十二章 黒騎士部隊の四人(3)上
支度を整えたマリア達は、ジーンの提案で、そのまま大臣の執務室にある隠し通路から外に出る事になった。
王宮には、王族と一部の人間にしか知られていない隠し通路が多く存在している。敵が入り込んでしまっても簡単には辿り付けないよう複雑な迷路と化しているが、使用する人間は、自分が教えられた隠し通路の道順をしっかりと覚えているので問題はない。
人に姿を見られずに城の各場所に抜けられる便利な道ではあるが、最大のリスクは、少しでも迷ってしまったらアウトな事だろう。
このフレイヤ王国の王宮は、他国では見られない『公共施設も持つ複合型の巨大な建築造り』をされている。一見すると開放的で賑やかさに溢れているが、それは内部へ敵を通さないための目的もあり、隠し通路には無数の『騙し道』が張り巡らされてもいた。窓も目印もない隠し通路の道順を間違えると、出られなくなるぐらい複雑な仕様になっているのだ。
マリアは、オブライトであった頃、国王陛下アヴェインの無茶振りで、ジーン無しの単独で隠し通路に放り込まれた事を思い出した。
あの時は、道案内もない状態で何度も違う場所に出てしまい、そのたび騒ぎに巻き込まれたのだ。騒ぎと真相を聞いた友人達は「あっさり『出口』を見付けられる方が凄いけどな」と、同情ではなく妙な方向の感心を寄せてきた。
途中の騒ぎから巻き込まれていたレイモンドが、「何で道を間違えるだけで爆発すんの!? というか、あの爆発は何なんだよオブライトッ」と、薄らと焦げた頭を抱えて苦悩していた。
オブライトも、なんで爆発したんだろうな、と遠い目で呟いていた。
また仕掛けられているだろうから絶対に踏むなよ、と教えていたにも関わらず、大事なところでレイモンドがうっかり忘れてしまい、そのスイッチを踏んで押してしまったのが原因だった。
半ばパニックを起こしていたとはいえ、なんであんな大きなスイッチのド真ん中を踏み抜けたんだろうな、と今でも不思議でならない。「あのサイズ感を踏み抜いたら面白いよね」という設置者の思惑を、レイモンドがまたしても見事に叶えた一件でもあった。
そもそも騒ぎのストレスと悪戯心の双方から、逃走経路に器用にも爆発物を仕掛けた友人達が直接の元凶でもあるし、その辺は何とも感想し難い。
また隠し通路に放り込まれたら嫌だなぁ、とぼやいたオブライトに、ジーンは「俺が友情レーダーで見付けるから平気だって!」と、何故か全く解決策にもならないような回答を自信たっぷりに笑って告げていた。
それを聞いていた爆発物の設置者の共犯者で、全く共感出来ない趣向を持ったその幼い友人は「オブライトさんの殺気を、たかが地下や建物の壁が、僕から隠せるはずがないでしょう?」と、愛らしい少年の顔に温度のない目で微笑んでいた。
「…………」
そういえば、うっかり貴重蔵書室に出た時は、ひどい目に遭ったな……
あれは隊長補佐になったばかりのヴァンレットと共に放り込まれた時で、途中で一時だけオブライトは切れた。その僅かな時間の殺気に反応して、あの双子の少年司書の、厄介な方の片割れが「僕ってタイミングがいいなぁ。暇があったら来てあげたよ」と、待ち伏せしていたのだ。
つまり、はぐれてしまえばオブライトのように全く見当違いの場所に出る事になるし、最悪の場合は、永遠に彷徨う事になりかねない。ここはしっかりジーンに付いていかないと、当時のようなとんでもない目に遭う可能性も高い。
「ヴァンレット。お願いだから絶対に、絶対にッ、私の手を離さないでね」
マリアは過去の苦い記憶を思い出し、大人二人分の広さの窓もない薄暗い通路で、ヴァンレットに念入りにそう言い聞かせて、しっかり手を握った。
