十二章 黒騎士部隊の四人(2)
「ざっと簡単に説明しちまうと、五つの非公式のオークション会場がある。所持者はハーパーという男で、『あちら側』に新しく参入したメンバーを含めた面々を数ヶ月に一度集めて、『例の毒』を実演して捌く役割も担ってるらしい」
四人が揃ってすぐ、ジーンはそう切り出した。彼はガーウィン卿の名前と、判明した毒の名前である【リリスメフィストの蔦】を口にしなかった。
「物的証拠についても急ぎ調査中だが、確かな情報源から導き出されて、ほぼ九割の信憑性で黒だとされている――まぁ情報源や経緯の詳細説明は省くぜ。元々、一昔前にそういうオークション組織は潰していたんだが、ハーパーはアレだな。武器や毒物の殺傷実演で販売を行っている次世代のクズ、といったところだな」
ざっくりと語ったジーンは、上手い説明が出来たと満足するように肯いた。彼の隣にいたニールが、上司の横顔を見上げて「え~……」とぼやいた。
「ジーンさん、説明がいい加減過ぎませんかね……」
「いいんだよ。ヴァンレットもマリアも、必要事項の他は求めないタイプだからな」
「まぁ、お嬢ちゃんは軍の人間じゃないですし、ヴァンレットは、アレっすもんね……」
ニールが諦めたような視線をヴァンレットに向け、ジーンも、そちらに目だけをチラリと動かせた。マリアも、自分の頭よりも随分上にある、緑の芝生頭をした彼のきょとんとした横顔に思わず目を向けていた。
三人の視線を集めたヴァンレットが、何故見られているのだろう、と問うようにゆっくりと首を右に傾けた。
……多分、いや絶対、ほとんど理解していないんだろうなぁ。
軍事に関してはスムーズに理解するし、現場でも的確な判断を行って戦えるというのに、それ以外はまるで駄目というのも珍しい男である。戦況に関しても、馬鹿である事を一時忘れてしまうぐらい正しく把握してしまえるのだが、――戦場でもない限り、奴の頭の中は未知の何かが広がっているに違いない。
「おっほんッ。まぁ、それでだな」
場の空気を戻すように、ジーンが下手な咳払いをして話を再開した。
「毒の正体も判明し、保管されている場所が絞り込めて、双方について急ぎ確認が進められている今、計画は次の段階に入った。上が次の動きを進めている間に、動ける面々が邪魔になっている敵の足元から潰していく事になったわけだ。そうと決まって早々に上がって来たのが、今回のハーパーの件だった」
「直接捌いているとなると、スピード解決を望むのも仕方ないわね……。今回の標的は?」
毒の件に関してはそこまで動いているのか、と把握しつつ、マリアは組んだ足の上で頬杖をついて尋ねた。恐らく、アーバンド侯爵家と戦闘使用人も活発的に動いているので、スムーズに進んでいるのだろう。
すると、ハッキリとした明確な言葉での回答を求める懐かしいやりとりに、ジーンがニヤリとして「俺達の『今回の標的』は」と口にした。
「オークションのメイン会場になっている、ザベラにあるハーパーの屋敷と、そこにいる『雇われ』を全て捕える。同時に騎士団の方で他のオークション会場と、ハーパー本人、ひとまず奴の顧客に関しても押さえる予定ではいる」
その顧客の中に、何人ガーウィン卿側の人間がいるのかにもよって、この任務を成功させた場合の重さは変わってくる。
ジーンが確認するように目配せしてきたので、マリアは一つ肯いて見せた。つまりオークション会場である『ハーパーの店』の屋敷に乗り込み、潜んでいる人間を叩き潰せばいい。実にシンプルで分かりやすい役目だと思った。
「俺らは、近年の警備隊については信用していない。金で買われる奴も多いってのが理由の一つで、今回のザベラに関していうと、闇オークションで大きく動かれているにも関わらず通報もない現状がある。つまり、数で行くと警備隊の中にいる内通者に、こっち側の動きを悟られてハーパー側に逃げられる可能性もあるってわけだ」
「だから少人数制なのか、なるほど……」
素でぼやいたマリアは、口調を戻してこう尋ねた。
