十五章 序&それぞれの思惑と迷惑な1日(7)下
ルクシアとアーシュは、揃ってなんとも言えない表情を浮かべていた。
妙にいい笑顔をしたマリアとニールに、すぐそこですから、と元気いっぱいに説得され「是非見に行きましょう!」と推されたのは、ほんのつい先程の事である。走るなんて滅多にないルクシアをニールが担ぎ、行動するが勝ちとばかりに同時に駆け出したマリアと彼を、アーシュは慌てて追い駆け――今に至る。
面白い変わった馬がいるらしい。
それを自分の目で確認したいという、メイドと童顔男の思考が、アーシュとルクシアにはよく分からないでいる。
ここはアーシュもルクシアも馴染みのない、騎馬隊の管理区だった。王宮敷地内に設けられた乗馬地であり、観賞区にあるお遊びの乗馬施設とは違い、戦闘馬術向けの殺風景な訓練場と馬屋が設けられている場所だ。
その脇には一見通路とも分からない細い芝生道が敷かれており、ニールとマリアは数分前、戸惑う二人についてくるように言って慣れたようにそこを進んだ。そして、木々に隠されるようにあった『この馬小屋』に辿り着いていた。
そこは雑草もあまり刈り取られておらず、四人は木々の間で成長したその後ろに身を潜めていた。騎馬隊が出払っているため他の馬と軍人の姿はなく、鳥の囀りまで聞こえてくる環境の中、一頭だけ馬が入っているその小屋へ目を向けている。
その馬は、王族が所有するような珍しい純白色をしていた。滅多にない、淡い黄色の鬣を持った立派な体格の軍馬である。荷を引く馬よりも一回り大きく、通常の軍馬に比べても超大型に分類されるものだ。
間近でそういった戦闘用の馬を見る機械もなかったルクシアは、その威圧感に当初から圧倒されていた。何せその馬の四肢は、丈夫でかなり鍛えられてもおり、重量感を思われせる音で土を踏みしめる蹄も立派である。
軍馬として多く活躍しているものとは種類が違うようで、尻尾の毛はゴージェスで長く、カールを巻いたように波打っているという特徴もまた個性的だった。
そこだけを見れば、かなり立派な馬である。
しかし、かなり間の抜けたような個性的な顔をしていた。
ふてくされたように眉を寄せるような顔付きをしており、瞼が腫れぼったくて目は垂れている。全体的に顔が丸い印象があり、鼻はやたらと大きいくて――気のせいでなければ、それは馬以外の動物を彷彿とさせる顔をしていた。
マリアは好奇心たっぷりに馬をしげしげと見つめ、その隣にしゃがみ込んでいたニールは、自分の口を手で塞いで必死に笑い声を堪えて震えていた。ルクシアとアーシュは、その後ろから彼らと馬をまとめて眺めている状況である。
はじめは変な顔だと感じたものの、よくよく見れば、なんだか憎めない愛嬌があって可愛い気もしてきた。
一目見て俊馬としてもイケそうだとも感じていたから、マリアは「個性的だがいい馬だな」と素の口調で呟いて、軍馬としての体格の方も含めてそう評価した。かなり脚力もありそうなので、是非『仕事が出来る馬』になって欲しいとも思う。
馬と言うのは、人間との相性もあるのだ。意外とレイモンドあたりには懐くのではないかと、動物には嫌われた試しがない友人をつい思い浮かべてしまう。昔も癖のある暴れ馬がいて、当時は騎馬隊将軍のレイモンドが乗りこなしていた。
とはいえ、マリアも馬がくしゃみをした瞬間には「面白ぇ!」という本音も出そうになり、ニールと同様に素早く手で口を塞いでいた。
大型級の立派な身体を持ったその馬は、顔も超個性的ながら表現力もかなり豊かな気がした。くしゃみをする際に、ぽってりとした顔の肉が歪められて実に人間臭い表情をするのだ。しかも、体格に不釣り合いなほど「ペップチン!」という独特の甲高い声を発した。
マリアとニールが熱い視線を向ける中、また馬がくしゃみをした。今度は連続で三回ときて、最後は「ペピュッ」とやったうえ、舌打ちするように口がモゴモゴとしたのを見て、ニールが「お嬢ちゃん俺もう無理」と一呼吸で言った。
