二十八話 深い闇夜の見届け方
――その夜、熱もあって普段より早く床に着いた俺は、ある奇妙な夢を見た。
夜中に家から抜け出して、一人、外へと繰り出していく夢だ。
もっとも、これだけ聞くとありふれた内容だといえる。
夢というのは往々にして蓄積された経験が形になるもので、一時期の俺は毎晩遅くまで外出していたのだから。
では、何が奇妙なのか?
それは、夜道を往く俺の姿が原因だ。
――視界の上に少しだけかかるのは、月明かりを受け、闇夜の中でさえ眩い光沢を放つ銀糸。
黒い外套から覗く細腕は白磁のように艶やかで。
暗がりだからか鏡のようになった窓には、爛々と輝く赤い瞳が映っている。
この二か月の間ずっと傍にいて、だからこそ人目で誰だかわかってしまう姿。
そう。
『俺』は光理になっていた。
……ただし、身体が自由に動かせるわけではない。
なにせ、何が目的で外に出てきたかすらわからないのだ。
だというのに、俺の――いや、光理の足は、音もなくするすると、夜道を淀みなく、何処かへ向かって真っすぐと進んでいく。
例えるなら、一人称視点のムービーを強制的に見せられているような感じだろうか。
ホラーものに多い印象で、そういうのが苦手な俺は、光理に無理やりプレイさせられない限り、殆ど触れたことはないのだが。
……まあ、それは兎も角。
自意識がはっきりしているのに身体が他人に操作されるような感覚は、現実ではあり得ない奇妙なそれとしか言いようがなくて。
だからこそ、俺は夢を見ているのだと、傍観者視点ではっきりと認識することが出来ていた。
◆
さて。
そんなことを考えていると、どうやら目的地に到着したらしい。
程なくして辿り着いた隣町の公園であいつの足は止まり、手近な場所にあったブランコへと腰かける。
とはいえ、時間帯もあって、公園に人気はまるでない。
しんと静まり返っていて、何が目的でこんなところにきたのか、やはり俺にはわからなかった。
「あ、待たせちゃったかな~」
すると、後ろから声をかけてくる少女が一人。
独特な口調で、彼女が誰なのか、振り返るまでもなく俺にもピンときた。
「……丸山さん。来てくれたんだ」
「だって、他ならぬミコトちゃんの呼び出しだよ~。こんな時間にっていうのは驚いたけど、どうせ近くの公園だし、出かけてた帰りだったしね。大事な話なんて言われたらそりゃ無視なんてできないよ~」
どうやら事前に連絡を取っておいたようで、丸山と呼ばれた彼女は勢いよく光理に駆け寄ると手を握る。
そして、一方的にペチャクチャと捲し立ててきた。
「あたしに連絡をくれたってことは、仁田君の目が覚めたんだよね~? 凄いよね、野犬に襲われたミコトちゃんを庇ってくれただなんて~。クラスでも『見直した』って声が聞こえてくるし、ミコトちゃんも鼻が高いんじゃない~?」
……俺の夢の中とはいえ、べた褒め過ぎてなんだか居心地が悪い。
そんなに俺は承認欲求が強いのだろうか。
なんだか自分の見たくない一面を発見したようで辟易としてしまうのだが、肝心の光理はただただ無言である。
その様子をおかしいと思ったのか、丸山が首を傾げ、話すのを止めたタイミング。
それを見計らったかのように、あいつはゆっくりと口を開く。
「……そうだよね。突き飛ばした相手から呼び出されたりなんかしたら、無視なんてできるはずがないよね」
と――。
◆
「……何のことかな~。あたしにはわからないんだけど」
丸山は、光理の告白を受けて一瞬だけ目を見開いた。
しかし、すぐに落ち着きを取り戻すと、苦笑いを浮かべて首を振り、きっぱりと否定の言葉を紡ぐ。
「別に、とぼけなくてもいいんだけどな。だって、僕は確信して口にしてるんだもん。恋人に二股をかけられた丸山さんが、逆恨みの対象として僕を選んだんだ……ってさ」
「……確かに、あたしが最近恋人と別れたってのは事実だけどね~。でも、証拠もなしにそんな邪推をされる筋合いはないよ~? 誰かその光景を見た人がいるっていうならまだしもさ~」
……光理は、何の理由もなくいちゃもんを吹っ掛ける人間じゃない。
冗談を言うことはあるものの、それは相手が許してくれるという、じゃれあいに近い甘えを伴ってのものなのだ。
だから、俺は決して疑ってはいない――疑ってはいないのだが、先の言葉だけでは論拠として薄いと感じるのもまた事実だった。
あいつは俺に事情を説明するとき、犯人を見ていないと語っていた。
また、恨みを買った相手もそれなりにいるのだと。
