4.解呪
伯爵令嬢が暴漢に襲われてより、約一月半。
そこにはすっかり元気を取り戻した彼女の姿があった。
あの後、豪速で騎士に同行する軍医の元へ駈け込んだのが功を奏したのか、無事、一命を取り留めたティビュアナ。
更に、王の許しを得て城で宮廷医による治療を受けさせ、ある程度状態が落ち着いたところで生家での療養に切り替え、しばしの休息と相成った。
医師の見立てでは、婚姻の儀式までには十分回復が間に合うということであったし、それに向けての教育もすでに復習の段階に入っており、花嫁衣装も採寸やデザイン決めなど当人の必要な場面は過ぎているので、予定には大きな変更も支障も出ていない。
これも常日頃からのティビュアナの努力の賜物である。
もちろん、少々の痕が残って令嬢として不良品になったので婚約は解消、などという非道な展開もない。
さて、本日はといえば、医師から通常の生活に戻って問題はないと太鼓判を押された令嬢の快気祝いに、野獣がベイル伯爵家の彼女の私室を訪れているところであった。
「この度は、大変ご心配をおかけしました」
「あぁ、全くだ。
なぜ大人しく俺の到着を待たなかった」
腕を組んだ王弟が、不機嫌そうに椅子から垂れる尾を床に叩きつけている。
これまではひたすら婚約者の身を案じていた彼だったが、完治すると逆に、心の奥底に追いやっていた怒りが改めて噴き出してきてしまったらしい。
「本当に、申し訳ございません。
何があっても前には出るなと、ご忠告いただいておりましたのに……私……」
令嬢自身、至らぬ点を反省しているようで、いかにも気落ちした様子を見せている。
そんな婚約者の謝罪を半ばで遮って、野獣が唐突に奇妙な質問を割り込ませた。
「ティビュアナ。俺は何だ」
意図が不明に過ぎて、頭上にいくつもの疑問符を並べるティビュアナ。
しかし、律義な彼女は、自身の思う答えを正直に返してやる。
「それは……我が国の英雄、ビストルメイ・ツィートゥ・ナ・アルヴァティオン王弟殿下であらせられるかと……」
「違う、そうじゃない。
俺は婚約者だ。いずれ貴女の夫となる男だ」
「あっ、その……はい」
令嬢の模範解答は、即座に王弟に否定された。
そして、彼から修正を求められた内容に、彼女は不謹慎だと理解しつつも、つい頬を赤らめてしまう。
乙女心である。
「くどいようだが……いくら記憶があろうと、貴女はまだ十八で、無力な令嬢でしかない。
その事実を把握した上で、俺を頼ることを覚えろ、時に耐えることを知れ。
早々に見切りをつけ、自己犠牲を前提に独りで万事を成そうとするな」
「……は、はい。全て殿下の仰る通りでございます」
婚約者である男性からの優しさと心配を多分に含んだお叱りに、ティビュアナは嬉しいやら情けないやらと、複雑に上下する情緒に振り回されていた。
が、そこで急速にトーンダウンした野獣が、片腕で頭部前方のタテガミを掴んで、首を横に振る。
「ああ、いや。いや、すまん。違うな」
「殿下?」
「俺が憤っているとすれば、貴女の特性上この日が来ることを予期していながら対処を仕損じた、己自身への不甲斐なさに対してだ。
見切りの早さも、俺が貴女にとって信頼し待つに値する者では、心を預けるに足る男ではなかったからだろう。
こちらの落ち度だ……悪かった」
彼は悔しがっていた。
女とは男が守ってやるべき存在であるのに、そう出来なかったと、己の不徳によるものだと。
一方、ティビュアナは、突然、謎の理論で自嘲を始めた王弟に、酷く驚いていた。
同時に、勢いよく腰を浮かせて、怒りとも悲しみともつかぬ顔で彼に異を唱える。
「っ違います!
殿下は最初からずっと親切にして下さって、誰よりも信頼の置ける御方で……だからっ!