「やべぇ腹筋が崩壊しそうッ。ヅラ師団長にアレ乗って欲しい!」
「むしろ引き取りたい」
思わず、マリアはオブライトであった頃の感覚で、ポロッと本音を呟いていた。騎馬隊が要らないというのであれば、うちで引き取ってどうにかできないだろうかと軍人当時の思考で考えてしまう。
その呟きを拾ったニールが「分かるぜ、アレは結構仕事出来そうな馬だもんな、しかも面白い!」と相槌を打ったところで、ハタと我に返って隣のマリアを見た。
「軍馬を調教できんの? お嬢ちゃんが凶暴なのは知ってるけど、まさかそれはないよね?」
「まずは力で叩き伏せて誰が上かを教えてから、訓練させる」
「お嬢ちゃん真面目な顔で何言っちゃってんの!? 超怖いよ!」
マリアは、ニールの悲鳴を聞いていなかった。黒騎士部隊は軍馬にも世話になっていたから、それを懐かしく思い返していた。不思議でならないのは、自分が昔から動物には懐かれないでいる事だろうか。
大丈夫、人も動物も、まずは拳でぶつかれば分かりあえるものなのだ。
一人頷くマリアの横で、ニールが「あれ? そういえば力技で行く人がいたような……」と、自分を人生で一番震撼させた人を思い出しかけ――
「ペップチィイイ!」
一際強く例の馬のくしゃみが起こり、ニールは何を思い出そうとしていたのが忘れた。思考していた内容が吹き飛び、もはやその時点で彼の腹筋は崩壊していた。
ニールは「軍馬としてデビューさせるべきだって!」と、笑い転げた。あの軍馬について馬鹿にするような口調で噂していた連中は目の付けどころがおかしい、と口にしたうえで「俺はファンだぜ!」と主張する。もはや彼自身が先程からずっと馬鹿にしているように見えないでもないが、本人は褒めているつもりである。
直前まで本気でレイモンドに、どうにかお願いしてみたいなと考えていたマリアは、つい素の口調で「あははははっ」と腹を抱えて笑ってしまった。自分もあの馬が好きだなぁ、とニールに賛同してしまう。
茂みの前でしゃがみ込んでいるマリアとニールが賑やかになる一方、そのすぐ後ろの二人組はドン引きし、双方にはひどい温度差が出来ていた。
「…………」
「…………」
その光景を前に、もはやルクシアとアーシュの顔面は引き攣っていた。
顔やくしゃみが個性的とはいえ、相手は大型級の軍馬である。むっつりと気だるい顰め面も、威圧感がないわけではない。あの巨大で屈強な馬を前にして、何故マリアとニールが平気で「愛嬌がある」「面白い」「ぜひとも現場で活躍してもらいたい」と言えるのか、二人は不思議でならなかった。
すると、隠れる気も隠すつもりもないマリアとニールの笑い声に気付いた馬が、こちらを見た。
顔とくしゃみが個性的なその馬と目が合った瞬間、メイドと赤毛童顔男が瞳をキラキラとさせる様子に気付いて、思わずルクシアはこう呟いた。
「……仲がいいのか悪いのか、あの二人の事が分からなくなってきました」
「……なんか俺としては、どっちも軍人というか、武人目線で馬を評価しているところもある気がするんですよね……」
まさかノリとテンションだけでそんなことをする部隊もないので、たぶん気のせいなのだろうけど、とアーシュは口の中で言った。もしや二人は以前からの顔見知りでもあったのだろうか、とこれまでの様子からは考えられない場違いな推測まで呟いてしまった。
その時になってようやく、マリアは後ろにいる二人が静かである事に気付いて、ニールの横でしゃがみこんだまま肩越しに振り返った。
彼女の後頭部の大きなリボンが揺れて、背中にたっぷりと流れたダークブラウンの髪がサラリと音を立てる。その気配を察して、半ば身に沁みついた条件反射のように、ニールも彼女と同じようにそこへ目を向けた。
「ルクシア様、あの馬にもっと近づいてみませんか?」
