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カツとお酒の、味しかしない。  作者: ぎんはなあんず
カツとお酒の、味しかしない。前編
14/14

12

 思えば、花さんの方からデートに誘う、というところからおかしかったのだ。

 半年前から付き合い始めて、何度も彼女とデートへ行ったが、それら全て僕が誘ったデートだ。彼女の方から誘ってきたのはこれが初めてだった。

 しかしこれは、彼女の言葉を借りると『自己中心的な振る舞い』の一つなのだ。彼女は僕の愛情を確かめたいがゆえに自ら誘うことはせず、僕から誘ってくれるのをいつも待っているのである。半年間付き合って分かった彼女の本質の一部だ。

 僕はそれで構わなかったし、彼女が僕をないがしろにしているわけではないとも思っていた。現にデートに誘って断られた事は一度も無いし、デート中も彼女はいつも僕のことを考えてくれていた。それは間違いではないと思う。

 間違いでは、無かったはずだ。


「私ね、やっぱり......自己中心的な女なの」


 内容の無い雑談を一通りし終え、話題も付きかけたところで、彼女は突然そう言った。


「うん? さっきも言ってたよね、それが?」


 僕はその発言に何の疑問も持たずに話の続きを促した。

 彼女はどうしてか慎重に言葉を選びながら、ぽつりぽつりと言葉を零す。


「最近ね、幸司くんと一緒に居ると、いつも思うの」


 彼女の神妙な雰囲気に気圧されて、僕も妙にかしこまってしまう。

 彼女は続ける。


「幸司くん。気付いてた? あなたの本当の気持ち」


 僕の本当の気持ちに、僕が気付いていたか?

 彼女が確かに言ったその一言の意味がはっきりと理解できない。僕が自分の気持ちに嘘を付いていたとでも言うつもりなのだろうか。

 僕は幼い子供のように彼女が言ったことをそのまま口に出す。


「僕の、気持ち......?」


「そう、幸司くんの、気持ち」


 先程まで僕たちは傍から見ても楽しそうに会話をしていたはずなのに、今は妙に重い空気が僕たちを満たしている。まるで服を着たまま水につかったかのように体が重く感じた。

 ふと彼女の顔を見ると、つい先程までそこにあった笑顔は跡形も無く消えてしまっていた。


「幸司くん、私の事、好き?」


 何の脈絡も無く彼女はそう聞いてくる。笑みの消えた顔からはどうしてか逼迫した雰囲気を感じた。

 僕は本心をそのまま即答する。


「好きだよ」


 そういうと彼女の顔がふっ、と緩んだ。同時に僕の変な緊張感と焦りも緩んだ。

 僕の心にも少しばかりゆとりができる。


「じゃあ、一音かずねさんは?」


 が、しかし一瞬で僕の心は凍りついた。

 かずねえ。

 どうしてここでかずねえの話になるんだろう。

 僕の背中から大量の汗が噴出しているのが分かった。

 花さんとかずねえはどこでどう知り合ったかは知らないが、僕が付き合い始める時にはもう二人は知り合いだったので、彼女の口から「一音さん」という単語が発せられる事に違和感は無かった。しかし問題はそこではなく、どうして僕は彼女のその一言でこんなにも心を乱されているのか、だった。


