十五章 序&それぞれの思惑と迷惑な1日(1)
処刑の鐘の音が聞こえるだろう。今日もまた、罪のない人間が殺される。
女も子供も、関係のない使用人まで、一家もろとも女王の名のもとに死刑が執行されるのだ。開かれた町の中央で公開処刑が行われ、一人ずつ次々に首を切り落とされていく。
正義の名のもとの『法の番人』は、もういない。
新しい若き女王の足元におわすは、血も涙もない処刑執行人だ。
正義は地に堕ちた。
大人達よ、我が子の目を塞げ。
どうか罪のない人間の首が落ちるのを、幼子達に見せてくれるな。
若き女王は、どんなに国交を遮断しようとも、いずれ戦禍に巻き込まれるとは考えてもいない。一体どこの国の誰が、姫であった当時の彼女に『最高の夢が見られる魔法の薬』などという猛毒をもたらし、理性と心を狂わせてしまったのか。
必ず数年内には起こるだろう、戦禍の時を逃すな。
持てるだけの武器を取り、火を起こし、我らが女王の時代を終わらせるのだ。
恐ろしき処刑執行人が立ちはだかろうと、屈するな。
我が子たちの未来のために、立ち向かえ――
演目・旧ドゥーディナバレス領『首落とし姫』戦う民衆より
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三家で代々続く、由緒正しき処刑執行人がいた。
顔を晒す事なく深々と被った軍帽、黒い革の手袋。裾の長い軍服を着込んだ彼らが持つのは、処刑用の真っすぐ伸びた長い大剣である。これまで法のもとに人間を裁き、絶対の正義を掲げて長い歴史を歩んできた。
彼らは日差しを知らない白い肌に、珍しい灰色の髪をしていたという。
反乱が起こり、民衆が城へ一斉に押し寄せた時、漆黒の衣装に身を包んだ彼らは、処刑剣を地面に突き立てるように構えて城門前に並び待っていた。
全処刑執行人が揃うなど予想外で、民衆はたじろいだ。これまで戦争に参加した事はなかったものの、処刑執行人は『法の番人』といわれ、歩く殺人兵器とまでされた最強戦力部隊でもあったからだ。
「――立ち止まるな、進め」
中央にいた処刑執行人が、しわがれた野太い声でそう言った。
長い顎鬚は真っ白だったが、ピンと伸びた背筋と、老いの見えない長身は左右に並ぶ処刑執行人以上の威圧感を放っていた。
「我ら、正義の名のもとに」
しわがれた声が言い、処刑執行人達は、躊躇することなく自身の首を落とした。
女王とその法に逆らう事のないよう教育された彼ら三家の歴史は、こうして幕を降ろしたのだった。
演目・旧ドゥーディナバレス領『首落とし姫』進行語り
※※※
「アルバート様とマシュー、今日はまた一段と早いわね」
夜明け前の臨時業務だったはずだが、それにも関わらず顔を見ていないとようやく気付いて、マリアは疑問を口にして小首を傾げた。
普段なら仕事場に直行しているマリアは、今、珍しく屋敷の二階にある女性使用人の控室にいた。本日に町の役人達を招いて話し合いが行われるとの事で、急きょ夜明け前に集まり、全員で支度作業を分担しこなしていたのである。
そのため、予定されている普段の仕事が始まるまでに、まだ時間があった。
同じように待機していたマーガレットとカレンが、揃ってマリアへ視線を向けた。ちょうど他のメイド仲間達が仕事に向かったのを見送ったばかりだったので、その質問を正しく理解するのに、数秒ほどかかった。
カレンは、少し癖のある赤茶色の髪を、後頭部でしっかりまとめている三十代に入ったばかりのメイドだ。女性として魅力的なメイド仲間達が多い中、戦闘時の運動量の激しさもあってか、唯一胸元の膨らみが平均サイズよりやや劣る。
淑女然とした表情を取り繕っていない今、カレンの少し丸みのある銀縁眼鏡の奥には、ややとっつきにくさを覚えるつり上がった目があった。他のメイド仲間と侍女長エレナの目がないため、姿勢を楽に平気な顔で頬杖をついている。
足を組んだカレンの長いスカートの先からは、他のメイドと同じ軍仕様のブーツが覗いている。しかし、それはマリア達のよりも底が高く、鉄製仕込みで重々しく作られていた。
その足先が、思案するように数回ほど揺れる。
カレンが「ねぇ、マリア」と、ようやく言って足先を止めた。
「……今それを口にするとか、ちょっと遅すぎない?」
「そうなの?」