「いつもこんな事をしているの?」
「信頼の置ける人間の数は限られるし、主戦力を外す事で陛下の周りがガラ空きになるのは良くない。そこで、非公式な『おつかい』に関しては、都合が合えば俺が『ジーン』として請け負ったりしてんだ」
「その時は、俺がサポート役で活躍するんだぜ!」
先程の失態を挽回するように、ニールがここぞとばかりに主張した。ニッと歯を見せて笑い、立てた親指を自身に向けて「どんなもんよ」と胸を張る。
マリアは、十六年経ってもジーンの隣にいる彼に、遅れて感慨深さを覚えた。
思い返せば、ニールは「食う金が欲しいからッ」と堂々と宣言して入隊した若い傭兵だった。長居するつもりはないからと、半ば緊張感もなく好き勝手やっていた問題児だったが、一匹狼で仕事をするタイプの傭兵にしては、あまりにドジを踏む事が多いせいで金に困っていたらしく、マリアとしては、彼が流浪の生活に戻っていない事については安堵も覚えていた。
あんなにオブライト達を困らせていたお調子者のニールが、今はジーンを慕い、頼られるまでにもなっているのだ。マリアはそう考えて、十六年前と全く変わらないニールの童顔を、まじまじと見つめてしまった。
考えてみると、ニールはヴァンレットよりも二ヶ月ほど先輩で、「始めての後輩とかテンション上がるぜ!」と、大きなヴァンレットの面倒を進んで見始めてから、微笑ましい感じで兄貴振りを発揮してもいた部下だった。容姿もあの頃のままだし、残念な阿呆さも健在ではあるが、オブライト達は未成年組であった彼らの成長を、本当は楽しみにもしていたのだ。
人間って成長するもんだなぁ。
傭兵時代、ニールは食に関してあまりにも縁が薄かったようで、食事を前にした彼の態度と何気ない台詞には泣けた。当時は細くて小さかったから、部下達と揃って「ニール坊、たくさん食え」「新人、しっかり食うんだぞ」と世話を焼いた日々も懐かしく思い起こされた。
そう真顔で思案して見つめてくるマリアに目を止め、ニールが興奮した様子で、ジーンの袖を引っ張った。
「ジーンさん、やばい。ここに来てようやく、お嬢ちゃんに俺の良さが認められた気がするッ」
「うーん。俺としてはな、出来の悪い弟分の成長を見守る感じだと思うんだ」
自分の視線よりも少し下にあるニールの頭を見降ろし、ジーンは、悩ましげに眉を寄せた。マリアの眼差しは露骨に年下の部下を見守る目であり、ジーンからすると『まんまオブライト』なのだが、どうして彼がその表情を読めないのか不思議でならない。
「子供に期待されない三十七歳って、地味に傷つくなぁと思ってたんすよ!」
「お前、俺の話聞いてねぇな。……まぁ、お前が好きな方に受け取るといいと思うよ、うん」
ジーンはそう締めくくり、傷つけない方向でいこうと考え直して、ニールの肩をポンポンと控えめに叩いた。「とりあえず」と切り出して、話を再開する。
「俺も直接話を聞いたとはいえ、本格的な下調べもこれからの案件だ。まずは、実際の現場を確認しようと思う」
「現場を確認した後、段取りを組んでから、数日内には決行って事かしら?」
「俺らと、騎士団側で足並みを揃えて同時に決行する事になる。それまでには、こっちも作戦を立て終えているのが理想だな。決行日までは水面下で進むから、互いが最低限『表』の方の仕事をこなしつつ動く事になる」
大臣の仕事を完全にしないわけにもいかないからなぁ、とジーンは呟いた。近衛騎士の中でトップクラスの主要戦力であるヴァンレットも同様で、この二人が完全に動きを変えてしまうと怪しまれてしまう可能性も見越し、宰相ベルアーノには、その辺の調整も頼んでいる。
立場や役職に拘束されず動けるのは、現在ニールのみとなっていた。これまでほとんど外の『おつかい』を担当していたニールは、軍部でもロイド達といった一部にしか知られていない『大臣の右腕の戦力員』だった。決行日を迎えるまでは、彼がサポート役として走り回る事になる、ともジーンは語った。