「かずねえは......どうして今、かずねえの話になるの?」


 僕は苦しみ紛れにそう答えるしかできなかった。

 彼女は僕の言葉を無視して続ける。


「私って、本当に自己中心的。私の事だけを想ってくれる人じゃないと、やっぱりだめなの」


 自虐的な笑み。

 彼女はそう言った後、ほとんど無くなりかけているエスプレッソの最後の一口を飲んで一言、「......おいしい」と呟いた。

 続けて彼女は言った。


「私、誰かの一番じゃないと、嫌。同率一位なんて許せない。......ねえ、幸司くん、もう一度聞くわ。一音・・さんの・・・?」


 彼女はそう言って、今にも泣きそうな顔をこちらに向けてくる。

 僕は瞬間的に、かずねえの事を思い出していた。






 彼女はきっと、別れ話をするために僕をデートに誘ったのだ。そうでなければ彼女の方からデートに誘ってくることなどありえない。

 僕は何か間違っていたのだろうか。

 そういえば彼女と他愛も無い会話をする時、僕は頻繁にかずねえの話を持ち出していたかもしれない。

 彼女の気持ちを考えずに、なんとなくかずねえと一緒に帰ったりもしたかもしれない。

 少し考え出すと後悔が噴水みたいに溢れ出してくる。

 僕は花さんが好きだ。

 同時に、かずねえの事も好きなのかもしれない。彼女の質問に対して、きっぱり「嫌い」と言えないからだ。

 彼女は自己中心的。ならば、僕の中での中心は花さんじゃないと彼女は許してくれないのだ。

 自分の想いに気付かないどころか、彼女の想いすら考えていなかった。

 僕の中で花開いていた彼女への想いが、たった一つの音を立てて崩れていく。

 僕はきっともう、彼女よりかずねえの事が好きなんだ。それを、彼女に指摘されるなんて。

 なんということを、してしまったんだろう。






「......ごめん」


 僕は謝ることしかできなかった。

 平手打ちでも飛んでくるかと歯を食いしばっていたが、それは終ぞ飛んでくる事は無かった。

 彼女が怒りに任せて僕の頬を激しく打ってくれれば、どんなに楽になれただろう。

 彼女は少しだけ潤んだ瞳で、


「......ううん、幸司くんだけが悪いわけじゃ、ないわ......」


 と一言呟くだけだった。

 五秒だけじゃなく、過去へ戻ってそのまま全てをやり直せたならどんなに良かった事か。

 積み重ねてきた過去を洗濯機にぶち込んで何十時間も洗い倒したくなる気分に駆られる。


「私の事は......いいの。慣れてるから」


 慣れている、それはどういう意味だったのだろう。男子と付き合って、別れる事に慣れているという意味なのか、誰も一途に自分の事を想ってくれない事に慣れているのか、はたまた、もっと違った意味なのか。

 過ちを犯した僕は最後までその答えを得る事はできなかった。

 僕は返事に窮する。

 時間が錆びた音を立ててゆっくりと進む。

 彼女はもう、何も言う事は無いようだった。


「は、花さん」


「それじゃあね、幸......大島・・くん」


 ああ、本当に、平手打ちだったらどんなに良かっただろう。

 その呼び名だけで僕自身が傷付くのは明々白々、彼女の方がもっと傷付いているのが手に取るように分かった。

 音を立てないよう慎重に、彼女は席を立った。


「......嫌な店名ね」


 彼女は何か呟いたようだったが、僕はそれを聞き逃してしまった。何を言ったか尋ねようとしたが、それよりも先に彼女は逃げるように店から出て行ってしまう。彼女のその姿を僕は最後まで直視する事ができず、目線をコーヒーカップへ下げてしまった。

 遠くの方で店内に飾られている大時計の振り子のこつ、こつ、という音が聞こえてきた。

 僕は冷め切ってしまったコーヒーを一口飲み、息を吐く。


「......ここは普通、コーヒー飲んで『苦い』って言わせる場面でしょ......」


 人生は僕の思い通りにはならない、それを暗示しているのか目が覚めるほど苦いはずのブラックコーヒーはとんでもなく、おいしかった。

 僕は席を立った。花さんの姿はもうどこにも見えなくなっている。

 会計を済ませようと無心で店の出入り口の方へ向かった。


「......お会計七百十円になります」


 僕から受け取った伝票を見ながらレジを打つ淹沢先輩がそう言った。先程まで一緒に居た花さんが居ない事は指摘してこなかった。まるでロボットみたいにレジ打ちをする淹沢先輩はそれだけで救いだった。

 小銭を出そうと財布を持った瞬間ふと、花さんとのデートはいつも割り勘で、僕が奢るような事を示唆するだけで機嫌を悪くするぐらい、彼女は奢られるのが嫌いだったのを思い出す。その彼女が、今日は会計も忘れて店を飛び出して行った。彼女は確かに僕の事が好きで、そして僕のせいで確かに傷付いたのだ。その事を否応無く突きつけられる。


「......大島くん。コーヒー、どうでしたか?」


 財布を持ったまま凍りついてしまっていた僕を見かねて、淹沢先輩が優しく僕に言ってきた。

 僕は五百円玉と十円玉を一枚ずつ、百円玉を二枚出しながら答えた。


「......とっても、おいしかったです。また来ます」


 歪んだ笑顔で嫌味っぽく言ってしまった事を後悔した。

 しかし淹沢先輩はなおも軽く微笑んで、「またのご来店を」と僕を送り出してくれた。

 店の外へ出る。喫茶店『Heart Break』と白い筆記体で書かれた横長い正方形の看板を見上げる。「Heartbreak」は確か、どういう意味だっただろう。

 十一月初めの、寒々しい空気に皮膚を叩かれ、僕はたまらず手に持っていた上着を羽織った。


「......はぁ......」


 溜め息ではない、息を吐く。

 せめて今日の五秒を使って、淹沢先輩にさっきの嫌味な態度を改めよう、そう思いながら道の脇に逸れて、五秒間だけ過去へ戻った。

 それが今の僕にできる唯一のタイムリープだと、そう感じた。

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