「…………マリアってあれよね。仕事は出来るんだけど、こう、ぼんやりしているというか、どこか抜けてる感じが否めないわ」
カレンが溜息をついて、この話はやめましょう、と諦め気味に片手を振る。すると、その隣に腰かけていたマーガレットが、「しょうがないわよ。マリアの事だもの」とやんわり苦笑を浮かべて口を挟んだ。
マーガレットは、三十歳には到底見えない、可愛らしい小さな顔立ちをした童顔のメイドである。控えめで柔らかい雰囲気をしており、背丈も未成年ほどに低いのだが、誰よりも肉付きの良い女性らしい身体をしているので、初対面の人間に成人未満に間違えられた事はない。
意識して寄せられた訳でもないのに、特注のメイド服を押し上げて存在を主張する豊かな胸が目を引く。カレンが、両手で紅茶を持つマーガレットの胸元に目を向け、マリアも思わずそこを見た。
「どうしたの、二人とも?」
マーガレットが尋ね、途端にカレンが苦々しい表情を浮かべた。
「……ねぇ、マーガレット。何を食べたら、そんな素敵な身体になれるわけ?」
「またそれ? カレンは、運動し過ぎなのじゃないかしら。――マリアは大丈夫よ、まだまだ成長期ですもの」
そう言って、マーガレットがふんわりと微笑む。母親のような慈愛を感じさせる彼女は、過去にはリリーナの乳母役も務めていた。
長距離射的派で体力のないマークと違い、柔和な雰囲気と性質からは想像も出来ないほど、過激に動く銃器専門の戦闘メイドでもある。屋敷にある銃器は、改造から整備まで全てマーガレットが担当していた。
カレンが手を離し、頭の後ろに両手をやって椅子の背にもたれた。
「やっぱり、それくらいの魅力が必要なのかしらねぇ」
「カレンは、とても魅力的で素敵よ? ただ、少し淑女らしさが足りないのかも……」
「ちゃんと使い分けてるじゃないの。そもそも、あの双子姉妹よりは全然淑女っぽいからッ」
侍女長であるエレナと並ぶぐらい、カレンは客人向けにも見目共に映えるメイドである。人目があるところでは、メイドの鑑のように淑女然とし物腰もおしとやかだが、メイド仲間で一番の肉弾戦派であり、本来の性格はとても勝気で好戦的だ。
こうしてタイミングを見計らい、淑女モードを解かないとストレスが溜まるというカレンに対して、二十代後半の双子姉妹であるメイド仲間には、それがなかった。
双子のメイドは、仕事服に着替えると『静々とした従順なメイド』を簡単にやってのけてしまう。離れの女性使用人専用アパートメントにいる時は、強い癖のある髪を遊ばせて、小さな尻が隠れるばかりの上肌着一枚で歩いているので、かなりギャップがある。
最近は「この太股の飾りが今のお気に入りなの」と言って、侍女長エレナを「もう少し恥じらいを持ってくれないかしら……」と困らせていた。普段からギャップが激し過ぎる彼女達は、先日、初めてクリストファー一行が侯爵邸を訪問した際にも、廊下で遭遇した客人達に微塵の違和感も与えなかったらしい。
オンとオフを使い分けるのよ、というのが双子姉妹の口癖だった。何が楽しいのかと尋ねるたび、「マリアにはまだ早いから、大人になったら教えてあげるわ」と言ってはぐらかされている。
マリアは回想を止めて、どこかふてくされているカレンの横顔に目を留めた。
「カレンも十分魅力的だと思うけど、もっと必要な何かがあるの?」
「……………必要っていうか……女っていうのは、高みを目指すものなの」
うっかり口を滑らせた事を後悔し、カレンは、マーガレットから注がれる微笑ましい視線にうんざりしつつ誤魔化した。ひとまず、唯一の十代メイドである後輩のコンプレックスに触れないよう、今の胸のサイズが不満なの、という事は言わないでおく。
カレンは、そこでふと、ある事を思い出して背を起こした。
「……そういえば、フォレス執事長に訊いてくれた? 昨日、私達が予想した通り『遊戯室』行きだったんでしょ?」
問われたマリアは、ほんの四時間前に終わった飲み会を思い返した。
ジーン達との初活動があった昨日、マリアは屋敷に戻ってすぐ、カレン達に「男達は今日飲む気みたいよ」「料理長が、意気揚々とつまみの下準備をしていたもの」「マリアも参加するんでしょ?」と言われた。
