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カツとお酒の、味しかしない。  作者: ぎんはなあんず
カツとお酒の、味しかしない。前編
9/14

8

 つい最近まで寒かった記憶があるのだが、今日はまるで夏のような日差しが空から降りてきており、思ったより暑く感じられる日だった。しかし、アスファルトがじりじりと焼かれる夏っぽい匂いはせず、住宅の庭先に植えられえている紫のシクラメンや、緑のほとんど消えた街路樹、いつも見る自販機の内容が『あったか~い』ものに変わっている事だとか、田んぼの稲の切り株の黄色で、冬の到来を強く感じる。三寒四温というやつだろうか。

 着てきた上着を脱いで手に持ち、学校から出て家路についていた。一緒に帰る約束をしていた彼女――花さんと肩を並べて、だ。端から見ればなかなかいい雰囲気を出しているのではないだろうか、と思いながら彼女と話を続け、思っていたより早く分かれ道に来てしまう。

 楽しい時間は早く過ぎてしまうものなのだろうか。どうして人間はもっと上手く時を感じることができないんだろう。

 ふと、今度デートにでも誘おうかと思った。

 最近は花さんと二人で遊びに出かけた事がなかったはずだ。たまにはそういうのもいいのではないだろうか。いやしかし、急に言われても時間が取れないかもしれない。


「じゃあ、また明日ね」


 我ながら優柔不断も甚だしい。こんなことで緊張してしまってどうする。男ならきっぱり伝えるべきではないのか。

 そうこうしているうちに彼女は僕に背を向け、歩き出してしまう。

 仕方ない。今日の五秒を使おう。

 強く念じる。だんだんこの力の使い方に慣れてきた。初めてタイムリープした時より抵抗感が少なくなっている気がする。気づけばあの砂時計の中の感覚に襲われ、そしてまた五秒が始まる。

 飛んできたのは別れる直前。今度は勇気を出して誘ってみることにした。


「あ、ちょっと待って」


「え? なにかな?」


 小首を傾げてあざとくこちらに向き直る。


「えっと......」


 しかし、なぜか言葉が出なかった。いや、出なかったというより出すのを躊躇った、という方が近い。なぜ躊躇ってしまったのかは自分でもわからない。

 もう残り二秒もないだろうか。

 デートに誘う言葉を発する時間はもう無かった。


「ごめん、やっぱなんでもない」


 早口になってしまったが、なんとか時間内に誤魔化せた。


「......そっか」


 ぼやける視界と意識の中、怒りとも悲しみとも諦めとも取れない複雑な表情をした彼女が見えた。

 さっきのはなんだったんだろう。

 しかし考える暇もなく元の世界へ戻されれてしまった。

 なんと無駄な事に貴重な五秒を使ってしまったんだろう。いや、なんと無駄に五秒を使ってしまったんだろう、というべきか。

 しかしまあ、使ってしまったものは仕方が無い、ぐちぐち悩んでいてはだめだ思い、考えを断つ。同時に彼女が最後に見せたあの表情についても考えを断った。




 何か特別なことがない限りさっさと家に戻り、テスト勉強をして夕飯を作り、風呂に入るという機械的作業をして寝床につく、そういう流れになる。

 だが今日は少し違う。かずねえに数学を教えてもらう予定がある。同級生たちは1週間も前テストを済ませて一息ついているというのに僕は未だテスト勉強に一人追われているのだ。

 原因はある子供を助けたために右足を骨折してしまったからだ。もう完治はしている。が最近実に難儀だなぁと感じてしまう。名誉の負傷だと言えば聞こえはいいが、僕の名誉を知る人は少ないだろう。まあ、見返りなど求めていないが。

 内心いろいろと文句を言いながらかずねえの家に到着する。思えばかずねえの家に入るのは久しぶりだ。いくら幼馴染みと言えど年頃の男女には変わりない、という事だろうか。少し寂しい気がするのは気のせいだろう。

 インターホンを鳴らし、かずねえを呼び出す。しかし予想に反して出てきたのはかずねえの母親だった。


「あら幸司くん。いらっしゃい。久しぶりねぇ」


 この母親からあのかずねえが生まれてもなんら不思議ではないくらいこの親子は似ている。


「ご無沙汰です、あの、かずねえは」


「かずちゃん? ちょっと待っててね......かずちゃーん! 幸司くんよー! 何か約束してたんじゃないのー?」


「今いく今いくー! ちょっと待っててー!」


 なにやら二階からどどどど、と激しい音が聞こえてくる。少し待ってからかずねえが二階から顔を出した。


「あ、さっちゃんいらっしゃーい! 早く上がって上がって!」


 そういうなり素早く部屋に引っ込んでしまう。


「......ごめんねぇ、そそっかしくて」


「いえいえ、かずねえらしいですよ」


 褒め言葉としては微妙か、と言った後で思った。一礼して靴を脱ぎ、揃え、冷たいフローリングの廊下を進み、二階へ上がる。靴下を履いていてもそろそろ床の冷たさが足に届くようになってきた。