それで変装なのか、とマリアは三人が揃えている軍服に納得もした。
とはいえ、不安は過ぎる。
問題児二人を含んだ、この四人で現場を下見するのか……
マリアは横目に、ちらりと隣のヴァンレットを見上げた。すると、パチリと目が合い、彼がずっとこちらを見ていた事に気付いた。
「どうかされましたか?」
「マリアは、ジーンさんには敬語じゃないんだなと思って」
「その、友人になってだいぶ経つ、というか……?」
「ニールにも親しい」
奴に吐いたのはただの暴言だ、ヴァンレット。
マリアは、どうしたものかとジーンに視線を投げた。すると、ジーンが苦笑してこう言った。
「ヴァンレットとも『友人』なんだろ? 少しは努力してやろうぜ、親友」
気をつければいいって話じゃねぇか、とジーンの赤茶色の瞳は語っていた。そして、彼の眼差しは「大丈夫だって」とも伝えてくる。
確かに気を付ければいい話なのだが、この面子の中で、意識してマリアのままでいるというのも難しい気がする。理想としては、アーバンド侯爵家の使用人仲間達ぐらいには話せたらいいなとは思うのだが、うっかり少女らしさがなくなってしまわないかとも心配になる。
マリアは、そこでふと疑問を覚えて、目でジーンに問い掛けた。
(評判が良い少女らしさが、最近ちっともいかされていない気がするんだが)
(そうか? 気のせいじゃね?)
再会した当初、まんまオブライトだと述べていたジーンの返答には説得力を覚えなくて、マリアは顔を顰めた。
すると、ニールが不思議そうに首を傾げた。
「そういえば、ヴァンレットもメイドっ子と友人って言ってたったけ?」
「うむ。俺とマリアは友人なんだ」
「いい笑顔だなぁ。なんかさ、お前がそうやって懐いてるってのも珍しくね? あのドMの変態といい、お嬢ちゃんって交友の幅が広いというか何というか」
友人だと口にしたヴァンレットは、尻尾を振る犬のような嬉しさが滲んでいるように見えた。そして、ジーンが親友だと言った一瞬、羨ましそうにジーンを見ていた事にも、マリアは気付いていた。
お前をのけ者にしたいわけじゃないんだよ、ヴァンレット。
懐いてくれていた部下への仕打ちにしては酷いのではないか、という罪悪感に、マリアは額に手を置いた。彼のその表情と態度を見て、すぐに答えは出てしまってもいた。
つまり、ここは自分が気を付けるしかない。そもそも、友人になろうと切り出したのはマリアの方なのだ。
「ヴァンレット」
マリアは、試しにそう呼んでみた。するりと口から出た名前は、オブライトであった頃と寸分違わず馴染んで、こちらを振り返ったヴァンレットは、相変わらずきょとんとした表情をしていた。
視線の先で、こちらを見降ろすヴァンレットが二回、ゆっくりと瞬きをした。
なんだかそれが可笑しくて、こちらが気に掛けて緊張しているのが馬鹿らしいぐらいに簡単な事だったのだとも気付かされて、マリアは思わず苦笑してしまった。ジーンが大丈夫だと眼差しで伝えてきた意味が、ようやく分かった気がした。
「普通に話すけど、失礼だと感じたらすぐに言ってね?」
「うむ、大丈夫だ。遠慮なく言って欲しい」
ヴァンレットが嬉しそうに力強く肯いた。大臣とは思えない楽な姿勢で、開いた膝の上で頬杖をついてこちらを見守っていたジーンが「良かったなぁ、ヴァンレット」とニヤニヤした。
そこでマリアは、ジーンの隣にいる、もう一人の問題児へと視線を向けた。
「ん? どうしたの、お嬢ちゃん」
「あの、ちょっと言っておきたい事がありまして……チカン野郎は、外でのチカン行為を控えるようお願いしたいのですけれど」
「……申し訳なさそうな可愛らしい表情で、その台詞って器用すぎない?」
一瞬言葉を詰まらせたニールが、ぎこちなく視線をそらした。しかし、彼は頭を振ると、強がって胸を張った。
「お嬢ちゃん、俺達って出会いが悪かったと思うんだ。こう見えて俺は立派な大人――いや、むしろ落ち着きある三十七歳のおじさんだからさ。昔みたいに片っ端からスカートをめくるとか、ナンパしまくるとかないから!」
