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二十七話 軋む体の休め方

 ――俺がいたのは、底冷えするほど寒く、そして仄暗い闇の中。


 ここが何処かはわからない。


 何せ、闇はどれだけ目を凝らそうと見通しがつかないほど濃く、例えるなら、深海のように何処までも続いているのだから。


 ……もし、この暗い世界に居続けたら、自分という存在すべてが飲み込まれ、すり潰されてしまうんじゃないだろうか。


 じっとしていると、そんな言いようのない不安がじくじくと心を侵食してくる。


 何故だかその推測はやけに現実味を帯びていて。

 だから、どうにかして逃れようと、俺は必死に手足をばたつかせた。


 幸い、その甲斐あって、俺の体はゆっくりと……、あくまでゆっくりとだが浮上していく。

 そして、ある程度まで行くと指先に何やら温かいものが触れ――


 俺の意識は、急速に覚醒していった。





 起きてすぐ、目を開いて俺はギョッとする。

 何故なら、眼前にあったのは、銀髪の幼馴染の顔。

 それも、ほんの少し頭を動かせばぶつかってしまうのではないかという近距離である。


 どうやら、光理みことは眠ってしまっているらしい。

 今、俺がいるベッドにもたれかかる形で、すぅすぅと穏やかな寝息を立てていた。


 ええっと。

 何がどうなったんだったか。


 パッと見渡したところ、目に入ったのは暗い青を基調とした掛布団に、漫画だらけの本棚。

 そして、大抵光理にリビングで勉強を教えてもらうこともあって、あまり使われていない勉強机。


 つまり、ここは慣れ親しんだ俺の部屋に違いない。


 しかし、何故、ベッドで寝かされているのか。

 俺は山登りに出かけたはずだ。


 そこがわからなくて、起きたばかりで働かない頭で必死に記憶を手繰り寄せていく。


 すると、音を立てないよう、静かに部屋のドアが開けられる。

 入ってきたのはエプロン姿の母さんだった。


「……! 庸介、目が覚めたのね……! 心配したのよ、課外授業の途中で倒れたって聞いて……」


 ……そうだ。


 確か、俺は豪炎寺に光理を託して。

 そこで、ぷつりと糸が切れたかのように、意識を失ってしまったのだ。


 あれから、何があったのか。

 母さんに尋ねようと、俺は身を起こそうとして――


「ゲホッ、ゲホッ……!」


 鈍い喉の痛みにえづき、大きくむせこんでしまう羽目になる。


「無理をしちゃだめよ。庸介は丸一日眠り込んでいたんだから」

「丸、一日……?」


 そんな俺の背中をさすりながら、母さんはこくりと頷いて説明をしてくれる。


 曰く、意識を失った俺は、先生たちによって病院へと連れていかれたらしい。

 だが、検査を行っても腕の噛み痕以外に外傷はなく、変な病気にかかったというわけでもない。


 唯一認められたのは、入院するほどではないという急激な過労だけ。

 なので、点滴を打って、それが終われば早退扱いで帰宅することになったのだとか。


 ……なるほど。

 おかげで、どうして俺が此処にいるのか理解できた。


 もっとも、医者の言葉に反して俺は中々目覚めず、母さんには随分と心配をかけてしまったようなのだが……。


「悪い、母さん……」

「いいえ。謝ることじゃないわ。あなたが悪いんじゃないんだし。でも、光理君には一言あった方がいいかもしれないわね。凄く心配してて、『ヨースケが目覚めるまで、絶対に傍を離れない!』って言ってたぐらいだから」