出来る事なら今日は早めに休みたい。思わず、王宮での疲労感に遠い目をしたマリアに、先輩メイド達は「疲れているみたいだけど、まぁ楽しんでらっしゃい」「飲み過ぎないようにね」と声を掛け、そして彼女達が予想した男達の飲み会は、あっさり現実となったのだ。
今回マシューは不在だったが、酔っ払ったガスパーが嫌がるギースを担ぎ、マリアはアーバンド侯爵の脇腹に抱え上げられて『遊戯室』に連行された。酒もゲームも弱いギースは、開始早々一時間も経たず潰れていた。
昔は個人的に接する機会があまりなかったせいか、戦闘使用人の中でトップの肉弾戦派である彼に憧れでもあるのか。普段はハッキリ物を言えるカレンは、執事長フォレスのプライベートな好み等について、幼いマリアに「さりげなく訊いておいて」と頼んだ。
マリアは他の女性使用人とは違い、リリーナの専属メイドという事もあってか、執事長であるフォレスと話す機会が多い。なので「いいわよ」と、いつも快くカレンの頼みを引き受けていた。
とはいえ、その当初から既にフォレスにはバレてしまっていたのだが。
初めて頼まれた時、幼いマリアが質問してすぐ「カレンさんですか」とフォレスは見破った。本人がバレていないつもりであれば教えないのも一つの配慮です、いつかは飽きるでしょうから、と彼に言われてから、約十年が経っている。
あの頃と違い、カレンも侍女長のサポート役として活躍し、フォレスと接する機会が多くなっていた。それでもあの頃と変わらず続いおり、使用人仲間達からは「そのままカレンに協力してあげて」と言われる始末で、マリアとしては不思議でならない。
自分で訊いた方が効率もいい気がするんだけどなぁ、と思いながら、マリアは今回の質問の回答を思い起こした。
「フォレス執事長は、どの女性にも魅力や素晴らしさはある、って言ってたわね」
「くッ、そう来たか……!」
カレンは思わず、悔しそうにテーブルに拳を押し当てた。好みのタイプに関してもそうだが、毎回質問の仕方を変えてみても、どんな内容だろうとはぐらかされるのだ。
「直球でアタックしても毎度同じだし、マリアを行かせてもガードが固いとはッ。というか、もう私は十代の小娘でもないのに、ずっと子供扱いとか有り得ない。……こうなったら、何がなんでも絶対に意識させてくれるわ!」
「カレン、ぶつぶつ言ってどうしたの? よく聞こえないんだけど」
「えぇと、マリア? カレンの事は、少し放っておいてあげましょうね?」
マーガレットが紅茶カップをテーブルへと戻し、「マシューとアルバート様だけれど」と言って、さりげなく話を変えた。
「日程の調整もあって、今日は普段より早めに登城したのよ」
「それなのに飲み会が決行されたとか、自由過ぎる……」
マリアはつい、視線を落として素の口調で呟いた。
とはいえ、ほぼ全員参加である『遊戯室』に、珍しくマシューがいなかった理由も察せた。酔いが回ったアーバンド侯爵やアルバートが、彼をいつものように引っ張って連れて来なかったのも、これが理由だったのだろう。
「……だからマシューは不参加だったのかぁ、とも納得したけど。あまりお酒は強くないものね」
「うふふ。男の子って、いくつになっても子供みたいで可愛いわ」
マーガレットがそう言って、幸福そうに微笑んだ。
マシュー繋がりで飲み会について思い浮かべていたマリアは、ふと、一つの事に気付いて「ん?」と首を捻った。
男性限定の『遊戯室』のように、女性使用人も離れの専用アパートメントの共同広間で、たまにカクテルパーティーを楽しんでいる。ビリヤードやポーカー等のお遊びには興味がないようで、男性達がこっそり行っているつもりであろうそれも、彼女達は把握していながら黙っているのだが――
「私があっちの飲み会に参加してるの、おかしくない……?」
思い返せば、女性使用人のカクテルパーティーや、夜の談笑会に多く参加していたのは十二歳頃までだった気がする。男達が飲むのなら自分達もついでに、という流れで行われる事もあり、今年はまだ二回しか参加出来ていない。
そもそも『遊戯室』は男性使用人限定だと聞いている。なのに、同じメイド達にその件について、何か言われた事も一度だってなかった。
今までちっとも疑問に思わなかったが、これは一体どういう事だろうか。そう悩ましげに呟いてマリアを見て、マーガレットが二十歳そこそこにしか見えない可愛らしい顔を、コテリと傾けた。
