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十九話 吸血鬼の弱点の貫き方

「うげげ……」


 光理(みこと)が奇怪な声を上げたのは、玄関を開けてすぐのことだった。


 ちらりと伺えば、あいつの顔は酷く青ざめている。

 ほんの少し前まで偉くご機嫌で、スキップしていたぐらいなのに、だ。


「何かおかしなことでもあったのか?」


 とりあえず、割り込む様にして、光理を後ろに下がらせる。

 続けて恐る恐る家の中を覗いてみるものの、特に変わったことがあるようには思えなかった。


「ちょっと、この匂いは駄目かも……」


 返事はくぐもった声。

 何故かといえば、光理が自身の鼻をつまみあげているからだ。


 すんすんと、意識して嗅覚を研ぎ澄ませてみる。


 すると、まず、香ばしく肉の焼ける匂いが漂ってくる。

 続けて、微かにだが玉ネギとニンニク。


 ……昼食時に相応しい食欲をかきたてる香りで、これの何がいけないというんだろう。

 今にも腹の虫がぐぅっと鳴きそうなぐらいなんだが――と、口にしかけて。


「……ニンニク?」


 口にすれば、ぶんぶんと光理は大きく首肯をする。


 そういえば、吸血鬼には苦手なものがいくつかあって――。


 だから、俺は慌ててキッチンへと駆け込むと


「か、母さん。急いで換気扇を回してくれ!」


 と、叫ぶのだった。





「ごめんなさいね。転入祝いに、光理君が好きな料理を……って考えたんだけど。まさか、見た目と一緒に体質まで変わってるなんて思わなくて」


 換気扇どころか、窓という窓が開け放たれたリビングで、母さんは手を合わせて謝罪のポーズを作る。


「ううん……。ヨーコさんは僕のためを思ってくれたんだし……。でも、今回ばかりはちょっと駄目かも……」


 一方、光理はといえば、幾分マシになってはいるものの、依然として青い顔でフラフラと。 


 そのままソファへ倒れ込むように横になると、クッションに顔を埋めて――


「二、ニンニクの匂いが染み着いてるぅ……!」


 と涙目になっていた。


「そんなに辛いなら、自分の部屋に戻ってた方がいいんじゃないか? 肩を貸すぞ?」

「……ヨースケといえど、今、近づいたら許さないからねっ……!」


 俺としては、善意からの申し出のつもり。


 しかし、光理はふぅーっ! と、喧嘩する猫のように威嚇してくる。


 指先には小さくだが、青白い光が宿っていた。

 恐らくは魔力によるものだろう。


 母さんが気にしていないあたり、見えない角度になるよう調整はしているんだろうが……。


 間違いなく、警告を無視すればヤる気である。


「わ、悪い。半径三メートル以内には近寄らないようにする」

「よろしい」


 ……まあ、無理もないか。


 母さんが用意してくれていたのは、牛肉をたっぷりニンニクに漬け込んだ、特製ガーリックステーキだ。


 恐らくは、吸血鬼の致命傷となり得るだろうそれ。

 しかし、捨ててしまうのは勿体ないということで、母さんと二人で急いで処分(・・)することにしたのである。


 つまり、今の俺たちは光理にとって悪臭の塊と化したわけで。

 歯を磨いたりしたぐらいでは、決して許されない存在らしかった。


「ふぅ……」


 ……それにしても、光理の分と合わせ1.5人前以上は食べたことになるわけで、当然のことながら大ボリュームだった。


 暴力的ともいえる厚切りの肉を、ひたすらナイフで切り裂いては噛みしめる。

 その度に溢れ出る肉汁を、今度はスライスしたニンニクと絡めて食べるのだ。

 赤ワイン仕立てのソースも絶妙で、もしかしたら、急いで片づける必要に迫られなくても、無意識にぺろりと平らげていたかもしれない。


 親友には悪いと思いつつも、俺はつい満足のため息を漏らしてしまい――


「僕も食べたかったのに……!」


 歯噛みして、キッと睨み付けてくる光理。 