「そうなのか……」


 その言葉を受けて、俺は穏やかな横顔に視線を落とすのだが、今度は喉だけでなく頭もズキズキと痛む。

 その旨を伝えてみたところ、母さんは


「もしかしたら、疲労で免疫力が低下して風邪を引いたのかもしれないわね。庸介が風邪を引くのなんて、本当に子どものころ以来だもの。実感がないのも無理はないわ」


 と。


 言われてみれば、随分と長くずぶ濡れのまま歩き回っていた。

 まだ秋口ではあるが、身体を冷やして体調を崩すのも無理はない話だった。


「それにしても、過労だなんてどうしてかしら……。少し前みたいに、夜遅くまで出かけてばかりってわけでもないのに」

「それは……」


 すると、真っ当な疑問がぼそり。

 まさか、隣で寝ている吸血鬼に血を与えてというわけにもいかず、俺は言葉に詰まってしまう。


「……ごめんなさい。起きたばかりなのに少し話しすぎたわね。それに、お腹にものを入れないと治るものも治らないだろうし。じゃあ、大人しく横になっているのよ?」


 だが、母さんはその反応を見て、気分が悪くて黙り込んだと勘違いしたらしい。

 光理の頭を優しく一撫ですると、それだけ言って俺の部屋を後にした。





 こうして部屋に残されたのが二人だけになると、程なくして光理は小さく身じろぎを。

 そして、目を覚ますなり、開口一番、


「ヨースケ、起きたの!?」


 と叫ぶ。


「ああ、おかげさまでな」

「よかった……」


 痛む喉で軽く言葉を交わせば、光理はほっと安堵の息を漏らす。

 対する俺も同様の反応だ。


 一言でいえば、あいつの血色はとてもいい。

 それどころか、むしろツヤツヤとしているくらいで、倒れていた際の蒼白さがまるで嘘のようである。


 まあ、そのあたりは寝顔を見た時点でわかっていたのだが、やはり、目覚めている姿だと安心感が大きく違う。


「一時はどうなることかと思ったが、これで一安心だな」


 だから、俺の口からはついついそんな言葉が漏れ出るのだが、途端、光理はむっとした顔になってしまう。


「安心なんかじゃないよ……! ヨースケは本気で危なかったんだよ!? だって、吸血鬼にあれだけの量の血を与えるなんて、ただの自殺行為だもん。一歩間違えたら、そっちが死んでてもおかしくないぐらいだったんだからね!?」

「……そんなにか?」

「うん……。言ったでしょ。吸血鬼が吸うのは、あくまで血に含まれる魔力だって。だから、貧血を起こさないぐらいの量でも下手したら命に係わるんだよ。魂を失った、植物人間になりかねないっていうか……。わかったら、二度とこんなことはしないでよね……!」


 突然捲し立てられて俺は呆気にとられるのだが、その表情は真剣そのもので。

 本気で心配しているからこそなのだと理解する。


「わ、悪い……。でも、川岸でいったい何があったんだ?」


 しかし、謝りながらも問いかけた。


 ――光理が死んでしまうのではないか。


 そんな嫌な予感を前に、俺は居ても立っても居られなかった。

 だから、もしまた似た状況に立たされたら、きっと同じことを繰り返すに違いない。


 それを防ぐためにも、光理の身に何が起きたのか、きちんと知っておく必要があった。


「……後ろから突き飛ばされたんだよ。バラバラになったリンゴに気を取られた隙にだけど。多分、本命はそっちで、僕の楽しみをぐちゃぐちゃにしたかったんじゃないかな。でも、たまたまやってきた僕と鉢合わせしそうになって、つい魔が差したんだと思う」


 すると、一瞬視線を反らしてから光理。

 その表情はなんとも言いにくそうで、だからこそ真実なのだと如実に物語っていた。


 それに、だとしたら辻褄が合う。


 あいつはリンゴのセッティングをするときでも、流水に触れた場合の危険を配慮して決して水際に近づこうとはしなかった。

 言い出しっぺにも関わらず、すべて俺に任せっきりだったぐらいだ。


 そこまで注意していたのに川に落ちたのだから、事故なのではなく、第三者の悪意を受けたのだと考えるほうが余程自然だった。


「……それは誰に? 何か恨みを買う心当たりはあるのか?」


 きつい質問かもしれないが、俺は続ける。


 光理の想像が正しいとすれば、犯人としては軽い気持ちだったのだろう。

 まさか、相手が水に触れただけで致命傷になるとは思っていないだろうし。


 とはいえ、それでも悪質なことには変わりなくて、警戒を厳にする必要があるに違いない。

 そして、類例を起こさないための対策も。


「ううん。不意打ちだったもん。誰かまではわからなかったよ。でも、走り去るときの声からして女の子だったのと思う。それで、そう考えると買った恨みが何かも推測できるんだよね……」

「なら、教えてくれ。犯人の特定は出来なくても、それがわかれば二回目以降は防げるかもしれない。そのためなら、俺は協力を惜しまないから」

「……本当!?」

「あ、ああ」


 よって、俺としては当たり前の提案をしたつもりなのだが、途端に光理はうってかわって喜色満面といった様子になる。


「以前、『告白してきた相手の中に彼女持ちも何人かいた』って話をしたの覚えてる? 要するに、浮気なんだけど。で、そういうときの女の子の恨みって、不思議なことにこっち側に向くことがあるみたいなんだよね。だから、今回の一件はそれが原因に違いないよ」

「ええっと、つまり……?」

「そんな逆恨みを防ぐためにも、ヨースケにはもっと恋人アピールをしてもらわなきゃならないってこと! 約束したんだから頑張ってよね!」


 光理は半ば強引に俺を言い含めると、満足げに部屋から出て行ってしまう。

 そして、入れ替わるように母さんがおかゆを持ってきて。


 ……とは言われても、一体どうすればいいというのか。

 頭痛がするのは、きっと風邪だけが原因じゃないと思った。


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