だから…………問題があるのは、私です。
私がいつまでも過去にばかり囚われているから、身の丈に合わぬ愚行を、多大な迷惑をお掛けして……っ」
テーブルの上で両の拳を握って、今にも泣き出しそうな震える声で、令嬢は自身をなじった。
重苦しい沈黙が落ちる。
内に、俯く彼女の背に大きな影がかかり、間もなく、暖かな毛皮が細い肩をそっと包んだ。
ビストルメイだ。
「ティビュアナ、そこまでにしておけ。
無理矢理すぐに変わろうとは考えるな、それでは歪に曲がりかねん」
「殿下……」
「ゆっくりと意識を変えていけばいい。
貴女が前世と現在とを確かと割り切れるまで、婚約者たる俺が全ての危険から守り通してやる。
……ああ、これについては単に俺個人の決意表明だ。
心にだけ軽く留めておいてくれ。
それで、いざという時にでも思い出してくれれば、俺は喜ぶ」
肩に収まりきらず首を刺してくる硬い毛と裏腹に、彼の声はどこまでも柔らかい。
ティビュアナの悲哀が、高ぶる心音に、トキメキに上書きされていく。
ここにいるのは、うんと年下の立派な青年ではなく、年上で素敵な大人の男性なのだと、自然と意識が若返っていった。
前世の老婆にとって若者は皆、眩しく愛おしい存在で、その未来は先のない自分が率先して守るべきものと、そう認識されている。
けれど、唯一ビストルメイだけは、ティビューを、己を守ってくれる者なのだと、共に過ごす時が増す毎に、言の葉を交わす度に、強く感じるようになっていった。
愛を遠ざけたい野獣を相手に、恩を徒で返すようなものではある。
が、当人から『うっかり懸想』しても大丈夫だと告げられているし、過去の残滓がソレを捨てるなどとんでもないと、尊いものだと叫ぶので、改めて王弟から命じられでもしない限り、手放す選択肢はなかった。
二人を繋ぐ音が途切れれば、間もなく黄金色の温もりが彼女から離れていく。
「病み上がりの所すまなかった、ではな」
その後、婚約者の体調を気遣ってか、彼は屋敷から早々に退場していった。
野獣の乗った特別サイズの馬車が遠ざかっていくのを、令嬢が自室の窓から眺めている。
「……殿下は私を甘やかし過ぎです」
僅かに瞳を濡らしながら、罪な人だと彼女は笑った。
今はもう、ただただ彼が愛おしい。
~~~~~
怪我の完治から一週間も経てば、再び令嬢の離宮通いが始まった。
その合間合間に、適当な居室で他愛ない雑談に興じる一人と一匹。
結婚を間近に控えている割に、彼らの距離は相変わらずテーブル越しのままだ
「なんだ、ティビュアナ。いやに楽しそうだな」
会話の最中、ふと、野獣が令嬢へそんなことを尋ねてきた。
一瞬、どう答えたものかと頭を悩ませるも、結局、彼女は素直に心情を吐露しようと決める。
「そうですね。
殿下と過ごしていると、感情面が潤うと申しますか、年齢相応に若返るような心地がいたしますもので」
さすがに表現はそこそこ遠回しだ。
色んな意味で『あなたと一緒にいるだけで幸せ』などと、軽々しく口に出せる状況ではない。
「……ふうん?
