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十五章 序&それぞれの思惑と迷惑な1日(3)中

 宰相室にアルバートが来るのを見たのは、グイードはこれが初めてだった。


 思わず「一体なんの用件なんだろうな?」と呟いたものの、当のベルアーノがあまり驚いていない様子を見て、ひとまず口を閉じて場のなりゆきを見守る。



 アルバートが両者に丁寧に挨拶した後、宰相へ一組の書類を差し出した。早朝の訪問時で既に話を聞いていたベルアーノは、手渡された書類の内容に不備がない事をその場でざっと確認した。



「うむ、問題はない。確かに受け取った」

「急で申し訳ありません。監視しているアイワード第四騎馬隊長には、こちらで別の人間を付けておきますから、心配なさらないで下さい」

「こちらこそ済まない。そこまで配慮して頂けて、助かる」


 全く、どこかの連中とは大違いである。


 ベルアーノは、後の事を考えて行動を起こすという事を知らない者達を思い浮かべ、ついでにそのメンバーの一人であるグイードも横目に見やった。ヴァンレットの抜けを調整するだけでも血を吐く思いだったので、この急な人員変更については、アーバンド侯爵家側が考えてくれたのには感謝しかない。


 第四王子の見合い訪問の一件から、ベルアーノは、アーバンド侯爵と連絡を取り、仕事だけでなくプライベートな手紙のやりとりもしていた。最近『裏』の情報に関しては、息子であるアルバートから直接話を聞く事も増えている。


「アイワード隊長には、そっちの侍従が付いていたんじゃなかったっけ?」


 やりとりを聞いていたグイードは、不思議に思って首を捻った。彼は社交界で交友を持った事をきっかけに、アルバートからちょくちょく『裏』の仕事について協力を頼まれたりする。


 今回、ガーウィン卿側であると確定している騎馬隊の男については、アルバートから直接、自分の従者を向かわせるとグイードは聞いていた。アーバンド侯爵は何やら多忙なようで、王宮内の動きについては現在、次期侯爵としてアルバートが主体となって動いているところもあるらしい。


 すると、アルバートが困ったような微笑を浮かべた。


「明日一日は、休みを取らせる事になりました。今週は鎮魂期間でもありますし、記念碑に花くらいは添えておいで、と」


 休暇申請はアルバートの侍従のものだ。わざわざ次期侯爵の侍従を動かすほどの急ぎの重要案件で、もしや何かしらアーバンド侯爵側に動きでもあるのか……と思っていたが、どうやら『裏』関係ではないようだ。


 そう察した表情のグイードが「そういや鎮魂って?」と呑気に首を捻る様子を見て、ベルアーノは「繊細なところなんだ、察しろよ」と言って、呆れたように眉を顰めた。


 その休暇申請の話を聞かされた時は、ベルアーノも同じような事を勘繰って一瞬身構えてしまった。しかし、アルバートからすぐ、プライベートな休暇であると聞かされて、なんだ考え過ぎだったかと少し拍子抜けしてしまった。おかげで、急な休暇と人員変更については、精神的に削られずに済んでいる。


 長い付き合いである彼の目を見たグイードが、「あ」と遅れて思い至った顔で掌に拳を落とした。


「もしかして、旧ドゥーディナバレス領の事か?」

「ったく、ようやく気付いたのか? 暴動からまだ二十年も経っていないだろう」


 現在はマーティス帝国領となっているが、フレイヤ王国と、平和条約に加盟した国々が引き続き支援を行っている土地だ。


 それを思い出して、グイードは「なるほどなぁ」とソファに背をもたれた。


「まれにない露骨な非道っぷりが語られて、劇にもなってるアレだよな? 確か、『首落とし姫』だっけか」

「歴史を忘れないために、必要な教訓として語り継いでいるんだろう。徹底的な閉鎖を行い、独自のルールを設けて領主が女王となったという経緯も他にはない。……多くの人間が死んだ事に変わりはないからな」

「戦禍に巻き込まれる前の死亡者数も、かなり酷いものだったからなぁ。しかも戦乱の最中に、領民が反乱に出たんだったけか――侍従君は、そこに縁がある人間だったのか」


 グイードが確認するようにチラリと目を向けると、アルバートが「彼の出身地でもあります」とだけ答えた。


 ずっと立たせているのも申し訳ないと考え、ベルアーノは、急ぎでなければと着席を促した。アルバートが数秒ほど思案の間を置き、「――それでは、少しだけ。飲み物は不要ですよ」と答えて、中央部分から肘掛けまでずれたグイードの隣に腰を降ろした。


 グイードはソファに背をもたれかけ直し、足を組んだ後、「それにしても」と当時を思い返すように言葉を続けた。


「まだ二十年も経ってなかったんだなぁ。援軍を作るのも難しい激動時期で、どうにか合同軍を作って寄越したんだっけか。さすが大陸一の軍事力を誇るだけあるよな、マーティス帝国軍が、短い間にあれだけの兵士をかき集められるとは思わなかったぜ」


 そこで、グイードは「ん?」と首を捻った。そういえば、どうして俺はここへ来たんだっけか?