 十月もあと残り少ない。そう感じさせられた。




 久しぶりに入るかずねえの部屋の第一印象は『部屋縮んだ?』だ。そのまま口に出すと、


「なに言ってるのー。さっちゃんが大きくなったんだよ」


 と真顔で返されてしまった。まあボケでもなんでもなく、本心なのだが。

 かずねえの部屋はいかにも女子、といった感じはしなかった。あらゆる家具は白かピンク色で統一され、かわいいドレッサーが部屋の奥にあり、おしゃれな小物が置いてある......という『女子の部屋』という自分の中でのイメージが、がらら、と音を立てて崩れていく。

 そのイメージを構築している元は花さんの部屋だけなのだが。

 かずねえの部屋は僕の部屋とあまり大差ないのではないのか? と思わせるようなボーイッシュさだった。勉強机の上には参考書や辞書、文庫本などが綺麗に整頓されており、ベッドの上にある掛け布団のシーツの色は緑色だ。甘ったるい匂いもしない。

 辛うじて部屋の隅に置いてある数体のぬいぐるみからは女子っぽい何かを感じるが、それぐらいだった。


「......もうちょっと期待したのに」


「何をよ......あっ、もしかしてそれ、セクハラ?」


「違うよ。失望だよ」


「え!? 悪いの私なの!?」


 あいも変わらず騒がしいやりとりをしながら部屋の真ん中に置いてある机の側に座り、勉強道具を取り出す。


「早速なんだけどかずねえ、ここなんだけど......」


「お、どれどれ」


 なんだかんだで勉強が開始される。女の子っぽい誘惑がこの部屋には少ない分、勉強するには適しているのかもしれないなぁ、と思った。




 勉強開始して一時間と三十分経っただろうか。


「ん~~っ、っはぁ」


 さすがに肩が凝ってきた。一旦ペンを置いて背伸びをする。


「お疲れー。結構頑張ったねー。時間経つの早いや。あ、飲み物のおかわり、入れてくるね」


「ああ、ありがと。足元気を付けてねー」


 かずねえは立ち上がり、一階へ降りて行った。

 一人部屋に残され、しん、とした静寂に襲われる。

 ふと、後ろにあった本棚に目が行く。目測で五十冊ぐらいあるだろうか。かずねえって結構本を読むんだなぁ。初めて知った。

 失礼して一冊手に取ってみた。恋愛小説だ。不治の病にかかったヒロインと、それに恋してしまった主人公のお話。結構よくあるタイプの話だな、と思って戻す。

 次の一冊も恋愛小説だった。秘密を抱えた主人公と、同じく秘密を抱えたヒロインのお話。導入部で心惹かれるものがあったので、少し読んでみたいと思った。

 次の一冊も恋愛小説。次も、その次も。

 もしかしてこの本棚全部、恋愛小説なんだろうか。

 そう思った時、階下からかずねえが二階へ上がってくる音が聞こえた。慌てて体勢を元に戻す。


「お待たせー。炭酸しかなかったー」


「いいよいいよ。ありがと、かずねえ」


 先ほどまで考えていた事を振り払い、再び勉強に集中した。

 飲んだ炭酸のアップルジュースは程よい酸味と甘味で、僕の集中を手助けしてくれた。炭酸はあまり得意ではなかったが。





「ふー、やっと一息ついたかな」


「お疲れさっちゃん。結構理解が早くて教えるこっちも助かるよー」


 そうなのだろうか。自分ではあまりそんな感じはしなかったが。


「かずねえの教え方がうまいんだよ」


 ストイックに勉強するタイプではないであろうかずねえは、どうしてこんなに人に勉強を教えるのがうまいんだろうか。

 いや、むしろ根を詰めて勉強する人の方が人に教えるのは苦手なのかもしれない。


「ちょっと休憩しようかー」


 かずねえも結構疲れている様子だった。なんだか申し訳なくなる。


「ごめんねかずねえ。面倒事増やしちゃって」


「え? 面倒なんて思ってないよ? むしろうれしー......と、というか! 人に教える好きだしね!」


 突然大きな声を出して、どうしたんだろう。そんなに人に勉強を教えるのが好きなのだろうか。


