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十五章 序&それぞれの思惑と迷惑な1日(7)上

 戦闘で感じ慣れた衝撃波の余韻のような、そんな鈍い振動が空気を伝わってきたような気がして、マリアは「ん?」と肩越しに空色の大きな瞳を向けた。


 立ち止まった彼女に気付いて、アーシュが「どうしたよ?」と顔を顰める。


「気のせいだったみたい」

「ふうん? とにかく先に進もうぜ」


 グイードとジーンと別れてから、マリア達は間にルクシアを挟んで図書資料館に向かっていた。公共区の廊下は広く作られており、今の時間は人の数も落ち着いているおかげで、ゆったりと話して並び歩けるほど穏やかな空気に包まれている。


 隣に戻って来たマリアに、ルクシアが少し低い位置からチラリと目を向けた。アーシュも横目に彼女を見下ろし、なんでもなかったらしいという顔をして視線を前に戻した。


「にしても、騒がしい人達だったな……。俺としてはさ、お前がなんで大臣様に友人認定されているのか不思議でならねぇんだけど。つか、総隊長補佐様に対して、あれだけ暴れても問題にもなってないし」


 その時、三人の間に割って入るように、一つの元気たっぷりな声が上がった。


「アーシュ君、あの変態は『友人』だって言ってたぜ。んで、ジーンさんは、お嬢ちゃんに対してびっくりするくらい超ポジティブなの!」


 そこにいたのは、燃えるような赤い髪をしたニールである。拳一つと少ししか背丈の変わらないアーシュと並ぶと、ほんの数歳だけ年上のお兄さんに見えるほど童顔だ。

 ルクシアが、いまだ慣れないというような顔で彼を見た。


「……私としては、当然のように貴方がそこにいるのが不思議でならないのですが」

「あっはっはっ、ルクシア様、そりゃ超おかしい意見っすよ! だってお嬢ちゃんがいるのに、俺が帰るとかないじゃないっすか~」

「だから、それが何故なのか分からないのですが…………」


 それは全くもって同感だ。何故、今の自分(マリア)について来るのだろうか。


 マリアは不思議に思い、元部下の目立つ頭髪を視界の端に入れながら考えた。空気を読まないうえ学習力もないという、ヴァンレットとはまた違った問題児ぶりを思い起こして「理解不能だ」といういつもの結論に至って諦めた。


 まさか三人の活動中ずっといるのだろうか、という目を、アーシュがニールに向けた。

 ニールが「何を言われているのか全く分かりません」と顔に浮かべて首を傾ける様子を見て、質問の意図すら微塵にも気付かれていないと知ったルクシアは、額を押さえ小さく首を左右に振った。


「――まぁ、いいでしょう。頭が痛くなってきました…………。それでは、あなたが『ジーン』と呼んでいる大臣との関係を窺っても?」

「うちの副隊長っす!」


 間髪入れずに、ニールが自信たっぷりに挙手して答えた。


 マリアは思わず、「こいつは阿呆なんじゃなかろうか」という目を向けてしまった。調子が上がった時限定なのかは知らないが、時折、ジーンが大臣という立場であるのを、本気で忘れているのではないだろうかと心配になる。


 事情を知らないルクシアが、実に不可解だという顔をした。まさか軍人から大臣になる人もいないだろうと、アーシュも軍人寄りの雰囲気を持った『ジェラン・アトライダー』を思い返して「謎だ……」と呟いた。


 黒騎士部隊で活動していた時代、ジーンが『ジーン・アトライダー』で署名をしていたことを、マリアは思い出した。もしかしたらそのこともあって、ほとんどの人が元軍人であることを知らないのかもしれない。


 そう考えると、ここで説明したら余計にごちゃごちゃしてくる気もした。

 というより、『メイドのマリア』としてうまく説明できる自信はない。オブライトであった頃から、自分は口下手なのである。

 

 つまり、ここは、あっさり流してしまう方が手っ取り早いと判断した。


「ルクシア様、ニールさんの事は無視して下さい」

「お嬢ちゃんひでぇ!」


 気にしないで下さい、と言おうと思ったのに、考え事をしながら口を開いてしまったので、つい素の言葉の方がこぼれた。マリアは遅れてそれに気付き、「ひどいよお嬢ちゃんッ」と訴えてくる元部下の情けない表情を見て、心の中で「すまん」と謝った。



 図書資料館に向けて、しばらく会話もないまま歩いた。


 十代の三人の後ろ姿を、頭の後ろに手を置いて眺め歩いていたニールが、ふと、その中央にいる一番背の低いルクシアへと視線を固定した。敬意もこもらない自然な口調で「ルクシア様」と尋ねるように呼ぶ。



 目的地の図書資料館が見える距離で、ルクシアが足を止めて振り返り、問うように小さく眉を寄せた。アーシュも「改まってどうしたんだろうな?」と口の中で呟いて、先程まで自分の話しかしていなかった赤毛男を見た。


 一同の視線を受けたニールが、ルクシアを真っすぐ見つめたままこう尋ねた。


「それにしても俺、一つ思うんすけど――本って何が面白いの?」

「帰れ」


 マリアは思わず、素の口調で反射的にそう突っ込んでいた。何度も説明したというのに、こうして図書資料館に向かっている目的すら分かっていないようなニールに、にこりともしない目を向ける。