ならば、今後はもう少し共に過ごす時間を増やすか。
思えば、貴女が宮に来るのに合わせるばかりで、こちらから伯爵家を訪ねたことは殆どなかったな」
すると、彼女の真意を理解しているのか否か、王弟がそんな宣言をしてくる。
慌てたのはティビュアナだ。
まるで、多忙な英雄の時を図々しくも催促したような形になってしまったのだから。
「いえ、殿下。私、その様なつもりでは……」
眉尻を下げ、控え目に首を振る令嬢。
しかし、野獣は覆さない。
「俺の存在がティビュアナを自覚する一助となるなら、いくらでも利用しろ。
遠慮はいらん、俺は貴女の婚約者だぞ」
ターコイズブルーの眼は真剣だ。
彼元来の世話焼きな性格が、手中の庇護者を相手に強く発動している。
ティビュアナは苦笑した。
「困りますわ、殿下。
またそうやって、無自覚に人を魅了なさるのですから」
「ん?」
「とはいえ、殿下は私をよくご存知ですし、こちらが遺損いでお慕いしたとて、けして解呪には至らないのでしょうけれど……」
もはや己の恋情を隠しもしないような言い回しだ。
けれど、これは彼女なりの警告でもある。
細心の注意を払うべきだと、もはや条件の半分は達成されているのだぞ、と。
ティビュアナは愛されたいとは望まない。
王弟は獣の姿に誇りを持っている。
その巨躯で多くの兵たちを、民を助け、国を守り、英雄と扱われるようになったのだ。
体に走る無数の傷すら、彼の誉れの証である。
それを失って欲しいなどと、まさか彼女が思うわけがない。
対して、野獣は何か奇妙な物でも食わされたような困惑した表情で、酷く曖昧に頷いていた。
「あ、ああ…………そう、だな」
そんな危ういやり取りを交わしてから数日後の、真夜中のこと。
「……十六の、人であった頃の俺が花畑の中心でティビュアナと微笑み合っている」
呆然と闇の中に立つビストルメイ。
全方位に暗黒の広がる空間内で、彼の眺める一画だけが、天からの日射しを受けて、その和やかな様相を浮かび上がらせていた。
「夢か」
そう、明晰夢である。
野獣の視線の先で、令嬢の紅茶色の髪が突然の春風に乱された。
すると、隣に立つ少年ビストルメイが、おもむろに彼女の方へと腕を伸ばす。
彼はティビュアナの頭部に指を差し込み、撫でるように髪を梳いて整えてやっていた。
面映ゆそうに頬を染めながらも、令嬢は少年の行為を大人しく受け入れている。
そうして至近距離で見つめ合う両者の瞳には、確かな熱が灯っていた。
愛の喜びに満ち溢れる、穏やかな光景だ。
陰に潜む獣のターコイズブルーが暗く濁っていなければ。
「……あぁ…………あぁ、羨ましいなぁ、ビストル。
なぜ俺は獣の姿をしているのだろう」
小さく零れ落ちる、飾らぬ感情。
王弟は二人を視界から外して、今度は自身の手をじっと見つめた。
闇は彼の巨躯を隠さない。
毛に覆われた太く短い指、黒くひび割れた肉球、時に鉄をも裂く鋭い爪。
「ふふ、欲深いものだ。
呪いによって望みを全て叶えておきながら、あれほど喜び解放を拒んでおきながら、今更になって……」
強い、自嘲。
彼はとっくに知っていた。
己の心の変化を、その在処を。
「だが、そろそろ誤魔化し続けるのも限界か」
歩く。
王弟は花畑の中心へと、真顔で近付いていく。
そうして辿り着いた先で、今にも口づけを交わしそうな男女の間に、無遠慮に獣の手を差し入れた。
「さあ、ビストルよ。
それ以上は、彼女の真の婚約者たる俺が許さんぞ」
驚いて見上げてくる令嬢と少年。
瞬間、世界が真っ白に光り輝き……夢が終わる。
同時刻。
伯爵家の自室ベッドで、ふと目を覚ましたティビュアナ。
彼女は末だ意識も不明瞭な寝ぼけ眼のまま、小さく宙へと呼びかける。
「……殿下?」
何か大事なことを忘れたような、思い出したような、不可思議な感情が彼女の中で揺蕩っていた。
~~~~~
明けて翌日。