「あ、あ、そーだ。最近彼女さんとはどう?」


 唐突に話題を変えられてしまったが、まあ特別言及したいわけではないので、流される。


「どうって......だから、そこそこだよ」


「......そこそこって何よー。具体的に教えないさいよー」


 えいえいとペンで額を押してくる。


「......痛い、かずねえそれ結構痛いって......そうだなぁ、今日は彼女と二人で帰ってきた......かな」


 そう言った時、かずねえの顔が一瞬だけ複雑な表情をした。悲しみのような、笑顔のような。そう、ついさっきタイムリープをしたときに見た、花さんがした顔と同じだった。

 一体その表情にはどういった意味があるのだろう。僕には一生分かりそうになかった。


「............そ、そう......どんな話してたのー?」


 かずねえのさっきまでのテンションが少し下がっただろうか。そんな気がした。気のせいかもしれないが。


「雑談だよ雑談。特に会話に意味はないよ............あー、それと」


「お? なになに?」


 身を乗り出して迫ってくる。


「かずねえ、近い近い......やっぱりなんでもないよ。うん」


「えー、そこまで言っておいてはぐらかすのー? 言ってよー。言えよぉー」


 再びペンで小突いてくる。


「だからそれ、地味に痛いって。わかった、わかったから」


「で、なんだって?」


 興味津々といった様子で、こちらを見てくる。言うのには少し勇気が要った。


「今日の帰り、デートに......デートに誘おうとして」


「おー? やるねぇさっちゃん!」


「いや、それでね......結局言えなかった......んだよね」


「......え? なんでよー」


「いや、なんか言うの躊躇って」


 それにしてもなんで今のかずねえは普段よりにやけているのだろうか。少し腹立たしくなる。


「かずねえにやけすぎ。さすがに傷つく」


「え!? にやけてた私? ......うっそ」


 さっと顔を手で隠し、数秒経った後、落ち着いたかずねえが手をどけた。


「まあ、なんにせよもっとガツガツいって玉砕することね」


「玉砕するのかよ」


 やっぱりかずねえはまだ落ち着いてなかったのかもしれない。





「今日はありがと、かずねえ」


 ようやくテスト範囲までの勉強が終わり、かずねえとの勉強会が終了した。かずねえの家を出て、家まで帰っている。かずねえは『近くだし送るよ』とまるで気の利く彼氏のような立ち振る舞いで家まで送ってくれている。


「私も復習になったよ。受験ももうすぐだしね」


「そっか、もうすぐ受験か。かずねえは私立受けるんだよね? 県外?」


「ううん、近くの私立。目指せ入学費免除だよ!」


 私立でも成績を修めれば学費はある程度浮くんだったか。


「なおさら迷惑かけたかな」


「そんなことないって! さっきも言ったけどいい復習になったし!」


 それならいいのだが。

 そんな会話をいつも通りしながら、もう完全に日が落ちた住宅街の間を二人並んで歩いていった。




 人間、これから起こる良い事は察知できないが、悪い事は鋭敏に察知できたりする。周囲の状況や周りの空気などを無意識に読みとることがなんとなくできるようだ。

 そして僕は今まさに、それだった。


「なー、ちょっとそこの兄ちゃんらよ、ちょっと金貸してくれる?」


 最初に思ったのは、察知できるのに回避は難しいんだよなぁ、という事だった。

 というかカツアゲってこの時代にも生きてたんだ。


「うははは、無理だって! やめとけやめとけ」


「なあ、頼むわ。俺ら電車代無くしちゃって困ってんの」


 見るからに柄の悪そうな二人組の男が僕たちに話しかけてきた。片方が夜道でも明るい金髪で、片方は薄い茶髪だ。年齢はどちらも二十歳ちょうどぐらいだろうか。少なくとも僕たちより年上に見える。


