六章 女性恐怖症の文官と、毒薬学博士な賢王子(5)下
「約二十年に渡って、王宮内で毒物による暗殺が続けられていた可能性があります」
そう切り出したルクシアの言葉に、記録保管庫内は、数秒ほど沈黙に包まれた。
「誰かの勝手な都合で、巧妙に人間を処分し続けている者がいたとしたら、許される事ではないでしょう。……私が調べているのは、そういう類のものです。だからこそ、危険がつきまとう」
二人の沈黙を、怖気づいたものだと感じたのか、ルクシアが居心地悪そうに語尾を弱めた。
マリアとアーシュは、事の大きさには少し驚いたものの、メイドの転落死にすぐ結び付けられなくて反応に遅れただけだった。
先に話の繋がりを理解したアーシュが、姿勢を正して「はいッ」と質問を示すべく手を上げた。
「殿下は――あ、俺も『ルクシア様』と呼ばせて頂きます。そのメイドも、何者かに不必要だと判断されて殺された、と考えていらっしゃるのですか?」
「いいえ、恐らくですが、試験的に処分の方法を見せるためか、偶然にもうっかり彼女を処分してしまうことになった可能性を考えています。だからこそ、彼女自身について調べても何一つ粗が出てこないのでしょう」
ルクシアは、どこか安堵したような浅い吐息をつくと、「証拠もないので、今のところ私の推測の域でしかありませんが」と続け、幼い華奢な手で資料の下を探った。
「昨年引退されたモーガン王宮医長が、年に数回確認されていた突然死について異論を唱えてから、それがピタリと止んでいる事を、私は常々不思議に思っていました。彼が原因不明の死を疑う者について、個人的に詳細記録を残していてくれたので助かりました」
そう言いながら彼は、使い古された手書きのノートを手に取り、記載内容をマリア達に広げて見せた。そこにはびっしりと文字が並んでいたが、専門用語が多すぎて理解は出来なかった。
「私はほとんど王宮にはいませんでしたから、モーガン王宮医長が口にしていた『妙な死』の実物を見たのは今回が初めてです。毒は必ず僅かな反応を残すはずなのですが、私が調べても毒物反応は皆無でした」
ルクシアの口調は、大人のように落ち着いていて、彼が十五歳である事を忘れてしまいそうだった。
「毒物反応がないのに、死因が毒だと? えぇと、俺は素人なのであれですが、つまりそのメイドは、毒物を飲まされて殺されたうえで、事故にみせかけるように転落させられた。だから毒物反応が検出されないのはおかしい、とルクシア様は言いたいのでしょうか……?」
「そういうことです」
ルクシアに確認を取ったものの、アーシュは難解だというような表情で、一度頭の中を整理するようにペンをメモ帳に走らせた。
ルクシアの話し方は、学者じみていて理解に難しいところがあり、マリアとしても苦手な分野だった。推理したり分析するのは、生粋の軍人脳には厳しい物がある。
そもそも、毒物が死因だとしたら、どうして転落させるという余計な作業を行ったのだろう?
毒で死んだと悟られたくない何かがあったのか。しかし、毒のプロが痕跡を見つけられないのに、わざわざ転落死に見せる必要はないような気がするのだが……
「それが未発見の毒であれば、隠すのは当然かと思われます」
心の疑問に答えるように言葉が返って来て、マリアは「ぅえ?」と妙な声を上げてしまった。視線を上げると、無表情のルクシアと、茫然としたアーシュがこちらを見つめていた。
アーシュの顔には、初めて少し見直してしまった、というような心情が表れてもいた。
「……あの、もしかして私、声に出てました?」
「はい、全部出ていました」
ルクシアは、眉一つ動かさず冷静に答えた。
「私が注目したのもそこなのです。我々は毒に対抗するために調べ、研究し、必ず解毒剤を作ります。もし痕跡も残らないような未知の毒が、この王宮内で当然のように使用されていたのだとしたら、恐ろしいと思いませんか?」
強いルクシアの目を見て、マリアはふと、どうして彼はメイドの死因を毒だと断言出来たのかという、根本的な問題に気付いた。
謎の突然死について詳細な記録が残されているのだとしたら、その毒には、一目見て分かるような症状や特徴があるのかもしれない。だからこそ、彼は確信を持って調べているのだ。
「……ルクシア様と王宮医長が目を付けた、その死亡者達には類似点、もしくは共通点があるという事ですね?」
「その通りです。血の固まりが異常に遅いという奇妙な特徴のせいで、死亡後も長らく流血が確認されています」
わざと難しい言い回しをして、こちらを試していたらしい。
ルクシアが僅かに唇の端を持ち上げて、ほんの少しだけ見直した、というような顔で器用に片眉を上げてみせた。
「耳、眼球、口内からは確実に流血が見られ、死亡後、数時間経っても唇は紅を塗ったように赤いのも特徴です。通常であれば、死亡後は速やかに体温を失っていくものですが、しばらくの間は平均体温を上回る、という特徴もあります」
流血タイプの毒と聞いてすぐ、血が駄目なアーシュが「ひぃ」と両手を口にあてていた。
ルクシアは、気にする素振りもなく淡々と話を続けた。