「日中堂々に覗きに走ったり、突然行方が知れなくなって、気付いたら女性陣の中で騒ぎを起こしているような事もないと受け取っても?」
「…………ふっ、数年前までの俺を見抜くとは、今時の子供って末恐ろしいぜ」
つまり三十代中盤まではやっていたという事か。
マリアは想像して、何してんだよお前は、と心底残念に思って目を座らせた。すると、場の空気が自分に不利な方へ進みつつあると野性の勘で察したニールが、突如立ち上がり、青年にしか見えない顔をやけに凛々しく引き締めて、力強くこう宣言した。
「安心しなッ。この【騙し打ちのニール】、ジーンさんの足を引っ張るような真似はしない!」
それを眺めていたジーンが、途端に「ははっ」と乾いた笑みをこぼした。マリアは、悟ったようなジーンの表情に、騒ぎが起こったらいつも置いて帰るんだよな、という事情を察して沈黙した。
穏便にいけばいいな、と思いながら、それが叶いそうにない予感にマリアは目頭を揉み解した。今度ニールがチカン行為をしたら、その場で沈めて縄で拘束し、ヴァンレットにひきずらせようかと策について考える。実際、彼らがまだ新人だった時代にやっていた方法だ。
宣言によっていつもの調子に戻ったニールが、集まった面々を改めて目に止め、それから大人しくなったマリアを見て「うーん」としばし思案し、掌に拳を落とした。
「やっぱり揃えるのが良いよな。よしッ、お嬢ちゃんもジャケットを着ようぜ!」
「お、ニールは分かってるな。『仲間』としては揃えたいよなぁ。ヴァンレットはどうだ?」
「マリアとお揃い……。うむ、良いと思います」
思案に耽っていたマリアは、こちらにやってきたニールに「ほら」と物を差し出しだされたところで、ようやく気付いて「あ?」と訝しげに顔を上げた。
目の前に差し出されていたのは、一番サイズの小さい平隊員のジャケットだった。阿呆かと一蹴してやろうとしたマリアは、同じ軍服に染まった三人の元部下達がいる光景に、十六年前の日が重なって言葉が詰まった。
懐かしい、すまない、そんなちぐはぐな想いが胸に込み上げた。
オブライトとして最期に見た青い空と、同じ空の下にいるであろう彼らを残していく事を想った記憶がグッと込み上げて――……すまなかった、すまない、ごめんなさい、と、オブライトとマリアの言葉が波のように押し上げて、一瞬脳裏を染め上げ、それから、ゆっくりと引いていった。
「大丈夫だって、親友。外に行くときはローブで隠すし」
マリアの沈黙を見たジーンが、カラカラと笑いながら、用意していたらしい旅人が着るような古びた茶色のローブを掲げて見せた。
そういう事じゃないんだ。
一瞬だけ、とても胸が痛かったのだけれど、その感情の名前が分からない。
数回の深呼吸の間に、防衛本能のように古い記憶が胸の奥へと滑り落ちてしまうのを感じながら、マリアは、ニールからゆっくりとジャケットを受け取った。ニールは陽気さの滲む呑気な顔で口笛を吹きながら、続いてジーンとヴァンレットに、一般の王宮騎士が支給されている剣を手渡し始めた。
……少しだけなら、いいのだろうか。
マリアは、手に取ったジャケットを見降ろした。きちんと身長に配慮されたジャケットは、サイズの一番小さなものだった。一度、そっと握り締めて――マリアは彼らが剣を腰に差すそばで、慣れたようにジャケットを広げて袖を通した。
ほんの少しほど肩幅は余るが、なんだかしっくりとくる着心地だった。ジャケットに入り込んでしまった長いダーク・ブラウンの髪を、両手で取り出して背中に払った。袖口の金具を止め、最後に襟を整える。
上着を揃えたからといって、決して、あの日に戻れる訳ではないけれど――。
すると、こちらに目を止めたジーンが「似合ってるぜ」と笑い、ニールが「おぉ、さすが俺。目利きぴったりじゃん」と言った。続けてヴァンレットが、「うむ」と楽しそうに肯く。
それを見て、マリアは、思わず素で苦笑をこぼしていた。