 こちらを見たニールが、「ひでぇッ」と目を剥いた。


「お嬢ちゃん目が絶対零度だよ!? ほらッ俺めちゃくちゃ手伝うから帰さないで!」

「そもそも、ニールさんに手伝わせる予定は、初めからなかったのですけれど?」

「だってお嬢ちゃんバカに筋力があるっていっても、見た目十四歳以下の幼女枠じゃん? ここは大人である俺が――ってなんでそこで締め技に持ってくの!?」


 膝裏を足で押して体勢を崩させ、マリアは目線の高さになったニールの背後から素早く腕を回し、問答無用で首を締め上げていた。


「誰が幼女枠の貧乳なのかしらね、ニールさん?」

「あれ? 俺そこまで言ってないよ? つか、そもそも俺が見た十六歳の中では、お嬢ちゃんがダントツ一番のド貧乳だけど――」


 直後、ニールの悲鳴が廊下中に響き渡った。


 ルクシアが「彼は馬鹿なのですか……」と悩ましげに額を押さえた。女性がやらないような関節技に入るマリアを見つめながら、アーシュが「馬鹿なんじゃないですかね」と顔を引き攣らせて言葉を続ける。


「というか、あんだけ口が災いする人も初めて見ました――」


 そう口にしたアーシュが、何事かを思い出した様子で「あ」と声を上げて、深刻そうな表情でガバリとルクシアを見た。


「どうしようルクシア様ッ。ここは止めて注意するべきなのに、俺、あの赤毛男を制裁するマリアに、全く違和感を覚えていませんでした」

「あなたは結構、普段の態度と外見からは想像がつかないような繊細な一面と、紳士的な一面を持っていますよね」


 ルクシアは冷静に指摘したが、アーシュは聞こえていない様子で「なんてこった」と頭を抱えた。


 今日は朝から、自分たちでは手に負えないような煩いタイプの人間の訪問と出会いが続いたからでは、とルクシアは己の推測を小さく呟いた。図書資料館に出入りする人間たちが、騒ぐマリアとニールにチラチラと目を向けていく光景を見やる。


「図書資料館だと、彼はかなり悪目立ちしそうですね……――アーシュ、すみませんが、マリア達をお願い出来ますか?」

「ルクシア様、もしかして一人で行かれるつもりなんですか?」

「本を探している間、彼が口を災いさせない保証もありません。あまり『第三王子ルクシア』の立場を使いたくはないのですが、司書員の方にお願いして、先に本を集めてもらう事にします」


 アーシュは、なるほど、と思案する表情で相槌を打った。


「確かに、先に集めてもらった方がいいかもしれませんね。今回は冊数もそれなりにあるようですし」

「学会の論文の件もありますからね。アーシュには迷惑をかけます」

「いえ、俺は平気ですよ。さくっと読んで要点をまとめるくらいすぐに出来ます。任せて下さい」


 本心からそう告げて、アーシュは持ち前の強さが窺える笑顔を浮かべた。それを見たルクシアが、頼り甲斐があるというように「ありがとうございます」と答えて、柔かく目元を細めた。



 その時、二人が話す声を拾ったニールが「つまり待ち時間があるってこと?」と思ったままにそう言った。少し頭髪も乱れた彼は腹這いになった状態で、その背中に乗ったマリアに足を抱えられて、関節技を決められているところだった。


 そちらへと視線を戻したルクシアとアーシュが、すぐに言葉が出て来ないといった様子で沈黙した。異性の背中に平気で跨るものではないし、そもそも、その技は女の子がするようなものではない。



 なんで黙っているんだろう、と首を傾げたニールは、関節技をかけているマリアに問うような目を向けた。手を止めてルクシア達の方に耳を傾けていたマリアは、その視線に気付いて「なんですか」と顰め面で尋ね返す。


「ねぇねぇ、お嬢ちゃん、面白い馬がいるんだぜ。じっと待つより、それをパッと見に行った方が絶対に楽しいって!」


 ニールがそう言って、思い付いた『寄り道』を提案してきた。


「面白い馬……?」

「最近くしゃみが止まらないらしいんだけど、これがまた驚くほどぶっさいくで甲高い変な鳴き声なんだってさ! 騎馬隊んとこので、レイモンドさんが『あの将軍、どこから拾ってきたんだ……』って頭抱えてたって聞いた」


 この前、騎馬隊のサロンの前で話を聞いたんだけどさ、とニールが思い出しながら続けた。

 申し分ない身体と運動能力を持った軍馬なのだが、調教がまるでなっていない『働かない馬』なのだという。誰の言うことも聞かず不真面目で、今や、将軍が個人的に騎馬隊で飼っている感じになっているらしい。


 あのレイモンドが頭を抱えるくらいの『お墨付き』である。


 それはそれで面白そうだな、とマリアは好奇心がうずくのを感じた。恐らく今の軍区のように、騎馬隊ところも昔のままだろう。とすれば、近道を使えば時間もそんなにかからないで済むはずである。


 思わず真面目に検討してしまうマリアの表情を見て、ニールは瞳を輝かせた。覚えのある表情ややりとりだとも気付かないまま、十六年前の感覚で「ねぇ行こうよ」と説得の言葉を投げた。


「ほら、グイードさんも気晴らしは必要って言ってたし、ルクシア様もアーシュ君も、ちょっと真面目すぎるから息抜きさせた方がいいと思うんだ。ずっと机にかじりついてたら健康にも悪いと思う!」

「なるほど…………。――その案、採用」

「やったね!」


 ルクシアとアーシュも息抜きが必要だろう。本音を言えば、その馬が見たい。


 ガッツポーズするニールの上から退き、マリアはスカートを整え直した。ルクシアは時間をあまり取られたくないだろうし、提案してもしばらく渋られる可能性も見越すと、ここはニールに協力してもらうしかあるまい。


 つまり行動した者勝ちだな。


 マリアは、そう口の中で呟いて一つ頷くと、立ち上がったニールに計画と指示内容をこっそり伝えた。

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