 一人娘ルルーシアの寝顔がむちゃくちゃ可愛かった、という理由だけで、まずはベルアーノに自慢してやろうと、朝一番に宰相の執務室に突撃した事をグイードはすっかり忘れていた。ベルアーノはそれを見越して、もはや何も言うまいと深い溜息をこぼした。



「深い溜息ですね。お疲れ様です」



 すぐに声を掛けられて、ベルアーノは重い頭を持ち上げた。


 発言したアルバートの方を見ると、控えめな微笑を浮かべていた。こちらを見据える藍色の瞳には、意図など感じられない深い思い遣りの色が浮かび、苦労話があるのなら聞きますよ、と眼差しで語っている。


 疲れ切っていたベルアーノは、うっかり感動した。疲れを労ってくれる部下が非常に少数であるため、彼に話した事がそのままアーバンド侯爵に伝えられるとも思い付かないまま、ポツリと言葉をこぼした。


「昨日は色々とあったが……ルクシア様の説得が、予想外にも難航してな」

「それは珍しいですね。てっきり問題なく進んだものかと――第三王子は、賢王子であらせられる」


 ベルアーノは彼の台詞から、マリアがジーン達と動く事になった一件については、とっくに把握しているのだと分かり、改めて説明する必要もないと察して「そうだな」と相槌を打った。


 問題ないだろうと思っていたのは、ベルアーノも同じである。


 だからこそ、想定外の高ダメージとなった。先に国王陛下達にも確認し、許可を取って軽い足取りで薬学研究棟に向かったのだが、そこで思いもよらないルクシアの強烈なブリザード攻撃を受けたのである。


 これも極秘任務の一つであり、今進められている『一掃計画』に関わるものだ。あまり詳細を語らないよう注意し、急ではあるがこちらに助っ人に入っているマリアが、一時的に別件でも助っ人として動く事になったという決定を伝えた。


 ルクシアは、なかなかその決定を受け入れてくれなかった。十五歳には見えない幼い容姿をした少年王子の、凍えるような丁寧な敬語で延々と責められ、ベルアーノは生きた心地がしなかった。近くで待機していたアーシュも、初めて見るルクシアの剣幕には目を丸くしていた。


 途中ベルアーノは、マリアが戦闘メイドである事を打ち明けてしまおうか、と本気で悩んだ。


 しかし、ルクシアが「少し剣の腕に覚えがあるからと言って、危険な現場に放りこむような任務を少女に手伝わせるのは――」と言った時点で、アーバンド侯爵家の秘密を明かしたとしても、易々と納得してくれそうにもないと悟った。



――『怪我をしたらどうするのです』

――『一使用人かもしれませんが、彼らは替えのきく『駒』ではないのですよ』

――『使用人にも『先の将来』があります。あなた方は、その責任をきちんと考えた事がありますか』



 総隊長が下した決定を覆す事は出来ない。相手はそういった事情も知っているので、宰相という立場もあって「決まった事ですから」と一人の人間の反論くらい受け付けない態度を取る事も出来た。


 それでもベルアーノは、今回それをしなかった。


 何故ならルクシアは、大切な仲間や友として、秘密にされている軍の動きや事情も関係なく、ただマリアの身を案じて怒っていたからだ。


 騎士は替えのきく駒ではないのだと語った父親を彷彿とさせるように、使用人だってそうなのだと口にする彼を見て、ベルアーノは無理やり納得させるような態度には出られなかった。


 珍しく冷静さを欠いていたルクシアは、開始から一時間ほど、絶対零度の敬語攻めというマシンガントークを発揮した。途中からアーシュまで「乱暴で凶暴だろうが、あいつも女なんだぜ」とルクシアに加勢し、ベルアーノは二対一の状態で、とにかく誤解のないよう慎重に言葉を選んで、時間を掛けてどうにか彼らを説得したのだ。


 人間嫌いだと言われていた第三王子が、初めて友人を得たと分かった一件だ。


 説得には多大な苦労があったが、それを知る事が出来て良かったとは思っている。途中ルクシアは、マリアとアーシュを「二人は私の友人です」と勢いのまま口にもしていた。



 自覚がないのかもしれないが、それは、人によっては『大切な友』と呼ぶものだろう。ベルアーノは、特別に友を想う人間がいる事を知っている。


 彼が知るその人は、唐突に失ったその友の事を、今でも忘れられずにいた。王座から見える場所に、黒い竜が描かれたその部隊の軍旗を飾り、人の目がなくなった頃、珍しくぼんやりとした様子でじっと眺めたりするのだ。


 声を掛けたら、「なんでもない」としれっと話を打ち切られる。王妃もその息子達も、父親である国王陛下アヴェインから、その本心の全てを語られた事はないという。



 幼い頃からルクシアを見てきたベルアーノは、第三王子にようやく友人が出来た事を嬉しく思うと同時に、どうしたものかと悩ましくも考えていた。


 総隊長側とルクシア側の間に立つのは、自分である。

 つまり、また一つ、胃がキリキリとする種が増えた。


 ベルアーノが思わず腹部を押さえると、グイードがようやく察したように、そちらへと目を向けて首を傾げた。


「そういえば、疲れてるみたいだな。どんまい?」

「おい。他に言葉はなかったのか?」

「うーん、俺はルクシア様を直接は知らないからなぁ」


 第三王子は勉学に務め、ほとんど王宮にいなかった。社交界にも顔を出さないので、グイードは遠目で何度か姿を見た事がある程度だった。学院を卒業して最近ここに戻って来たものの、幼少期に剣の講師もつけていなかったため、ロイドやジーン達も関わりがなかった王子だ。


 とはいえ、宰相の疲れは、そればかりではないだろう。


 グイードとアルバートは、揃って何気なく視線を向けた。


 二人の眼差しを受けて、ベルアーノはお察しの通りだと言わんばかりに、取り繕うのも諦めてソファにもたれかかり天井を仰いだ。先に苦労話を切り出した勢いもあり、今、自分の胃を一番痛めつけている問題について話す事にした。

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