ヴァンレットを除く三人で目配せしてすぐ、「よし、これで行こう」と歩く順番もすんなり決まった。先頭にジーン、次にマリア、続いてヴァンレット、最後尾にはニールという、間違っても大きなヴァンレットが先頭と最後列を追い抜けないよう万全の体制が取られた。ジーンは先導役なので、マリアとニールが迷子の問題児をしっかり見張るという対策だった。
通気性の良い薄地のローブを着たマリア達は、先頭に立ったジーンの「こっちだ」「次はこっち」と調子良く告げる声を聞きながら、軽快に進む彼の道案内に従って隠し通路を歩き出した。
それから、どのぐらい経った頃だろうか。
マリアに握られた自分の右手を見降ろしていたヴァンレットが、ふと顔を上げ、首をゆっくりと右へ傾けた。
「俺は迷子にはならないぞ?」
「「いつも迷子になってるだろうが!」」
マリアとニールの声が重なった。その疑問に辿り着くまでに時間がかかりすぎているし、自覚のないところも、実に性質が悪い。
畜生、とマリアが口の中でぼやいて目頭を揉み解す前で、ジーンが次の順路へ足を向けながら「はいはい、注目~」と意気込みもない声を上げて、軽く手を叩いた。
「お前らの集中力の無さは、俺が一番よく知ってるけどな? もうちょい辛抱しててくれよ、頼むから。あるサロンに近いからな、ここで暴れようものなら大変な事になるぞ~。男の癖に美意識が高いキャーキャー騒ぐ人種の溜まり場だから、おじさん、そういうのは勘弁だよ~」
「『キャーキャー』……」
気のせいか、一瞬、少年の癖に黄色い声を上げる人種が脳裏を過ぎり、マリアは、ヴァンレットの向こうにいるニールへと目を向けてしまっていた。
すると、二十歳そこそこにしか見えないニールと、パチリと目が合った。
「何? ――あ、お嬢ちゃん、もしかして飴玉食べたいの? よく俺が持ってるって分かったねぇ!」
「何言ってんだ阿呆」
「やっぱ甘い物って神じゃん? 俺も昔から大好きでさ、大人になって更にその価値が上がったっていうか。ほら、ストレス社会だから糖分摂取が効くじゃん? うーわ、言ってて俺恰好良いわ。しょうがない、分けてやるぜ!」
思い付くまま一気に語り、ニールがウィンクを決めながら、実に良い笑顔で親指を立てた。マリアは、こちらの話を全く聞いていないニールに、心底どうでもいいと眼差しで伝えたが、彼は気付かないまま陽気にポケットを探り始める。
すると、先頭にいたジーンが「いいね」と悪乗りするように言った。
「俺にもくれよ、ニール」
「勿論っすよ、副隊長!」
「あのな、前から注意してるけど、俺、今『大臣』な? 調子に乗った時、お前ポロッと言っちゃってるけど、その時点でストレス社会の大人になりきれてねぇからな? なぁ親友よ、お前もそう思わねぇ?」
全く困った部下だぜ、とジーンがそれらしい表情で息を吐いた。
マリアは真顔で「おい」と、ジーンだけに聞こえる声量で低い声を発した。
「お前も高確率でポロッと口にしてるからな。そのうえ、全く時と場所を選べていない」
「え? 何が?」
「ヴァンレット、飴玉回してくれ。一個ずつだぞ」
「うむ。一個ずつだな」
こちらのやりとりを知らないニールが、ヴァンレットに声を掛けて、人数分の飴玉の包みを彼の大きな左の掌に乗せた。マリアは、昔と同じ流れを前に「仕方ないか」と肩から力を抜き、ヴァンレットから向けられた掌の上から二つの包みを受け取って、そのうちの一つをジーンに手渡した。
歩きながら、全員が昔と同じように、包み紙の先を歯で噛んで器用に中身を取り出し、口に放り込んだ。
「お。俺の酸っぱい系だわ」
「ジーンさんのは当たりっすね、それ限定品なんすよ~……――ってガリガリ物騒な音が聞こえるんだけどぉぉおお!? ちょッ、お嬢ちゃん待ってぇぇぇえええええ!」
途端に、後ろからニールの情けない悲鳴が上がって、マリアは、何事だと顔を顰めて振り返った。