「そうかしら? 揃って楽しそうでいいと思うけれど」
「その、楽しそうとか、そういう問題ではなく――」
すると、冷静さが戻ったらしいカレンが、気を取り直すように顔を上げて「いいじゃない」と言ってのけた。
「だって、マリアって昔からあの面々の中にいたし、ちっとも違和感がないんですもの。訓練の時だって、マークとギースとの三人一組だったでしょ?」
「……まぁ確かにいつも三人だったけど、それもそれで、なんというか……」
「フォレス執事長の拳骨って、かなり痛そうよね」
「痛い。あれは、マジでやばい」
カレンは、それとなく話をそらすようにそう言った。するとマリアが、いつもの条件反射のように真剣な面持ちでそう答える。
その凛々しい表情は、可愛らしいのに不思議と男性然としているようにも感じた。恐らく、口調と雰囲気が合っているせいかもしれない、とカレンとマーガレットは思った。まるで騎士みたいな、昔から少し変わった子だったから。
それにしても、とマーガレットは頬に手を当てて、小さく独り言を口にした。
「そもそも執事長は、女性には拳骨を落とさない人のはずなのだけれど……」
そこについては、女性陣は昔からずっと不思議に思っていた。拾われたばかりの頃のマリアは、かなり男性然として暴れん坊であったため、恐らくエレナ侍女長への負担を考えての事だろう、とは推測している。
執事長と素直に接する事が出来るマリアが羨ましい半面、カレンは、いつだって心配もしている事をマーガレットは知っていた。まるで小さな妹が出来たみたいだと口にしていたし、皆、同じ気持ちで見守ってきた。
「うん。頭の形が変わってしまう事もなくて、本当に良かったわ」
力加減は完璧に調整されているだろうけれど、思い出して口の中でこっそり呟いてしまう。ふと、逞しく丈夫な男性使用人達と同様――もしかしたら、それ以上の強度かもしれないマリアの石頭が脳裏を過ぎり、マーガレットは微笑のまま固まった。
あの執事長の腹部に頭突きを食らわせたうえ、眉を顰めさせたのは、幼いマリアが初めてである。振り払われ吹き飛ばされようと躊躇するなく反撃し、予測もつかない独自のやり方で、まさか最後は頭突きがくるとは思ってもいなかった。
マーガレットは、一息つくように紅茶カップに口を付けた。思考を切り替えるように、使用人仲間達の所属をつらつらと浮かべてみる。
元暗殺者、軍人、殺人狂、殺し屋一族、孤児、処刑執行人…………
その時、カレンが「今日も王宮へ行くのよね?」と、マリアへ声を掛けた。
「え? うん、そうだけど」
「昨日から始まった『新しい活動』とやらも楽しめてるみたいだし、良かったわね、マリア」
マリアは、良かったねと言われる理由が分からなくて、にっこりと笑うカレンを見て戸惑った。戦闘メイドとして『表』に貸し出されているという状況なので、自分は真面目に取り組んで、仕事を速やかにこなすべきであって――
すると、そんな思考を遮るように、カレンがテーブル越しに手を伸ばしてきた。途端に鼻をきゅっとつままれて、マリアはびっくりして目を丸くした。
「だって一昨日くらいに、なんだか一人で悩んでいたでしょ? それが嘘みたいに笑うんだもの。きっと一緒に仕事が出来て嬉しくて、楽しいのかなって」
旦那様にお願いしたんでしょ、だから私達も応援してる。
そう続けて、カレンが勝気な笑顔を見せて、ゆっくりと手を離していった。
どうやらアーバンド侯爵に話をするまでの間の、そわそわとした様子も全て筒抜けだったらしい。詳細を訊いてこないのも、気を遣っての事なのだろうと察し、マリアは鼻を擦りつつ「敵わないなぁ」と照れ隠しのように素の口調で呟いた。
カレンは、マーガレットと目を合わせた。答えるように小さく肯き返して、「よし」と立ち上がる。
「マリア、私はあなたの『お姉さん役』でもあるわ。安心して任せて!」
胸に手をあてて、カレンが満面の笑顔で言い放った。こちらが呆気に取られるのも構わず「先に行くわね」と歩きだし、呼び止める暇もないまま休憩室を出ていってしまう。
マリアは会話の流れがつかめず、マーガレットへ目を向けた。
「…………任せてって、何が?」
「うふふ、マリアは気にしなくてもいいのよ」
カレンったら、気を抜くとすぐ腕白さが表に出るのよねぇ、とマーガレットは微笑ましく思ってにっこりとした。