「その毒は体内に残らないどころか、時間差で死に追いやる可能性があります。そうすると、完全犯罪が成立するという、何とも都合のいい毒ではありますが――、死亡者の症状だけでは、何の証拠にもならないでしょう。だから今のところは、私とモーガン王宮医長の推測でしかないというわけです」
そこで、ルクシアは真面目な顔でこちらを見据えた。
「これを使用しているのは、他国の間者の可能性が高いと思います。私も馬鹿ではありませんから、危険に足を踏み込む行為だとは承知しています。恐らく、父上や兄上が追っている大きな問題に関わるものでしょう。だからこそ私は、今の私に出来る事をしなければならないと考えています」
「――つまり、未知の毒の特性を詳細に分析するために、死亡記録を調べ上げているのですか?」
アーシュが、やや青い顔でルクシアに尋ねた。事の重大さは理解しているが、聞いたからには引き返すつもりはないと伸びた背中は語っている。
マリアとしても、そんな危険なものを野放しにしてはおけなかった。表立った大きな問題は友人達に任せるとして、今は、たった一人で闘っているルクシアの力になりたいと思った。
ルクシアは、アーシュの問いかけを聞くなり、小さく眉を顰めた。
「毒の特性については既に把握済みです。言ったでしょう、時間差で致死に追いやる、血流に働きかけるものだと。今は特性から絞りこんで毒や解毒薬を調べているところです。体中から血を流す毒というのは聞いた事がありませんが、作り方によっては不可能でないだろうと、最近は思えてきましたね」
「あれ? そうすると、記録保管庫への出入りはわざとって事か……?」
マリアが思わず素で訊き返すと、ルクシアが、口角を少し持ち上げるような歪んだ笑みを浮かべた。
「その方が行き詰っているように見えますから、少しは時間稼ぎになるでしょう? 襲われでもしたら、私はひとたまりもありませんからね」
幼い顔には不似合いなその不敵な笑みは、常に相手の三手先をいっていた国王陛下アヴェインにそっくりだった。
簡単に考えるとするのなら、マリアは彼を守ればいいのだろう。出来る範囲で調査を手伝いながら、ルクシアについていられない友人達に変わって、そばにいる。
王宮への出入りが多くなるリリーナの安全のためにも、毒については早々に解決しておきたい。
とはいえ、やはり本音を言うと、乗りかかった謎の解明には興味があった。アヴェインに動かされていた日々は、例え無茶ぶりであったとしても、それはそれで性に合って楽しかったのだ。
そう思って、マリアは不敵な笑みを返した。
それは彼にとって予想外の反応だったのか、ルクシアが目を丸くした。
「乗りかかった船ですから、全力で協力させていただきます」
「……怖くはないのですか?」
「私は、お嬢さまから頼りにされている自慢のメイドですからね。度胸だけは人一倍あるので安心して下さい。ね、アーシュ?」
気後れしているアーシュに話を振ると、彼はやや遅れがちに「おぅッ」と答えた。彼はまだ完全に頭の中の整理が済んでいないようで、強がった笑みを浮かべて、ふんぞり返るように腕を組んだ。
「俺はマリアよりも先輩ですから、しっかりルクシア様をサポートさせて頂きますよ。俺の速読と絶対記憶力は、ルクシア様の役に立つかと思います」
「ああ、それで兄上は貴方を――」
第二王子ジークフリートが、初めからアーシュを護衛ではなく、学術的な助っ人として関わらせるつもりだったとしたら、これほど適任な人材配置はないだろう。
マリアは読書も勉強も苦手で、難しい資料や本を読むのは不得意だ。そう考えると、マリアにとってもアーシュは頼もしい人材といえる。
つまり、マリアは使用人として雑用と世話を受け持ちながら、王子を守る騎士となればいい。そして、戦闘が駄目なアーシュは、文官として調査の手助けに大きく貢献するのだ。
出会い頭のショック療法もあって、アーシュとは、今では普通の距離感から接する事も出来ている。彼とは中々良いコンビとして上手くやれそうだと感じた。
「よろしくね、アーシュ!」
マリアは、オブライト時代の癖で、彼の右手を取ってぎゅっと握った。仲良くしたいという意思を込めて、作りものではない満面の笑みをニッコリと浮かべる。
アーシュは口をポカンと開け、数秒ほどマリアの顔を直視していた。しかし、握られた手に視線を落とすと、遅れて状況を察したように身体を震わせ始めた。彼の顔色が赤や青と、せわしなく変わった次の瞬間――
唐突に白目を向いて、アーシュが椅子ごとひっくり返った。思い切り後頭部を打ちつける鈍い音が上がったが、彼はピクリとも動かなかった。
「嘘だろ、おい。このタイミングでこう来るか? ッて違う、アーシュ大丈夫!?」
「……そういえば、彼は女性恐怖症でしたね」
慌てて駆け寄ったマリアは、倒れたアーシュの肌に薄らと蕁麻疹が出ているのを見て、助け起こそうとした手を止めた。
ルクシアは特に驚いた様子も見せず、ゆっくりと立ち上がると「外の衛兵に言って、救護班を手配してもらいます」と冷静に判断を下した。
それからしばらくもしないうちに、要請を受けた若手の救護班が、総隊長の執務室前を全力疾走で通り過ぎ、記録保管庫へと到着したのだった。