 とはいえ、こればっかりはどうにもならないので、俺には、よろよろと二階に上がっていくあいつを遠巻きに見守ることしかできなかった。





 それから一時間ほど経っただろうか。

 俺は光理の自室に向かうと、コンコンとノックを二回して、返事を待った。


「……開けていいよ」


 その言葉に従うと、あいつは顔をまじまじと近づけ、入室チェックとばかりに匂いを嗅いでくる。

 頭から始まり、全身あますとこなくという具合である。


「うん、合格。いつものヨースケの匂いだよ」

「そりゃどうも」


 あの後、俺と母さんは風呂で全身をごしごしと洗っている。

 おかげである程度匂いは抜け落ちて、お眼鏡にかなうことが出来たらしい。


「じゃあ、邪魔するぞ」


 遠慮なく腰を下ろして、自然と部屋の中を見渡した。


 かつての光理の部屋は、漫画や服が乱雑に散らかっていて、足の踏み場もないぐらいだった。


 しかし、今はタンスやベッド、勉強机といった最低限の家具が置かれているぐらいで、まだまだ殺風景。

 元々倉庫代わりに使われていたこともあって、どうしても寒々しい印象を受ける。


 勿論、これから増えていくとは思うんだが……。


 住みにくくはないだろうかと心配していると、座布団の上に座り込んだ光理に声をかけられる。


 ただし、胡坐の俺と違って、あいつは正座である。

 一瞬だけ同じ座り方をしようとしたんだが、制服のスカートのままだと気付いたのか、すぐに思い直して足を組み替えていた。


「で、どうしたの?」

「いや、今回みたいにならないよう、吸血鬼についてもう少し詳しく教えてもらおうと思ってな。流石に母さんには言えないだろうし、何かあったときのため、俺が知っておいた方がいいだろ?」

「それは……ありがたいけど。でも、吸血鬼って、そんなに弱点が多いってわけでもないよ?」


 一応、事前にオカルト関係の本を図書館で借りてきていた。

 しかし、それらに書かれていたことを伝えてみれば、大半がてんで的外れなのだという。


 例えば、十字架。

 ああいうのは神の加護と敬虔な信心があるからこそで、単なる工業生産品には何の効力もないのだとか。 


 他にも、『種もみが散らばっていると拾って数えざるを得ない』みたいな撃退法に対しては、抱腹絶倒という様子で笑い飛ばしていた。


「いやいや、鳩じゃないんだから、そんなの無視するに決まってるって! ……そもそも、それで倒せるのなら苦労なんてしないよ」


 ……まあ、そりゃそうか。

 だからこそ、光理は呼ばれた(・・・・)のだから。


 なら、ニンニクはどうなのかと聞いてみれば、向こうの世界には似た食べ物がなかったらしい。


 その上、感覚的にはクサヤやシュールストレミングのようなもの。

 耐えがたい悪臭ではあるものの死ぬほどではないと――ただし苦虫を噛み潰したような顔で――ぼやいていた。


「うーん、銀の剣なんかは効果的だったけど、鉄や鋼に比べたら銀が強いのは当たり前だもんね。それに、普通に暮らしてて剣で襲われるはずがないし……。だから、そんなに気にしなくてもいいと思うよ?」


 一部、何の話なんだかとツッコミを入れたくなったが、それは兎も角。

 俺の心配は杞憂のようだった。


「あ、流水だけは駄目なの忘れてた。吸血鬼は水の属性と相性が悪いから、そのせいで僕って海とか川に遊びにいけないんだよ。くっ……、この姿になったから、合法的に女子更衣室に入れるっていうのに……!」


 わなわなと握り拳を作り、痛恨の表情を作りながらの発言。


「……おいおい」

「プールならOKだけど、学校の授業はもう終わっちゃってるし。……ヨースケ、来年こそは遊びに行こうね!」


 正直、倫理的にアウトな気はするんだが……。

 かといって、男子更衣室で着替えろともいえないので、俺はそのあたりスルーで済ませることにした。


 うん、来年まで先延ばしだ。

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