「あら、六大魔王、アルデンテ・クロムヘルト?……ああ、二代目の方ね。あの子、結局元の世界に戻らなかったから。ナナナと一緒に異世界に転移したそうよ。アルレリアスとかいう世界にね」とか、「そういえば、時間軸的に言えば、彼らは、まだ、旅立った直後だったわね。整合性ってのは本当に厄介なものよ」と。
これを思い出して、史乃さんの言葉の意味に1つ得心がいった。アルデンテ・クロムヘルトと言う男、とはおそらく初代アルデンテ・クロムヘルトのことだ。そして、二代目である、俺の知るアルデンテ・クロムヘルトは女だった。さらに、アルデンテとナナナは整合性の所為で過去の時間軸のアルレリアスへと転移している、また、旅立った直後と言う言葉から、6人ともがまだ生きている可能性も出ている。
「まあ、大丈夫だろうけど、たぶん戻ることはないと思うぞ。アルデンテが言うには2人以外は亡くなっているし、それに、戻ろうにも整合性で過去へ飛ばされる。つまりは、ここには戻れないってことだ」
それに、もしも戻ってこれたとしても、普通に生活するのは非常に難しい状態だろうしな。七星佳奈がいい例であるように、異世界に長期間いて、この世界に戻ってくると、どんな世界かにもよるが馴染むのは難しい。常識やルールなどが全て違うからだ。父さんやじいちゃんのように、この世界を基点において、別の世界を回っているだけならまだしも、向こうで暮らさなくちゃならないということは、向こうの常識に慣れなくてはならないのだ。そんな状態で長期間過ごして戻ってきたところで、再びこちらの常識に慣れるまでには時間がかかる。だから、馴染めないのだ。
「そう、彼女には少し聞きたいことがあったんだけれどね……」
イシュタルはそう言った。何に反応したのかは知らないが、イシュタルが反応するなんてこの六波羅椛と言う少女は余程の存在だったのだろうか。
「たぶん、彼女は……超越者」
オーバーロード?「Overload」のことではないはずだ。過負荷とか、あとはプログラミングの関数の多重定義とかのことなわけがない。
では「Overlord」の方か。大君主とかそんな意味の。だが、そうですらないように感じる。じゃあ、何と言う意味だろうか。
「いえ、今は、気にしない方がいいのかもしれないわね。私やセグラスの……ファリオルス以外にも超越者が……アンリミティ・オーヴァーロードの血を別つ者がいるのではなないかと思ったんだけど」
どうやら、俺の知らない領域の話らしい。
「まあ、そこはいいわ。さて、そろそろ買い物に行きましょう。時間は有限なんだしね」
イシュタルは、俺を引っ張るように歩き出す。俺もそれに従ってゆっくりと歩み始める。
え~、遅くなりました。イシュタルの話です。これは283話とのつながりを微妙に持たせるためにこんな話になったのですが、まあ、それは次の次の話なので、次はとりあえずイシュタルに視点が当たった話です。