「え」
提案されたルクシアが、らしくなく言葉を詰まらせて一歩引いた。その隣を見たニールが「あれ、なんでアーシュ君も面白い顔してんの?」と思った事をそのまま口にして首を傾げる。
ルクシアとアーシュが、じりじりと後退する様子を目に留めて、マリアとニールは互いの顔を見あった。
二人は王都から随分離れた町の出身であり、元傭兵という立場から軍馬が怖いという感覚を知らなかったので、一体どうしたんだろうなという表情でしばし考える。
「もしかして、あの二人は馬が苦手なのかしら?」
「どうだろ? 軍馬が出歩いてるのとか、結構普通に見る気がするけどなぁ」
せっかくここまで来たのに勿体ない。
この時ばかりは、二人の意見は一致していた。頷きあったかと思うと、マリアとニールはくるりと二人を振り返ってすぐ、考えるよりも即行動を起こした。
ニールがアーシュの肩に腕を回して引き寄せ、マリアはルクシアの小さな手を掴んだ。一体何事だと言わんばかりに彼らが目を剥いて、「うわっ」と声を上げるのも構わず、今まで自分達がしゃがみ込んでいた特等席にしゃがませる。
「ほら、ルクシア様。ここからなら、一番近い感じであの馬が見えますよ」
「いえ私は別に――」
「アーシュ君、馬は利口で賢い生き物なんだぜ、人間にとっては友達みたいなもんなんだよ。俺なんて、当時仲良くしていた馬に顔覚えられて、しょっちゅう蹴り飛ばされそうになったもん」
「全然説得力ねぇよ!?」
馬鹿じゃねぇのと露骨に顔に出して、アーシュが勢い良くニールを見た。まさかメイドに気軽に肩を押されて、しゃがまされる事になろうとは思ってもいなかったルクシアも、半ば唖然としてマリアを目に留める。
二人の視線を受け止めたマリアとニールは、きょとんとした笑顔で、揃って首を傾げた。
「この距離だったら何かあっても対処できますし、大丈夫ですよ」
「そうそう。それにさ、こっそり騎馬隊のところ覗きにくるのも、結構面白いっしょ?」
今度は鶏小屋を案内してあげよう、可愛いヒヨコもいっぱいでも超ふもふなんだぜ、とニールが先輩ぶって胸を張った。アーシュが「お前は王宮に遊びにきてんのか!?」やら「信じられねぇッ」やら騒いだ時――
「ペップブフゥ!」
またしても馬が激しくくしゃみし、場が沈黙に包まれた。
まるで笑うみたいな妙な声にも聞こえたなと、一同がそれぞれ思う表情で黙りこんだ一瞬後、アーシュがプツリとキレた様子で立ち上がり「じゃねぇよッ、そもそもお前立派な馬だろうが!」と怒鳴った。
途端にニールが、「アーシュ君のツッコミが的確でウケる!」と再び笑い転げた。マリアは馬を注視し、「よくよく見るとあの顔も可愛い……」と呟いた。
ルクシアはしばし呆気に取られて、そんな三人の様子を見つめていた。再び馬が小動物か人間のような甲高いくしゃみをしたので、この状況を一人でどうにかする事も難しそうに思えて、そちらへと目を向ける。
マリアとニールが、この短時間にやたらその馬に注目して騒いでいたせいか、ルクシアとアーシュも『変わった馬』として目に馴染んでしまってもいた。なんだか人間臭くて、とてもじゃないが忘れられそうにない。
「…………あの馬には、風邪薬が必要かもしれませんね」
少し調べれば、大きな体格をしたあの馬に効く薬を、調合して作ってやれるかもしれない。
そんな事を自然と考えてしまったルクシアは、数秒後にそれに気付かされて苦笑を浮かべた。忙しいというのに余計なお節介を焼こうとしたり、この場に流れる空気を悪くないとも感じているだなんて、少し前の自分からは考えられない事だ。
「本当に、騒がしい人達です」
ルクシアは、大きな眼鏡を指で持ち上げた。その際に、再び馬が「ペップュ!」とくしゃみした変顔を正面から見てしまい、笑い転げて騒ぐ三人につられて、彼も「ふはっ」と小さく笑ってしまった。




