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鮮やかな水彩画のように澄み切った、秋麗な空が目に飛び込んでくると同時に心も芯まで澄み渡る。しかし同時に空調の効いた室内から出てきた影響で、突き刺すような秋の空気を肌と匂いで強く感じた。
ファミリーレストラン『ハートフル』で昼食を済ませた僕らは、雑談をしながら家路についていた。
「いやぁ、やっぱり外は寒いねー。まだ十月なのに」
冬が近づくにつれ、どんどん高くなっていく秋空を見上げながら、かずねえが言った。
「今これだけ寒いと今年の真冬はどうなるんだろ。困るなぁ」
やれ温暖化だ、とニュースなどで騒ぎ立ててはいるものの、この天気ではその予兆すら感じられない。
「あ、さっちゃんって寒いの嫌いだったっけ」
かずねえがコートの襟を直しながら、僕を見て言った。
「どっちかって言うと暑い方が好みだね」
これといって理由という理由は無かったが、強いて言うと寒いのが嫌いなのだ。
「真夏は冬になるのが待ち遠しいのに、真冬は夏が恋しくなるもんだねぇ。 人間ってわがままー」
「僕は一年中夏がいいな。夏休みあるし」
「気候的な意味で、だよー」
僕ら二人が揃うとよく他愛もない会話が長く続くが、今日は寒さのせいかあまり長くは続かず、気が付くと家の前の分かれ道まで来てしまう。
「じゃ、テスト勉強頑張ってね、明日の約束、忘れないでよー」
「わかってるよ。かずねえもちょっとは勉強しなよ、バイトばっかりしないで」
「だーいじょうぶだよー。私はテストのことは心配いらないー」
自慢顔をこちらに向けてくる。いつかあの顔を学力で歪めてみたいものだ。今のままでは到底無理な話だが。
「じゃあ、また明日」
「うん、またねー」
短い挨拶を済ませ、家までの残り数十メートルを消化しようと歩き出した。
ここの道は狭い割に交通量が多く、さらには小学生たちの通学路にもなっているかなり危険な道だ。僕も何年か前に車と事故を起こしかけたことがある。今でも気をつけて歩かなくてはいけない道だ。
道はT字路になっており、ここを左に抜ければ僕の、正確には叔父の家が見えてくる。早く家に入って暖をとりたいと思い、先を急ぐ。
右手には小さな公園が見える。別段どこも古びていない、しかし昔懐かしいの匂いがする公園だ。そこには、ここ数年で設置されたのであろう真新しい遊具が整っているのが見えた。
僕もここで遊んでいた覚えがある。もちろんその時はかずねえも一緒だった。
公園のなかではボール蹴りをして遊んでいる子供たちが四人、奥に母親らしき人が二人見える。なんだか懐かしい風景を見たなぁと、年不相応な事を考えてしまっていた。
「あー! みいちゃん飛ばしすぎー!」
園内で遊んでいた子供の一人が甲高い声で言った。直後、公園外に飛んでいくボールが見えた。T字路の真ん中へ転がっていってしまう。
「ごめーん! 取ってくるー!」
みいちゃん、と呼ばれた女の子、小学生二、三年ぐらいだろうか、その子が道へ駆け出し、ボールを取りに走った。途中で僕を追い抜く。
その瞬間、背中にムカデでも這い寄ったような悪寒が、ぞくり、と走った。僕の事故まがいの時と似ていたからだろうか。
公園の中の親らしき女性三人は世間話に夢中で子供には関心がない様子だ。残された子供たち三人はボールを取りに行っているみいちゃんに注がれている。
体が少し震えるのは気温のせいだろうか。
どうか事故なんて起こらず、僕の杞憂であってほしいと思いつつ、僕も少し早足でみいちゃんが向かうT字路の曲がり角へ向かう。
みいちゃんは一足先にボールの元へ辿り着いたようだ。しゃがんでボールを拾おうとする。
「......えっ?」
瞬間、普段は聞かない大きなクラクションの音が聞こえた。みいちゃんがT字路の先を見つめ、短い声を出して立ち竦む。
僕の背中を這ったムカデは気のせいではなかったのだ。
みいちゃんはクラクションの音がする方へ顔を向ける。が、恐怖からか一歩も動かず、持っていたボールも落としてしまった。
「......くそっ!」
短く毒づき、全力で走り出す。
僕は小学生の始めから中学生終わりまではジュニアチームや部活でバスケットボールをやっており、それなりに上手い方だったので、人並みかそれ以上には運動が出来る方だ。