「あ? 何だよ――……ってしまった、また噛んだ」
言いながら思い至り、マリアは、口に手をやって視線を落とした。結構美味い飴玉だったのに、ちょっと勿体ない事をしたなと思う。
続いてヴァンレットの方を見たニールが、「ひぃ!?」と飛び上がった。
「あああああヴァンレットも噛み砕いたッ。飴は噛むんじゃなくて、舐めて楽しむものだろうが!?」
「駄目なのか? マリアは美味しそうに噛んでいたぞ?」
「だからって真似しちゃダメッ。なんでお前は、そんなに凶暴なお嬢ちゃんに懐いてんの!?」
この犬属性めッ、とニールが顔を覆った。ヴァンレットが、肩越しに彼へ視線を向けたまま首を左へ傾け、マリアは「まぁ噛んだものは仕方がない」と開き直り、ジーンの背中へ視線を戻して肩にかかった髪を後ろへ払った。
先頭を歩いていたジーンが、楽しげにニッと笑みを浮かべ、口の中で小さくなった飴玉をさりげなく噛み砕いた。彼は堪え切れずカラカラと陽気に笑い、顔を上げた。
「楽しいなぁ」
何気ない呟きだったが、十六年前と違って、噛みしめるような喜びが滲んでいるような気がした。
ちらりと盗み見た肉付きの悪い横顔は、違和感もなくいつも通りで、きっと、気のせいなのだろうとマリアは思った。昔と同じで騒がしいだけだろうに、と心の中でジーンに答える。
けれど、握った手の先でヴァンレットが「ニールは腹下しか?」と訊いて、ニールが「全然違うよ!?」と後輩の後ろ襟首を捕まえて必死に誤解を解こうとする声に、とうとう我慢が出来なくなって、マリアは思わず「ふはっ」と小さな笑いをこぼした。
ちっとも変わらないんだな、この最年少組は。
笑い声を堪えるのに必死で、言葉代わりに目の前の背中を軽く叩くと、ジーンが前を向いたまま「ははは」と嬉しそうに肩を震わせた。
「そら見ろ、楽しいだろ」
自信たっぷりの言い方が何だか可笑しくて、マリアは、目の前にある背中のローブを掴んで頭を寄せ、ジーンだけに聞こえるように「確かに」と答えた。
その拍子に握られていた手を引かれ、ヴァンレットが、ニールに後ろ襟首を捕まえられたまま、低い位置にあるマリアの頭部を見降ろした。彼を捕まえて「俺の腹は丈夫なのッ」と教えていたニールも、マリアとジーンの陽気な雰囲気に気付いて「楽しそうだな?」と目を瞬いた。
ニールとヴァンレットは、チラリと視線を動かせて、違う高さにある互いのきょとんとした目を見つめ合った。
「……まぁよく分からんが、楽しいのは大歓迎!」
腹事情を説いていた事も忘れて、ニールはヴァンレットのローブを両手で掴み、ヴァンレットが「うむ」と答えて、空いていた左手でマリアのローブを握った。
マリアと共に振り返ったジーンは、集中力のない部下達が、どうやらまたしても『懐いている上司の真似』をしているのだと気付いた。無意識なのだとしたらかなり笑えるなと考えながら、以前も同じ光景があった事を楽しく思い出す。
「ははは。そういや、地下の組織を潰す時にやってたなぁ」
あれは集中力が長くもたない『ヴァンレット対策』だったんだけどな、とマリアは当時を思い起こした。
すると、掴んでいたローブがぐっと前進した。
「これなら絶対にはぐれないだろうし、ちょっと速度を上げるぞ~」
騒いでも大丈夫な所まで来たのか、ジーンが唐突に軽く走り出した。彼のローブの背中部分を掴んでいたマリアは、「ちょ、待てっ」と言いかけたが、腕が引っ張られて走り出していた。
マリアと同じように、それぞれ前にあるローブをしっかり掴んでいたヴァンレットとニールも走り始める。
一体何のために相手のローブを掴んでいるのか、それの何が面白いのかも分からないのに、なんだか無性に笑いも込み上げてきて、気付けば駆ける四人は、今よりも少し若かった頃と変わらない笑い声を上げていた。