「あの、お金なんて今持ってないですし、私たちちょっと急いでるんで」


 かずねえが少しも臆することなく茶髪のほうに刺々しく発言した。

 その言葉でスイッチが入ったのか茶髪が言う。


「いやそんなの知らねぇし。ちょっと金貸してくれっつってるだけじゃん」


 はぁ、仕方ない、タイムリープを使ってやり過ごすか。かずねえの家を出る時間を少しずらせば......。

 そこまで考えたところでハッとする。今日の五秒は使ってしまっていたのだった。自分に呆れてしまう。いつからかこの力に頼るように生活しているようになっていたようだ。

 しかし困った。どうする、この状況。そう考え出した矢先、かずねえが素早く小声で言った。


「さっちゃん、逃げるよ」


「............え?」


 ぐいっ! と勢いよく右腕を引かれる。かずねえが反対方向へ走り出していた。僕の右腕ごと。ていうか勢い強すぎ。肩外れる。


「あ! おいこらっ!!」


 茶髪男のすごい剣幕が一瞬見えたが、もう僕たちは走り出していた。




 かずねえと手を繋いで、来た道を全速力で引き返す。僕もかずねえも運動はできるほうだ。僕はバスケをやっていたし、かずねえは中学生の頃、陸上で百メートル走をやっており、総体やら新人戦で全国へ行き、結果を残しているぐらいのスプリンターだ。僕たち二人の走りに、茶髪と金髪の二人組みは追いつけないだろう。いや、最初から追いかけていなかったかもしれないが。

 骨折していた右足がまだ病み上がりだからか上手く動かない気がする。右足を庇うように左足に力を入れて走る。自然と息が上がってくる。

 ふと、寒い夜の住宅街で、繋いでいるかずねえの手だけがあたたかいように感じた。走るのに集中できなくなる。僕が男だから、という単純な理由だけではないような気がした。

 気がつくともうそこはかずねえの家の前だった。ようやく走るのを止め、その場に落ち着く。誰も追って来ていないようだった。


「......はぁ、はぁ、疲れた......」


「......ふー、久しぶりに走った走ったー。平気? さっちゃん」


 けろりとした様子を見せるかずねえ。さすがは全国トップクラスの百メートル走者だ。


「......あ、あのさ、かずねえ。無茶しないでよ......」


 僕は右足が少し痛むのを感じながら、顔を上げてかずねえを見た。

 なんとなく察したのかかずねえが慌てて言う。


「あっ、もしかしてさっちゃん、まだ右足痛かった? ごめーん!」


「いやまあ、大丈夫だけど。そうじゃなくて、ああいう奴らに対して無茶しないでよ、ってこと」


 本当に心配したのはそっちだ。万一襲われてしまったら今日の五秒を使ってしまっている僕はできることが限られる。襲われてからでは遅いのだ。


「い、いやー、ごめんね? つい」


 つい、って......まあいいか。

 心の中でふうっと呼吸を整え直し、言う。


「さ、そろそろ帰るね」


 早く帰らないと叔父さんが心配してしまう。しかしかずねえは僕を呼び止めた。


「だっ、だめだよさっちゃん! またさっきみたいなのと会っちゃったらどうするの! それに......まだ痛むんでしょ? その足」


 やはり、長く付き合ってきただけある。見抜かれていた。この足では今度はさっきのような全力疾走は不可能だろう。


「う、うーん。実はそうなんだよね............どうしよう。迎えを呼ぼうにも叔父さんは車持ってないし......」


「そうだよねぇ......どうしよう......」


 と、二人で途方にくれていると、玄関からかずねえの母親が出てきた。


「あれ、どうしたの? お母さん」


 かずねえが言う。


「少しだけど、聞いてたわよ」


 聞かれていたのか......と少し恥ずかしく思う。別にやましい事はしていないのだが。


「ええと、どうしましょうか。早く帰らないと叔父が心配しますし......」


 すると閃いた、というようなかずねえのお母さんの顔が見えた。そしてみるみるにやけ顔になる......この表情は親譲りだったのか。


「そうよ、幸司くん。昔みたいに泊まっていったらどうかしら!」


「......え?」


「......は?」


 僕とかずねえはあまりの突飛な提案に一瞬思考が止まってしまった。それが仇となる。


「それがいいわ! そうしましょう! 心配しないでいいのよ、叔父さんには私が連絡しておくわ。また昔みたいに三人で夕食を食べましょう!」


 そう捲し立てるや否や足早にリビングへ戻っていってしまった。こういうちょっと強引なところもかずねえにそっくりだ。


「............とりあえず、中には入ろっか」


「............そうだね」


 夜風が体に直接当たって肌寒い。体が少し震えるのは寒さからではなく、久しぶりに幼馴染の家に泊まるという緊張からなんだろうな、と思いながら、家へお邪魔させてもらう。

 なんだかとんでもない事になったなぁとつくづく思った。

 良い事は予感できないが、悪い事はできる。この僕の持論から言うと今回の件は、一体どっちなのだろうか。

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