四章 メイド、王宮へ行く(1)
少年少女三人が入っても広すぎるという、とんでもなく豪華で大きな馬車は、椅子も恐ろしいほど柔らかくふわふわとしていた。
馬車の震動はほとんど気にならず、非常に丁寧な運転で運ばれている事が容易に察せた。
車窓からは、王都中心街の美しい街並みが流れていくのが見えた。アーバンド公爵邸から一時間離れるだけで、領地から王都へと、その土地の雰囲気が全く異なる街並みに変わるというのも不思議な気がする。
いや、そうではないのだ。そういう事じゃないのだ。
馬車に乗ってからずっと、既に何度か領地と王都の往復経験を持っていたリリーナが、マリアに「あそこがお菓子屋さん」「あっちでお父様とリボンのお土産を買ったのよ」「向こうが大聖堂で」とはしゃぐように説明してくれていた。
ああ、すごく可愛い。癒されて、思わず眉尻がだらしなく下がるのをマリアは感じる。
じゃなくて、だな。
マリアは、放心状態と、天使であるリリーナにほだされるという時間を交互に過ごしながら、ようやく見え始めた宮殿の一角を見て我に返った。向かい側では、サリーが物言いたげで、どこか心配そうな頼りない微笑を浮かべて、マリアを見守っている。
リリーナと第四王子クリストファーの婚約が、正式に発表されて二週間後の今日。
第四王子と会うため、本日、リリーナは三回目となる登城を予定していた。
もう保護者がなくとも大丈夫だろうと、双方の親と当人たちの合意のもと、今日が初の「婚約者という名の友達の家に遊びに行こうぜ」という企画になっていたのだ。
ちなみに、そんなろくでもない作戦名をつけたのはガスパーである。
しかも、その企画じみた文字が記載された手製の横断幕には、何故かサリーの名前の他、マリアの名前もしっかりと明記されていた。
マリアとしては、ハメられた気分である。
一人だけその企画を当日まで知らされなかったマリアは、当日の朝に、その立派な横断幕と共に迎えられ、アルバートに「マリアも行っておいでね?」と実に爽やかな笑顔で告げられ、アーバンド侯爵からは「土産話を楽しみにしているよ」とまで言われた。
唐突に指名を受けたマリアは、第四王子クリストファーへの手土産として、青い薔薇の花束と、料理長お手製のアップルパイを持たされ、王宮から迎えにやってきた馬車にあっという間に詰め込まれて、今に至る。
馬車の搭乗者は、マリアとリリーナ、それからサリーの三名のみだった。
下は十歳、上は十六歳の子供たちだけでの登城だ。
確かにアーバンド侯爵家の戦闘使用人が二人もついているので、実質的には何ら問題はないかもしれないが、多くの者はその事実を知らないわけであるので、体裁として、それはどうなのだろうかと思う。
他の人間は、アーバンド侯爵家の特殊性を知らないのだから、護衛もない三人の子供という構図は絶対驚かれる。都合がつかないというだけで、「お嬢さま専属メイドのマリアと、侍従のサリーがいればそれで問題なし」と言い切った仲間達の、自信の出所をといただしたい。
今、ものすごくそう思う。
到着した王宮で、馬車を降りるリリーナをエスコートしようとした衛兵が、中を覗くなり案の定驚いたような顔をした。表情の変化は控えめであったが、数秒ほど見事に硬直していた。
その衛兵は、馬車から降りてすぐ、可愛らしくもきちんと礼を述べたリリーナの笑顔に頬を緩ませた。しかし、我に返ったように、十歳の美少女である小さな主人と、マリアとサリーの方を視線だけで三往復した。
彼は、三人の子供たちが馬車から降りたところで、本日の訪問責任者であるマリアに、こっそり訊いてきた。
「あの、大丈夫ですか? 上の方からは何も言われてませんが、案内の他にも誰か付けましょうか……?」
マリアは、自分の容姿が十四歳ぐらいに見える事を知っていた。女の子のように可愛いサリーも、実年齢の十五歳には到底見えないし、十二歳ぐらいの男の子と勘違いされる事が多い。
サリーは三回目の訪問だというのに、やはり少し緊張したように瞳を潤ませており、周りにいた勤務中の兵士達が、庇護欲に駆られたような視線を向けていた。彼らはサリーだけでなく、「何度見てもキレイね」と王宮を仰いで満面の笑みを浮かべるリリーナを見て、露骨に癒されたような緊張感のない表情をする。
これ、完全に人選ミスなのでは。
もはや不安しかない。
というか、二回の登城では、侯爵家の肉親保護者と有能執事がついていたのに、なぜ今日に限って大人の代理人無しになっているのだろうか。
確かにマリアは城内をよく知っていたが、初めはフォレス辺りが一緒に付いて指導するぐらいの事があってもいいと思うのだ。
婚約によって二人の天使を近くから拝められる、という目前の欲に駆られて先が見えなくなっていたが、今冷静になって思えば、王宮に関わるのは面倒な予感しかしない。護衛騎士というぐらいだから、第四王子のそばにはヴァンレットもいるだろうし……
どうして、こうなったんだろうなぁ。
マリアは溜息を喉の奥に押し込み、頭上を仰いだ。ふと、棟の上に掲げられた複数の軍旗を見て、黒竜をモチーフとした黒騎士部隊の旗がない事に気付いた。
黒騎士部隊というのは、正装の甲冑が黒い前線部隊軍である。特注の甲冑は非常に重いため、実際の戦闘の際には邪魔にもなるので使用しておらず、ほとんど着た覚えがないくらいだ。
中央の軍事力の要が『銀色騎士団』、最前線を担う恐れ知らずの特攻部隊兵が『黒騎士部隊』、と当時の軍力はその二大体制であったので、黒騎士部隊の軍旗がないのもおかしく感じて、マリアは訝しげに首を捻った。
「どうかされましたか? 大丈夫ですか?」
尋ねてくれた衛兵の声に、マリアは我に返った。
今は、そんな事を考えている場合ではないのだ。あれから十六年経っているし、軍の内部事情も変わる事だってあるだろう。
そうだ、あれから十六年も経っているのだ。
しかも、今のマリアは、疑いようもない一介のメイドである。
心を落ち着けて冷静に考えてみると、黒騎士部隊の軍旗がなく、ヴァンレットが近衛騎士隊の隊長をやっているように、十六年で人員の配置も大きく変化しているはずだ。
つまり、再会したらどうしよう、と鬱々と考えて想像してしまう方が変なのかもしれない。何故なら王宮には、多くの人間が所属しているのだから、そんなピンポイントで過去の友人や知り合いに出会う確率の方が低いだろう。
どうにかそう考え直し、心の中で自身に言い聞かせたマリアは、衛兵に持ち前の愛想笑いを返して「大丈夫ですわ」と答えた。




