十二話 出かける誘いの口説かれ方
「はい。これが今日の軍資金ね。取引に使った通帳も入ってるから、きちんと確認しておいて」
「わーい! ありがとう、ヨーコさん! 流石仕事が早い!」
母さんは、先ほどのA4とは別に小さな封筒を取り出した。
こちらには心当たりがあるようで、光理は大きく両手を上げる。
「ん、何か頼んだのか?」
「うん。昨日、お風呂に入ろうとマントを脱いだら、中に指輪があったことを思い出してさ。売れないかどうか、ヨーコさんにお願いしてみたんだ。まさか、こんなに早く捌けるだなんて思いもしなかったけど……」
訪ねてみれば、あいつは粛々と語りだす。
曰く、異世界由来で保証書もなく、普通の宝石店では値が付くかも怪しい品ではあるが。
貿易商である、うちの父さんの伝手を使えば何とかなるかもしれない。
少しでも家計の足しになればと考え、母さんに預けたのだとか。
「……売ってしまってから今更だけど、向こうでの思い出の品なら残しておいてもよかったのよ? 私も見たことがないぐらい綺麗な宝石だし、光理君にはよく似合っていたもの」
「ううん、あんまり手元に残しておきたいものじゃないし。欲しい人に渡るなら、それが一番だと思うんだ。……にしては、凄い金額になっちゃったけど」
……ちなみに、少しでもという予測に反し、通帳に記載されているのは目が飛び出そうな金額だった。
それもそのはず。
指輪についているのは単なる宝石ではなく、魔力を秘めたそれ――所謂魔石らしい。
魔力を知覚できるかは兎も角、地球上に存在するはずがない物質だ。
その筋のマニアには堪らない一品で、お得意様に声をかければ、即決で凄まじい値段が付いたとのこと。
「そう……。じゃあ、光理君の毎月のお小遣いはここから出していくわ。将来のための貯金も兼ねてるから、無駄遣いはしないようにね?」
「……いいの? それじゃ、家に入る部分が全くないんじゃ」
意外そうな顔をする光理に、母さんはにこりと微笑んだ。
「何言ってるの。庸介も私も、見返りを求めて光理君と暮らすわけじゃないのよ? このお金は光理君のものなんだから、ちゃんと自分のために使わないと」
「その気持ちはありがたいけどさ……。むぅ、本当に全部受け取ってくれてもいいのに……」
光理は何処か不満げ。
しかし、それ以上食い下がるのは野暮だと思ったのか、こくりと頷いて、いそいそと支度をし始めた。
そんな様子を傍から眺めていると、
「さあ、庸介も早く準備して」
と、当然のように声をかけられる。
「……ちょっと待ってくれ、俺も一緒に行くのか? 母さんと光理、二人で十分なんじゃ?」
「食器や歯ブラシなんかの日用品は勿論、お洋服も買わなきゃいけないもの。そうすると、私と光理君だけじゃなく、庸介からの意見もあった方がいいと思わない?」
「どうせヨースケも暇でしょ? なら、一緒に行こうよ!」
「……なんやかんや理由を付けて、俺を荷物持ちにしたいだけじゃないのか?」
「「…………」」
二人揃って目を反らして黙り込むあたり、指摘は的を射ているらしい。
しかし、母さんはパンと手を叩いて、自分へと注意を向けてから言葉を紡ぐ。
「いいじゃない。今の光理君、お人形さんみたいに可愛らしいもの。きっと、庸介にとっても目の保養になるに違いないわ」
「いやいや、こいつに可愛らしさを求めてどうするんだ。そりゃ、今のままじゃ駄目だと思うけど……」
新しい服を買わなければ、というのはわかる。
日用品も含め、何時までも母さんや俺のを借りるわけにはいかないのだから。
だとしても、何故可愛い方面なのか。
かつてと同じように男物でいい気がするんだが。
すると、母さんは顔つきを真剣なものに変えて、俺を見つめてくる。
「……これからの光理君は、当人がどうあれ、周囲からは女の子として扱われちゃうわ。だって、事情なんて他の人にはわからないもの。でも、人と人の関係って、ある程度は第一印象で決まっちゃうから……。それなら、男の子っぽい格好をするにしても、可愛いって思ってもらえる方がいいとは思わない?」
……理屈としては筋が通っているように思えた。
今の光理が頼れる人間はそう多くない。
かつての知り合いに対し、一々、異世界の件を説明するわけにもいかないだろうし。
だから、これから出会う人に――媚びるというわけじゃないが――少しでも好意を抱いてもらうというのは間違いじゃないはずだ。
しかし――
「母さん、本音は?」
「……ずっと娘も欲しかったから、一緒にお洒落を楽しみたくて」
……なんとなくそんな感じはしていたんだ。
脳裏を過ぎるのは、アルバムに見慣れない女の子の写真があった一件。
それについて問いつめてみれば、なんと物心つく前の俺を女装させてみた姿だという。
本人曰くはつい出来心。
その毒牙が、今頃になって光理へ向いたというわけか。
なんだか頭痛がしてきて、大きくため息をつく。
続けて光理の方へと寄ると、ひそひそと声をかけた。
「……母さんに付き合わされてるなら素直に断った方がいいぞ。誰かと同じで、釘刺さないと増長するタイプだからな」
すると、返ってきたのは意外な返事。
「違うよ、ヨースケ。ヨーコさんはふざけてるけど、元はといえば僕から頼んだんだもん」
「光理の方から……?」
「うん。宝石を渡したときにお願いしたんだ。よく似合う服を一緒に選んでほしい――って。この身体になっちゃったのは、もう抗えないことだしさ。だったら、せめて今を精一杯楽しまなきゃ損だとは思わない?」
……今を楽しむ、か。
紡がれたのは、現状を前向きに受け止める言葉だった。
無理をしていないなら、それほどありがたいことはないだろう。
なら、俺がとやかく口を出す話じゃない。
納得し、こくりと頷きそうになった瞬間――。
「……でもね」
まだ続きがあるようだ。
俺の服の裾をぎゅっと握る光理。
「どうしても、最初の一歩を踏み出すのに勇気がいるっていうか……。ほら、サッカーを始めたときでもそうだったでしょ? だから、庸介には傍で見ていて欲しいんだ。そしたら、きっと安心できるから」
……そんなに不安そうにしなくても、決意を胸にした親友に頼まれて何処に断る理由があるだろうか?
いや、ない。
「わかった。それならついていくよ。でも、まともなアドバイスなんて出来ないぞ。ファッションセンスなんて俺にはないしな」
「そんなの知ってるよ! 見ててくれるだけでいいからさ!」
こうして、俺は同行を決め、母さんの方へと向き直るのだが――
「な、なんだよ、母さん」
「別になんでもないわよ~」
そこにあったのは、ニヤニヤ笑いに彩られた、生暖かい視線だった。
別に、やましいことをしているわけではない。
男と男の友情なのだから。
だというのに、なんとなく俺は言葉にどもってしまう。
そして、そのせいもあり……
「……ふふふ。ヨーコさんとも話してたけど、やっぱヨースケはチョロいね」
という、ぼそっとした呟きには気がつけなかった。