アルヴァティオン国王の執務室。
「どうした、ビストル。
そなたから謁見を申し出るなど珍しいな」
野獣が兄王の眼前に、神妙な顔で跪いていた。
「陛下に報告したき旨がございます」
「ふむ? 申してみよ」
興味深げに続きを促す国王。
時を置かず、何かを強く決意したような、それでいて落ち着いた声で、ビストルメイは兄に告げた。
「おそらく、自分は数日中に人に戻ります」
彼は確信している。
今、己と婚約者であるティビュアナの胸の内には、俗に『愛』と呼ばれる感情が深く根付いていることを。
「……そうか」
ほんの一瞬、右の人差し指をピクリと動かして、しかし、それ以上の動揺は見せずに、バルドガンドは静かに頷いた。
兄の真の望みを知らぬ弟は、彼の思考を読み違えて、恭しく頭を垂れる。
「この咎めは如何様にも……」
獣姿の解呪について、ビストルメイは罰を受けるべきことと認識していた。
そして、目の前の国王は、軍部の総司令官たる彼の軽々なる宗旨替えに怒りを覚えているだろう、とも。
「めでたきことではないか……何を咎める必要がある?」
ビストルメイの懺悔に対し、僅かに唇の端を上げた兄王が問う。
その反応に、野獣は彼の不機嫌を悟り、苦しげに眉間に皺を寄せた。
「陛下、お戯れを……。
自分が英雄たりえるのは、野獣の呪いあってこそ。
また、この姿を祝福と信ずる民草も、それが解けたとあらば無用な不安を煽りましょう。
そも、各国の要人を招いた婚姻式も残り一月を切ったこの時期に、むざむざ騒動の種となりかねぬ愚行に走るなど、王族にあるまじき身勝手さと……」
「ビストル」
「ハッ」
長台詞に国王が口を挟めば、王国軍総司令官が即座に傾聴の姿勢に入る。
「良い。全ては織り込み済みだ」
「っ……今、なんと?」
寝耳に水も過ぎる話を聞かされて、驚愕した野獣が尾を立て限界まで瞼をこじ開けて兄を見た。
分かりやすい弟に、バルドガンドが柔らかな苦笑いを零す。
「あまり余を侮るな。
いつ如何なる時に解呪が成ろうと、どうとでも転がせるよう、命令以前より取り計らっておるわ。
……まあ、衣装まわりについては些か職人を煩わせようがな」
「な、なん、なんと!」
直後、ビストルメイは驚きに加え、尊敬と憧憬と感激の色を瞳に宿した。
穢れなき海のようなターコイズブルーが、自ら光を散らし輝いている。
「そなたは、ただ無事に儀式をやり遂げれば良い」
「っ兄上! あ、兄上!」
「うむ」
「ありがたき幸せ!」
「……うむ」
そこにいるのは、もはや国王と軍の総司令ではなく、ただただ弟を可愛がる兄と、そんな兄を誰より敬愛する弟にすぎなかった。
同日、夜。
薄暗い寝室で独り、晩酌に耽るバルドガンド。
「そうか。ついに兄離れを果たすか、ビストル……。
ああ、これでようやく肩の荷が降りた」
そう呟くと、彼は手中の赤ワインをグイと飲み干した。
次いで、深く息を吐き出し、間もなく空になったグラスをコルク製コースターの上へと戻す。
ビストルメイが国王第一主義の男のままであったらば、兄の刷り込んだ呪いに真に蝕まれたままであったらば、彼が人への回帰を望むことは永劫なかったに違いない。
一人の狂信者は令嬢の愛の力で正気に返り、再びバルドガンドの家族となったのだ。
兄の罪は濯がれた。
喜ばしい、大変喜ばしい事実である。
ただ、どうしてか……王の心には風が吹いている。
悲鳴にも似た甲高い音を出す、乾いた風が。
「……………………寂しいなあ」
囁く男の表情は、頼りない炎と共に踊る夜の暗闇に紛れ、やがて永遠に失われた。
~~~~~
数日後。
常の通り離宮を訪れたティビュアナを、しなやかな筋肉を携えた涼やかな目つきの美丈夫が出迎える。
「待ちわびたぞ、ティビュアナ」
「え……?」
彼女の姿を認めると、青年は朗らかに笑った。
一方、唐突な謎の貴公子の登場に、警戒と困惑で身を固くさせる令嬢。