みいちゃんに向かって全速力でぶつかり、今は車に通っていない対向車線に抱え込もう、と一瞬のうちに考え、みいちゃんへ急ぐ。
しかし、いくら運動が出来て走るのが早くても、届かないものというのは、あるものだ。
中学生の時にいくら走っても、いくら喰らい付いても抜き去られてしまうドリブラーと対峙した事がある。絶対的な壁、というのを思い知らされた出来事だった。物語の中の主人公なら、こういう時、絶対的な壁というものをひょいと飛び越え、子供を助けてしまうものだろうか。
みいちゃんまでもう少し、歩数にしてあと五、六歩といったところだろうか。冷や汗をかきながらとにかく全力で走る。今はそれしか頭になかった。
タイヤとアスファルトが擦れ、大きなスキール音を住宅街へ響き渡らせる。事態を把握したからだろうかようやく後ろの公園から女性の悲鳴が聞こえた。
あと少し。
あと少し。
あと少し。
みいちゃんの短い悲鳴が聞こえた。全力で手を伸ばす。
「みいちゃん!!」
叫びながら、手を伸ばす。助かる事を信じ、手を伸ばす。
全力で、手を伸ばす。
だが、僕の努力と祈り虚しく、聞いたこともないような鈍い音と、何かが裂ける音が僕の耳を覆った。
僕は勢いのあまり目の前まで来た車の側面にぶつかった。痛かったが、車の勢いはもう死んでいたので大した怪我はなかった。
止まった車の先へ目をやる。数メートル離れたところでうつぶせで倒れている女の子が一人いた。頭から液状で赤い、大量の『なにか』が吹き出している。それが下のアスファルトへじんわりと染み込んでいく。
鉄のような気持ちの悪い臭気が僕を襲う。その場で吐きそうになった。全身の毛が逆立ち、頭が割れそうなぐらい痛かった。
「みいる!!」
母親らしき人が後ろから走ってくるのが分かった。『みいる』というのがその子の名前なんだろうか。車の運転手も外へ飛び出してきた。携帯を片手に倒れているみいちゃんに駆け寄る。
「さっちゃん!」
今度は聞き覚えのある声が背後から聞こえてきた。
かずねえだった。
さっきのクラクションの音で駆けつけてきてくれたのだろうか。
「何があったの............っ!!」
最初は事態をしっかり確認できていなかったらしいかずねえも、事故の現状を見て驚愕し、困惑していた。
僕は掠れた声で、途切れ途切れになりながら、言う。
「目の前の......子供が、ボールを拾おうとして......車に............助けようとしたんだけど、間に合わなくて......」
頭の中は真っ白だったが、なんとか伝える。それだけ聞いたかずねえは黙って頷き、みいちゃんが居る方へ駆けて行った。
もう少し、もう少し早く走っていれば。
あと少しあれば助けられた。
あと十秒......いや、五秒早かったら、きっと立ち竦むみいちゃんを抱え込み、対向車線へ飛び込む事ができただろう。
そこまで考えたところで、胃の中から逆流してくる物を抑える事ができなくなった。
「うぐっ!............っかっは!」
胃の中のものをほぼ全て出し切った後で、後悔する。
あと......あと数秒あれば......!
強く思ったところでこの状況が変わるはずがない。僕もみいちゃんの側へ駆け寄り、何か出来ることはないか探しに行こうと立ち上がった。
歩き出した瞬間、不意にふらっ、とした。足にうまく力が入らない。くそ、ともう一度力を入れなおそうとした矢先、突然視界が白く光り、目を開けていられなくなった。
「うわっ!」
何が起こったかわからなかった。そもそも何も見えない。とても眩しい。少し経ってから目を開けると、眩しさは消えていたが、見渡す限り真っ白な世界になっていた。
目の奥が痛む。
さっきまで居たかずねえやはねられたみいちゃん、そのお母さんに運転手、全員居なくなっていた。車やボールはもちろん、あの生々しく悍ましい鮮血も、臭いも、跡形もなく消えていた。
「......ここ......は......?」
力の入るようになった足で、辺りを歩いてみる。しかし、状況に変化はなかった。
「なんだか......見たことにある景色だ......」
不意に口から出ていたその言葉は、本心だった。確信はないが、どこかで見た事がある景色だ、と強く思った。
突然、どこからか、誰かに声をかけられる。
「......やあ、また会ったね」
いつか聞いたことのある、落ち着く声だった。