つまり、揃っているのはあくまで状況的証拠に過ぎないのだ。
それも、いちゃもんだと切り捨てられてもおかしくない程度の……。
「ううん、僕は見ていないよ。でも、代わりに見ていた子がいるんだ」
「……どういうこと?」
現状は不利。
そんな俺の予想に反してあっけらかんと言い放つと、月が高々と浮かぶ夜空へと視線をやる光理。
すると、きぃきぃという鳴き声が聞こえてきて、そいつは肩へと止まる。
「きゃ、きゃあ……!?」
丸山が口元に手を当てて飛びのくのも無理はないだろう。
なんと、それは黒々とした毛艶のよい蝙蝠で、ふぅーっ! と牙を剥き、翼を広げて彼女を威嚇してくるのだから。
「一見ただの蝙蝠だけど、これは僕の眷属の一匹なんだよ。とっても賢くてずっとリンゴの見張り番をしてくれてたんだ。だから、丸山さんが川で冷やしているリンゴに悪戯するのをちゃんと見ていてくれたわけ。……もっとも、途中からは別のものを見張らせていたから、僕の背後にまで気を配ってくれなかったけどね」
とはいえ、光理にそれを気にした様子はない。
くしくしと人差し指で蝙蝠の喉元を優しく撫でてやってから、「もう行っていいよ」と言づけるだけだ。
程なくして蝙蝠は闇夜に消えていき、丸山はほっと息をつく。
そして、次に口を開いたとき彼女の顔に浮かんでいたのは、蔑むような笑いである。
「外国の人の趣味はわからないけど、さっきのってミコトちゃんのペットなのかな~。ええっと、ケンゾクちゃん、かな? でも、さすがにアレが証拠だっていうのは無理があるよね~」
「……そうかな?」
「……常識で考えたらわかるでしょ? それに――あくまで、仮定の話だよ~? もし、あたしがミコトちゃんを突き飛ばした犯人だとして、それってそんなに重い問題? 怪我をさせたわけでも、物を盗んだわけでもないんだよ~? ただ、服が濡れただけ。むしろ、言いがかりをつけてきたってミコトちゃんの評判が悪くなりそうなものだけどな~。……せっかく仲良くなったのに、こんな子だったなんてなんかがっかりだよ~」
身を案じてと思わせる口ぶりではあるが、勝ち誇ったような表情も相まって、決してそうは思えない。
「ああ、そんな話? 別にそれはどうでもいいよ? だって、僕は突き飛ばされた件については怒ってないし、口外しようとも思っていないから」
「……どういうこと?」
「僕はさ。ここに来るまでに色々あって、裏切られるのは慣れっこなんだ。だから、今回の一件も『ああそっか』ぐらいで忘れてしまえる。大した痛手でもないしね」
しかし、光理はその言葉を軽く笑い飛ばす。
一方的な自己完結に、丸山の表情は困惑一色へと塗り替えられていた。
「……じゃあ、何のためにあたしを呼び出したのか、わかんないんだけど~。もしかして、バカにしてるのかな?」
「ああ、勘違いしちゃダメだよ? 君のことを許したわけじゃないから。ただ、怒っている点が違うってだけであって。……君のせいで、ヨースケは死にそうになった。彼は僕の計画の要なんだよ? だから、そんな状況に追い込んだ相手には、それ相応の目を見てもらわないと、腹の虫がおさまらないんだ」
――計画?
突然飛び出した耳慣れない単語に気を取られそうになるのだが、生憎とそれについて考える暇は与えられない。
「……さっきも言った通り、仁田君が倒れたのは野犬と争ったからだよね~? 今の話と、何の関係もないと思うんだけど~……ひっ……!」
何故なら、重ね重ねのやり取りで苛立ち交じりだった丸山が、光理と再び目を合わせた途端、悲鳴を上げてへなへなと地面にへたり込んだからだ。
――彼女の瞳に映り込む光理のそれは、普段とは異なり、凝り固まった血液のように昏く、そして赤い。
あくまで俺は、その異貌を間接的に見ただけだというのに。
心の底から湧き上がる根源的な恐怖に身の毛がよだち、ただでさえ空っぽの胃の中のものをすべて吐き出したい衝動に襲われていた。
この感覚には、覚えがある。
それは、今の姿になった光理と初めて目を合わせたときの――。
あのときと同じ状態に丸山が陥っているのは明白で、
「あ……、あ……」
と、うわ言のように呟きながら必死に後ろへと下がろうとする。
そんな相手に、光理は舌なめずりでもするようにゆっくりと。
逃れられない距離まで来ると、魔力を宿し、煌々と輝く左手を大きく振りかぶる。
そうして、鮮血に濡れたようなそれが、今にも振り下ろされるかという瞬間。
「み、光理、やめろ……!」
俺は今見ているのが夢だということも忘れ、叫んでいた。