と思いきや、直後、ティビュアナは何かに気付いたように肩を揺らした。
それから、ゆっくりと目を見開きつつ、前方に佇む彼へと質問を投げかける。
「その陽光降り注ぐ稲穂の波の如き黄金の御髪、穢れなくも輝きに満ちた海碧の瞳、僅かに割れた凛々しくも艶めかしいお声、堂々たる立ち居振る舞い……。
ま、まさか、ビストルメイ殿下?」
若干、恋の欲目混じりではあるが、正解。
美丈夫の笑みが深くなる。
「そうだ。俺がそうしたいと望んだ」
国王へ謁見した翌日の朝、起床すると既に彼の呪いは解けていた。
ぼんやりと予兆を感じ取っていたビストルメイは、特に大げさに驚くこともなく、泰然と事実を受け入れたのである。
「貴女を妻として愛せない方が、野獣の姿を失うより余程苦痛だと思い知ったのでな。
先んじて、陛下にもお許しをいただいてある」
愛おしそうに婚約者を見つめる元野獣の美青年。
対して、令嬢はなぜかショックを受けたような、血の気の引いた顔をしていた。
「そんな……わ、私、殿下に誇りを捨てさせてしまったのですか?」
細い肢体が震えている。
ティビュアナは、今、罪悪感に打ちのめされそうだった。
国のために身を粉にして働き続ける男が後生大事にしていたものを、ただ己一人のためだけに捨てさせてしまったのかと、また、アルヴァティオンの懸命な民草から英雄を奪ってしまったのかと。
「馬鹿を言うな。
姿形がいかに変貌しようと、成した過去ごと失われはしない。
力は失えど、この体に刻まれた誇りはけして消えるものではない。
今もなお、我が身の中心に確と存在しているとも」
王弟は苦笑いである。
ただ、こうした彼女の反応を事前に予想はしていた。
個人の存在のみならず、その価値観まで尊重したがる博愛の婚約者であるがゆえに。
「兄上は歴代最高の国王だ。
この程度の些末事でアルヴァの治世も乱れはしない」
しかし、彼に諭されても納得が出来なかったのか、令嬢は涙目になって頭を左右に振る。
「けれど、けれど……っ!」
「よもや魔女に懇願に行こうなどと、愚かなことを考えるなよ?
野獣の巨躯では、愛しの妻と共寝もままならんからな」
「なっ、殿下っっ!?」
このまま放置すれば余計な真似を仕出かしそうだと判断した王弟が、釘を刺すため、ティビュアナを己の腕の中に閉じ込め、彼女の耳元で本音交じりの冗談を吐いた。
途端、絶句し、全身を真っ赤に染め上げる伯爵令嬢。
いくら前世の記憶があったとて、仮にも恋する乙女が耐えきれる猛攻ではない。
彼女の頭の中にあった苦悩は、彼の抱擁と刺激的な囁きで内から爆発し、粉々に吹き飛んでしまった。
婚約者のウブな反応に、男の口から思わずといった笑いが漏れる。
「っはは。
そういう顔をもっとしていろ、ティビュアナ。
可愛らしい俺だけの花嫁の顔を」
幸せそうに、愛おしそうに、野獣であった頃と同じ色の目を細めながら、王弟は熱を持つ彼女の頬を自身の指で優しく撫でさすった。
そんな男の表情に、ああ、彼は幸福なのだと、憂うことなど何もなかったのだと、ティビュアナの不安が改めて払拭されていく。
「……殿下が、私の隣に居てくださるのなら」
至極珍しい、令嬢からの要求。
愛しい人の傍にさえあれば、彼女はいつだってティビューでいられるのだ、と。
望みを叶えるには、他ならぬ貴方に傍に在って欲しい、と。
「あぁ、無論だとも」
婚約者が敢えて口にしなかった言葉まで察して、神妙に頷く王弟。
海碧と紅茶の視線が絡まって、二人の距離が自然と縮まっていく。
雲一つない晴天の下、彼らはそのまま互いの唇で深く愛を交わした。
一組の花嫁と花婿が、王城から延びる大通りで特別仕様の馬車に揺られている。
絶え間なく降りそそぐ祝福の花びらを浴びる彼らは、アルヴァティオンの平和の象徴として、やがて時が経ち二人が儚くなった後も、永く永く民に愛され続けたのだという……。
おしまい




